エイミーの気持ち
「ミア頑張ったよねえ」
「まあ今では、ザック様も有名な愛妻家ですけどね」
「十一も下の奥さんだもん。そりゃあ可愛いよねえ」
女性陣はにこにこしているが、ニコラスはおそるおそる挙手をした。
「ミア、あれは一般的にはヘラヘラしてるって形容される類いの顔だぞ」
「やだ、ニコラス様。ザックはあたしには違う顔を見せてくれるんですよ」
「今回ばかりはニコラス様が正しいと思うけど。まあ恋は盲目、あばたもえくぼ、ですよ」
エイミーが何やら悟ったような顔で頷く。
「あたしもミアの気持ちは理解できなーい」
アデライダが正直に告白する。
「いいもん。ザックの魅力はあたしだけが知ってればいいの!」
ミアはいいな。
エイミーはけらけら笑いながら、こっそりと友人に羨望の眼差しを向けた。
自分の気持ちがはっきり分かっていて。そのために行動できて。たったひとり想うひとに応えてもらえて。
ロージー様はいいな。
小柄でおっとり可愛らしくて、だから旦那さまも彼女を放っておけなくなったのだ。
アデラはいいな。
大好きなひとの特別な存在になれて。
エイミーはアルと結婚式を挙げた。
彼が求婚してくれて、彼女が頷いたのだから、当然の結果として結婚した。
だけどまだふたりは夫婦になっていない。
結婚式当日になっても自分の気持ちが分からなくて困っているエイミーを、アルはもっと困った顔で見ていた。
だから彼は先輩騎士が面白がって勧めるお酒をすべて飲み干してわざと酔い潰れ、エイミーの待つ部屋に帰ってすぐに何も言わず眠ってしまったのだ。
その日からふたりは、アルの両親が営む旅籠の一室を借りて暮らすことになっていたが、彼の希望でそれもやめにした。
騎士の仕事に慣れるまで、少し時間が欲しいんだ。エイミー、それまで待っててくれる?
なんて、アルは自分のせいみたいな言い方をしていた。
「エイミーはあれからどうなったのよ」
さて本題に入るか、と言わんばかりに、女性陣が身を乗り出した。
「アルは毎日頑張ってるぞう」
「ニコラス様は黙ってて」
エイミーは夫の上官に噛みついた。
「エイミー、まさかまだあれ気にしてるの?」
夢見がちと見せかけて、妙に現実的なミアが呆れた声になる。
「何なに? なんかあったの?」
「聞いてよアデラ。結婚前の花婿を囲んで、男ばっかでこそこそやってるヤツあるでしょ」
「ああ。どこも一緒だね、それ」
「おまえら馬鹿にするなよ。その伝統のおかげでいい思いし」
「ニコラス様うるさいですよ」
とうとうロージーにまでピシャリとやられたニコラスは、顔をしかめながらも口を閉じた。
「ちょっとミア、やめてよ」
「やめないよ。でね、アルもそれに誘われてたんだけど、嫌がってたの。そこにたまたまエイミーと一緒に通りかかっちゃったのよ」
「おまえら、都合悪いとこばっか見てん」
「ニコラス様」
「はい、すみません」
「アルったら、知識ならある、旅籠の息子舐めないでくださいよ、なんて言ってたの」
「旅籠の息子って」
だからなんだ、と言いたげなアデライダに、ミアはさらりと解説した。
「色々目撃したり聞こえちゃったりするらしいよ。そこまでならともかく、初めてだって決めつけないでください、とまで言っちゃってて」
あら、と思わず口から出たロージーとは反対に、アデライダは首を傾げる。
「それの何が問題なの?」
「あたし達はいいの。相手はずっと大人だから、そういうものだって思ってるけど、エイミーは違うんだよ。アルはずっと前からエイミーの側にいたのに、影で女の子と付き合ってたのかと思ってモヤモヤしてるみたい」
「…………解説どうもありがとう」
エイミーは憮然として呟いた。
「それはエイミーの我儘だよ。だって彼とはなんでもない、ってずっと言ってたんでしょ」
アデライダの正論に、エイミーはますます膨れっ面になる。
「分かってるよ」
ニコラスが今度は挙手をして、先に許可を求めてから発言した。
「断言してもいい。あれはただの若者の見栄だ。これまでアルにそんな暇はなかったはずだ。ライリーの証言もある」
「でもアルってなんか要領いいよね。ライリーの目なんかいくらでも誤魔化せそう」
ニコラスの出した助け舟を、アデライダが沈めた。
「エイミー。ライリー様はともかく、わたし達の目を掻い潜れるわけがないわ。大丈夫よ。アルはずっとあなたひと筋だもの」
「そこ、そんなに大事? これから他の女に目移りしなければそれでよくない?」
譲らないアデライダに、ミアが冷静に指摘する。
「アデラ、それ自分に言い聞かせてるだけでしょ」
痛いところを突かれたアデライダは、うっとうめいた。
「……だってエベラルドの奴、そこら辺歩いてるときに、たまに不審な動きをするんだよ! 多分あれ、昔の女と擦れ違うときにビクついてるんだって気づいちゃったの!」
「あー……」
その場の全員が生ぬるい顔になった。それは多分アデライダの予想が正しい。
「だからって、色々これからのエイミーにも強要しちゃ駄目だよ」
「……はい。ごめんね、エイミー」
「ううん。ていうか分かってるよ。別にそんなのどっちでもいいの。問題はアルじゃなくてあたしなの」
もう、と言って、腰を上げたミアがエイミーを抱きしめた。
「エイミーったら真面目すぎるよ。別にいいじゃない。忘れられないひとがいたって」
「そうそう。わたしなんて、何かあったら旦那さまよりもハリエット様を取るって決めてるのよ」
おっとりと笑うロージーには、ニコラスだけがそれもどうなんだ、という視線を送る。
「ザックはね、騎士団の仲間が助けを求めていたら、きっとあたしとこの子を置いて行っちゃうよ。あたしはそれでもいいと思ってる」
「多分それ、エベラルドもおんなじだよ」
「ほら。みんながみんな、相手のことだけを見て結婚してるわけじゃないよ。誰にだって他にも大切なひとがいるんだから。エイミーがそんなに罪悪感を持つ必要ないんだって。アルはぜえんぶ分かってて、それでもエイミーがいいって言ってるんだから、それでいいじゃない」
「ううう……」
それでも難しい顔をやめないエイミーの額をぱちんと弾いて、ミアは座り直した。
「頑固者め」
「ミアにだけは言われたくない……」
その場で二番目に若いエイミーに、歳上の友人達は温かい視線を送った。
眠っていた一番若い娘が目を覚まして、ミアが優しく抱き上げる。
それを機にお茶を飲んで喉を潤し、みんなで赤子をあやして菓子を摘んでいると、だらだらした空気になってきた。
「それで? 結局エイミーは、アルとはなんにもないの? ずっとこのまま別々に暮らす?」
アデライダの再度の質問に、エイミーは小声で話し始めた。
「アルがね、ライリー様のお家の管理を任されることになったんだって」
ライリーは先日騎士団を正式に辞して、家族と共に王都を後にした。これから領地で、新たに騎士団を興すのだと聞いている。
初めて領地を持ち爵位を得る仲間の助けになるため、しばらくは全国を忙しく飛び回る生活になるらしい。
「そっか。年に一回はこっちに来るから、家は残しておいたほうが便利だもんね」
「うん。……それで、アルひとりだと大変だから、あたしにも手伝って欲しいってハリエット様にもお声をかけていただいちゃって……」
「行きなよ。今日からそこに帰りなって」
間髪入れずアデライダは言った。
「長年の夢だったじゃない。ホークラム家で働くの」
現在エイミーの主人であるロージーまでそんなことを言う。
若者ふたりの行く末を案じた夫妻からの、餞別の意味もある依頼だということは、ちゃんとエイミーも分かっているのだ。
「それで? アルはなんて?」
「なんにも。でも時々、仕事帰りに父さんに引き摺られてご飯食べに来るの」
「上官の家にか……!」
ニコラスだけが同情顔になる。
「父さんは泊まってけって言うんだけど、アルは絶対逃げ出すのね」
「でしょうね」
その状況なら誰でもそうする。
「だけど帰りに家の外まで見送ったら、……なんかその、ちょっとそういうこと? してから帰ってくの……!」
「へえええええ」
俄然喰い付きが良くなった先達が、口々に好きなことを言い出す。
「なんだ。ちょっとはやることやってるんじゃない」
「もう時間の問題じゃないの。エイミーだってもう覚悟は決まってるんでしょ」
「善は急げだわ。エイミー、明日、ううん明後日もお休みしていいわよ。報告はその後でいいから」
エイミーは顔を覆って俯いた。
そうなのだ。
エイミーがひとりでぐだぐだ悩んでいる間にも、着々と包囲されていっているのだ。
婚礼前の包囲網とは違い、アル本人もエイミーの様子を見ながらじわじわと距離を詰めてきている。
別れ際にキスって何。そんな習慣、今までのふたりの間にはなかった。
今日もするのかな、なんて考えている自分に気づいた日は、なかなかアルの顔を見ることができなかった。エイミーが頑なに顔を上げようとしないから、その日のくちづけはこめかみに落とされた。しかも両側。
なんか手慣れてない? どういうこと? やっぱりあの発言、見栄なんかじゃなくて本当のことなの?
気づけばエイミーは、アルのことばかり考えている。
エイミーの中でライリーの比重がどんどん小さくなって、そのぶんをアルの存在が占めていくのだ。
騎士が歩く姿を見かけたら、アルもいるかな、と無意識のうちに目で追ってしまう。
これまでと同じ行動をしていても、別のひとの姿を求めているのだ。
王都を去る憧れの夫妻を見送るときにも、想像していたような喪失感はなかった。また来年、とアルの隣で笑顔で手を振ることができた。
我ながらなんて単純なんだろうと思う。
最近のアルは優しく接してくれて、でも凛々しくて男っぽい姿も見せてきて、エイミーが嫌がっていないことに気づいてからは、少し強引なくらいに近づいてくる。
それだけでエイミーはどきどきして、頭の中がアルでいっぱいになってしまったのだ。
自分がひどく不実な気がして、それがすごく嫌で寂しくて、抗おうとしたこともあったけど無理だった。
よくよく考えてみれば、それが正しい姿なのだ。エイミーが誠実でいなければいけないのは、幼い恋ではなく目の前にいる夫に対してだ。罪悪感を持つ必要なんてなかった。
結婚ってすごい、とエイミーは思った。
「でもアルは男らしくていいよね。今日の話に出てきた男の中で、ちゃんと自分から意思表示してくれたのってアルだけじゃない」
「確かに。エイミー羨まし〜」
「女冥利に尽きるわね!」
エイミーの気持ちを盛り上げようと三人がアルを持ち上げるが、本人は難しい顔のままだ。
「ううううう」
「馬鹿だねえ。結婚式当日にさっさと済ませとかないから、また葛藤し直さなきゃいけないんじゃない」
「だってえ」
「おまえが腹ぁ括らないと、いつまで経ってもアルの特別訓練が始められないだろうが」
「ニコラス様は口を出さないで」
おとなしいはずのミアが、厳しい声でニコラスを制止する。
「……なんでさっきからそんな当たりが厳しいんだよ」
ぶつくさ文句を言うニコラスに、ミアとロージーが顔を見合わせた。
「だってニコラス様のせいでしょう。エイミーがこんなになっちゃったの」
「そうですよ。ニコラス様がまだ子どものエイミーにひどい言葉を投げたから、この子はアルに対して素直になれなくなったんですから」
ふたりから口々に責められて、ニコラスは眉をひそめた。
なんの話だ、としばらく考えてみてから、彼はおそるおそるエイミーを見た。
「…………まさか、あれか。昔、熊とか言った」
「また言ったー! 最っ低!」
「もう出て行ってくださいよ。あなたのせいでひとりの女の子が不幸になるところだったんですからね!」
ロバート
ライリーのお兄ちゃん。面倒見がいい。
父親似。だからそのうちお腹が出てくるのを恐れている。
実はそれなりに強いが、身内と比べて、そうでもないと思い込んでいる。
シエナ
ライリーの母。見た目がいかつい中身もいかついアラフィフ女性。
分かりやすく強い女性。もう少し活躍する場面を書きたかった。
ロージー
ロバートの妻。ライリーがハリエットに秘密にしている、警備中に踊った顔見知りの令嬢。
夫より初恋の君よりむしろハリエットのことが好き。でもちゃんとロバートの妻もしている。
ミア
ザックの妻。主要な女性登場人物が誰も大人しく捕まっていてくれそうにないから、代わりに囚われのお姫様役を。




