ふたりで同じ夢を
批難の嵐に吹き飛ばされかけながらも、ニコラスはなんとかその場に踏み留まって、潔く膝を突いた。
「俺が悪かった! あれはチビが僻んだだけだ。エイミーは全然熊なんかじゃないぞ!」
「そんなこと知ってる」
冷たい視線にもめげず、ニコラスは誠意を尽くした。
「エイミーはいい子だし可愛いし、それにあれだ、おまえ騎士のなかで取り合いになってたんだぞ! 背が高い女がいいっていう奴多いから、アルにはもったいないって騒ぎになったんだからな」
「あのう」
「あとはなんだ、ええと、とにかくエイミーはそのままでいいぞ! アルと駄目になったら俺がもらってやるから、どかんとぶつかってこい!」
ヤケになって口走ったニコラスとエイミーの間に、新たな客が身体を割り込ませた。
「このひと僕の奥さんなんで、口説かないでもらえませんか」
冷たく言い放ったアルは、ついでにひざまずいていたニコラスの肩を蹴りつけた。
「ってめえ新米の分際でいい度胸だなあおい!」
「隊長が悪いんですよ。配下の妻にちょっかい出すとか、どこの変態オヤジですか」
アルはエイミーを背後に庇いながら、しれっと言い返した。
「アル? なんで?」
エイミーが驚いて問うと、アルを室内に案内した近衛が控えめに手を挙げた。
「わたしが呼んで来ました。本人が来たら解決しそうだなと思って」
「ずいぶんサバけてきたなあ、近衛の方々」
ニコラスが呆れた顔になるが、近衛騎士もすっかり馴染んでしまっているのだ。涼しい顔でどうも、と言ってから持ち場に戻った。その前に、アルに向かってグッと拳を握って見せることを忘れない。頑張れよ、の意だ。
アルは近衛に向けてぺこっと頭を下げると、室内に並んだ顔を見渡した。
王妃、伯爵夫人、騎士団大隊長夫人、新団長令嬢。
そこまでは、まあ無理のない面子である。
「なんでニコラス様がここに混ざってるんですか」
「おまえにゃ関係ないだろ」
「ならなんで僕呼ばれたんですか。エイミーの一大事だって言われて来てみれば、あんたが人妻口説いてるとこだったんですよ」
ホークラム家を出てから、アルの言動は日増しに荒くなっていっている。
やはり貴族の家と騎士団官舎とでは勝手が違って、苦労しているのだろう。
ちっ、と舌打ちしてから、ニコラスはエイミーを手招きした。アルの妨害に遭う前に、素早く耳打ちする。
「……ニコラス様」
「俺からの祝いだ。子どもにアホなこと言って悪かったと思ってる。おまえは本当にいい女だよ」
「…………はい。ニコラス様、ちっちゃいのにたまにはかっこいいですね。今度真面目に相談に乗ってあげますよ」
「それ本当だろうな、大娘」
アルは鼻の頭に皺を寄せるニコラスに胡乱な視線を投げた。
エイミーはそんな彼を促し、友人達に感謝の気持ちを込めて、正式な退出の礼をした。
じゃあね。また今度。
みな、あえてなんでもない顔をして、普段どおりの挨拶でふたりを見送った。
エイミーは右隣を歩くアルを横目で見てみた。
全体的に少しだけ線が太くなった気がする。視線の高さは相変わらずエイミーと同じくらいだが、可愛いと評判の横顔に精悍さが加わってきた。
彼はまだ成長しているのだ。これからも騎士修行を続け、どんどん強く逞しくなっていくのだろう。
「あのね、アル。あたし旦那さまが騎士なのって怖いなあって思ってたの」
「えっそうなの? 憧れてるものだと思ってた」
「まさか。だっていつ帰って来なくなるか分からないじゃない。怖いよ。だから母さんに怖くないのかって訊いてみたの。母さんね、わたしは強いからなんともないわ、って」
母は言っていた。
昔は怖かったわ。だけど父さんが言ってたから、怖がることをやめたの。
強い妻を持つ騎士は強い。
何故なら死を恐れずに戦えるからだ。
後顧の憂いを断ち、勇敢に戦う騎士に死は訪れない。
かよわい妻の存在は、騎士を臆病にする。
「かよわい女性のために戦う騎士が、妻には強さを求めるって意味が分からないと思ったけど、騎士だって人間なんだからそんなものなのかなって納得することにしたの。アルはあたしが強くなれば強くなって、必ず帰って来れるってことだよね」
「……うーん。そういうものなのかな」
「なんか難しいよね」
「難しい」
ふたりしてくすりと笑うと、少しだけ子ども時代が思い出された。
小さかったアルは大人になった。
エイミーももう大人だ。
「……ライリー様の邸宅。管理人用の部屋が調ったんだ」
「そう」
エイミーはなんでもない顔をして相槌を打った。
「今日からそこで一緒に暮らさない?」
「ずいぶん急だね」
「急じゃないだろ。どうする? とりあえず今日、行くだけ行ってみない?」
旅籠で十三歳まで育ったアルは、人の気持ちを読むのが上手い。
エイミーの心の変化に気づいて、これまで慎重に避けてきた話題を持ち出してきたのだ。
「い、…………いく」
らしくない、小さく自信なさげな答えになってしまった。
「そうこなくっちゃ」
くそう。笑顔が可愛い。男のくせに。
こんなだから、アルは上官にも可愛がられて、特別休暇をぽんともらえるのだろうか。
アルにも二日休暇をやるよ。俺が奴の当番を代わってやる。
ニコラスがエイミーに耳打ちした台詞は、大隊長が言うべきものではないはずだ。新米の代わりに大隊長が警備に立つなど、聞いたことがない。
三日後に出勤したら、楽しい特別訓練の始まりだ。旦那の介護を頼むぞ奥さん。
騎士の娘であるエイミーは、特別訓練という名のえげつないしごきを知っている。
明々後日には自分の夫があんな目に遭わされるのかと思うと、もう辞めたら? とすら言いたくなってしまう。
だがエイミーは、アルが毎日帰って来てくれるように、強くなることを決めたのだ。
毎日笑顔で送り出して、ぼろぼろになって帰ってくるであろうアルを笑顔で受け止めてあげよう。
「今夜は僕が夕飯を作るよ。何食べたい?」
「食材はあるの?」
「ちゃんとふたり分用意してある。明日の朝の分もね」
なんでよ、と思ったが、エイミーはその言葉を飲み込んだ。
アルはずっと、エイミーのことを待っていてくれたのだ。
いつ彼女が思い立ってもいいように、一緒に暮らす日を楽しみに準備していてくれた。
「アルのご飯楽しみ。明日からはあたしにも作らせてよ」
「僕が作るからいいのに」
「あんまり甘やかさないでよ」
「甘えて欲しいな。これでも浮かれてるんだよ」
最近のアルの愛情表現は、分かりやすく真っ直ぐだ。
そうでもしないと、エイミーには伝わらないと気づいたからだろう。
「……それ、あんまり外で言わないほうがいいよ。明々後日から特別訓練だって」
アルがぐっ、とうめいて辛い顔になった。
「とうとう始まるのか」
エイミーはくすくす笑って、少し意地悪く問うてみた。
「どうする? やっぱりやめとく?」
「やめないよ! エイミーはこのまま家に帰って準備しておいて。仕事が終わったら迎えに行くから。やっぱりやめた、は無しだよ」
「分かってる。頑張ってね」
新米騎士アルは微笑んで、素早くエイミーにくちづけてから走り去った。
昔馴染みの青年のそんな動きに、エイミーはまた動揺してしまう。深呼吸して息を整え、頬の火照りを冷やしながらゆっくりと、母が家事をして待つ家路についた。
あの家に帰る、のはこれで最後にするのだ。
どきどきと早鐘を打つ心臓が落ち着く前に、アルが駆け戻って来た。
「今日はもうあがっていいって言われた!」
何それ。
個人の事情に甘過ぎやしないか。それでいいのか、これから新しく生まれ変わる騎士団。
「スミス様にも挨拶してきたよ。今日からエイミーを家に連れて帰りますって」
またアルは、エイミーを怯ませることを言う。
大事に育てた娘を取られる、という気持ちと、娘を嫁き遅れさせたくない気持ちの狭間で勝手に苦悩している父に知られてしまうのは気まずい。だがふたりは、もう結婚式も済ませてしまっているのだ。遅過ぎたくらいだ。
さっさと済ませとかないから、と言ったのはアデライダだ。
確かに、とエイミーは実感した。
結婚式の日から夫婦として暮らしていれば、こんな葛藤はせずにすんだのだ。
駄目だ。もうこの勢いを逃したら、一生アルの奥さんになんてなれそうにない。
そんなのは嫌だ。
エイミーは初めて、自分からアルの手を握った。
騎士である彼は右手は常に空けておきたがるから、エイミーのために差し出される左手を握る。
「帰ろう、アル」
「うん。帰ろう」
ふたりの家に帰るのだ。
「ライリー様はきっと、もう少ししたらもっと立派な家に移られると思うんだ」
「伯爵様だもんね」
「だからそれまでにお金を貯めて、今の家を譲っていただくっていうのはどうかな」
なんと言ってもアルは高給取りの騎士だ。エイミーも伯爵家の侍女という花形職業に就いている。共働き夫婦が本気を出せばそのくらいなんとかなりそうだ。
「いいね、それ。素敵」
「だろう? 夢が広がるね」
「広がっていくね」
昔もふたりでこんな会話をした気がする。
そのときはそれぞれ別の夢を持ち、各々の力で叶えてきた。
エイミーはお針子の腕を磨きながら、憧れを追い続けてきた。
アルは迷いを捨て去り、騎士として歩き出した。
今日からはふたりで、同じ夢を見て生きていくのだ。
これで本当にシリーズ最後のお話です。
(……また小話でも書きたくなったら、ここの欄削除すればいいのかな)
右も左も分からないまま投稿を始めてしまいましたが、好きなようにお話を創れて、
それを読んだ、面白かった、と言っていただけて、とても楽しかったです。
ここまでお読みくださった皆さま、ありがとうございました。