第59話【ホテルの夜に】
抽選が終わり、5人は先生とホテルの一室へと移動していた。
部屋のドアを開けるなり、窓一面の夜景が視界に飛び込んでくる。
「えーっ!!!凄いじゃん先生!!こんないい部屋なの!?」
マリンが景色に驚いていると、何故だかトムが得意気になって言う。
「そりゃそうですよ。アイランド学園ですから!」
一面ガラス張り。
ホテルは他のビルが遥か下に見えるほど高く、アイランドシティらしく海の向こうの対岸さえも一望できる。
この高級ホテルにトムが先生として得意気になるのも仕方がない。
しかしそんなトムの気分にマリンは水を差すように言う。
「学園じゃなくて用意したのはアリーナでしょ。選手の私たちがいないと泊まれないんだから先生も感謝してよ」
実際アリーナは賭け金の収益からこのホテルを用意しているので、トムは痛いところを突かれてしまった。
「ぐ…最近の子は……。じゃ、先生も部屋を満喫して来ます。明日は大会初日なんですから早く寝なさい。朝食は1階ビュッフェ会場で7時から、そして9時までにロビーへ集合ですよ?」
「はぁーい」
どうやらトムも早くこの非日常的な空間を楽しみたかったようだ。
機嫌の良さそうな軽い足取りで素早くドアを開けると、閉まるのを確認せずに行ってしまった。
ガチャン……と扉が閉まる音を確認した途端──
「すげぇ部屋だなおい!」「パンチ!何かなこれ」「フン、はしゃぎすぎだ」「見てヒーロー!こんなお茶もあるよ!」
一気に騒ぎ出す四人。
ヒーローも一緒になって騒ぎたかったが、最近の自分の態度もあってか、素直になれなかった。
「うわぁ……!ねぇ、お風呂に来て!」
風呂からの眺望も絶景だ。
街は眩しく、空と地上のビルとの間は白みがかって境界線がない幻想的な雰囲気だ。
まるで空まで摩天楼が続いているような贅沢な景色に、マリンはひたすら感動していた。
(なんて豪華なお風呂……。贅沢……!)
この景色を早く共有したいと皆を呼んだのだが誰も来る気配はない。
明るい声は聞こえてくるので、どうやら皆もこの広い部屋を楽しげに探索しているようだ。
どうせ皆も後で見るだろうと、マリンは一人でアメニティを確認する。
アメニティボックスを開けると、お気に入りのブランドの化粧水もある。
目を輝かせ、気分は上がり続けるばかり。
いい心持ちで部屋に戻ると、やはりパンチたちもうろうろと探索していた。
はしゃぎすぎだ、と言っていたセドもパンチの後ろを雛のようについて行く。
マリンはこの光景がおかしくてしょうがなかった。
マサムネは部屋を一通り見終わっていたようで、学生にこれ程の部屋を用意するアリーナは、WHBSでどれだけ儲けているんだろう、などとソファの上で考えていた。
放映権、グッズ、チケット売り上げ、と指折り野暮な考えを巡らせている。
パンチはホテルが特別に用意した五台並んであるベッドを見つけると、枕の感触を一つ一つ入念に確かめ始め、セドはそれを不思議そうに見ていた。
どうやらベッドも一台、一台タイプが違うらしい。本当に至れり尽くせりだ。
五台を横並びにしてもなお広く、おまけに寝室まで眺めがいい。
街の明かりで部屋が照らされていたので、パンチはライトがついてない事に気がついていない。
セドがライトをつけてソファへ腰掛けようとした時、唐突にパンチが大声を出した。
「あった!俺はそば殻の枕じゃないと寝れねぇんだ。このベッドもーらいっ!」
パンチは目当ての枕を見つけて、
バフンッ!
と一番右のベッドへ豪快に飛び込んだ。
「ヒーロー!自分のベッドでやってみろよ!めちゃくちゃ気持ちいいぞ!」
「いや、俺は……」
バフッ!
と音がしてヒーローが隣を見ると、マリンが一番左のベッドに飛び込んでいる。
「あっ!本当!!気持ちいい!!何このふわふわ!?」
次は『バフン……』と控えめの音。
ちょっと恥ずかしそうにマサムネもパンチの隣のベッドへ飛び込んだ。
三秒ほどふかふかの掛け布団に顔をうずめて、至福の顔で飛び起きた。
「……これは!セドもやってみなよ!」
あまりの気持ち良さにマサムネはセドを誘うが、予想通り乗り気ではない。
「なんでオレが……っ!遊びに来たんじゃ──」
(さっきまで一緒に探索してたくせに……。素直じゃねぇなぁ)
そう思ったパンチは言葉を最後まで聞かず、セドをマサムネの隣のベッドへ突き飛ばした。
バフンッ!
と倒れるようにベッドに埋もれたが──
「っ!! た、確かに柔らかい……すごいなこのベッド……!」
寮にある硬いベッドとの違いにまんざらでもないセドだった。
パンチが残ったベッドにヒーローを思いきり突き飛ばした。
バフンッ!!
と一際大きな音でベッドへ突き飛ばされたヒーローだったが、ベッドに身体が沈むと、険しかった顔はみるみるうちに柔らかい表情へ変わっていった。
「お、おお……。うちのよりいいかも……」
パンチがこれでもかと口を端まで開いて笑い、目を見開いて寝転んだヒーローの背中をバチンと叩く。
「だろ!?」
「フフッ」
マリンが笑ったのをきっかけに、五人が顔を見合わせて笑い出した。
ヒーローの心は徐々に打ち解けていく。
(ああ、楽しい。
こんな感覚は久しぶりだ。父さんがいなくなってからも皆んなは変わらず接してくれた。
俺は頑なで、自分から楽しい時間を奪っていたのかもしれない。
いきなりは無理だけど、少しずつ……少しずつ昔のように楽しんでいけたら──)
「皆んな……ごめん。俺は父さんがいなくなってから、ずっと皆んなに対して頑なな態度をとってた」
四人はヒーローに視線を向け、静かに聞いている。
ヒーローが心を開いてくれるこの時を、どれだけ待ち望んだだろう。
「これからはちゃんと、昔みたいに皆んなと向き合おうと思う。俺自身もやっぱりそっちの方が楽しいみたいだ」
少しの沈黙の後、マサムネだけがヒーローに返答する。
「みたいだって……他人事のように。お父さんがいないのに、自分が楽しんでちゃいけないって考えてたの?」
「……そう…なのかな。自分でもよくわからない」
「お父さんはヒーローのそんな顔は見たくないと思うよ」
(父さんが……?
そうか、俺の今の顔を見たらきっと鼻水を垂らすんだろうな──)
「──ああ。ああ、俺もそう思うよ」
ヒーローは大きく二回頷き、ライゼを想った。
マリンがヒーローの肩を弱々しく叩く。
「ずっと冷たかったよ」
「すまない、マリン」
セドは寝転んで天井を見ていた。
胸の辺りで手を組み、一息ついてやっと口を開く。
「ずっとお前らしくはなかったな」
「セド──」
「あれヒーローの家だ!近っ!!」
何かを言いかけたヒーローだったが、ホテルと同じ高さのマンションを見つけて、パンチは部屋中に響き渡る声で遮ってしまった。
「そうだよな。泊まる意味あるのかな、俺」
セドも窓の外から見える学園寮を指差した。
「オレも寮だから近いしな」
マリンはそれを聞いてタメ息まじりに小言を吐いた。
「はぁ……二人とも近いからいいよねぇ。ワタシなんか毎日ジローナからだよ」
「隣じゃん!マリンちゃんより俺の方が遠いぜ!シグから通ってるし!」
パンチはシーカーからさらに北東、アイランドシティから三つ隣の街から学園に通っている。
「でもパンチの家は豪邸だって聞いたよ。ワタシの家は小さいアパートだから羨ましいよ」
「一応母ちゃんはずっとナンバーに入ってるからなぁ」
「「「「えっ!?」」」」
四人は耳を疑った。初耳だ。
「なんだよ、言ってなかったっけ?今No.8だったかなぁ」
マサムネが驚いた顔でNo.8の名前を叫んだ。
「タンクHEROのアンゾ!?」
昔からナンバー入りしている誰もが知っているHERO。
子育てで数年間はナンバーから外れた事があるらしいが──。
「そう、母ちゃんだ」
やはり、パンチを育てていたんだ。
マサムネは終始驚いた顔だった。
セドもパンチの体型を見て妙に納得してしまった。アンゾと言えばタンク、といったように誰に聞いても体格がいいイメージだろう。
「どうりでゴツいわけだ」
「母ちゃんがゴツいからな!マサムネはどこからだっけ」
「ボクもアイランドシティだよ。イーストブロックの一軒家」
(アイランドシティに一軒家!?)
マリンはあからさまに落胆した。
アパート暮らしは自分だけだと。
能力も強かったし、HEROに興味があったのは確かだが、学園に通っている一番の理由は経済面にある。
学園は学費が安かったのだ。
「皆んなお金持ち……」
「オレは孤児院だ」
「セドはこれから稼ぐでしょ!強いんだから!!」
「お、おう」
マリンだってHEROになればお金に困る事などない。
しかしこれだ。
今現在の話をしているはずなのに、マリンには妙な説得力がある。
いや、勢いと言うべきか……いつも気圧されてしまう。
相変わらずマリンの"これ"が苦手なセドだった。
ヒーローはそんな二人の関係を見て笑っている。
「ハハハッ」
「フフッ、ヒーローが普通にしてくれて嬉しいな」
マリンがヒーローに微笑むと、パンチが何かに気づいたように叫んだ。
「あっ!マリンちゃんの隣にヒーローはダメだ!!変われ!」
「ダメ!!」
「マリンちゃん……」
マリンがヒーローの隣を渡すはずがない。
「フッ」
「セドも笑うんだね」
マサムネがセドの笑う姿を見て、少しからかうように言ってしまった。
「フン、オレだって笑うくらいはな」
「いつもしかめっ面だからさ」
マリンは景色を見た後、楽しそうに皆の方へ振り返った。
「いつものアイランドシティだけど、旅行に来たみたいで楽しいね!」
「悪くはないな」
「またセドはそうやって。素直じゃないなぁ」
「性格だ」
「他の学校とかは本当に旅行だよね。遠い学校はドローンで六時間だって」
それを聞いたヒーローは少し羨ましそうに返答する。
アイランドシティから出た事がないからだ。
「完全に旅行だなぁ」
「しかしよ、初等部の俺たちがこの状況見たらビックリするよな!セドとヒーローが隣で寝るなんて!」
パンチは皆を見ながら同意を求めるように自分で言った事に対して頷いている。
「フン」
「確かに……あの頃は考えもしないだろうね」
マサムネのこの言葉に、五人の頭には初等部の情景が浮かぶ。
沈黙し、それぞれの思いにふけっていた。
学園はあくまでHERO育成の場所。
普通の学校を経験した事のない五人にとって、まさに初めての修学旅行といったところか。
戦闘を忘れて子どもらしく過ごし、五人はとても楽しかった。
順番にシャワーを浴びてから二時間後。
「ガー!……ガーッ!!」
パンチのイビキにマサムネが文句を言う。
「隣になるんじゃなかった……」
ヒーローはこの状況で寝ているマリンに感心していた。
「よく寝れるな、マリン」
マリンは寝息を立てて安眠中だ。
マサムネも限界のようでパンチに背を向けて頭まで布団の中に入っていく。
「ボクも明日のデータまとめで疲れたから寝るよ。おやすみ…二人とも……」
ついにマサムネも寝てしまい、起きているのがセドとヒーローの二人だけになった。
「ヒーロー、補欠とはいえ早く寝ろよ」
セドはプイッとヒーローに背中を向けて寝始める。
しばらく経っただろうか、皆の寝息が部屋に響く中、ヒーローが起きているのかわからないセドに向かって話し出した。
「セド……」
「………」
「あの時、止めてくれてありがとう」
この一言に三年かかってしまった。
返事はなかったが、それでいい。
ヒーローはただ伝えたかったのだ。
ちゃんと感謝していると。
「いや、あの時からずっと……ありが…………スー、スー」
「………」
「スー、スー」
「──フン」