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王国恋話  作者: 真中けい
3/7

ロージーの話

 本当は憂鬱で、でも少しばかり期待もあった、だけどやっぱり大人の仲間入りをする日は、人見知りと場所見知り、気後れと緊張で倒れそうだった。

 なんとか逃げ出さずにいられたのは、幼い頃の初恋との再会に心躍らせる自分もいたからだ。

 ひとつ歳上の幼馴染と最後に会ったのは、彼が十二歳のときだ。その翌年、彼は騎士になるため旅立ったのだと、彼の家族から聞かされた。

 彼は、大人になって凛々しい騎士になっていた。

 会場の隅に立つ長身はロージーの見覚えのないものだったが、彼女に気づくと、昔のままの笑顔を見せて親しく名を呼んでくれた。

 初めての夜会、ロージーの初めてのダンスの相手は彼が務めてくれた。

 夢のようなひとときだった。

(大人になるのもなかなか悪くないわ)

 舞踏会なんて楽勝じゃないの。そう思った。

 彼は一曲だけ踊ると、すぐに仕事に戻ってしまった。

 名残惜しかったが、身内でも恋人でもない彼に我儘を言うほど、ロージーは自分に自信がない。

 彼が背を向けたときにやっと、付き添ってくれていた兄の存在を忘れてしまっていたことに気づいた。

 慌てて辺りを見回すと、実兄とは別に、もうひとり兄と呼んでいた男性の姿が目に飛び込んできた。

 初恋の君の兄だ。その隣にいるのは、目の醒めるような美女である。

 へえ、とロージーは思った。

 ロバート兄さま、なかなかやるじゃない。

 初恋の君はロージーのひとつ上、ロバートは更にその三つ上だから、今年で二十一歳になるはずだ。

 隣の美しい貴婦人は、それよりもいくつか上だろうか。

 華やかな美貌に均整の取れた長身、ロージーが着たら下品になるに違いない、彼女にしか着こなすことができないであろう派手なドレス。同性でも見惚れてしまう上半身から腰までを描く蠱惑的な曲線は、絵描きが誇張して描いた絵画の中にしか存在し得ないはずだった。

 ロージーはうっとりとその美しいひとに見惚れていた。

 もし。

 もしもロバートがあの美しい貴婦人と結婚して、ロージーがライリーと結婚することになったなら。

 あの方を、おねえさまとお呼びすることができるのかしら。


 翌年、美しいひとは弟のほうの妻になっていた。

 なんということだと思った。これではロージーの妄想は実現しない。

 とはいえだ。これはこれで悪くない。というか、とっても素敵。

 いつになく凛々しく見える幼馴染の隣で、美しい貴婦人は最高に輝いて見えた。畏れ多くも、可愛らしいとすら思ってしまった。

 あの方は、自分の夫に恋をしているのだろうか。

 きっとそうだ。だから彼女は、あんなにきらきらして見えるのだ。


 あれが恋だというならば、これはやっぱり恋とは違うものなのだろう。

 ロージーはまったく色めいたものを感じない幼馴染の視線を受け流した。

 新しくできた友人との趣味活動のため、あれからロージーは何度もロバートを訪ねている。

 彼は面倒臭そうにしながらも毎回律儀にロージーの相手をして、適当なところで追い返すのが日課になっていった。

 外出先でもロージーは、ロバートを見つけると笑顔で駆け寄った。

 ロバートはそんな彼女に幼い頃と変わらぬ扱いで、そこで走るな、また転ぶぞ、と慌てて手を貸してくれるのだ。

 周囲の人々は、そんなふたりを初々しい恋人同士として微笑ましく見ていた。

 ロバートはロージーのことを、恋の相手どころか大人の女性とすら思っていないのにだ。

 危なっかしい子どもを見兼ねて手を貸しているだけのつもりだったロバートは、周囲の視線に気づかなかった。

 迂闊が過ぎる。

 父に倣って目立たず地味に、を合言葉に社交の場をやり過ごしているティンバートンの継嗣殿には珍しい失態であった。

 彼がハッとしたときには、完全に外堀が埋められてしまっていた。

 ロージーの父ブライス伯爵は、いつロバートが正式に婚約の申し入れをしてくるかとわくわくしていた。良き隣人であるふたつの伯爵家の間で、当人の頭越しに婚礼の準備も進んでしまっていた。

 ロージーはその動きに気づいてはいたが、さほど気にはしていなかった。

 何故って、ロバートがロージーに向ける視線は、ライリーがハリエットに向けるものとは全然違うからだ。ロージーだって、ハリエットのようにきらきらして見えるとは、到底思えない。

 だから事実無根の噂など、そのうち消えてなくなることだろう。


 そう思っていたのに。

 ある日ロージーは、珍しくロバートのほうから呼び出された。

 とうとう承諾してくださる気になったのかしら、とエイミーと話しながらティンバートンの邸宅を訪ねた。

 せっかく招待に応じて出向いたというのに、ロバートの様子がおかしい。

 彼は、いつもならお茶を出した後部屋の隅で控える侍女に、退室を促した。あろうことか彼は、侍女にエイミーも奥に連れて行くよう命じたのだ。

「……ロバート様?」

 ふたりきりになってしまった。

 今から何が起こるのだとロージーは内心怯えていた。

 まさかしつこくし過ぎて、温厚なロバートも堪忍袋の尾が切れたとか、そういうお説教が始まるのだろうか。

 ロバートは斜めになって肘掛けに体重を預け、片手で顔を覆って何度目か分からない溜め息をついた。

 これは、やっぱり怒っているのだろうか。

 ロージーは首をすくめて、彼が口を開くのを待った。

 仕方がない。謝ろう。彼の顧問就任は諦めるしかない。

 ややあってロバートは、手をずらして顔の上半分を出し、ロージーを見た。

 眉間に深い皺が刻まれている。怒っているのだ。

「………………結婚する?」

「ごめんなさ…………っえっ?」

 ロージーは口をぽかんとしてしまった。

 しまった。また淑女らしくないと叱られる。

(じゃなくて)

 今はそれどころじゃない。ロバートは今なんと言った?

「誰が?」

「君が」

「誰と?」

「僕と」

「なんで?」

「そんなのこっちが訊きたいくらいだ」

「………………」

 固まってしまったロージーを前に、ロバートは言葉を重ねた。

「君ももう子どもじゃないんだ。自分の言動が周囲にどう思われるか考えて動きなさい。……でも今回のことは、歳上の僕がもっと気をつけるべきだったね。君には申し訳ないことをしたと思ってる。だから……まあ、そういうことだ」

「…………いったん、持ち帰らせてください」

「急に大人みたいなことを言うじゃないか。いいけど、あまり時間はあげられないよ。こういうことは時機を間違えると醜聞になりかねない。来週には君のお父上に許可をいただきに伺うから、そのつもりで」

 ロージーはその後は、何も言わずにティンバートン家を後にした。

 心配そうに主人を見るエイミーに、ロージーを頼むよ、とロバートが優しく声をかけた。


「……ってひどすぎますよね!」

「そ、そうかも?」

「そうですねえ」

 ロージーは自宅には帰らなかった。

 向かった先は王宮内にある長屋である。つまり侍女見習いのエイミーの自宅だ。

 ブライス伯爵邸に帰ってしまえば、近いうちにロバートが来てしまうからだ。

 伯爵令嬢の訪問に慌てたスミス夫妻が隣家に助けを求め、ライリーとハリエットが迎えにやって来た。

 ロージーは憧れの貴婦人を間近にしてしばらくぽーっとなっていたが、説明を促され話しているうちに、だんだん腹が立ってきた。

「そんなに嫌なら、求婚なんてなさらなければいいのに! わたしは顧問になって欲しいと頼んでいただけで、結婚してくれなんてひと言も言っていません!」

「う……うーん」

「そうですよねえ」

 女性の話にはまずは共感を、の基本がなっていないライリーの代わりに、ハリエットが眉根を寄せて同意してくれる。

 難しい顔をしても美しいなんて、この方はどれだけ素敵なのだろう。

「……あの、ごめんなさい。見ず知らずのわたしのこんな話を」

「まあ、見ず知らずなんて。ご挨拶の機会がなかっただけで、ロージー様のことは存じておりましたよ。昨年ブライス伯爵の可愛らしいご令嬢が成人なされたとお聞きして、お友達になれたらと思っておりましたの。お会いできて光栄です」

「とととととんでもない! わた、わたしこそあのその」

 憧れのひとにかけられた言葉に、ロージーは焦って赤面してしまった。

「よし、落ち着けロージー。とりあえずこれ飲んで」

 ロージーは出されてから時間が経ったお茶を一気に飲み干して、ふうーと息を吐いた。

 ライリーは大まかな事情を聞くと、頭を抱えながらブライス伯爵に手紙を書いた。ロージーを明日まで預かる、といった内容のものだ。

 ロージーの父は昔からライリーを可愛がっていた。彼が近衛騎士になって落ち着いた頃に、娘を嫁がせようと画策していた気配もある。

 その企みは実現しなかったが、伯爵がライリーを信用する気持ちに変わりはないし、ハリエットが最後に署名を書き加えてくれたこともあり、一日くらい帰らなくても叱られはしないだろう。

 エイミーとアルがふたりで届けに行った手紙は、そろそろ父の手に渡る頃だろうか。

「ロージー様は、ロバート様のおっしゃりように引っ掛かってらっしゃるのですよね?」

 ハリエットが優しく訊ねる。

「そう、そうです。だってあんな求婚あります? こーんな顰めっ面で、……結婚する? って!」

「一生に一度のことですのにねえ」

「そうですよ。あれが最初で最後かと思うと情けなくって、悲しくなってしまって……!」

 泣き出したロージーの手に、ハリエットが手巾を握らせる。

「ロージー様がおっしゃるのも無理はありません」

 力強く肯定する声に、ロージーは縋りついた。

「ハリエット様……!」

「どうなさいます? ロバート様のお申し出はお断りなさいますか? それとも、仕切り直しが及第点に達したらお受けになりますか?」

「仕切り直し?」

「ええ。ロージー様はロバート様との結婚が嫌とは一度もおっしゃっていませんから。それなら、問題は求婚の仕方だけかしらと思いまして」

 虚をつかれたロージーは、涙を止めてしまった。

「…………考えたことなかったです。でも、嫌……ではないと思います」

「ロバート様のことがお好きですか?」

「え、ええ。実の兄よりも優しいお兄さまです」

「分かります。わたしも、ロバート様のような優しいお義兄さまができて幸せですもの」

「……ハリエット様のお義兄さま?」

「ロージー、頭動いてるか? ハリエットは俺と結婚したんだから、俺の兄は彼女の義兄だ」

「…………い、いったん持ち帰らせてください」

「何をだ」

「前向きに検討させていただきたいと思います……!」

「急にどこの政治家になった」


 翌日、弟夫婦からの連絡を受けたロバートが、苦虫を噛み潰したような顔でロージーを連れ戻しに来た。

 その手には大きな薔薇の花束を持っていた。

 それを見てギョッとしたライリーは、きっと覚えていないのだろう。

 わたしの名前はね、薔薇ローズのような女の子になりますように、ってお母さまが付けてくださったの。だから大人になったら、素敵な男の人が、薔薇の花束を持って求婚しに来てくださるんですって。

 四歳下の幼馴染の相手を辛抱強くしてくれていたロバートは、覚えていてくれたのだ。

 泣き出したロージーを見て、ライリーとハリエットはそっと席を外した。

「僕が悪かったよ。あれは確かにひどかった」

「はい。ひどかったです」

「僕は弟のように、結婚してからごちゃごちゃやるのはごめんだ。その点君が相手なら、気心が知れてるからそういう心配はいらない。だからまあ、僕と結婚してくれませんか?」

「………………」

「不満気な顔をするな。好きだよ、なんて言うだけなら簡単だが、君はそれになんて答えるつもりだ。わたしも、なんて言えないだろう」

「確かに……!」

 ロージーは鋭い指摘に愕然としてしまった。

 言ってもらえないのは不服だが、言われたら言われたで返しに困る。

「正直者め。そんなことで、これからまともな男を捕まえられると思うなよ」

「ロバート様、意外と俺様ですか」

「なんだそれは」

「お友達から聞きました。そういう上から目線な男性のことを俺様と言うそうです」

「そういう訳の分からん話にもたまになら付き合うから。昔約束しただろう。おまえにそんな相手が現れるかよ、と言われて泣く君に、そのときは僕が花束をあげるから大丈夫だよ、って。多分絶対、この先君の前にそういう男が現れることはないから、約束を果たしに来たんだよ」

 これが仕切り直し?

 訊ねたくても、ロージーよりも薔薇のような貴婦人は、席を外してしまっている。

 薔薇になれなかったロージーには、このくらいの求婚がお似合いということか。

「……それでその花束を?」

「ああ。この薄紅色、君は怒ったり泣いたりすると頬がこんな色になるだろう。ぴったりだと思ってね」

 何それ。

 自分の知らない自分の話に、ロージーはたじろいでしまった。

 褒められてはいない気がする。だけど容姿を薔薇に喩えられたのは初めてだ。

「ほらまた。うん、やっぱり同じ色だ」

 歳上の幼馴染は余裕の表情だ。

 昔からずっとそうだ。

 彼はあたふたするロージーをいつも少し迷惑そうに、だけど決して見捨てることなく、最後まで一緒に遊んでくれた。

 いつも余裕なのは、手の掛かる弟がいるから、僕が余力を残しとかないと困ることになるからだよ、なんて言っていたっけ。

 今ロバートの余力は、ロージーのために残してあるのだろうか。

 これからは、手の掛かる婚約者が突拍子のないことをしても対処できるように、余裕を残しておいてくれるということか。

「…………ぎりぎり及第点として差し上げます」

「また訳の分からんことを。ほら、送ってあげるから。もう帰るよ」

「……はい」

「この家で身内面をしたいなら、僕の申し出に大人しく頷いておきなさい」

「うっ……心が揺らぎます」

 餌をぶら下げられて悩むロージーに、ロバートは優しく微笑んだ。

「それはよかった」


 ロージーも貴族の娘の端くれだ。

 結婚に対して憧れる気持ちはあっても、そこまでの希望は持っていなかった。

 だからロバートとの結婚は寝耳に水ではあったけれど、抵抗感は少ない。見知らぬ人、見知らぬ土地に嫁ぐことを思えば、むしろこの上ない良縁であるとすら感じた。

 それにだ。

 ロバートの言ったとおり、彼と結婚すれば、畏れ多くも、あの美しい貴婦人と身内になれてしまうのだ!


 ティンバートンの継嗣の婚礼は、慣例通り領地内の教会で行われた。

 厳かな空気を壊すことなく、ロージーはずっと神妙な面持ちで式に臨んだ。

 花婿はそんな花嫁を常に気遣い、時折励ます言葉を囁いた。

 次男の婚礼とは違い、披露目も盛大に行われた。

 そこには、次男の産後間もない妻も参列していた。

 ロージーの花嫁然とした態度は、彼女に声をかけられるまでの儚い姿となった。

「お綺麗ですわ、ロージー様。薄紅の薔薇色がとってもお似合いで素敵です」

 ハリエットの手を握りしめて、ロージーは感極まった。

「今日からは、お義姉さまとお呼びしてもよろしいですか……!」

 そんな花嫁を後ろから捕まえて、花婿が突っ込んだ。

「しっかりしろ。義姉は君のほうだ」

「そんなおこがましいこと……!」

「また訳の分からんことを。ハリエット様、申し訳ない」

「いいえ。またお話ししましょうね、お義姉さま」

「ロージー! そこで倒れるな!」

サイラス

大きい。二メートルは軽く超えていると思われる。

子ども好き。というか小さい子を見ると、ちゃんと食べているか心配になる。

残念ながら彼の初恋は実らない。


アンナ

襲撃に遭っている最中、サイラスが自分で腕を切り落としたときに悲鳴を上げたのはみなには秘密。

ハリエットの父が亡くなって落ち込んでいるときのどさくさで、ジュードに結婚に持ち込まれている。彼女達は今後もたまに会う程度のまま暮らしていくと思われる。


アル

ずっとチビチビ言われているけど、実はそうでもない。成人男性の平均身長にわずかに足りない程度。騎士団にいるから小さく見えるだけ。

有能だから大隊長の間で取り合いになったけど、チビはニコラス隊、の慣習から配属先が決定。


エイミー

結婚式当日、アルより背が高くなっている気がしたけど気づかない振りをした、というエピソードがお蔵入りに。

ふたりの身長差は誤差の範囲内。

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