第66話~第67話 幕間 姉弟
カメオはレーヴェへと連行され、狭い個室に押し込められている。
奴隷の枷を嵌められ、力は出ない。
何より、この個室はオリハルコン製であり、普通の人の腕力でどうにか出来る作りになっていない。
設置されているベッドに腰掛け、カメオは考える。
現実とは思えない出来事ばかりで、今もまだ混乱の中に居るのだ。
最初は、様々な訓練を受けて来た自分が全く手も足も出ない相手と出会った。
戦っている最中、相手は詰まらなそうにしているだけで、遊ばれていたとすら表現出来ない。
だが、その実力差は明白。
あれは人の形をした何か別の存在だと、そう思えてならなかった。
そんな中、世の深淵が目の前に現れた。
闊歩する死者、人を呪う霊体、信じられないような怪物、化け物……あの時見たものが現実であったのか、あるいは何かの幻覚だったのかは解らない。
カメオに危害を加えて来た訳ではない。
だが、幻覚と言い切るにはあまりにリアル過ぎて、地獄へでも落ちたのかと考えたほどだ。
自分は、それほどの事をしたのかと、あの時初めて思った。
己の信念が、明確に揺らいだ瞬間であった。
「…そんな訳は無い。我等の行いは正義であるはずだ」
レイとの戦いの後、何度も繰り返し呟いた言葉。
自分に言い聞かせるように、何度も何度も呟いている。
捕まった後の事も、未だの夢なのではないかと考えてしまう。
見た事も無いような乗り物に乗せられ、風のように風景が過ぎ去って行く。
ドレアスを超えて、見知らぬ街道を通ったかと思えば、この世の物とは思えぬような街へと辿り着いた。
鉄の柱、鉄の橋、石の建物、あまりに巨大過ぎる砲。
カメオには自分が何を相手にしたのか、今、目の前にある現実が一体なんなのか、何もかもが理解出来ない。
ベッドで眠り、目が覚めれば掻き消える悪夢だとも考えた。
しかし、心に忍び込んだ不安が、カメオを眠らせない。
目に映る火以外の光。
自身を包み込む、質の高い寝具。
明らかに異国を感じさせる匂い。
そのどれもが明確に感じられるものであり、目を閉じればそれをより鮮明に感じてしまう。
―――これは現実なのだと、カメオを追い詰める。
「はぁ…」
無意識に吐き出した溜息と同時に、ドアをノックする音がした。
そちらに視線だけ向ければ、入って来たのは一人の男。
とても戦いに向いた見た目ではない。
男娼にでもなった方が稼げるだろうと、そう思ってしまうほどの美男子。
その男がカメオをじっと見たかと思えば、不意にこんな事を呟いた。
「お客さん、こう言った場所は初めてかい? 肩の力を抜きなよ」
…先ほどもそうだった。
一番最初に取り調べに来た女。
あまりに美しい姿に、ハニートラップの類かと警戒したものだが、彼女の言葉は少し違った。
『お客さん、こう言う場所は初めて?』
…何かの合言葉だろうか。
妙に楽しそう、あるいは艶っぽい口調でそう言うのが決まりなのだろうか。
カメオの思考は、全く予期せぬ要因によって更なる混乱に見舞われていた。
カメオは何も答えず、ただ男の表情を探る。
結局、この者達が何者なのか、カメオは知らないままなのだ。
「まぁ、座りなよ」
ベッドに座るカメオに、目の前のテーブルへ座るよう促す。
カメオは抵抗する事なく、その指示に従った。
奴隷の枷を嵌められている以上、抵抗は無意味。
仮に抵抗した所で状況が改善するとも思えなかった。
先ほども、女だからなんとでもなると襲い掛かってみれば、手首を捻り上げられ簡単に制圧された。
驚いた顔すら見せず、手慣れた様子で。
当然か、とカメオは考える。
そうなる危険があるなんて簡単に想像が付くのに、女一人でこんな場所へ来させる馬鹿など居る訳がない。
「これから色々質問するが、答える気はあるか?」
「……」
カメオは何も答えない。
それは意地であった。
「……そうか。じゃぁ、仕方ないな。マインドエンスレイブ」
ああ、先ほどと同じか。
カメオは薄れゆく意識の中、そんな事を考えた。
前に来た女が何か聞き慣れぬ単語を呟いたかと思えば、そこでカメオの意識は途絶えた。
気が付いた時には、ベッドの上に横になっていたのだ。
きっと、またベッドの上で目が覚めるのだろう。
これはきっと、夢なのだ――――。
そう思い込もうと心の中で呟き、その意識は深く沈んだ。
◆
ベルンは先ほどの報告を頭の中で繰り返す。
あのカメオと言う男が何者なのか調べる為、魅了の精霊に加護を受けた者と、洗脳の精霊に加護を受けた者に魔法を使わせたのだ。
それぞれカメオを操り、事情を聞き出す事には成功した。
他にも夢の精霊の加護を持っていれば、対象者の記憶を引き出せるらしいが、そこまでやるかは悩ましい所……と言うより、引き出した記憶が胸糞悪そうと言う理由で、今は保留としている。
「やっぱり、ネリエルが絡んでいたか」
カメオの正体は執行者と呼ばれる存在だった。
神の国ネリエルにおいて、教会が抜擢した特別な存在。
彼等の独断で、亜人を殺害、あるいは捕まえる事が出来ると言う特権が与えられているらしい。
問題は、その特権がどのようなものかと言う点。
亜人を害する事は正義であり、選ばれた者が為さねばならぬ義務であると言う。
それはあらゆる法よりも優先されるものであるらしい。
…彼が人間を捕まえたのも、目撃されたからとか盗賊に見せかける為のカモフラージュと言う理由でしかなかった。
全ては任務遂行をスムーズにする為。
その為ならば、無関係の他人の人生を踏みにじる事も善とされる。
(絵に描いたような狂信者だな)
神の教えは絶対であり、それを阻む者はどんな悪辣な手を使って排除しようが許される。
少なくとも、ネリエルの執行官にはそう教えられているのだそうだ。
気になるのは独断で亜人を殺害すると言う権限。
基本的には連れ去った後、教会で殺害の儀式が行われるのが普通らしく、カメオも不都合が無ければそうしているそうだ。
だが、執行官に限ってはその場で儀式を省略して殺害する権利も与えられているようだ。
ただし、条件が一つ。
殺害する時には、教会から与えられた剣を使用する事。
(…魂を集める方法については、まだ解ってなかったよな)
邪神の宝玉を使うには魂が必要とされる。
その魂はどうすれば集められるのか?
ただ殺せばいいと言う訳ではないだろう。
(儀式って言うのが魂を集める手段。……教会から与えらえた剣にも、魂を集める効果がある?)
予想は色々出来るが、確信には至らない。
早急に剣を調べさせるべきだ。
しかし…今やるべき事は決まっているのに、ベルンからは溜息が漏れる。
「姉ちゃん、どうするつもりかなぁ…」
ベルンが気にしているのは姉、つまりはアイリーンである。
母を早くに亡くしたベルン達は、姉と弟の二人で生活する事が多かった。
幼い頃のベルンには姉が母親代わりだったと言える。
父も子供二人を一人で育てる為とは言え、仕事を掛け持ちし、夜遅くまで働いて朝早くに出て行くと言う、結構な無茶をしていた。
お陰で、姉が成人したとほぼ同時に早世してしまった。
それからは、アイリーンが働きに出てベルンを育ててくれた。
五歳差があったベルンには、その当時、姉に甘える以外に生きる術は無かったのである。
なんとも責任感の強い姉であり、父に似て自分を顧みずに無茶をする姉でもあったのだ。
「考え無しに突っ走るからなぁ…」
昔ベルンがいじめられていた時、姉が出て行ってイジメっ子達と殴り合いをした事がある。
何故そんな事をしたのかと問えば、『私は、守りたい物を守っているだけだ』と答えた。
それにしたって方法があるだろう、と幼心に思ったものである。
今回の事にしたって、アイリーンには受け入れ難い話であるだろう。
この話を聞いて、彼女は何を思うか。
…変に暴走しないか、弟は心配なのである。
椅子に寄り掛かったまま、ベルンは立てかけてある盾を見つめる。
守られて来た自分だからこそ、姉を守ろうと携えた盾である。
現実ではまだまだ姉を助けられているとは言い難いが、せめてゲームの中だけでも自分が守ってやりたいと思ったのだ。
…そのゲームが現実になった時、ベルンは決めた。
何があってもアイリーンを守り抜くと。
「―――……」
その誓いを思い出すと、ゆっくりと目を閉じる。
やる事は最初から決まっている。
姉がどんな決断をしようが、その時、彼女の前に立つのは自分なのだ。
「……でも絶対機嫌悪くなるよなぁ」
それはそれとして、不機嫌になった姉を宥めるのはベルンなのである。
ちょっとだけ優柔不断な弟は、今日も姉に悩まされていた。
〇マインドエンスレイブ 洗脳魔法 詠唱時間30秒
習得レベル30 消費MP30 効果時間3分 再使用20分
対象の精神を乗っ取り、従属させる魔法。
効果時間内、対象者を洗脳状態にし、意のままに操る事が出来る。
ただし、対象者がダメージを受けると魔法の効果が切れる事がある。




