第51話~第52話 幕間 ある冒険者と風の巫女
メフィーリアには祈りの場として、祭儀の間と言う物が存在する。
ノスタルジックなその間は、どこか日本の伝統的な風情を感じさせつつも、全く別の宗教観を思わせる空間だ。
ロクトやレーヴェもそうだが、国が違えば全く雰囲気が変わると言うのが『EW』の世界である。
更にその先へと行くと行政区に繋がり、そこでは司祭と呼ばれる人間や役人達が国の運営を行っている。
この国の最高責任者である司祭長もここで仕事を行っている。
そして、その最奥には巫女達が生活する居住区があった。
六人の巫女達が共同で生活するスペースと、それぞれの私室が用意されており、更にはそれぞれが担当する精霊との対話を行う部屋もあり、この国で一番豪華な場所とされている。
基本的に巫女と世話係以外は入れない場所であるが、司祭長と『ジュエル持ち』だけは特別に入れる空間でもあった。
精霊との対話を行う精霊の間では、プレイヤーが自分に加護を与えた精霊と直接会話する事も出来たのである。
勿論、巫女達の私室まで入れはしないが。
「んー…んー…」
巫女達が共同生活を送るスペースで、水の巫女リューが難しい顔で唸っている。
彼女は巫女の中でも一番若く、その歳は十歳と言う長い巫女の歴史を見ても異例の存在だ。
水のような澄んだ青い髪と、荒れた海を思わせるような黒い目が特徴的な可愛らしい人物である。
巫女の選定方法は秘匿されており、様々な理由から多角的に決められていると言われている。
ただ、彼女に関してはその強さに関係していると考えられていた。
十歳の彼女が巫女に選ばれた理由、それはその年齢にも関わらず、レベルが120と言う点が大きい。
こちらの世界に来てからもレベルはグングンと上がっており、現在は128レベルだ。
メフィーリアからほぼ出ていないはずなのに、その成長速度は恐ろしいの一言である。
「…先ほどから何を唸ってらっしゃるの?」
そう尋ねるのは土の巫女グラウンディア。
赤土を思わせるような茶色の髪と、緑の目をした若い女性だ。
彼女は持っていた針と毛糸を膝の上に置き、ジトリとした目でリューを見つめる。
編み物に集中しようと思っていた矢先、リューの唸り声で集中力を乱されてしまったらしい。
まぁ、そもそも彼女は不器用なので、集中力の可否に関わらずまともな物が出来たかどうかは怪しいが。
「ヴェイルが精霊の気配を感じるって言うんだけど、あたしにはよく解んないんだよねぇ…」
ヴェイルとは闇の巫女の名である。
血の悪魔を倒した直後から、ヴェイルは精霊の気配を少しだけ感じるようになった。
血の精霊は闇と水の属性を持つ精霊であり、ならばリューも感じそうなものであるが、生憎リューにそれを察する事は出来なかった。
「と言う事らしいのですけど、サイラはどうですの?」
グラウンディアの視線が向くのは、端の方で本を読む女性だ。
彼女は風の巫女サイラ。
萌葱色の長い髪をし、夜のような深い青の瞳を持つ。
その視線は本に向いたまま、ただ一言だけ言葉を発した。
「…感じる」
「なら、リューが鈍いだけですわね」
「えぇ!?」
この世界に来てから、サイラは精霊の存在を僅かにしか感じられなかった。
それは気のせいとも思えるほどに微かなものであり、精霊と接して来た巫女だからこそ感じ取れた気配である。
しかし、風の悪魔が倒されたとほぼ同時刻、その気配をはっきりと感じ取れた。
あまり物を言わないサイラが、『この世界に精霊は居る』と断言したほどだ。
まだ弱々しい気配ではあるが、それでもサイラには確信を得るに十分だった。
「まだまだ修行不足って事ですわ」
「ディアだって編み物の宿題出されたクセに…」
「それとこれとは別ですわ!」
ディアが編み物をしているのは、器用さを磨くための宿題である。
彼女は不器用すぎてすぐに物を壊すのだ。
ディアが巫女になってからと言うもの、一度も修理に出されなかった祭具は存在しない。
「…もう寝る」
パタンと、本を閉じサイラは二人に背を向ける。
ギャアギャアと騒いでいた二人であったが、声を掛ける間も無く去って行くサイラをただ見送るしか出来なかった。
「…サイラって寝るの早いよね」
「貴女も早く寝なさいな。子供が夜更かしするものではなくってよ」
「子供でもこんな時間から寝ないよ!」
地球の時間で言えばまだ十九時過ぎである。
成人女性が寝る時間としてはさすがに早い時間だ。
「その割に起きるの遅いんだよねぇ」
「睡眠時間なんて人それぞれですわ。…まぁ、確かに少し不思議ですけれど」
ある程度の理解を示しつつも、首を傾げてしまうグラウンディアであった。
◆
カタリ、とサイラの部屋に音が響いた。
窓がそっと開かれ、そこから一人の男が部屋に侵入する。
「……」
ぐるりと見渡すと、寝入っているサイラの元へと歩み寄る。
男はそっとサイラの寝顔を見つめ、そして近くの椅子へと腰掛けた。
何をするでもなく、ただサイラの顔を見つめ続けている。
彼の名はリット。
空の精霊から加護を受けた『ジュエル持ち』である。
氷のような冷たい色をした青の目に、青紫の髪をした成人男性だ。
リットがサイラの部屋に侵入するのは今日が初めてではない。
と言うより、依頼で遠方に行っているとかでない限り、毎日リットは訪れる。
そして何もせず、何時間もサイラの寝顔を眺め続けている。
これはゲーム時代から行われていたリットの日課だ。
見る人が見れば、筋金入りの変態だと非難される事だろう。
普通、巫女の部屋に侵入するなどプレイヤーには出来ない。
イベントで訪れる機会はあるものの、それ以外で入る事などないのだ。
しかし、リットは巫女の部屋に侵入する術を見つけてしまった。
デバッグでもしているのかと思うほど繰り返し挑戦し、そして等々システムの穴を見つけたのである。
彼は運営にそれを報告する事もせず、プレイヤーに広める事もせず、ただただ毎日ここを訪れる為だけに秘匿した。
現在は現実になった影響か入る事自体は可能になっているものの、実際に入ろうとする者などリットぐらいしか居ない。
「……」
リットはサイラの寝顔を見つめながら、思考に浸る。
こうする事で、物事の整理が非常にし易いらしい。
リットにとって、サイラは癒しであった。
リットは過去、女性関係で痛い目を見てから女性を避けて生きて来た。
アニメや漫画の世界へ逃げ込んだのもその頃だ。
想像上の女性は、彼にとって汚さの無い綺麗な存在に見えたのだ。
『EW』を手に取ったのも、その延長線上の出来事だ。
そして、その世界で理想の女性と出会った。
それがサイラである。
ただ彼女の傍に居たい、ただ見つめて居たい…その欲求だけで、巫女の寝室に侵入すると言う暴挙を成し遂げたのである。
異世界に転移し、NPCが実際に意思を持った時、彼は心の底から歓喜した。
実際に生きたサイラを見られるのだから。
―――そしてその結果、日課が続いてしまっているわけである。
「……」
飽きもせず何時間もサイラを見つめるリット。
その目はどこか慈愛に溢れたものであった。
しかし当然、毎日毎日何時間も夜に居るとなれば考えなければならない事がある。
「―――…」
サイラが気付いている可能性だ。
そう、実はサイラは寝入ったフリをしている。
初めてリットが訪れた時は何事かと思った。
しかし、驚きのあまり動けず、寝たフリをするサイラにリットは何もしなかった。
そのまま日が昇る頃に帰って行ったのである。
翌日、なんだったのだろうと頭を悩ませながらベッドに入れば、再びリットは現れた。
それからはほぼ毎日この繰り返しである。
一度、隙を見てリットの顔を薄目で見た事があり、とても優し気な目で見つめられていたのが強く印象に残っている。
それと同時に、普段よくサイラの元に訪れる『ジュエル持ち』である事も気付いてしまった。
ただし、行動の意味は解らないままであったが。
「……」
それぞれ何事かを考えながら、無言の時間が過ぎる。
リットに害意が無いのはよく解っている。
と言うより、初めてここを訪れてから今日までで十分実証されていると言っていい。
だからこそサイラは必要以上に警戒しないし、わざわざ指摘する事もしない。
ただ、その理由には興味がある。
サイラの本質は探究者だ。
巫女に選ばれたのも、魔法への探求から得た知見を認められたのが大きい。
誰かに用意された答えではなく、自分でその答えに辿り着きたい。
その精神があったからこそ、生み出されてしまった謎の時間なのである。
ただ愛する女を見つめるだけの変態と、その心理を知りたい探究者の謎の逢瀬。
メフィーリアの夜は、今日もこうして過ぎて行く。




