第15話~第16話 幕間 『魔刃』と『鬼若』
スッ、と腰を下ろし、呼吸を整える。
その息は白く、この場がどれほど寒い場所かを物語っていた。
一面が白く染まる雪山、そこに少女は居た。
周囲には、レベル11の魔物が八匹。
スノーベアと呼ばれるそれは、現実世界で言う白熊と同じような姿。
違う所と言えば、雪の中に潜り、足元から獲物を狙う事ぐらいだろうか。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、少女は集中する。
新緑を思わせる髪を首元まで伸ばした、小柄な少女。
可愛らしく見えるその姿とは裏腹に、その紅い眼光は鋭く、見る者を怯ませる。
「ガアアア!!」
一匹の雄叫びを皮切りに、八匹の魔物が一斉に飛び掛かった。
対する少女は、瞬時に魔物達に目を滑らせ、そして。
「『円舞脚』」
左足を軸に、右足を振り回すようにして身体を回転させる。
それと同時に、八匹の魔物は吹き飛ばされ、その場は静寂に包まれた。
「―――……」
魔物を倒した少女は、だが…どこか不満そうに自分の手を見つめていた。
◆
「そう不服そうな顔をしないで欲しいなぁ」
モンスターの素材をぶん投げるようにして渡すと、少女は近くのソファに寝そべる。
それを苦笑しながら見送るのは、赤い髪の男性。
身長は高いがやせ型…雰囲気は落ち着き払い、歳を重ねているかのように感じられるが、その表情はあどけなさを残す。
そんなアンバランスな印象を与えるのは、『魔刃』の二つ名を持つ人物、ビュウである。
「あの熊、もう何匹狩ったと思ってるの?」
答える少女は不機嫌さを隠さない。
眉間に皺を寄せ、やや低音で発する声からは苛立ちさえ感じられる。
少女の名前はアヤ。『鬼若』の二つ名を持つ女性である。
「毛皮が防寒具として優秀なんだよねぇ」
そう言って、ビュウは喜々として素材と向き合う。
ここはビュウのハウス内であり、倉庫を改装した作業室である。
様々な機械が所狭しと置かれており、棚には謎の薬品が並べられていた。
戦闘でも優秀なビュウであるが、その本質は職人である。
ビュウの事を知る人物ならば、今の彼を見て『らしい』と感じる事だろう。
「その内、絶滅するんじゃないの?」
「『EW』だったら有り得ない話だけど…確かに、この世界だとどうなんだろうねぇ」
『EW』の魔物は、世界の淀みから産まれる。
世界の淀みとは、過去の大戦の爪痕であるとされている。
その大戦がどんなものであったかは、ゲーム中では語られていなかった。
世界が変われば常識も変わる。
この世界で魔物が生まれる理由は、今のビュウ達には解らない話だった。
「…別に、どうでもいいや」
そう言ってアヤはビュウに背を向ける。
ここで寝るつもりか、と問いかけようとして、ビュウは口を噤んだ。
元々、素材集めなどビュウ一人でこなせる。
それでもアヤにやらせたのは、彼女が暇そうにしているからである。
否、暇すぎて苛々している、と言った方が正しい。
「―――……そんなに暇かい?」
「すごく」
少しでもガス抜きになればいいと思ったが、どうやら逆効果であったようだ。
アヤにしては低い声色から、ビュウはそれを悟った。
アヤがこれほど苛立っている理由は単純だ。
『弱い敵しかいないから』。
ただそれだけである。
強い者と戦い、勝利の為に努力する―――彼女のスタンスは異世界でも変わらない。
今のアヤは、倒すべき目標を見失っているのだ。
「転移した時、レイがオーメルに居れば良かったんだけどねぇ」
「アンタでもいいんだよ?」
「僕はもう散々相手をしたじゃないか」
ちなみに、結果はビュウの惨敗であり、それなりに食らい付いたつもりではあるものの、アヤが満足するほどでも無かった。
ビュウ自身、自分が対人戦に向いているとは思っていない。
アヤから見て熱くなり切れない相手だと自覚しているし、実際、楽しそうに見えるのは戦闘中だけである。
勝敗が決すれば、不完全燃焼のアヤが残るだけだ。
「レイか…こっちの世界に来てるのかなぁ」
「掲示板でレイらしき書き込みは見たよ。多分、ロクトに来てるんじゃないかな」
ビュウがそう言った後、数秒の沈黙。
ガバッ、と勢いよく立ち上がると、アヤは言った。
「ロクト行って来る!」
「場所が解らないんだってば」
キラキラした顔で言う辺り、フラストレーションは限界かもしれない。
ビュウは内心で溜息を吐きつつ、レイの困った顔を思い浮かべていた。
「オーメルにも何人か『二つ名持ち』がいたろ? その人達と戦ってくれば?」
「もう戦った。…で、二度と戦ってくれない」
「君が強すぎるんだよ…」
『EW』最強のプレイヤーは誰か。
そんな話題は何時でも存在するものだ。
それぞれ得意不得意があるのだから条件次第で変わる、それが毎回の結論である。
だが、一対一の近接戦という条件でなら『鬼若』の名を挙げる者は多い。
「オーメルのギルマスは?」
「歳寄りに無理させるなって断られた」
オーメルの冒険者ギルドは、英雄と呼ばれる人物が取り纏めている。
しかし、その呼び名は過去のものであり、現在は杖を付いた老人だ。
レベルは120と高レベルであるものの、戦えるかどうかは疑わしい。
「はあああぁぁぁ~~……」
「大きな溜息吐かないでよ……こっちまで気が滅入ってくるじゃないか」
「ロクトどこぉ…? レイに会いたいよぉ…」
向こうは会いたくないんじゃないかな。
そうは思っても、賢明なビュウは口にしない。
余計な事を口走って、模擬戦の相手をさせられては敵わないのである。
「…『EW』のNPCが意思を持ったって事はさ。他国民でもタニア騎士団長と戦えるのでは…?」
ハッとした様子で、アヤは言う。
魔物の素材を捌こうとしていたビュウは、驚いて振り返った。
「え? 今更気付いたの?」
「え!? 気付いてたならなんで教えてくれないの!?」
今まではゲームのシステム上不可能だったと言うだけ。
レーヴェの国民であるアヤでは、ロクトでの一部のクエストが受けられない。
そしてその一部のクエストというのが、まさにタニアと戦う為の条件なのだ。
だが、今なら交渉という選択肢が生まれる。
話の持って行き方次第では、十分可能性がある話なのだ。
「なんならロクト王とも戦えるんじゃない? なんか暇してるような話を聞いたよ」
「150レベルと殴り合える…!」
恋する少女のような顔で、あまりに物騒な事を口走るアヤ。
冷や汗を流しながら、ビュウは無言を貫く。
一歩間違えば国際問題だ、そう言った所で彼女は止まらない。
余計な事を口走ったと後悔しても、後の祭りである。
「まぁ…これで、レイも君に付き纏われずに済むかな」
あれこれ言いながらアヤとの模擬戦を避ける友人を思い出し、ビュウは苦笑する。
何故そんなに避けるのかと聞いた時、レイは言った。
『アヤが怖いから』と。
ここ最近、何度か模擬戦をしたビュウは、その言葉の意味を深く理解する事になった。
「何言ってるの? レイは別だよ」
対して、アヤは極当然の事のように答える。
他にぶつかって行く相手がいれば、もうレイには拘らないだろうと思っていたが、どうやら別問題であるようだ。
「ほら、前にレイが言われてたでしょ? 『普段抑圧してるから、気分が高揚した時ブレーキが効かなくなる』って。たまには解放してあげないとね」
多分、レイからすれば余計なお世話だろう。
そして、それを言い訳に『君が』戦いたいだけだろう。
ビュウはそのどちらの言葉も飲み込み、心の中で自分に喝采を送った。
「じゃあほら! 早くロクトを探そう!」
急に元気になったアヤに、ビュウは困った顔を浮かべる。
「その為に防寒具が要るんでしょ? 周辺ぐらいならともかく、遠出するなら防寒対策は必須だよ?」
「ああ…また、熊と戯れる日々が始まる…」
先ほどまでの元気はどこへやら。
膝から崩れ落ちるアヤを見て、ビュウは『困った子だ』とこぼすのであった。
〇円舞脚
習得レベル30 蹴撃スキル 再使用15分
周囲への円状に対して放つ範囲攻撃スキル。
左足を軸に、右足を一周させるように振り抜く。
周囲には鋭い衝撃波を放ち、範囲内の対象全員へダメージを与える。
AGIが高いほど、威力と範囲に補正が掛かる。




