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王国恋話  作者: 真中けい
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ミアの話

 ミアがそのひとの存在に気づいたのは十七歳のときだ。

 勤め先の仕立屋のお針子仲間は騎士の娘で、何やら非常に顔が広い。

 一緒にお使いに出されたときには、必ず誰かしらに声をかけられる。

 人見知りしてしまう性格のミアは、そんなときには黙って背の高い同僚の影に立っているのだ。

 エイミーは誰に対しても明るく応じるが、その輪の中にミアを無理矢理入れようとはしない。

 彼女は歳こそひとつ下だが、気遣いができる優しいいい子なのだ。おとなしいミアも安心して付き合っていられる。

 ミアは一応人並みに会釈だけはするが、目を伏せがちにしてそっと気配を消しているものだから、エイミーに声をかけるひとの記憶には残っていないものと思っていた。


 彼もそのうちのひとりだったはずだ。

 騎士団の中でも、特に注目を浴びている若手のふたりとよく一緒に行動しているひとだ。

 三人で並んで立つと、彼だけわずかに背が高い。その顔にはいつも微笑が刻まれていて、大人の余裕が感じられた。

 エイミーがよく熱く語っているのは、彼と仲が良いライリーという名の騎士だ。

 ライリーは三人のなかで一番若いけれど、結婚して子どももいるらしい。伯爵家の出身だとかで、なるほど、確かにどこか育ちの良さを感じさせる立ち居振る舞いで、人の良さが全面に出ていた。

 彼らが三人で連れ立って飲みに行く姿を何度か見かけたことがある。

 道中で騒ぎがあったり困っている人を見かけると、ライリーは当たり前のように手を差し伸べる。彼の兄的存在のエベラルドは、仕方ない、といった態度で人助けをするライリーに手を貸す。

 残った彼は、特に何をするでもなく、いつも面白そうにふたりの様子を眺めているのだ。

 最初のうちミアは、人助けを億劫がる冷たいひとなのだと思っていた。

 だけど、エイミーに付き合ってそんな彼らの見学をしているときに気づいてしまった。

 彼はただ仲間のお節介を突き放して見ているのではない。仲間から一歩離れ、冷静な眼で周囲を観察しているのだ。

 目の前しか見えていない歳下の仲間も、それを指導する友人のことも、何かあればすぐに気づいて助けてやれるように。それが己の立ち位置と心に決めているのだ。


 気づいたときには、ミアは街中を歩くとき、騎士を見かけたとき、無意識のうちにそのひとの姿を探すようになっていた。

 その頃はまだ、その行為に恋なんて名前は付けられなかった。

 あのひとは大人の男の人で、ミアみたいな子どもなど眼中にないだろう。

 エイミーは親しげに声をかけられているが、彼女の影に隠れるミアは、一度ちらっと視線を投げられただけだ。何も喋らない、暗い娘だと思われているに違いない。

 否、思われた、だ。その後は、エイミーの後ろにいた娘の存在なんて忘れてしまったに決まっている。

 そのはずだった。

 なのに、ある日ミアがひとりで通りを歩いていると、事件が起こった。十七年の人生最大の大事件だ。


 前方が騒がしいな、と思った。

 なんだろう、逃げるべきだろうかと迷っているうちに人混みが割れて、その波に乗れなかったミアは押されて尻餅をついてしまった。

 痛い。恥ずかしい。早く立たなきゃ。でもやっぱりお尻が痛い。

 焦るミアの身体が、ふいに宙に浮いた。小さな子どものように両脇を掬い上げられたのだ。

「! ⁉︎」

 驚いて顔を上げると、あのひとの顔が目の前にあった。

 更に焦って赤くなるミアを立たせると、仲間からザックと呼ばれているそのひとは、手に付いた泥を優しく払ってくれた。

「派手に転んだな。大丈夫か?」

「………………はい。……がとう……ます」

 蚊の鳴くような声しか出てこない。きちんとお礼を言いたいのに。

 どうしよう。変な娘だと思われてしまう。

「どうした、どっか痛めたか? お嬢さん、あの警邏隊の親爺の娘だろう。家まで送ってってやるから泣くなよ」

「……ありがとうございます」

 よかった。今度はちゃんと言えた。

 彼はミアのことを認識していたのか。そのことに驚いて、却って少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。

「よし。歩けるか? それともおぶってやろうか」

 完全に子ども扱いだ。転んだ衝撃で涙ぐんでしまったのだから、当然か。

 ミアは必死で首を横に振った。

 ザックは小さく笑って、歩幅を合わせて隣を歩いてくれた。

 夢を見ているのだろうか。ミアは思いもよらない幸運に浮き足立ってしまって、また脚をもつらせてしまった。

 彼は、ぅおっとお、と少しだけ慌てた様子で、よろけるミアを支えてくれた。

「どうした、やっぱりどこか怪我してたのか。見せてみろよ」

 痛いのはお尻だけだ。言えるわけがない。

 ミアはまたぶんぶんと首を振った。

「お嬢さん、ミアって言ったか。あのやかましいエイミーの友達にしちゃあおとなしいな」

 名前まで覚えられている。なんてことだ。嬉しいけど恥ずかしい。

 ミアはエイミーみたいに、誰とでも仲良くなるなんてことはできない。初対面も同然のひとを相手に何を話せばいいのか分からず黙っているから、つまらない子だと思われてしまうのだ。

「………………」

 気にしていることを指摘されて、ますますどうしていいか分からなくなってしまった。

 押し黙るミアを少し困ったように見て、ザックはそれ以降彼女に話しかけることはせず、ふたり共無言のまま家についてしまった。


「送ってくださり、ありがとうございました」

 ミアは家の前で深々と頭を下げた。

 ザックは安心したように表情を緩めた。

「おう。配慮が足りなくて悪かったな。知らん男に家まで送るって言われて怖かったろ。親父さん、今家にいるなら訊いて来いよ。怪しい奴じゃないって保証してくれるから」

 怖がっていると思われていた。なんて失礼をしてしまったのか。

 ザックの優しい勘違いに慌てて、ミアはまた勢いよく頭を下げた。

「とんでもないです! ごめんなさい、ザック様のことは存じています。エイミーの知り合いの、立派な騎士様を疑ったりなんてしません!」

「ああ。いい、いい。小さいうちは疑いすぎるくらいでちょうどいいんだよ。賢い証拠だ」

 彼はミアの頭をぽんぽんと叩いて笑った。

 これはもしかして、本当に小さな子どもだと思われているのだろうか。

「……あの。あたしそんなに小さくないです。エイミーよりひとつ歳上、十七歳です」

 おそるおそる言ってみたミアから、ザックはビクッとして手を引っ込めた。

「…………申し訳ない。あの嬢ちゃんと並ばれると、どうも感覚が狂っちまう」

 気持ちは分からないでもないが、ミアはそんなに小柄でも童顔でもない。歳相応の外見をしているつもりでいたから、少し傷つく。

 彼はミアのことを、エイミーに附属するものとしてしか認識していなかったから、エイミーを基準にミアを判断していたのだ。

 ミアが口を開く前に、玄関の扉が内側から開かれた。

「ミアか?」

 父だった。

「あ、お父さん。今この方が」

「ザックてめえ! ひとの娘に何しやがった!」

「⁉︎」

 転んだ際に服を汚してしまったミアを見て、激昂した父がザックに詰め寄った。

「何もしてねえよ! ここまで送ってやっただけだ!」

「二度と娘に近づくんじゃねえ!」

「うるせえよ。そんな大事な娘ならしっかり見ててやれよな、クソ親父が」

 怒鳴る父にそう吐き捨てて、ザックはすぐに去って行った。

「……うそ」

 終わってしまった。もう彼はミアに話しかけてくれなくなる。

「どうした、ミア。奴に」

「お父さんの馬鹿あ」


 ザックは大人だ。

 二十八歳。十一も違うのだから、ミアのことは眼中にない。

「ミア、本気? あのひとはあんまりお勧めできないよ」

 心配したエイミーが控えめな言い方で反対してくる。

 その手は止まることなく、正確に動き続けている。

「そうだよ。やめときなって」

 他のお針子仲間も同調する。

「あたしこないだ、ザック様が娼館から出てくるとこ見た」

「ほら! そういうひとなんだよ」

 ミアは頬を膨らませて、憧れのひとを否定する言葉を聞いていた。

「…………別に独身なんだからそのくらい普通でしょ。大人の男の人だもん」

「この子変なとこでスレてる!」

「……もうみんな放っといてよ。どうせどうにもならないんだから」

 泣き腫らした目をまた潤ませるミアの肩を、エイミーがそっと抱きしめた。

「もう。商品に涙を落としたら怒られちゃうよ。今日はそこに座って一日泣いてなよ」

「……それで諦めろって?」

「違うよ。目の腫れが治まったら、騎士団の鍛錬場についてってあげる。ザック様にお詫びとお礼に来たって言えば不自然じゃないでしょ」

「…………エイミー……」

「ほら、もう仕事にならないじゃん。座ってなって」


 やっぱりエイミーは優しい。彼女のようになれたなら、ザックもミアのことを見てくれるようになるだろうか。

 背が高い彼と並ぶとミアは子どもに見えてしまうが、長身のエイミーとならちょうどいい身長差だ。

 エイミーはいいな。

 背が高くて、明るくて。誰とでもすぐに仲良くなれる。

 彼女にも憧れるひとはいるけれど、そのひとには妻子があって、そのなかに割り込む気はないのだと笑っている。強い子だと思う。

 そんなエイミーだから、当然想いを寄せてくる男の人は何人もいる。

 その筆頭がアルという少年で、少し小柄なことを気にしてエイミー本人には何も言えずにいる。だけど周囲にはバレバレで、まあなんというか可愛らしいふたりなのだ。

 エイミーも、否定はしているが憎からず想っている様子だ。

 ミアには過去にも、いいな、と想うひとがいたが、何もできず何もしてもらえず、その気持ちは少しずつ無かったことになっていった。

 今回もそうなるのだと諦めていたが、エイミーが背中を押してくれるという。

 ミアは母に手伝ってもらって、甘い焼き菓子を作ることにした。

 香辛料をいつもより多めに使って男の人にも食べやすく、だけど可愛らしいお菓子がいい。

 謝るなら俺が行く、あいつには酒のほうがいい。と言う父には、絶対来ないでときつく言っておいた。

 当日は友達の意見を聞き入れて、流行の垂らし髪にして行った。

 風で乱れないように、と一部の髪を編んでくれたエイミーが、今日行って駄目そうなら諦めなよ、と釘を刺してきた。

 分かってるよ、とミアは返した。


 ミアは全然分かってなかった。

 訪ねて行くとザックは驚いて、だけどお礼を言って焼き菓子を受け取ってくれた。

 親父さんが心配するからもう来るなよ、とも言われた。

 もう転ぶんじゃないぞ、と最後に見せてくれた笑顔が、また来よう、とミアに決心させた。

 彼を見に行く口実を作るのは簡単なことだ。

 エイミーが副会長を務める、騎士団を見守る会の会員になればいいのだ。

 それまでは勧誘されても曖昧に断っていたミアだったが、決心してすぐ、エイミーに入会したいと申し込んだ。

 彼女は苦笑いで受け入れ、積極的にではなくてもミアの恋を応援してくれた。

 今はまだ駄目だ。十七歳なんて子どもにしか見えないみたいだから、あと二年と少し、二十歳になったら告白するのだ。

 それまでは、遠くから見ているしかない。

 そういう計画だったけど、その考えは甘かった。

 ザックは大人なのだ。他の女の人と一緒にいる姿を、それから何度も見かけることになる。

 そのひととはどういう関係なのだと詰め寄る権利はミアにはないから、黙ってそれを見送るより他なかった。

 そうこうしているうちにザックが隊長を務める中隊が地方の砦に駐屯する順番が回ってきて、遠目に見ることもできなくなった。

 己の甘さを痛感したミアだが、時間は彼女の味方をしてくれるはずだ。離れている間に大人になったと、彼を驚かせればいいのだ。

 ミアは数ヶ月計画を早めて、帰ってきたザックに突撃した。

 その頃には度胸も付いていて、彼に認識されていないんじゃないか、なんて心配もしなくなっていた。

 だってザックはミアの姿を見ると、必ず優しく微笑んで名前を呼んでくれる。

 次の段階に進む準備は出来たはずだ。

「ザック様好きです結婚してください!」

 振り絞った勇気が消える前に一気に言ってしまわねばと焦る余りに、段階を幾つかすっ飛ばしてしまった。

「……はあ?」

 鍛錬場帰りのザックは、どう贔屓目に見てもよれよれだった。

 くたびれた三十男に真っ直ぐ突っ込んで来た少女に、本人も周りの騎士もぽかんとしている。

 ふたりきりのときに言いたいのはやまやまだが、そんな機会を作ることができないのだから仕方ない。

「お嬢さん、人違いじゃないか?」

 固まってしまったザックの代わりに、隣にいた騎士がミアを諭す。

「……おいザックおまえ、こんな若い娘孕ましたのか」

「なんの話だよ。こええこと言うな」

 疑いの眼を向けられたザックが顔を引き攣らせる。

「人違いじゃないです。ザック様に言ってます」

「…………えぇっと、ミア? とりあえず今日は帰れ。また用があるときには親父さんと一緒においで。な?」


 あしらわれてしまった。

 だけど今更めげるわけにはいかない。

 ミアは強くなったのだ。

 エイミーと一緒にいて、彼女を見習って少しずつ少しずつ、強くなることを覚えてきた。

 それからまた何度も通ううちに、周囲もミアの本気を知って、彼女の顔を見ただけでザックの居場所を教えてくれるようになった。

 ザックの背中をどやしつけてくれるひともいた。

 つまり結果は、ミアの粘り勝ちだ。

 ミアが最初予定していた二十歳の誕生日がくる前に、ザックは降参した。


 その日はいつものように及び腰になることなく、彼は真っ直ぐにミアを見た。

 そしてそのまま、ちょっとこっち来い、と眼で促すから、黙ってついて行った。ひと気のない場所だったけれど、特に危機感は覚えなかった。

 ザックはそこで、家まで送ってくれたとき以来初めて、ミアに触れたのだ。

 彼は慎重な手付きでミアの右手を持ち上げて、手の甲と顔とをしげしげと眺めた。

 そして感触を、というより年齢差をだろうか、確かめるようにそっと、親指の腹で彼女の指の関節をなぞった。

 何度も突撃してきたくせに、それだけのことで恥ずかしくなって真っ赤になってしまうミアを見て、ザックは苦いというより苦しそうな顔で笑った。

「わっけえな。今十八? 十九にはなったのか」

「も、もうすぐ二十歳になります」

 十九かあ、と口の中で独りごちて、ザックは常にない真顔でミアに向き合った。

「ミアはこんなヘラヘラした奴にこうして触られて嫌じゃないのか」

「ザック様は素敵だし、全然嫌じゃないです」

「変わった奴だな」

 ザックはいつもどおりの笑顔に戻った。

「変わってないです。普通です」

「俺はもう三十一だぞ。十代の娘相手に何もできないからな。二十歳の誕生日がきたら、親父さんに殴られに行ってやるよ」

 その台詞は冗談でも自虐でもただの決まり文句でもなく、ザックは怒り狂うミアの父の拳を甘んじて受け止めたのだった。

ウィルフレッド

ハリエットの弟。シリーズタイトルのせいか、予定より出番が少なくなってしまった。

ライリーのことが結構好き。僕とも遊んで、とわりと本気で言っている。

多分近いうちにハリエットに半強制的に結婚させられる。


ジュード

顔がいい。ハリエットの父の隠し子の噂もあるけど、真相は闇の中。

小さい頃から好きだったアンナが夫婦だと認めて喜んだが、ビリーが生まれてからはあまり逢えていない。だいぶ拗ねている。

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