第35話 商人
腹の奥に響くような重低音と共に、身体を揺られる。
草原を走るのは四輪の大型車。
運転しているのはユークだ。
「起伏の少ない草原で良かったですね」
「本当にね。この調子なら日が落ちる前に人間が留まった地点に着くんじゃないかな」
ギアに答えながら、辺りを見回す。
こちらの世界にこのような乗り物があるのかは知らないが、もし無ければ見た人間に怪しまれるだろう。
その事もあって、トリックアートで車を隠しながら走行している。
まぁ、音は隠せないので警戒はされるだろうが。
オーク達の到着を見届けた後、俺達は翌日、予定通りに出発して人間が留まっていた場所を目指している。
そこに街でもあればいいが、無ければそのまま人間が通った道を辿る予定だ。
レーヴェを出てからはほぼ徒歩で、すでに二日以上が経過している。
だが、人間達を追い払った森を抜けると草原が広がっており、以降は車での移動だ。
ここが草原で無ければ、またユークを背負う事になったかもしれない。
木ばかりだったロクト周辺とは違い、ようやく乗り物の出番が来た。
「結局、あのあとオーク達とはどうなったの?」
「オーク達と生活してた女性達に、オーク達が怒られたそうだよ。人が気にしてる事を指摘するなってさ」
ラードリオン以降も、目覚めたオークが何人かぶっ飛ばされたらしいが。
それを見かねた女性達からオークが怒られたと言う訳だ。
「で、女性達を中心にレーヴェと話し合いが進んでる。その一件があったからかは知らないけど、『聖女』さんと女性達で意気投合したみたいだよ」
「…何がどう転ぶか解りませんね」
アイリーンがラードリオンを殴った後、場の空気はお葬式のようだった。
俺自身、これもうダメだろうと思っていたぐらいだし。
多分、俺と一緒に見ていたフラウやノノも同じ気持ちだったんじゃないかと思う。
オーク達が守っていた非戦闘員の殆どは、オーク達の母親や妻、子供達だ。
オークに女性が産まれないとは知っていたから予想はしてたけど、女性達は他の種族であるらしい。
中には人間も居て、総勢で五十人ほどであると言う。
砦に居たオークを含めれば、恐らく百人に満たないぐらいの規模だったのだろう。
ちなみに、母親と同じ種族に産まれた子供も居るので、男性が全てオークと言う訳ではないようだ。
俺達が接触したのはオークばかりだったが、あの砦の中にも獣人の男性が居たんだそうだ。
「レーヴェから何か情報は無いのか?」
「まだ特に無いね。向こうも忙しいんだと思う」
オーク達が守っていた女性の中に、人間が一人居るらしい。
ただ、この女性も七十歳と高齢で、人間の事は知っていても昔の情報なのではないかと見られている。
その人以外の女性は、殆どが獣人だったようだ。
この辺りに獣人の集落があったそうで、そこで出会った女性であるらしい。
ただ、当の集落は人間との摩擦が原因でどこかへ逃げてしまっている。
現在は無事なのか、どこに居るのかも解らないんだそうだ。
「俺達が人間を見つける方が早いかもな」
レーヴェからオークの砦までが歩いて一日ほど。
そこから人間を追い払った位置まで半日掛かる。
そして、その場から森を抜けるまでが一日で、人間達はここから二日ほど歩いた場所で留まった。
どれも目的地を解った上で、直進した場合の話だ。
今回の件が無かったとしても、近々レーヴェは人間と接触していただろう。
相手側に発見されるより前に、こちらから様子を見に行けるのは大きい。
ふと、ミニマップに不自然な反応があった。
「ユーク」
「ああ、なんか集団が居るな」
まだ距離はあるが、この先に多くの表示がある。
集団と、それを囲むように展開する複数の反応。
「襲われてない?」
「かもしれない。このまま行くか?」
一瞬迷う。
元々は調査目的であり、どう転ぶか解らない形での接触は避けるべきだろう。
だが、襲われているのなら放っておく訳にもいかないと思い直す。
「行ってみよう」
「解った」
ギュルルというけたたましい音を立てて、車が方向を変える。
一直線に問題の場所へ向かうようだ。
加速の圧を感じながら、ノノに言う。
「一応、『スターシーカー』を使っておいて」
「何について占うの?」
うーん。
これから会う人間? これから行く街?
いや、どちらも人間かもしれない、街があるかもしれないと言う推測でしかない。
なら―――――。
「今日の運勢、かな」
◆
それから間もなく、俺達は目的の場所へと到達する。
窓から外を見れば、道の中心で佇む馬車とそれを取り囲む狼が見える。
襲われていると言う予想は当たったらしい。
囲んでいる狼に意識を向ければ、動物ではなく魔物であるようだ。
頭の上にはスウィフトウルフの文字と、レベル25の数字が浮かんでいる。
この世界にしては高い方か。
「あんな魔物知ってるか?」
「『EW』には居なかったね」
見た目は白い狼。
近付かなければ詳しくは解らないが、尻尾の形状が妙だ。
もしかして、刃物みたいになってる?
「…って、ユーク!?」
一団に近づいて来ているのに、ユークはスピードを落とさない。
それ所かグングンと加速している。
「まさか撥ねるつもりですか!?」
「みんな捕まって!」
ギアと俺が叫び、それとほぼ同時にドン、という大きい音と衝撃が走った。
適当な所に掴まりながら前を見れば、白い狼が吹っ飛んで行く所であった。
「おら、行くぞ!」
そう言って一番に駆け出したユークが、身近に居たスウィフトウルフを蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされた狼は血を吐きながら吹っ飛び、ピクリとも動かなくなった。
……ユークに蹴られればそうなるよね。
「な、なんだ!?」
馬車の近くには、武装した人物が武器を構えていた。
ユークがトリックアートの範囲外に出た所為で、彼等の目に映ったのだろう。
…もう様子見って段階では無いな。
ミニマップを見ながら、状況を分析する。
襲われていた方は、護衛らしき人が三人と馬車の中に三人いるらしい。
周りを取り囲むスウィフトウルフは、二匹減って六匹。
俺も車から降りると、今正に腕を噛まれている戦士へと急ぐ。
一気に接近して真横からスウィフトウルフを剣で貫けば、スウィフトウルフの方は衝撃からか鳴き声を上げ、それと同時に口を離した。
刺された魔物は一瞬だけビクンと揺れると、そのままぐったりと動かなくなる。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ…君達は?」
「それより怪我を見せてください」
どう対応するかなどまだ考えていない。
話題を反らそうとして、怪我を心配する素振りを見せておく。
それと同時に、素早く周囲を確認すればスウィフトウルフはもう全滅していた。
レベル25とは言え、早い早い。
腕を噛まれていた人物は、赤茶色の髪と目をした男性だ。
二十代ぐらいで、レベルは14、名前はナイア。
パッと見た感じでは人間。
余程見分けが難しい種族でもないなら、という前提ではあるが。
怪我の様子はまぁ、それなりに重症だ。
俺が横から吹っ飛ばした所為で、より怪我が大きくなってしまったのかもしれない。
緊急時とは言え、ちょっと申し訳ない事をした。
見れば足にも噛まれた傷があり、切羽詰まった状況であったのは間違いないだろう。
俺はポーションを取り出し、男性に手渡す。
「これを飲んでください」
「これは…?」
「傷薬みたいなものです」
ポーションで通じるか解らなかったので、伝わりそうな言い方をしておく。
一瞬訝しんだようではあるが、男性はポーションを口にしてくれた。
その様子を見ながら、俺はLIVEを起動しておく。
114:狂葬@色彩の精霊の加護(ドレアス)
魔物に襲われてた人が居たから助けに入った
急な形になったけど、人間と接触出来たみたいだ
そう一言添えて。
と、同時に『ん?』と声が出た。
ドレアス?
どこの街に居るかを示す表示が、見知らぬ名前になっている。
額面通りに受け取るなら、今の俺はドレアスと言う街の周辺に居ると言う事になるが―――。
「これは…!?」
男性の声で、一旦思考を止める。
男性は腕を見つめ、怪我が治った事に驚いたようだった。
…ひょっとして、ポーションみたいな回復薬って無いんだろうか。
思い返してみれば、オーガ達も驚いていた。
ヤマト達の荷物にそれっぽい物が入ってたし、あくまで効果に驚いたのであって、まるっきり存在していないとは考えもしなかったけど。
…少し早まったかもしれない。
「他の人は?」
変に突っ込まれたくなくて、敢えて仲間に問い掛ける。
だが、ユークやノノがポーションを渡したようで、俺と同じ状況に陥っていた。
そんな『どうしよう』って顔で俺を見られても困るんだが。
「―――中の人は大丈夫そうですか?」
「そ、そうだ! 旦那様! ご無事ですか!?」
ナイスだフラウ。
確かに、この人達が護衛なら優先順位はそっちだろう。
護衛達が馬車の様子を窺いに行ったのを横目に見ながら、俺達は俺達で集合する。
「おい、どうするよ?」
「姿を隠して逃げようか?」
「顔を見られていますし、口止めした方がいいのでは?」
逃げるか、口止めか。
選択肢が悪事を見られた悪ガキみたいになっている。
俺達、別に悪い事した訳ではないはずなんだけど。
「レイ、レイ」
「ん?」
相談する俺達に割って入るように、ノノが俺の名を呼ぶ。
「今日の運勢は『小吉』。注意点は『破壊者』。ラッキーアイテムは『ポーション』だって」
それを聞いた俺達は、一斉にユークを見る。
「な、なんだよ」
何が起こるか解らんが、こいつの動向には注意せねばなるまい。
◆
「いやぁ、何から何まですみませんな」
「いえ、気にしないでください」
あの後、馬車の中に居た男性からお礼を言われた。
彼はロッシュと言う商人で、四十代ぐらいの男性だ。
頭頂部が薄くなっていて恰幅が良く、人の良さそうな笑顔を浮かべている。
…まぁ、商人だし、見たまんまと判断するのは良くないだろうけど。
「それにしても、野営でこれほどの物が食べられるとは」
「お口に合うか解りませんが」
ロッシュ達の前には、野菜スープとパン、ハーブなどを添えた肉料理、カットしたフルーツが並べられている。
ロッシュ達も食料は持っていたが、自分達の分ぐらいしか無いとの事だったので、俺達の方から提供する形になった。
とは言え、インベントリから直接料理を出す訳には行かず、この場で調理したものだが。
調味料なんかは疑われるかもしれないので、使用は最低限にしている。
ロッシュの他には三人の護衛と、奥さんに娘さんが並ぶ。
最初は恐る恐ると言った様子だったが、口に含むと頬を綻ばせていた。
何故こんな事になっているかと言えば、馬車があそこで停車していた理由が関わっている。
どうも車輪を支える軸が折れてしまったらしく、身動きが取れなかったのだそうだ。
そうしている間に魔物達が寄って来て、戦闘へと発展したらしい。
そんな事情を聞きつつ、掲示板でアドバイスを受けながら馬車を直した。
修理が終わった頃には日が傾いていたので、今日は共に野宿すると言う事になったのだ。
ちなみに、アドバイスの内容は『怪しまれないレベルでどう修理するか』だ。
生産技能を使えば簡単に直せるのだが、ポーションの一件でどう思われているかを考え、保身に走ったのである。
『スターシーカー』でラッキーアイテムと出ているから、そう悪い事にはならないとは思うんだけど…。
「…おや? 先ほどのお二人は?」
「ああ、夜番の為に先に休んでいます」
二人と言うのはユークとギアだ。
『スターシーカー』で一気に要注意人物と化したユークを引っ込め、監視役にギアを採用した。
さっき魔除けの聖水を撒いたので、夜番の為と言うのは殆ど建前だ。
「…ふむ」
パンを咀嚼しながら、しかしロッシュの目は俺達に向いている。
聞きたい事があるが、切り出し方に迷っている感じか?
俺はそれに気付かない演技をしながら、適当な話題を振った。
「ロッシュさん達はどちらへ?」
「私達はドレアスへ向かう所でしてな」
やはり、ドレアスと言う名の街がこの辺りにあるのだろう。
それが聞けただけでも収穫だ。
「商談にですか?」
「いえいえ、我が商会の支店があるのです。そこの視察と観光を兼ねてですよ」
先ほどから、俺とフラウが交互に質問をしている形だ。
ロッシュが俺達に何か感じているのは確かだろう。
かと言って、あまり踏み入って欲しくは無い。
こちらとて、対人間は様子見の段階なのだ。
なので、こちらから質問する事で発言を潰している。
俺の意図を察してくれたフラウには感謝しかない。
ノノとケインに関してはボロを出さないようにしているのか、先ほどから黙ったまま一言も発していない。
この子達、素直過ぎて腹芸に向いていないし、いい判断だと思う。
「ロッシュさんは大きな商会を持っているんですか?」
「ははっ、私の商会などまだまだですよ」
恐らくは謙遜だろう。
オーガやオーク達と比べてと言う話にはなるが、身なりはいいし、テーブルマナーも上品に見える。
それなりに大きい商会、あるいは資産家であるとは思った上で聞いた。
「すみません、あまり商会などに詳しくないもので。どのような商品を扱っているんですか?」
「生活用品から武器、防具まで、手広くやっておりますよ。例えば―――」
ロッシュは空になった木製の皿をコン、と鳴らし、自然とその皿に注目が集まる。
「中々凝った細工がされておりますな。素材も軽く、見ただけでは何の木で作られた物か解りません。我が商会でも取り扱った事の無い一品――――野営で出すには余りに高価な代物でしょう」
皿やスプーンと言った、木製の食器を一通り眺めた後、探るような視線で俺達を見るロッシュ。
皿の素材はロクト周辺で狩ったトレントだ。
間に合わせの木材にはなるかと保管していた一部を、先ほど加工した物。
『EW』の食器は一般的に、もっと別の木や汚れが付きにくく頑丈な黒鉄が使われる。
それを出すよりはと急遽作成した食器類だったが、どうやらトレントの素材でも高級品に見られるようだ。
あと細工については俺が悪い。
ロッシュの身なりを見て、失礼にならない程度にあしらえたつもりだった。
764:金剛@泉の精霊の加護(レーヴェ)
あー…やっちまったな
765:冒険者@空の精霊の加護(メフィーリア)
これがなくても不信感はあっただろう
今更だ
食べ始める前、おそるおそるだったのは食器が原因かもしれない。
まずったな。
ただ、答える義理なんてこちらには無いし、最悪は職人とでも名乗れば企業秘密で押し通せるだろう。
相手はこちらの素性を測りかねているはずだ。
「―――中々いい物でしょう? 身なりの良い方々だったので、失礼が無いようにと思いまして」
考えを読まれないよう出来るだけ笑顔を作り、微笑みかける。
どこまで誤魔化せたかは解らないが。
「気を使って下さり、ありがとうございます。――――こんなに楽しい夕食は久しぶりですよ」
対するロッシュもニコリと笑んで見せる。
それは真意を読ませない商人の顔付き。
……油断のならない男だ。
別の対応を考えた方がいいかもしれない。




