第32話 レーヴェの夕暮れ
「お陰で助かったわ。今回は迷惑を掛けたようで、ごめんなさいね」
出された紅茶を口に含み、口内に広がる香りを楽しむ。
午後の昼下がりにはこんな時間もいいものだ。
周囲を見渡せば、高価ながら落ち着いた印象の家具が目に入る。
『聖女』様のセンスは随分といいらしい。
俺達は今、レーヴェの冒険者ギルドに設けられた一室へ通されている。
レーヴェのリーダーである『聖女』アイリーンの執務室なのだそうだ。
俺達は今回の報告と、人間達が辿っているルートの情報共有を行いに来た。
あれから三日程しか経過していないが、昨日一日、一ヶ所に留まり続けたのだ。
再び移動を開始したものの、この場所に街の一つでもあるのかもしれない。
「ユークの考え無しも、たまには役に立ちますね」
「うるせぇよ」
この場に来たのは、俺とフラウ、ユークとギアだ。
ノノとケインも呼ぼうかと思ったが、ケインが迂闊な視線を向けると『聖女』さんが怒りそうなので今回は見送った。
二人にはお小遣いを渡して、レーヴェの街を堪能して貰っている。
「オークともっと話が出来ていれば違ったんだろうけど、向こうは向こうで忙しそうだったし、こっちはこっちでロクトの件もあってあまり時間が取れなくてな。ホント助かったよ」
そうやって小さく頭を下げたのは『金剛』ベルン。
『聖女』アイリーンの実弟である。
姉の銀色の髪とは違い、やわらかみのある飴色の髪をした細身の青年だ。
瞳は藍鼠色で、姉の方は滅紫―――顔付きもバラバラだし、アバターを見る上では二人が姉弟とは到底思えない。
そしてもう一人。
「いやぁ、取り返しの付かない事にならず何よりだよ。君達にはほんとーに感謝しなきゃね」
肩ほどの紅赤色の髪に、撫子色の瞳をした一見するとまだ幼い少女。
彼女はメイ――――――この国の大統領である。
この三人が、俺達と向かい合うように座っていた。
「君のパートナー…フラウさんだったかな? 彼女はとても聡明だね」
「いいえ、たまたまです」
特に表情も変えずにフラウは答える。
俺としては自慢して回りたい所だが、あまりフラウも望んではいないだろうと思い自重している。
…あと、オーク達に変に目を付けられて欲しくないと言う思いもある。
あいつら絶対口説くから。
「掲示板を見たかもしれないけど、先ほどオーク達が守っていた非戦闘員と接触したわ。このままオーク達と一緒にレーヴェに来て貰うつもりよ」
「そこからは私達の仕事だね。君達の作ってくれた機会だ。無駄にしないよう頑張らせてもらうよ」
こんな感じでメイが大統領をするのは初めて見る。
レーヴェのクエストで何度か顔を合わせるが、どの時でも『技術者の顔』を覗かせていて、大統領と言った感じはしない。
レーヴェ国民が受けられるクエストならばそんな事はないらしいが、他国民からすればただの『技術馬鹿』だ。
大統領に届け物をするクエストでは、視察に行ったまま戻らない大統領を探す事になる。
街中たらい回しにされた結果、最終的には魔道放射砲の整備を手伝う大統領を発見する事になるのだ。
しかも、あと一時間待ってくれとまで言われる始末。
今日ここで出会うまで、スパナ片手に油まみれになっている姿しか知らなかったぐらいだ。
「で、ルビーから聞いているかもしれないが、人間の街へ偵察を依頼する事になる」
「人手が足りなそうなら何人か連れて行っても構わないわ」
そう言われて、俺とユークは顔を見合わせる。
俺達のパーティ戦闘として、ギアのEXスキルを前提とした動きを取る事になる。
あまり人目に触れたくないと言うのが本音だ。
「いや、大丈夫だ」
「いざとなれば逃げるから平気だよ」
ユークの足の遅さはネックだが、今回みたいに俺が運べばいいだろう。
なんなら、全員台車に積んで俺が引っ張ってもいい。
そこらの馬に引かせるより遥かに速い。
「一応念を押しておくけど、あくまで偵察だよ。交渉は私達の仕事さ。君達は情報を持ち返る事を第一として欲しい」
俺だってそのつもりだ。
街が確認されても、基本的にはただの旅人として振舞う事になるだろう。
もし入れないようであれば、俺がトリックアートを張った状態で潜入する。
そもそも、現段階で下手な接触をする気が無い。
「ギアが亜人だってバレない方がいいよね。フードでも被る?」
街中に連れて行かないと言う手もあるが、一人だけ取り残すのも忍びない。
俺がトリックアートでも掛ければいいが、なんらかの理由ではぐれる事も考えられる。
何か自衛手段も考えておきたい所だ。
…耳さえ隠れればエルフとはバレないだろう。多分。
「ギアさんもそうだけど、ユークも気を付けないとダメよ?」
「俺は大丈夫だろ。そうそう気付かれん」
……ん?
「なんでユーク?」
「あれ? 知らなかったか? 俺は竜人だぞ」
そう言って、ユークは袖を大きく捲る。
と、肘から上に紅い鱗が生えていた。
『EW』は見た目を自由に設定出来る訳で…確かに、どんな種族であろうと人間に見せかける事は出来る。
なんなら、鱗の生えていない竜人なんかも存在するだろう。
「見た目じゃ中々解らないよな。俺は人間だけど、アイリーンは天使族だし」
「私は見たまんまのドワーフだけどね」
へぇ、そうなのか。
そう思って、アイリーンを見ようとしてやめた。
余計な摩擦を生みかねないからだ。
代わりにメイの方を見る。
幼女にしか見えないが、彼女は俺達よりもずっと年上だ。
ドワーフの女性と言うと髭が生えているなどとも言われるが、『EW』では特にそう言った事は無い。
まぁ、キャラクター設定の時に髭を生やせば髭付きの幼女が誕生するだろうが。
「そう言えば、時々この鱗生え変わるんだよな」
「そりゃ竜人なんですから、当然では?」
俺がちょっと驚いていると、ギアが呆れた声で言う。
『EW』では竜人の鱗が生え変わると言う設定は存在する。
ただ、それがプレイヤーのアバターに起こる事は無い。
…これも、現実になった影響か?
「私も意識してないと翼や輪っかが具現化するのよね」
「それ飛べんの?」
「飛べるけど、走る方が速いわ。あとついでにすっごい疲れる」
『EW』では、種族的な特徴と言うのはあまり無かった。
精々、食べ物に関する事だけ。
食事でステータスアップが行えるが、特定の食べ物だとボーナスが掛かるのと、味覚に変化があるとかその程度だ。
ちなみに、人間だと穀物系にボーナスが掛かる。
「君達ってひょっとして、『EW』に来る前は別の種族だったのかい?」
メイに問われ、一瞬沈黙が訪れる。
あんまり元の姿について言及されたくはない。
少なくとも、俺の今の姿は自分の理想を詰め込んだ物だ。
その辺りを探られるのは気恥ずかしい思いがある。
「いや、まぁ…この身体は精霊に貰ったもんだからな」
「そうね…。ベルンやレイさんは変化無いの?」
話をこっちに振って誤魔化したな。
「ん~…特にないかな」
「良く言われる動体視力や味覚とかの変化ぐらいだ」
その他、身体の欠損が起きないとかそう言う部分は全員共通だろう。
俺みたいに種族が変わっていない人間からすれば、大きな変化は感じられない。
「前々から気になってたんだけどね、君達の世界はどんな所だったんだい?」
「俺も興味ありますね。ユークもあまり話してくれませんし」
「実は、私も」
メイ、ギア、フラウが若干食い気味に来た。
俺達の世界について聞いても、何も面白くないと思うが。
『EW』が俺達の世界ではゲームだったとか言われても、理解出来ないだろうし。
というか、あまり自分達の事を話したくない。
「まぁ…それは…ねぇ?」
「うん、まぁ…アレだよな」
「おう、アレだな」
なんだ、アレって。
俺は黙って紅茶に口を付け、素知らぬ振りを決め込む。
「君達、私達の知らない技術を知っているだろ? 前にヴィオレッタが言っていたバッテリーとやらの仕組みなんて『EW』では知られていない物だったよ?」
「レイが作る料理も、この世界に無い物がありますよね?」
「時々言ってる『すまほ』とか『ぴーしー』ってなんなんです?」
ここぞとばかりに詰め寄られる。
余計な話をするもんじゃないな。
「紅茶のおかわりは俺が淹れるよ」
この場を脱しようとした俺の肩を、アイリーンがガシッと掴む。
「いえ、座ってなさい。貴方達はお客さんなんだから私が淹れるわ」
「いや、姉ちゃんこそ座ってろよ。何時も俺に淹れさせてただろ?」
アイリーンとベルンを巻き込んで、誰がこの場を逃げるかを競い合う状態になってしまった。
他に逃げ道は無いかと視線を巡らせれば、フラウと視線がぶつかる。
「以前から聞きたい事が沢山あったんです」
ニコリと笑うフラウの目は、あまり笑っていないようだった。
……俺、なんか怒らせるような事した?
◆
あの場をなんとか誤魔化し、俺達は宿屋へ戻って来ていた。
空は茜色に染まりつつあるが、ノノ達の方はまだ戻っていないらしい。
元々、ノノのパートナーは街を見て周るのが好きだったようだし、ノノもそれを楽しんでいるのかもしれない。
ケインも居るし、滅多な事は無いだろう。
「いつも悪いね」
「いいえ」
相変わらずのコーヒーの香り。
自分でも淹れる事はあるが、最近はよくフラウが用意してくれる。
窓から外を眺めれば、帰路に付く者や店仕舞いする店員などが目に入る。
その中にはアンドロイドも混じり、ガシャガシャと忙しなく動き回っていた。
ロクトとは少し毛色の違う、レーヴェの日常だ。
「『遊び』とは面白い言い回しですね」
「そう?」
「ええ、相手を怒らせる事には失敗しましたけど」
ばっさりと言われ、思わず苦笑する。
とは言え、最初から怒らせようと思っていた訳ではない。
割って入った時点では宥めるつもりで軽い言葉を使いつつ、反面、怒らせてもいいかもしれないと思った程度だ。
ラードリオンと名乗ったオークが本音を語ったのは、ユークと言い合いになった時だけ。
俺達に助けて欲しいと洩らせば、それを条件に協力を求めるだけだし、頭に血が上った状態なら『人間を追い返すから協力しろ』と言って言質を取れる可能性もあった。
あのまま平行線を辿るよりは、交渉の余地を残せるかもしれないと思ったのだ。
「結局、フラウにフォローさせてしまったけどね」
「元々そのつもりだったでしょう?」
あの時のフラウの笑顔が蘇る。
俺がラードリオンを怒らせてみようと決意したのは、あの笑顔を見たからだ。
フラウはオーク達の立場に立って、あの場の誰よりも冷静に物を見ていた。
以前、『二人なら救える人も居る』と言ってくれたフラウなら、察してフォローしてくれるのでは無いかと、頭を過った。
ラードリオンを怒らせようと決意したのはそのタイミングだ。
だからこそ出た『遊び』発言である。
まぁ結果的に、ラードリオンは想像以上に冷静で『人間が迫っているのに長話する気は無い』と切り上げられてしまった訳だが。
『なら人間を追い払うので、また話をしよう』と次に繋げてくれたのもフラウである。
「今回は本当に助かったよ」
俺達『ジュエル持ち』だけではオーク達とはうまくいかなかったかもしれない。
情けない話だが、俺達は現状を甘く見過ぎる。
よりシビアに現実を見られるのは、パートナーやNPC達だろう。
コーヒーを口に含み、その風味を楽しむ。
話している間に、少し冷めてしまったようだ。
「私で力になれる事なら、いつでもどうぞ。私はレイのパートナーですから」
フラウに優し気な視線を向けられ、一瞬見惚れる。
だが、状態異常のアイコンが現れて咄嗟に万能薬を飲んだ。
睡眠か。
「寝つきが良くなると言う薬草を試してみましたが、効き過ぎましたか?」
「ああ、大丈夫。意識が落ちる前に治療出来たよ」
そう答えれば、フラウは『すみません』と言いつつ、ニコリと微笑んだ。
レイにはフラウを疑うと言う発想がありません。




