第36話~第37話 幕間 ロッシュ
ロッシュはクラウン王国の北にある寒村で産まれた。
アカラ帝国の国境付近であり、小競り合いが頻発する地域。
家族も、友人も…同じ村で育った者は、彼が成人するまでの間にその殆どが命を落とした。
彼が十五になった日、それと同時に村が火に包まれたその日、ロッシュは全てを無くし流浪の旅へと身をやつした。
それからはチンピラ同様の生活を続けた。
生きる糧を得る為に盗みもしたし、弱者から奪い、その日を凌ぐ生活だった。
そんな彼に転機が訪れたのは十九の時。
かつて自分が奪って来た者達と同様に、今度は自分が奪われ、必要以上の暴力に力尽きようとしていた。
何がいけなかったのか、自分の人生とはなんだったのか。
今際の際になってそんな事をグルグルと考えていた中、そっと語り掛ける者が居た。
それがロッシュの恩人であり、前カリーシャ商会の商会長であった。
彼は子に恵まれず、自身もまた高齢であった。
それ故か、野垂れ死のうとしているロッシュを見て勿体ないと思ったらしい。
初めてそれを聞いた時『なんとも商人らしい考えだ』と嘯いた。
前商会長は、そんなロッシュを見ながら穏やかな笑みを浮かべて見せた。
久しぶりに触れた、人の温かさであった。
それから、前商会長が亡くなるまでの約十年間、ロッシュは彼に付き従った。
恩を感じていた事は確かだし、彼の元なら食いっぱぐれないとの打算があったのも確かだ。
ただ、それ以上に、彼の温かさに触れて離れがたくなったのだ。
しかし、別れが訪れる。
元々高齢であったのだ、十年近く一緒に居られたのは幸運であったと言えるだろう。
泣きながら前商会長に縋り付く中、彼はこう言った。
『お前を息子と思い、商売の事は全て教えた。わしの為に泣いてくれるのなら、残った商会を頼む。抱えた商会員達を、お前が守ってやってくれ』
その言葉を胸に、ロッシュはカリーシャ商会をクラウン王国内でも指折りの商会へと育て上げた。
――――そんな彼が、今、目の前の男を測りきれずにいる。
「情報には情報で対価を頂きましょう」
レイと名乗ったその男は、貼り付けた笑顔でそう語る。
この男達に出会ったのは、クラウン王国の最南端に位置する防衛都市ドレアスへ向かう途中であった。
ドレアスにはカリーシャ商会の支店があり、その現状を自らの目で確認する為である。
というのも、ドレアス周辺では異常な報告が相次いでいたからだ。
万一真実であった場合、ドレアスに住む商会員達にも危険が迫っているかもしれない。
先代との約束もあり、ロッシュが危険と判断したならば商会員達を引き揚げさせるつもりであった。
しかし、商会員を守る事ばかり優先し、冷静さを欠いていたのは間違いない。
元々仕事で近くまで来ていたとは言え、急な予定変更を行った所為で護衛が確保出来なかった。
専属の護衛だけを連れてドレアスへ向かう事になってしまったのだ。
魔物の脅威も報告されていたにも関わらず、未だ人的被害が出ていないと甘く見た。
馬車に関しても、もう少し点検に時間を割いていれば避けられた事故である。
自分だけならまだしも、妻や娘、そして護衛までも危険に晒したのだから、彼としては痛恨の極みである。
「―――なるほど。さて、何が飛び出すやら、ですな」
そう、ロッシュはレイに返答する。
心の中で、楽しくなってきたと呟きながら。
ロッシュは彼等に恩がある。
人的被害も無く、応急処置だとは言われたが、そうとは思えぬぐらいにしっかりと馬車を直して貰った。
その上、温かい食事まで振舞ってくれる。
それら全てがレイ達によって行われた事だ。
感謝しない訳がない。
同時に、こんな不思議な者達と出会えてワクワクとした気持ちが抑えられない。
彼等の不可解さと優秀さが、ロッシュに商いの匂いを感じさせていた。
まず出会い。
魔物に囲まれていたロッシュ達の前に、彼等は突如として現れた。
何か唸り声が近づいて来たかと思えば、今度は魔物の一匹が吹き飛び、そしてユークと名乗った男が何も無い場所から出現したのだ。
誰もが戸惑う中、彼は蹴りの一撃でスウィフトウルフを絶命させた。
続けて現れた五人に、スウィフトウルフの群れは一瞬で全滅したのである。
これを他の者に話したとして、与太話だと笑われるだろう。
スウィフトウルフと言えば、ダンジョンの奥底に居るような強力な魔物だ。
そんな魔物に野外で出会った事もそうだが、蹴りの一撃で倒し、群れを一瞬で殲滅するなど到底考えられない。
スウィフトウルフ一匹に、普通は騎士団の小隊が動くレベルなのだから。
群れともなれば中隊、数によっては大隊が動くほどの大物。
だと言うのに、それを成した者達の事をロッシュは誰一人として聞いた事が無い。
これだけの腕があるにも関わらず、ロッシュの耳に入らないなど到底考えられない。
思考を悟られないようにしながら、コーヒーと呼ばれる飲み物を口へ運ぶ。
…これもだ。
ロッシュはこんな飲み物を知らない。
提供された食事は、半分以上が知らない食材で出来ていた。
知っている物もあったが、ロッシュの知るそれとはあまりに違う。
品質が良すぎるのだ。
しかも、それを野営の場で提供したのに、あれだけ瑞々しいのは事も疑問だ。
考えれば考えるほど、彼等の不可解さが際立つ。
彼等は解っているのだろうか。
これらを王都で売ったら幾らの値が付くか。
ロッシュでさえ想像が付かないでいるのに。
食材だけではない。
砂糖も、食器も、調理器具も、彼等の身に着ける装備も――――どれもがあまりに現実離れしている。
妖精にでも惑わされていると言われた方がよほど信じられる。
関連する商会の令嬢であった妻も、幼い頃から物の良し悪しを教えた娘も、ロッシュの護衛をする中で良い物を見て来た護衛達も――――目の前の現実を処理し切れていない。
口数が少ないのはその所為だ。
一貫性のない言動も目立つ。
食事中は、ロッシュを牽制するようにレイとフラウの二人が質問を重ねていた。
実際に牽制されていたのだろうとロッシュは思う。
こちらが探りを入れようとしている事に気付いての動きだろう。
だがそもそも、探られて嫌なら野営を共にしなければいい。
もう一つ。
探られているのは察するほど鋭いのに、肝心の脇が甘い。
レイもフラウも、ポーカーフェイスはちゃんと出来ている。
商人として見たならば、及第点を与えられる程度には。
だが、ケインやノノと言った若い二人はとてもじゃないが隠せていない。
その二人をこの場から遠ざけなかった事を踏まえれば、交渉に対しての経験値が足りていないのが察せられる。
一貫性が無いとはそう言う所だ。
そこまでして欲しい情報があるのかもしれないが、それこそ探って来るようなロッシュではなく、ドレアスにでも行って別の者に聞いた方が安全だろう。
何が狙いか、どう言った立場の集団なのか予想が出来ず、内心に隠した疑問を笑顔で覆う。
笑顔の先には、闇を照らすかのような爛々と輝く金色の瞳があった。
その瞳を覗き込めば、様々な感情が入り乱れているようで、その大きなうねりに飲み込まれそうな錯覚を覚える。
ロッシュには、この男の真意がどうしても読めないでいた。
レイと言う男について解るのは、ある程度の駆け引きを知っている事。
ただし、それは商人と言う立場での物では無い。
金勘定の外での駆け引きだ。
食事のマナーにも精通している。
多少、自分達とは違う部分もあり、恐らくはクラウン王国の者ではないと思われた。
身体に沁み込んでいるほどには教育されているようで、位の高い者や、資産家の可能性がある。
そして、一番目に付くのはその美貌。
この美貌に阻まれて、真意が非常に読み辛い。
同行者も全員が美しく、この集団が噂にもなっていないのは本当に不思議でならない。
中でもレイとフラウの二人は突出している。
一人一人が人間離れした美貌を持つ中でも、二人は特に目立つ。
実際に動いているのを見なければ、人形と言われても信じただろう。
「―――…ッ」
護衛の一人が、フラウに目を奪われていた事に気付いてかぶりを振る。
商人などやっていれば、ハニートラップなど日常茶飯事だ。
妻や娘を含め、ここに居る全員が抗って来た罠だ。
自分を律するなど慣れた事のはずなのだ。
なのに抗いきれない。油断すると目を奪われる。
男のロッシュでさえ、レイに見惚れるほどだ。
フラウに関しては視界に入れないように振る舞うしかない。
「ロッシュさんが知りたいのは、それぞれの噂についてでよろしいでしょうか?」
形の良い唇が、言葉を紡ぐ。
それだけで、この場が神秘的な空間のように思えて来る。
「ええ。そちらが望む情報とはどのような物でしょうかな?」
僅かに雰囲気が鋭くなった。
あちらも相応の覚悟を持って臨んでいると言う事だろう。
ロッシュは笑い出したくなる気持ちを、必死の思いで押し止める。
「この国について。そして、貴方の事を」
なるほど、と心の中で頷くロッシュ。
少しだけ、彼等の事が見えて来た。
やはり彼等は、この国の人間では無い。
そして、恐らく……ロッシュが信用出来る相手かどうかを知りたいのだろう、と。
これは一種のテストだ、ロッシュはそう結論付けた。
「皆、先に休んでいなさい。ここは私一人でいい」
「あなた…?」
心配する妻の手を握り、笑んで見せる。
ロッシュは気付いていた。
これから取引が始まるのに、未だケインやノノをこの場に置いている理由。
彼等の存在は、レイにとっては不利な要素にしかならない。
つまり、ロッシュが対等に話す気があるのかを試されているのだ、と。
「―――みんなも先に休んでて。二人だけで話すから」
だろうな、と言う気持ちと、楽しいと言う気持ちがせめぎ合う。
商会員の安全が第一である事に変わりはない。
だがもし、レイからの信用が得られれば、取引にまで発展するかもしれない。
そうなれば、商会は大きく躍進するだろう。
彼等が持つ商品には、それだけの価値がある。
大商人ロッシュは今、大きな商談の気配に胸を躍らせていた。




