第74話【夏の怪談──恐怖! ミツバチ王子!】
王──?
その一言に皆は戸惑った。
現代には、もはや王制など存在しない。
高貴な家柄のことか? あるいは、何かの比喩か?
しかし、ヴェローチェは静かに続ける。
「ダダ様のリモキネシスは……あらゆるリモコンを支配する能力」
「…………ん?」
セドはいつもより眉間に深いしわを刻んだ。言葉の意味を理解しようとするが、思考が追いつかない。
その表情は、まるで哲学の難問に直面した学者のよう。
お菓子を食べているパンチを除いて、ここにいる全員が、まさに同じ顔をしていた。
皆のあまりにピンと来ていない顔に、ヴェローチェはやれやれと肩をすくめた。
「わかっていないな、この恐ろしさを……。例えば、君たちが普段見ている動画やテレビ。ダダ様が近くにいたら、勝手に変えられてしまうんだぞ?」
「……うん? それだけか?」
セドが眉をひそめる。皆もポカンとしていた。
何がどう恐ろしいのか、さっぱりわからない。
というか──わりとどうでもいい。
「それだけとは何だ!?」
突然ヴェローチェが大声を出すと、不穏な空気も相まって、皆はビクッと肩を震わせた。
「想像力がないのか君たちは!?」
マサムネは戸惑いながらも、皆を代表して恐る恐る口を開いた。
「ちゃ、ちゃんと説明してください……! 恐ろしさが、さっぱりわからないんです」
真剣な表情で訴えるマサムネに、ヴェローチェはわずかに息を整え──再び声を張った。
「──この中に、寮で生活している者はいるか?」
ヴェローチェの問いに、セドとトムが静かに手を挙げた。トムは教師として寮監を兼任しており、学園の誰よりも寮の事情に詳しい。
「ふむ、二名か……。では訊こう。もし明日から、エアコンの設定温度がいきなり冷房の最低気温で固定されたらどうする?」
「なっ──!?」
セドの目が見開かれる。
「視聴予約? キャンセルされる。お気に入りのシーン? スキップされる! それでも『それだけ』と言えるのか!!」
「そんな……まさか電気も……?」
トムの額にも、じわりと冷や汗が滲む。
「そのまさかだ」
ヴェローチェは静かに、しかし確信を込めて告げる。
「ダダ様からすれば、エアコンの設定温度を変えるなど朝飯前。だが、それだけじゃない。……SNSもだ」
一同が息を呑む中、ヴェローチェは低く続けた。
「もし……彼の機嫌を損ねれば、君のアカウントが謎の絵文字投稿で埋め尽くされ、くだらない投稿にグッドボタンを連打されることになる……!」
「な……なんだと……」
セドの声が震える。
「そんな恐ろしいことが……バスカルで……?」
トムは顔を青ざめさせた。
マサムネとマリンは、この馬鹿馬鹿しい話題に見切りをつけて、さっさとパンチの元へ向かった。
「あっ、これおいしそー!」
「これもおいしいよ。シーカーのお土産なんだって。マリンちゃんにだけ二個あげるよ」
「じゃあこれと交換ね! ジローナの選手にもらったやつ!」
子どものように弾む声で菓子を取り合い、盛り上がる二人。
「パンチ、ボクもほしい!」
マサムネまで笑顔で手を差し出し、パンチは満面の笑みで袋を配る。
その様子を見ていたセドは、抑えきれず苛立ちをあらわにした。
「くっ、やつら……。この恐ろしさが、なぜわからないんだ……!」
苛立ちを募らせるセドに、ヴェローチェがため息混じりに肩を落とす。
「セド君、仕方がない。寮で暮らす者にしか、この地獄は理解できない。これで察しただろう。故に、ダダ様は寮の『王』なのだ。彼が大会に出たいと言えば──」
その言葉に、トムが静かに重ねる。
「……教師でさえ、彼の願いを断れない」
控えめに震える声で、ヴェローチェがセドに向き直る。目元にはうっすらと光る涙。
「もう……二年。色んなドラマの最終回を……まだ見ていないんだ……!」
「──なっ!? だが、今どき配信でいくらでも……」
当然の反論。しかし、ヴェローチェは首をゆっくりと横に振った。
「まさか……。動画も全て……」
「そうだ。結局……【ミツバチ王子の大冒険】を……延々と見せられるのさ……」
その名が出た瞬間──控え室にいたセド以外の全員が、ぴくりと肩を揺らした。
「孤児院では好きなアニメだったが、ずっとはさすがにキツいな。寮の食堂でも、いつもあれが流れてるが……そんなに人気なのか?」
セドは首を傾げた。
【ミツバチ王子の大冒険】──そのタイトルもキャラも知ってはいる。けれど、全話を見た記憶はない。
街角のスクリーンでも、寮のロビーや食堂でも流れていたから『流行っている』くらいの感覚だった。
「名作には違いない。熱狂的なファンも多いし……でもな。何百年も前のアニメを、毎日、四六時中、強制的に見せられるのは……拷問に等しい」
ヴェローチェが遠い目でつぶやいた。
「ヴェローチェ。この後、うちの寮でドラマの続きを見ていくか?」
「っ……! 本当に、いいのか……?」
食い気味の問いに、セドが頷く。
「もちろん。なぁ、先生?」
「当然ですとも!」
珍しくトムが即答した。
「まさかバスカルの寮で、そんな恐ろしいことが行われていたとは……つらかったろう。私のオススメ動画も大量にあるから、よかったら寮の食堂に──」
トムの語りに割って入るように、パンチが素朴な疑問を口にした。
「今、ガンで見りゃいいじゃん」
「そうか! ダダ様はいない……。い、今見れるのか……!」
ヴェローチェは震える指先でガンの通信端末を取り外し、胸に抱きかかえるようにして再生を始めた。
ついに──ついに、二年間封印されていたドラマの最終回が──
『──それはできないバチよ』
画面が切り替わった。
そこにいたのは、あの黄色と黒の縞模様の──ミツバチ王子だった。
重厚なSEとともに、やけに劇画タッチの王子が熱演している。
ヴェローチェの肩が、ストンと落ちた。
セドはその様子に青ざめ、周囲を見回す。
「ま、まさか……ここにもダダ様が?」
「あっ、俺このセリフ好きなんだよ!『一緒に逃げよう』って言われてからの──この名シーン! このあとクローバー第三皇女が……!」
パンチは呑気にガンの画面を覗き込み、急に饒舌になってまくし立てた。その様子は、周囲の関心を引こうとする熱烈なファンそのもの。
──通称、【バチファン】。
『ミツバチ王子の大冒険』は、第一シーズンこそ可愛らしく微笑ましい冒険譚だったが、シーズンを追うごとに作風は激変する。
第ニシーズンからは一転して、愛憎渦巻くドロドロの人間ドラマへと舵を切り、サスペンス、戦記、政治劇……と、ジャンルを越境しながら物語は深化。
制作陣の迷走と挑戦を繰り返しつつも、ついにはシーズン八まで制作され、最終章ではSFの要素までをも取り込んだ。
そのジャンルの振れ幅と、各シーズンの濃密な内容が相まって、作品はカルト的な熱狂を呼び、今なお一部では伝説として語り継がれている。
シーズンごとに作風が大きく異なるため、ファン同士の対立が生まれやすく、熱量についていけないライト層からは敬遠されがちだった。
「こ、これだ……。ダダ様はこのアニメが大好きで、寮中にこれを強要して……!」
ヴェローチェが震える声で訴える。セドはそれを見て、パンチをたしなめた。
「おい、今は語るのをやめてやれ」
「で、このあとに──隣国から来たダリア王女が仕掛けてくる嫌がらせで、クローバー第三皇女は──」
「お、おい、パンチ!? やめろ!」
まるで壊れた機械のように止まらないパンチの語りに、セドはたじろぐ。
そんな彼に、ヴェローチェは静かに告げた。
「……無駄だ。ダダ様もそうだった。語りだしたバチファンは、自分の好きなシーズンを語り終えるまで絶対に止まらない……」
「そんなバカな……!」
突然、トムが立ち上がり──
「バカとは心外ですねぇ!!」
──怒鳴った。
その剣幕に、セドとヴェローチェは思わず身をすくませながら、ゆっくりと彼の方を振り向く。
「ミツバチ王子は口こそ悪いがそれを補って余りある優しさと実直さで仲間を惹きつけやがて訪れる別れと再会の──!」
止まらない。トムの語りはまるで熱に浮かされたかのように、句読点のない情熱で溢れていた。
「せ、先生……?」
セドは完全に引いていた。
(まさか、先生までバチファンだったとは……。耳も機能していないのか?)
ふと横を見ると、パンチもいまだ一人で語り続けていた。
(寮の食堂でいつもこのアニメが流れてるのって……まさか先生の仕業だったのか? 【バチファン】ってのは、ここまで恐ろしい集団だったのか!?)
「無駄だ、セド君! バチファンが語りモードに入れば、終わるまで帰ってこない!」
「……まさか。先生がさっき寮に来ることを許したのも……!」
「察しの通りだ。我々を取り込むつもりだったのだろう。見たまえ、あの目を!」
トムの目は焦点が合っていない。どこか遠く、ミツバチ王子の活躍が見えるかのような虚ろな視線で、いかに彼が優しさの化身であるかを熱弁していた。
しかも──止まる気配がない。
「ヴェローチェ、これも……ダダ様の仕業か?」
「違うと……思う。さっき雷帝を見た瞬間、ダダ様は顔を真っ青にしてホテルへ逃げ帰ったんだ」
「雷が……怖いのか? ……まあいい。じゃあ、いったい誰が──」
「ごめん、ちょっと試したらできちゃって」
セドとヴェローチェの動きが止まる。
ゆっくりと、その声の方へ振り向くと──そこにいたのは、ヒーローだった。
ヴェローチェは身構えつつ尋ねた。
「わたしの知る限り、君の能力は雷では……?」
「ああ、でも話を聞いて興味が出ちゃって。能力で電波っぽいのが見えたから、ちょっといじってみた」
アイランドシティに第二のダダ様が誕生した瞬間だった。
ヴェローチェは怯えて、その場で硬直。
「ヒーロー、頼む。ヴェローチェが怖がっている。このアニメを変えてくれ」
珍しくセドが煽らず、真剣な目でヒーローに訴える。
「えっ、なんで? じゃあ代わりに別のシーズンは? 俺、第四シーズンが一番好きなんだよ! ミツバチ王子が誘拐されたあと──」
「っ……! こいつもか……!」
セドの顔が引きつる。
ならばと、マサムネの名を叫ぶ。
「マサムネっ!!」
「ボク? ボクはねこの時代ならではの「国」という概念とそれを背景にしたポピュリズムの対立構造にまず感動したんだしかもその内部にすらエリート層という格差が存在していてそこにも強く興味を惹かれ──」
「ダメだっ──! マサムネの目が一番やばい! 息継ぎすらない……!」
まるでゾンビの如く、誰も彼もがミツバチ王子の良さを語り出す。
低く、重く、終わりのないアニメ愛の呻きが、部屋中を満たしていた。
(まさか、全員──バチファン!?)
セドは喉元まで迫る絶望感に耐えながらも、まだ状況を打破する方法を探していた。
だが、ヴェローチェは違った。
「も、もう嫌だぁ……っ!!」
限界を超えた悲鳴とともに、彼女はドアに向かって駆け出す。
「お、おいヴェローチェ!!」
セドがあわてて追いかける。だが──
ヴェローチェはドアの前でぴたりと立ち止まった。
そこにはお菓子の袋を片手に、ハムスターのように頬をふくらませたマリンが立っていた。
(そっ……そうか! ずっと菓子を食っていたマリンなら、まだ正気だ)
「マリン、ここはダメだ!一緒に逃げるぞ!」
セドが叫ぶと、口いっぱいにお菓子を詰めたまま、マリンは低い声で呟いた。
「──それはできないバチよ」
「「うわぁあああああああああああっ!!」」




