第16話【最後の言葉】
意識はまだ途切れていない。
それは運命の残酷さか、執念の賜物か──。
重たい頭が床を打ちつけ、呼吸は浅く、血が喉奥に逆流している。
オークに似た異形が、ゆっくりとギースへ歩を進めていた。
(か……体が……動かない……動かせ……見るんだ……)
脳裏に浮かんだのは、あの小さな背中。
(ヒー……ロ……入学式……バッグが……似合っ…………)
もはや体は反応せず、指先を震わせるのがやっとだった。
言葉を紡ごうと口を開けば、代わりに鮮血がこぼれた。
迫る魔の気配に、呼吸が速まる。
このままでは何も残せない──。
ギースの目に光が宿る。
(ヒーローの笑顔が……あのバッグを抱きしめた顔が……)
(お前らに……あの価値が……わかってたまるか……!)
──最後の力を振り絞って、ギースは叫んだ。
「あれは……三十万ゴールドもしたんだゾォオオオオ!!」
その声が、空間を震わせた。
そして──
雷鳴。
地鳴り。
閃光。
視界が真っ白に染まった次の瞬間、ホールの天井が爆ぜるように吹き飛び、雲ひとつない青空が開けた。
モンスターの姿は、そこにはなかった。
眼前に残ったのは、ただ一人──
「ぁ……あ……」
光の中、ギースの前に立つ後ろ姿。
見慣れた、けれど滲んで見えるその背に、心が震えた。
「大丈夫か?」
「ライゼさん──」
意識がふっと落ち、ギースは光の中で気を失った。
──
ホールの入口近く。
ギースは、仲間たちの声で目を覚ました。
「──そんな事言ってたんですね。あっ!? ギース!! 大丈夫!?」
『大丈夫かギース!! 心配したぞ……!』
メカリと仲間たちの顔が揃っていた。
あたたかな安堵に包まれる。
ギースは上半身を起こし、辺りを見渡した。
「まだダメよ!治療しても体力までは戻ら──」
メカリの言葉を遮って、ギースは目に留まったその姿に手を伸ばした。
「ライゼさんっ!」
「ギース……」
ライゼがそっと歩み寄り、ギースを抱きしめた。
「どうして……! ヒーローの入学式がっ! どうしてこんな所に!」
こみ上げる涙を止められず、ギースは声を上げた。
「──比べるまでもない」
「うっ……ぅ……ライゼさん……。僕は、僕はまた助けられて……」
「研修の時とは違うよ。みんなギースがいたから助かったんだ。成長したな」
ギースの腕に力が入る。
あの日、あの時、かけられた言葉が今も変わらず、胸に沁みた。
「ギースが戻らないから、私が呼んだの」
「メカリ……」
『心配したぞ、俺たちの為にありがとうな』
「僕は……そんな……」
チームの言葉にギースは言葉を失った。
ライゼはその様子を懐かしげに、優しく見つめていた。
「──っ!」
突然、背筋に悪寒が走る。
ギースは仲間の背後にある光景に、戦慄した。
ホールの上半分が消し飛び、地形そのものが変わっていたのだ。
「まさか、ホールを山ごと……」
あの頑強なホールが削れるなど、聞いたことがない。呆然とするギースに、メカリが続けた。
「ライゼさんに連絡したら、すぐ来てくれたの」
ギースは思わず振り返った。
この距離を……ライゼさんは……
「アイランドシティからここまで、千キロは……」
改めて、その規格外なパワーを痛感する。
「ギース、あのスクールバッグ三十万もしたんだな。ありがとうな!」
「あっ……!」
顔が一気に赤くなり、思わず口を手で覆う。
『ギャッハッハッハッ!ドケチのギースがねぇ?』
「本当に!聞いた時は耳を疑ったわ。こんなに稼いでるのに未だにジュース代すら──」
「そっ、それは僕の勝手だろう!!」
チームから暴露される倹約エピソードに、ギースはたまらず叫ぶ。
「みんなにも聞かせたかった。まるで最後の言葉かのように──」
ライゼは愉快そうに笑い、ギースはたまらず両手で耳を塞いだ。
「うわぁああ!それもいいじゃないですかもう!」
「最後の言葉それで合ってるか?」
「フフフ、ギースらしくていいんじゃないですか?」
「僕らしいとはどういう意味だ!?」
くすぐったく、懐かしい時間。
張り詰めた戦場の空気が、ふと緩んだ。
──
「ライゼさん、ちょっとこちらへ」
ギースは声を潜め、仲間たちから離れて伝えた。
今回のホールが二重構造だったこと、未知の人型個体がいたこと、その数が数十体に及んだこと──。
仲間に余計な不安を与えたくなかった。
だからこそ、あえて一人で抱えようとした。
「そうか。俺も確認したが、オニだな、あれは」
「おに……ですか?」
「昔、語られていたオニに似ている。ヘビが模倣し、強化した……いや、何かが意図的に手を加えている……?」
ライゼはボソボソと呟くように言った。
ギースはその言葉に違和感を覚えた。
「ライゼさん……。なぜライゼさんだけが、そんな事を知っているんですか?」
ライゼは黙ったまま、答えなかった。
「家族だと言ってくれた僕にも……教えてはくれないんですね」
「……家族だからだ」
「それは……答えになってません!」
「それが俺の答えなんだ。ギースと同じだよ」
「同じ……?」
「この話を、みんなの前じゃなく、ここでした理由は?」
──その言葉の意味を理解し、ハッとするギース。
「……っ! わかりました。これ以上は聞きません。でも、時期が来たら必ず話してください」
「時期なんてものが来れば、な」
「また……そうやって……」
「ギース」
「はい?」
「入学式」
「──ああっ!早く!早く行って下さい!」
「……来るか?」
「え?」
「ちょっと痛いけど包んでやる。ゆっくり行ってやるからな」
「へ?」
「メカリ!ちょっとだけギース借りるぞ!」
「え、ちょっ、まだ動かしちゃ──」
「雷帝」
ライゼが雷に変わる。
雷光がギースを包み、空へと弾け飛ぶ。
「えええっ!?いだだだだだだだだだだだだっ!!」




