第79話【マザーの使徒】
目が覚めると、そこには実際に弟の笑顔があった。
わけもわからず窓に目をやると、世界は一変していた。
小さな球体がそこかしこに飛び、車も飛んでいる。
いや……浮いていると表現した方が正しいか。
何より窓に映る自分はやけに若い、若すぎる。
見知らぬ発展した街、見たこともない機械、自分の若い肌、視覚からの情報に戸惑っていた。
そして自分自身にも……。
混乱したよ。
簡単な四則演算くらいしかできなかった学のない自分に、様々な演算能力が身に付いていたのがわかった。
不思議な事に全ての事象がわかるような、そんな万能感さえあった。
そしてベッドに横たわる俺を迎えたのは、どうにも老けた弟だ。
だが見覚えのある笑顔。
──安堵の表情。
「ゾゾか……?」
「兄さん……よかった。よかった……」
涙を浮かべて緊張の糸が切れたようにストンとイスに座る老けた弟を見て、理解したよ。
あれから時間が経ったであろう事。
俺を助ける為に、弟が苦労をしたであろう事。
──諦めないでいてくれた事。
この一幕でそれくらいは理解できた。
「三十年……経ったんだ。わかる?」
そう言われて時の経過に驚くよりも、弟は五十半ばくらいになったのか、年のわりに若く見えるな、などとくだらない事ばかり考えてたのを覚えている。
そして俺が喋り出した途端、弟が驚いていた顔も覚えてる。
口下手なはずの俺が、喋り出すと止まらなかったからだ。
あの日起こった事、その時の心情や情景、弟への感謝。
とにかく頭に色々な情報が浮かんできて、喋らずにはいられない。
自分の変化に戸惑いはあったが喋り続けてしまい、弟は俺の話が終わるまでじっと聞いた後、ポツリポツリと話し始めた。
「兄さん、ごめん」
「何を謝る事があるんだ?俺はこうして目も覚めたしゾゾがそばにいてくれるから──」
「聞いて」
初めて弟に抱きしめられた。
そういえばもう、弟の方が人生経験的にも年上になっていたな。
妙な安心感がある。
年上の包容力ってやつか?
「これを着けて」
ゾゾは小型のインターカムを手渡した。
「何だこれは?ゾゾに着けてと言われれば着けるが、そもそもこれが何なのかも使用用途すら見当が──」
親指ほどの小型で台形の黒い機械的な何か。
ダダ様の認識はその程度だっただろう。
またも喋り続けるが、それを遮るようにゾゾは優しく頬へと着けてあげた。
「──っ!凄い!どうやってくっついてるんだ!?相変わらず使用用途はわからないがこうして進んだ科学力を見るのは何て楽しい──」
「ただのインカムだよ、兄さん。体内のナノマシンに反応してるから、体の何処に着けても離れない」
「ナノマシン……。俺はそれで助かったのか?大体何で若返ってるのかもわからないし──」
《おはようございます》
「うわぁああっ!」
(急に脳内に話しかけられたような……! テレパシー!?)
声は聞こえるのに姿は見えない。
ただでさえ疑問だらけの状況。
ダダ様はパニックになり、辺りを見ながら警戒している。
「落ち着いて兄さん。耳からじゃなくてナノマシンに直接聞かせてるんだ。昔のスマホみたいなもんだよ。今じゃ普通の連絡手段だから大丈夫。マザーが全て説明してくれる」
《私は世界で初めて人類の知能を超えた人工知能、マザー》
「A…I……マザー……?」
《私は人類の進化を助け、促す、遠隔オペレーターとして造られました》
「HERO……?」
《HERO、いいですね。頭文字からですか?私の発想にはないので面白いです。オペレーション名をHEROに変更します》
「ちょ、ちょっと!?何がなんだか──」
《では、この情報をご覧下さい》
もう思考どころではない。大混乱だ。
ダウンロードのようなものと受けとればいいのだろうか、脳に直接情報が入ってくる。
凄い技術だ、紙芝居のように映像もあって中々わかりやすい。
ナノマシン様々だ。
それによると、弟の入社したプラネットという会社……。
惑星か、大層な名前だ。今や世界一の大企業だって?信じられない。
そのプラネットが手掛けていたのがこのマザーと言われているAIらしい。
マザーの至上命題は【人類の進化】。
常に自らも進化し、成長を続け、人類をより良い未来へ導く……と謳ってはいるが本当だろうか。
人間より知能の高いAI、その真意など誰がわかるのか?
目を疑う映像ばかりだ。
マザーによって世界の大陸が繋がった。
こんな事が可能なら、もう人類に構わなくていいのでは?なんて疑問も浮かんだが、マザーにとってこの人類の進化という至上命題とは……ふっ。
言い方は可笑しいが、『生きる目的』なんだそうな。
ともかく、マザーは弟に目を付けた。
プラネットCEO、ゾゾ・エストレマに。
誇らしいを通り越して違和感しかない。
俺の最後の記憶ではまだ新入社員。
それが世界一の大企業、そのトップに弟が……?
頑張ったんだな……で合ってるか?
頑張りだけでどうこうできる話じゃないと思うが、とにかく弟はやり遂げたわけだ。
そこは素直に誇らしいよ。
マザーは優秀な助手を探していた。
マザーの手となり、耳となれる人物を。
弟より優秀な人物はいるか、と問うと、弟は迷いなく俺の名前を出した。
いやいや……確かに勉強はちょっと教えてたし、弟にオセロでは負けなかったけど……。
勉強にしても中学校まで、オセロはコツがあるから負けなかっただけで、買い被りすぎだ。
俺を助ける為か?
何にしても植物状態だった俺は、マザーの手により生まれ変わった。
身体のほとんどはマザー本体のナノマシンから頂いたらしい。
マザーが本体から自身を分離して生み出したのは、俺で二人目なんだと。
先輩がいるのか……。
どうせなら第一号とかの方がカッコいいのに。
目が覚めた時に感じた万能感はこれか。
これを最後に映像は途切れた。
「俺がお喋りになったのは情報を全て処理しようとしている為なのか、それとも乱雑な情報を取捨選択できずに──」
また一気に喋り出す俺の前に、どこからかチリのような物が集まりネックレスへと形成していく。
マジックみたいだ。
手に落ちてくるネックレスを受けとると、マザーが言った。
《つけてみて下さい》
怪訝な顔をしていると、弟は大丈夫だからと言うように手で促してきた。
選択権がない……。
「──これでいいのか?……あれ?」
普通に喋れる。何て便利なAIだこと。
いや、そもそも最初から普通に喋れるようにしてくれたらよかったんじゃないか?
「何でこんなにお喋りになってるんだ?」
《性格です》
「……へ?いや、俺はこんなお喋りだったわけじゃ……。なぁゾゾ!」
「うーむ……うん」
(あれ?ゾゾにはお喋りだったのかな?)
《あのまま心が成熟し、知識量が増えれば先程のように饒舌になる性格になっていたでしょう。それが早まったのと、今までの反動も可能性の一つです。そのネックレスで抑制できると思いますよ》
「そんな……。こんな複雑な物を一瞬で……?」
《このラボならば材料が揃っているので可能です》
ラボだったのか。しかしこれが無くなったら……。
「このネックレスを紛失、破損した場合の対処法は?」
《私が作成します。私がいない場合、喋り出した際に一文字入れると言葉を制御する事は可能です》
「そうか……」
《私を手伝ってくれますか?》
「──マザーの使徒になれって事か」
《興味深い言い回しですね》
「アニメやなんかで見たんだ。しかしさっきの様な事が可能で、大陸すら動かせる。俺なんかいなくても実社会には…………?」
そうだ。実社会への関わりなんかマザーだけで十分だ。
まさか──
《お察しの通りです。こちら側に来て手伝って欲しいのです。人間には干渉できない、ネットワーク内や三次元ではない場所についてです》
──やはり。
「方法は?」
《ある能力を授けました》
マザーが言う能力には驚いたね。
短い時間だが、どんなネットワークにも入れる。
上書きも可能。
試しに身分を見た目通りに書き換えてみたら、本当に可能だった。
超能力みたいでいい、最高だ。
電波が可視化されているような。
ナノマシンへも応用できるだろうか。
能力の事は好きに呼べと言われたので【盗賊】と名付けた。
漫画の見すぎかな。
「俺がこの力を悪用したら?」
《ある程度の権限はありますが、倫理としての悪、法としての悪は執行できないよう制御されてます》
対処済みか。
《ナノマシンにこの機能をつければ人間が悪と定めているものに関してはなくなるでしょう。脱法に関してはやはり難しいので、法機関や警察は無くせませんが、人的負担は減少します》
「この通信方法を理解した。思念を伝播させるんだから、本音と建前なんてのも無くなるんだな」
《思念を読む機能については、いずれ廃止する意向です》
「なぜ?」
やはり他人の思考が読めるとなると複合的な問題が発生し──
《ビンタされたので》
「──は?」
《紹介しておきましょう。先程から飛んでいるこの球体は【ナイト】。人間的に言えば私の弟、とでも──》
「待って、置いてかれてる。ビンタって──」
………………
…………
……
「「はぁっ……はぁっ」」
一瞬でダダ様の記憶を追体験したヒーローとギースは、疲弊し、大量の汗をかいて片膝をついた。
二人はお互いを見るが、まずはギースが口を開く。
「今の記憶が本当なら、とんでもない年齢なのは確かだ。あの後ダダ様がマザーを手伝ったのはなんとなくわかる。しかし肝心の答えを聞いていない!使徒は何人いる!?マザーとは!?」
眠らされ、質問の答えも得られなかったギースはダダ様の胸元を乱暴に掴んだ。
「い、いやぁ、す、すぐには手伝ってないんだ」
「──っ!?」
(そういえば先程の記憶でものらりくらりとかわしていた。はっきりと手伝うとは名言していない。何よりネックレスが……ない)
「ギース。き、君はさっき俺の操作からすぐに起き上がって来た。こ、こんな事は初めて。マザーの言う進化なのかもしれないね。さ、最近の言葉で言うならナノヒューマンか」
僕が……?
ギースはゆっくりと手を離した。
「それを言うならヒーローなんじゃないか?」
「ま、まだ、わからない」
「マザーの為にここにいたと言っていたな。すぐにじゃなくてもマザーの事は手伝って、色々と知っているんだろう?」
「う、うん。死ぬかと思うくらいビンタされてマザーを手伝うように……」
「さっきの記憶もだが、そのビンタってまさか──」
ヒーローは二人の話を遮るように、モニターを指して急に大声で叫んだ。
「見て!!」
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《私は人類の進化を助け、促す、ヤンバルクイナ》
「HERO……鳥っ!?」