第35話【バトルアリーナ襲撃】
皆と打ち解け始めた頃、ライゼはアイリスの家に招かれた。
ただ、スーパーで買い物をしていたせいで、少し遅れての到着。
玄関のドアを開けた瞬間──
「ライゼさん? なにその荷物は……?」
アイリスは目を丸くする。夕食を持参するとは聞いていたが、彼が手にしているのは、どう見てもスーパーの袋。
しかも、よく見ると──エプロン姿。
話題に触れるのが怖い。
「今日はライゼカレーだ!」
「──ぶっ!!」
ガイザビィズが盛大に吹き出した。屈強な男が、ピンクのエプロンをつけて仁王立ちしている。しかもその姿に、妙な誇りすら漂わせている。
N.A.S.H.スーツの特性とはいえ、わざわざエプロンのデータをダウンロードして変形させたという事実が信じがたい。
受け狙いか? それとも本気なのか?
──いや、どっちにしろ怖い。
「あんた……何のつもりだよ、それは……」
「クッキングライゼさんとは俺のことだ! みんなに振る舞ってやる!」
その宣言と共に、ライゼはズカズカとキッチンへ向かい、調理台を占拠した。
その晩、食卓にはガイザビィズ、アイリス、イリオス、サリー、そしてコーエン会長──五人が揃っていた。
立ち込めるスパイスの香りが空気を染め、誰もが思わず唾を呑む。
「うお、なんかすげえいい匂いじゃねぇか!」
ガービィがヨダレを垂らさん勢いで身を乗り出すのを、アイリスがすかさず止めた。
「ついこの間まで戦ってた相手の料理に、がっついて……。簡単に人を信用してたら、毒でも盛られてあっさり死ぬわよ?」
「アニキが毒で死ぬ? ありえないって、姉さん。地球が爆発してもアニキは生きてるタイプだ」
「……姉弟揃って、俺様をなんだと思ってんだ」
「「筋肉バカ」」
その瞬間、イリオスの頭に鉄拳が振り下ろされた。
──ゴスッ!
「いってぇ……ッ! 賭けてもいい! 万が一アニキが先に死んだら、オレ、姉さんのドレス借りて葬式に行くっス」
「……やめてよ、ドレスが伸びるじゃない」
「ガッハハハ! そりゃ面白そうだな! お前が先なら俺もドレスを着てやるぜ!」
「待って、それは本当にやめ──」
アイリスは言いかけて息を呑む。脳裏に浮かんでしまったのだ。筋骨隆々のガービィが、花柄のドレスに身を包み、棺の前に立っている絵面を──。
サリーとイリオスも同じだったらしい。
三人は目を合わせた瞬間、堪えきれず吹き出した。
──
ライゼが鍋を火から下ろし、皿に盛りつける。
湯気の立つカレーは、どこか懐かしい匂いがした。
──全員、言葉を失って食べ続けた。
スプーンの音だけが、食卓を支配する。
「くっ……食った……。なんて料理だっけ?」
会長が苦しげに言ったが、その顔は満足感に満ちていた。
「今まで食った中で一番うまかったぜ……」
「アニキは普段から、ろくなもん食べてないっスからね!」
イリオスへと振り下ろされた鉄拳を見届け、アイリスはそっと隣へと視線を移した。
サリーが、小動物のように皿を抱えていた。だがその量は──
怖い──目の前で起きた事が、ただただ怖い。
小柄なその体に、三合の米と大量のカレーが吸い込まれていったのを、アイリスは目の当たりにしたのだ。
「この子……恐ろしいくらい食べたわね」
「えへっ♪」
愛らしい笑顔でサリーが答えるが、隣で見ていたガイザビィズも、思わず背筋を震わせていた。
後に彼はこう語る──
『あの時、カレーがまだ鍋に残っていれば、俺様より食っていたに違いない』と。
「こんなもんで良ければ、また作りに来るさ」
ライゼは、皆の反応に素直に喜びを滲ませた。一同は、口々に「また作ってくれ」と懇願。
その様子を見て、ライゼはいつものように──
「ハハハッ……」
と笑った。
誰かの目を見るわけでもなく、目を伏せたまま。だがその笑顔には、噛みしめるような温かさがあった。
この瞬間、この場所に在る幸福を、ただ静かに味わっているような──
そんな、柔らかな笑い方だった。
コーエン会長がリモコンを手に取り、何気なくモニターをつけた。画面に流れてきたのは、最近メディアや動画の合間にやたらと目にする広告だ。
《今なら誰でも家が建つ!リーガローン!リーガローンなら、あなたも今すぐマイホーム!》
「最近この広告、多いわね……」
アイリスが眉をひそめながら呟くと、会長が重々しい調子で頷いた。
「バトルアリーナのおかげで、リーガは本当に発展してきてるからな。あのローンは、噂じゃ審査もないに等しいらしい。リーガに住んでさえいれば、誰でも通るって話だ」
「誰でも……? さすがに怪しすぎよ」
アイリスは一抹の不安を感じた。が、ガイザビィズは満面の笑みを浮かべて声を上げる。
「ガッハハハ! このカレーが名物になりゃ、俺様がバラックに建てたプレハブも、ぜーんぶ戸建てになっちまったりしてな!」
「貧しい人でも家が持てるって、良いことっスね!」
「他人事だな、イリオスは建てねぇのか?」
「俺はアニキたちがいりゃ、どこでもいいっスから。アニキは気まぐれだから、いつでも引っ越せるようにしてるんスよ!」
「俺様が故郷を出るわけねぇだろ。アリーナも、家も、ここには俺様の全てがあるからな」
「かーっ! アニキはわかってないっスねぇ。バラックのみんながアニキの全てなのに。結局は土地じゃなくて人っスよ!」
「ぬ……まぁ、な」
「ね! みんながいなきゃ、ここにいる意味もないっス!」
イリオスの屈託ない笑顔に、場の空気もどこか緩んだ。しばし沈黙のあと、イリオスはガイザビィズを真っ直ぐに見据え、声を落とす。
「……アニキ」
「ん?」
「帰りに、ちょっとだけ話したいことがあるんスよ──」
──
そして、月日は流れた。
《まさに最強! さすがチャンピオン! ガイザビィズ、またもや秒殺勝利!》
試合が終わるたび、メディアはその名を讃え、観客たちは熱狂した。
《もはや試合の勝敗より、ガイザビィズが何分で決着をつけるかが、賭けの対象に──》
そんな街の英雄に、サリーとアイリスが駆け寄る。
「お疲れ様、私のチャンピオン……!」
「ガッハ! 朝飯前よ!」
ガイザビィズが笑うと、サリーが目を輝かせた。
「おう、サリー! 奴とは一緒じゃねぇのか?」
「今日はホールに潜ってますよ! 私だっていつも兄ちゃんにくっついてるわけじゃ──」
その時だった。
──パンッ!
乾いた破裂音が、アリーナ全体に響いた。
『キャアアッ!!』
観客たちが悲鳴を上げ、出口へ殺到する。直後、中央のガイザビィズの肩を何かがかすめ飛んだ。
「……銃!?」
思わず肩を押さえるガイザビィズ。能力を発動していない無防備な状態とはいえ、チャンピオンに傷をつける程の刺客。
その一瞬の隙を狙ったように、観客席のあちこちから異形の者たちが跳び出す。
──能力者だ。しかも数が多い。
「くっ……何だコイツらぁ!? アイリス! サリーを連れて──」
「無理よ! こっちにも敵が来てる!!」
アイリスが叫び返す。すでに数人の能力者が、彼女とイリオスの周囲に現れていた。
「サリー! こっちだ!」
ガイザビィズが咄嗟に手を引き、サリーを背後にかばう。
「砂竜!!」
アイリスが即座に発動したのは、彼女の能力──【砂】。
床を砕き、壁を崩し、アリーナ全体の砂塵を操って巨大な竜が形作られていく。
──サンドラ。その全長は十メートルに迫る。
巻き起こる砂の竜巻が、銃を構えた敵を吹き飛ばし、同時にイリオスを包み込んでかばった。
「姉さん、助かったぜ!」
「感謝はあと! 逃げなさい!」
アイリスの叫びに応え、イリオスは迷わず観客席の影へと飛び込む。彼に戦う力はないが、逃げ足だけは一流だった。
だが事態は急変していた。火の能力を持つ何者かが、出口付近を業火で封鎖したのだ。
──ガイザビィズはアリーナ中央に取り残され、サリーを背にして、唸るように呻いた。
「……クソッ、こうなりゃ吹き飛ばすしか!」
「血が……!!」
サリーは叫びながら、その大きな体に駆け寄る。肩口から流れる鮮血を止めようと、両手でしっかりと押さえた──その瞬間
──パァアアッ……
サリーの手元が、ほのかに光を帯びる。
「……サリー!? お前、能力なかったんじゃ……!」
「わ、わかりませんっ!」
「なら考えるな! 今は使え! 敵を止めなきゃこっちがやられる!」
ガイザビィズの叫びを背に、サリーは荒れた呼吸を整える。胸の奥から何かが湧いてくる。熱い、得体の知れない力だ。
(力が……湧いてくる。何でもいい……何か、動ける形に……!)
その瞬間、体が勝手に動いた。隣にいるガイザビィズの姿を脳裏に浮かべ──
地を蹴った。
風を切る音。視界が一瞬で流れる。気づけば火の能力者の背後に回り込んでいる。
「──ッ!?」
超スピードでの膝蹴りが、敵の腹部を捉える。轟音と共に敵が吹き飛び、地面に激突した。
「な……俺様のラビッツ・フットだと……!?」
驚きに目を見開いたガイザビィズが、続けざまに叫ぶ。
「サリー! 技の名を叫んでみろ! 出力が安定するはずだ!」
「は、はいっ! ……ラビッツ・フット!!」
『なっ──!? 速い!!』
サリーの体が閃光のように駆け、アリーナの敵たちを次々と薙ぎ倒していく。その姿は、小柄な少女のものとは思えない凄絶な威力と速度を放っていた。
「いいぞサリー! 俺様ほどじゃねぇが──やるじゃねぇか!」
ガイザビィズが肩の血を無理やり止め、雄叫びを上げながら戦列に復帰する。
「もう子守りはいらねぇな! ……なら!!」
言い終わるが早いか、彼は爆発的なスピードで突撃し、次々と襲撃者を地面に叩きつけていく。
アリーナに響く打撃音と怒声。そこに交じるのは、サリーの軽やかな足音。
二人の動きは、もはや一種の舞のようだった。
──瞬く間に敵を制圧。
十数名の能力者たちは捕らえられ、間もなく現場に駆けつけた逮捕権を持つファーストたちに引き渡されていく。
目を見張るほど鮮やかに、戦いは終わった。
──その中心にいたのは、かつて『能なし』と呼ばれた一人の少女だった。
ガイザビィズは周囲に警戒の目を走らせ、敵の影がないことを確認すると、観客席へ顔を向けて叫んだ。
「イリオス! 無事か! 返事しろ!」
何度目かの怒鳴り声に、ようやく観客席の陰からイリオスがひょこりと顔を覗かせた。
「アニキ……能なしは辛いっスよ……。サリーにまで裏切られて……」
ぼやきながらも、その言葉には軽口に混じった本音が滲んでいた。仲間だと思っていたサリーが、自分より遥かに強大な力を持っていた。
その現実に、イリオスは素直にショックを受けていた。
アイリスは真剣な面持ちでサリーに向き直る。
「さっき、手が光ったときにガイザビィズの能力が使えたの?」
「はい。触れたら……自然に」
「ふぅん……。で、今は?」
アイリスは腕を組んだまま、まっすぐサリーに視線を向けた。
「私に──やってみなさい」
「え……?」
一瞬戸惑いながらも、サリーは小さく頷く。彼女がそっとアイリスの前に手をかざした瞬間──
パァァァ……
柔らかな光がふたたび灯る。光はアイリスを包み込むように満ち、そしてすぐ、サリーの掌の内へと吸い込まれた。
その場にいた三人が、静まり返るアリーナで顔を見合わせる。
「……サリー、砂竜を出してみて」
アイリスが、かすれた声で促した。
「は、はい……」
緊張の面持ちで、サリーは深く息を吸い込む。そして、思い切って叫んだ。
「──砂竜!!」
直後、アリーナの足元がざわりと唸った。砂利が鳴るような音とともに、無数の粒子が渦を巻き、巨大な砂竜が立ち現れる。
──それは、確かにアイリスの能力と同じ形をしていた。
「こ、これは……」
ガイザビィズが呆然とつぶやく。
「恐ろしい能力だな。コピー……か?」
「呼び名はそれでいいと思うけど、実際はもっと厄介よ」
アイリスが低い声で続けた。
「おそらく、サリーの能力は再現──触れた相手のね……。でも一時的とはいえ、私の砂をここまで使いこなすなんて……普通じゃないわ」
「まさかサリーの能力を狙ったんスかね……?」
「それはないな」
ガイザビィズがきっぱりと首を振る。
「能力が発現したのは、俺様と逃げてる最中だ。あの襲撃者どもは知らなかったはず」
それでも──と、三人の思考は同じ場所にたどり着く。
この能力がいずれ誰かに知られたとき、サリーはただの少女ではいられなくなる。
──
アリーナ裏手、灯りの届かぬ路地の奥──。
闇に紛れた複数の人影が、声を潜めて密談を交わしていた。その中でひときわ威圧感を放つ人物が、ふと口元を歪める。目は笑っていない。
「……狙撃、か。奴が血を流したな……」
しばし沈黙が落ちた後、その偉そうな男が冷たく命じた。
「狙撃に特化した能力者を探せ。片っ端から集めろ。頭数が要る」
「はい!」
部下の一人が頷き、闇の中に消えていく。
静けさが戻った路地裏に、鈍い笑い声だけが不気味に残った。
──
観客も去り、アリーナには夜の静けさが戻っていた。
ガイザビィズとイリオスは観客席に腰を下ろし、無言のまま足を投げ出してアリーナ中央を見つめている。
「サリーは?」
「バラックに戻りました。……珍しく姉さんが、送り届けるって」
ガイザビィズは小さく頷いたが、視線は遠くに向けられたままだ。
「……これからが正念場だな」
静かに呟くその声に、イリオスは少し躊躇ってから口を開いた。
「アニキ、バラックのみんな……どうやら家を建てたがってるらしくて。土地を……」
「バラックのことは全部、お前に任せる。好きにやれ」
その一言で、会話は打ち切られた。
「……ッス」
イリオスはそれ以上、何も言えなかった。
──ああなるともう、耳に届かない。
わかっていた。今こそ大事な話をすべき時だったのに──
イリオスは歯噛みしながら、アリーナの闇を見つめていた。




