第22話~第23話 幕間 『弾幕』と『聖女』
「ねぇ、ヴィオレッタ。うちのクランに入らない?」
仕事の話をしている最中、急に沈黙した相手を伺えば、出て来た言葉はこれであった。
二人はギルドの一室にて、今後の在り方について話し合っていた所である。
問われた女性…『弾幕』のヴィオレッタは、特に動揺した様子もなく、テーブルに置かれた紅茶を啜る。
頭上から腰まで流れる黒髪は、黒曜石のような美しさを持ち清楚さを感じさせ、整った顔立ちからは知性や品格を感じさせる。
しかし、組まれた足や肘掛けに寄りかかる様子からは、それとは真逆の印象を与えていた。
「随分前に、一度断っていなかったかい?」
「気が変わってたらいいなってね」
対する相手は、『聖女』アイリーン。
ウェーブの掛かった銀色の髪に整った容姿であるが、まず目に入るのはそのグラマラスな身体だろう。
だが、アイリーンに対してそれを言うのは地雷であり、それは広く知られている事でもある。
「生憎、気は変わらないね」
「そんな事言わないでさ~」
「面倒毎はもうごめんなのさ」
アイリーンは『聖女』の二つ名を持つ他、クランリーダーとしても知られている。
彼女の率いる『DOKI♡DOKI♡フルスロットル♡』は、レーヴェで大手のクランである。
名前は通常営業だ。
ギャルゲにありそうな名前だと油断していると、屈強な男達に囲まれる仕様である。
心拍数が上がると言う意味では正しいネーミングかもしれない。
「何故、今更そんな話を?」
「ずっと思ってたよ? 『弾幕』も欲しいし、貴方がいれば『狂葬』さんも来るかもしれないし」
「私はレイの餌かい?」
冗談めかして返せば、アイリーンはカラカラと笑った。
ヴィオレッタは異世界に来て、アイリーンと言葉を交わす機会が増えた。
以前はあまり接点の無い相手だったのである。
異世界に来てアイリーンから依頼を受ける事も増え……そして気が付けば、こうして二人で茶を飲む間柄になっていた。
ヴィオレッタからの評価として、アイリーンは裏表のない気安い人物である。
多少、感情に素直過ぎる面もあるが。
「私『狂葬』さんと話した事ないんだけど、どんな人?」
先ほどの話の延長か、そう思って顔色を伺えば、思ったよりも真剣な瞳である。
ただの世間話ではないらしい、と内心で気を引き締めつつヴィオレッタ答えた。
「そうだね……現実世界では、自分を抑圧してきた人間じゃないかな」
「……はい?」
ヴィオレッタは本来、学者である。
知る事、調べる事に楽しさを感じ、興味の無い事にはとことん興味がないというのが彼女の性質だ。
VRゲームを始めた理由も、どこまでリアリティがあるのか、あるいは自分の研究に使えそうな部分は無いか……ただ、それを知りたかっただけなのである。
『EW』を手に取ったのも、たまたまそこにあったからというだけで、ゲーム内容にすら興味を持っていなかった。
キャラクタークリエイトにも興味を持たず、現実の姿そのままであるのもそれが原因だ。
それがここまでハマってしまったのは、それこそレイとの出会いが原因である。
「家庭環境か、元々の性格かは解らないけれど、自分の望みに蓋をする事に慣れてるように思える。そして、何かの力になれる事に自分の価値を見出しているようにも感じたよ」
「えーっと……ヴィオレッタって心理学でもかじってた?」
「少しだけね」
ヴィオレッタが心理学に興味を持ったのも、レイとの出会いが始まりだ。
当初、ヴィオレッタはレイの戦い方を見て『合理的ではない』と感じていた。
危険と隣り合わせ、ヒューマンエラー一つで倒されるステータス。
リスクが大きい割に、メリットが無い。
そんな戦い方をするのは『何故か』と問いかければ、レイの性格、得意分野を突き詰めた結果なのだと理解し、同時に『人によって価値観は変わる』事も深く理解出来た。
人に対して、あまり興味を持たなかったヴィオレッタが、初めて『人間』に興味を持った瞬間であり、コミュニケーションの楽しさを知った瞬間でもある。
それがゲームを始めて数日目の事…レイとの付き合いはそこからだ。
そして、少しだけゲームの先輩であるヴィオレッタは、レイに様々な事を教えた。
ヴィオレッタが人に教える事に楽しさを見出したのも、レイがヴィオレッタを師のように慕うのも、この出来事があったからである。
「それで? 今このタイミングでクランを強化する意味とは何なのかな?」
おおよそ見当は付くが、ヴィオレッタは敢えて問いかける。
現状でもう、プレイヤー同士の協力体制が築かれている。
クランに入れというのは、その結束をより強くする為。
そして、『いざ』という時に自分の傘下に置く為。
その『いざ』とは何か? 解り切った話であった。
「ヴィオレッタに隠し事は無理ね……」
溜息を吐きながら、アイリーンはそう零した。
「大方、プレイヤー同士の争いを視野においての事だろう?」
「そーよ。大正解」
ロクトが接触したというオーガも、最近見つかったというオークも、レベルや能力は警戒するに値しない。
人間の国に対しては推測でしかないが、そんなオークやオーガを駆逐出来ていない点を鑑みても大した相手ではないだろう。
では、一番危険なのは誰か。
「盗賊を名乗ってプレイヤーキルしていた連中もいたじゃない? そう言う集団が現れた時、戦力が無ければ確実に犠牲者が出る。今大人しく従っているプレイヤー達も、そんな事態になったらどう出るか解らないわ。それが、例えば貴方達みたいな『二つ名持ち』だったら?」
「阿鼻叫喚だろうね。プレイヤー同士の大戦争だって有り得る」
感じたままに答えたヴィオレッタに、アイリーンはムッとした顔を見せる。
その姿に内心笑みを浮かべつつ、紅茶を口にする。
「なんでそんなに冷静なの? それがどれだけ危ない事かくらい解るでしょ?」
「勿論。けれど、その可能性は低いんじゃないかな?」
そう答えたヴィオレッタを見て、きょとんとした表情を浮かべるアイリーン。
ヴィオレッタは口元が緩むのを感じながら、その様子を楽しむ。
アイリーンは感情に素直過ぎる。
こんなにコロコロと表情を変えていて、よくもまぁクランリーダーが務まるものだ。
そう思いながら、ヴィオレッタは言葉を続けた。
「その可能性は早くから考えていたし、私で思いつく方法は試したさ。だから、ジュエルや精霊機を調べたんだよ?」
「……? どういう事?」
「プレイヤー達の情報が集まるのはどこだい? 公式のホームページらしき物は存在している。そこから、現実世界へのアクセス方法は無いのかな? サーバーとまでは言わずとも、近しい記憶領域にアクセス出来ないかな? ジュエルや精霊機を使いこなせれば、そう言った事も調べられるんじゃないか…私はそう考えたのさ」
はっ、とした表情を浮かべたアイリーンを見て、ヴィオレッタは等々、クスクスと笑い声を挙げてしまった。
「実際、読みは悪くなかったよ。全てとは言えないが、ちょっとデータを覗くくらいは出来た」
「ハッキングしたって事!?」
「まぁ、何か問題が起きても困るしほどほどにだけどね。誰が来ていて、それがどんなプレイヤーか、ぐらいは調べられたよ」
元々は、公式ホームページからインターネットに繋ぎ、現実世界へのアクセスが出来ないかを模索するつもりであった。
しかし、発見したのはなんらかのデータが犇めく領域。
ヴィオレッタにも理解出来なかった、魔術的プログラムが施された空間。
実際はもっと情報を引き出そうとしたヴィオレッタだったが、自分が『何』にアクセスしているか解らなくなり、そこで手を引いたのだ。
「そ、その情報頂戴! 危なそうなプレイヤーには監視を付けるわ!」
「その必要はないと思うけど」
そう言って、インベントリから紙の束を渡す。
ヴィオレッタが抜き出した情報をそのまま印刷したものだ。
調べた範囲で解ったのは、現在、異世界に来ているプレイヤーと、そのプレイヤーの戦績、所属する集団や近しいプレイヤー…それほど多くの情報は無い。
「進んで犯罪行為をしていたプレイヤーは、何故だかこちらに来ていないね。賞金稼ぎをしていた連中は来ているけど」
「ゲーム内での犯罪歴も出てるのね。…『黒騎士』さんはいるみたいだけど?」
黒騎士とは、以前ロクトで大暴れしたプレイヤーだ。
とはいえ、彼はプレイヤーに攻撃はしなかったし、目的はゼペスと戦いたかった…それだけである。
日時を決めて、多くの人間に周知させてからの行動であったし、兵士以外に攻撃もしていない。
邪魔になりにくい場を選び、そこからは一度も出なかった。
そこに興味はあれど、誰かに対する悪意は無かった。
「まぁ、彼のあれはお祭りみたいなものだったからね。それを知った公式からは、二つ名までもらっていたわけだし」
ゲームの世界上犯罪ではあったものの、ゲーム公式からはエンターテイメントとして受け入れられたと見ていいだろう。
もし迷惑行為と取られていたなら、二つ名を与えるなど有り得ない話だ。
「じゃぁ、ヴィオレッタから見て危険そうな人物はいなかったって事?」
手に取った紙を見比べながらアイリーンは問いかける。
視線が自分に向いていないのを見て、よほど気にしていたらしい事に気付き、ヴィオレッタはもっと早く伝えるべきだったか、と反省する。
「そう言う事だね。少し……作為的なものすら感じるぐらいだよ」
「作為的…?」
この世界に来た時から、ヴィオレッタが感じていたものだ。
その原因が、精霊なのか、あるいはこの世界の神と呼ばれる存在なのかは解らない。
しかし、わざわざ争いを起こしにくい人物を選別し呼び出したように見えてしまうのだ。
「これに関してはこの世界を調べる内に解っていく事だろうけどね。私には、話が上手すぎるように感じるよ。NPCやパートナーだって解らない事だらけだ」
「急に人格を持った事?」
「そう。急に人格を持ち、そして人格を持たなかった時の記憶もある。なら、ゲーム時代の彼等はなんなのだろうね? 今の彼等は何者なんだろうね?」
そう問われても、アイリーンは答えを持っていない。
「仮に、私達が誰かの意思によって選別されていたとしたら……『EW』というゲーム自体が怪しく感じないかい?」
今回の事の始まりを突き詰めれば、異世界転移ではなく、『EW』そのもの。
ヴィオレッタが言いたいのはそう言う事だ。
「―――…それ、誰かに話した?」
「いいや。混乱が落ち着いてきたこのタイミングで、余計な不安を煽るなって言いたいんだろう? そのぐらいは解っているさ」
「ならいいんだけど…」
どの道、今やるべき事は変わらない。
情報を集め、何が原因で何が起こっているのか、正確に判断出来るまでは黙していた方がいいだろう。
それはヴィオレッタにも解っていた事だった。
アイリーンに黙っていたのも、それが理由である。
「ともかく、私達がやるべきはオーク達ともう一度接触する事。そして、人間の国となんらかの接点を持つ事…これに変わりはないわ」
アイリーンの表情からは、深刻さを感じさせる。
それは多分、人間の国とは争いなく穏便に済ませる事が出来ないのではないかという不安。
だが、ヴィオレッタはどこ吹く風と笑んで見せた。
「そんなに気にする事もないと思うけどね」
「…戦争になるかもしれないのよ?」
「推測の域を出ないけれど、恐らく相手にならないよ。犠牲無しに終わらせるのも難しくないだろうね」
あっけらかんと答えるヴィオレッタに、アイリーンは頭を抱える。
その様子をクスクスと笑いながら、ヴィオレッタは続けた。
「仮に、そんなに強い国ならこの辺りまで勢力を伸ばしているはずじゃないかい? オーク達だって殲滅されていたはずだ。けれど、この辺りに人の手が入った形跡がない」
「希望的観測って言うのよ、そう言うの」
「そうかな? 少なくとも、北の森は放置されていたようだけど」
北の森に住む魔物は、プレイヤー達が生理的に受け付けない姿をしていた事が話題に挙がるが、その性質も問題であった。
数万と言った群れで生活し、消化液を吹きかける。
その消化液は木を数秒で液体にするほど強力な酸であり、生き物を餌にしている。
実際、北の森周辺で生き物を見た者はおらず、生き物を食い尽くしながら増殖、浸食を進めていると考えられた。
そんな魔物を放置する事など有り得るだろうか。
数が増えれば人の国にも現れるようになるだろう。
数を増やす前に対処するべき相手ではないだろうか。
つまり、人の国にはそれが出来なかった…あるいは、その魔物の事すら認識出来ていない可能性がある。
要は、その程度の相手でしかないという証明ではないか…それが、ヴィオレッタの意見であった。
「…北の森と言えば、ヴィオレッタは本当に行く気ないの?」
「断固拒否するよ。それに、もう私の出番は無いだろうしね」
「まぁ、確かに『爆炎姫』さんを送っ…」
アイリーンの言葉を遮るようにして、遠くから爆音と閃光が轟く。
バッ、と立ち上がり窓の外を伺う様は高レベルのプレイヤーらしい動きと言えた。
だが、同じく高レベルのプレイヤーであるはずのヴィオレッタは、落ち着いた表情で紅茶のおかわりを注いでいる。
「な、何? なんなのアレ…?」
「きのこ雲でも見えるのかい?」
何時もの調子を崩さないまま、ヴィオレッタは問いかける。
「ヴィオレッタ、落ち着き過ぎじゃない!? きのこ雲の事なんで解ったの!?」
「アイリーン、君、掲示板を見ていないだろう?」
そう言われ、アイリーンは今日初めて掲示板を開く。
レーヴェに関連するスレッドを追って行けば―――――。
『速報:爆炎姫、キレる』
そんな文字が並んでいた。
「これは、北の森が消滅したかな?」
「ちょ、ちょっとやりすぎでしょ!? 人とか居たらどうするの!?」
「あの魔物以外に生物が居たとは思えないけどね」
居たとしたら餌になって終わりである。
森が消滅と言われると大事のように感じるが、プレイヤー達が協力すれば森ぐらい復活させる事が出来る。
ヴィオレッタが『爆炎姫』を派遣しろと言っていたのは、ここまで考えての事であった。
「あー! もー! 次から次へと!! ベルン! すぐに確認に向かうわ! ベルン!?」
慌ただしく走り去っていくアイリーンの声を聞きながら、ヴィオレッタは苦笑を漏らす。
例え誰かの思惑通りだったとしても、ヴィオレッタは現状を楽しんでいた。




