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王国恋話  作者: 真中けい
2/7

女子会

 エイミーは長い間恋をしていた相手の大きな背中が見えなくなるまで、その場に立ったままでいた。

 完全にライリーの姿が消えてしまう直前、小さな声でさようなら、と呟いて、元の場所に座り直した。

 エイミーは婚約者が姿を現しても、驚いたり慌てたりはしなかった。

「あきれてる?」

 視線のひとつも寄越さず問うてくるエイミーに、アルは肩をすくめてしゃがみこんだ。ふたりの距離は、結婚前夜の男女らしくないものだった。

 手を伸ばしても触れることができないくらい遠い。

「まあね。でも今更だ」

 アルから嫉妬の気配は感じられなかった。


 そういうとこだよ、とエイミーは思う。

 アルの気持ちが分からない。

 ライリーにはああ言ったけど、エイミーはアルのことが好きだ。それは間違いないと思う。

 いつからかは自分でも分からないけれど、彼は気づけばいつも近くにいて、そこにいるのが当たり前のようになっていた。

 アルの隣にいてもいいのは、自分だけ。自分以外の誰にもこの場所に立つことを許さないで欲しい。

 この子どもっぽい独占欲みたいなものが、好きということなんだろうと思う。

 ライリーに対しては、こんな気持ちを持つことはなかった。だって彼の隣には最初から、素敵なひとが立っていたから。

 だから余計に分からなくなるのだ。

 エイミーはずっと、ライリーに恋をしていた。それは、アルに対して持つ感情とは違うものだった。


 アルのことが好きだ。

 だけど、それは恋なのかと自分に問いかけても、答えは返ってこない。


「あんた本当にあたしのこと好きなの?」

 アルは横目でエイミーを見て、困った顔で首を傾げた。

「分かんない」

「……そこから見てたの」

 ライリーに言った台詞を真似されて、さすがのエイミーも気まずい顔になった。

「だって僕、きっとライリー様みたいにはなれないよ」

 ただひたすらひとりの女性だけ見つめて、そのひとの名誉のために武官の最高峰にまで昇り詰めるような、そんな男になるのは、アルには無理だ。

「分かってるわよ。なろうと思ってなれるものじゃないし、あたしだってハリエット様にはなれないもん」

「別になる必要はないよ」

「あたしはなりたい」

 アルはよっこらしょ、とわざとらしい掛け声と共に立ち上がって、エイミーの目の前にしゃがみこんだ。

「ライリー様は根っからの騎士だから、庇護欲が強いんだ。だからハリエット様みたいな、いかにもかよわい外見の女性に弱い」

「あんた元主人夫婦のことをよくそんなふうに言えるわね」

「黙って聴けよ。僕は叙任式を受けるかどうか、最後までぐずぐず悩むような半端者だ。だからかよわい女性より、君みたいな強いひとのほうが合ってると思うんだ」

 まあハリエット様がかよわいのは見た目だけだけど、と脱線してしまう小さな呟きはアルの口の中で消えた。


「かよわくなくて悪かったわね」

 憮然とするエイミーに、アルはいつものように面倒臭そうな顔になった。

「悪くないって言ってるだろ。大体君はどれだけ自分が逞しいつもりでいるのか知らないけど、ほら、腕は僕のほうが太い」

 袖を捲って突き出された腕は、確かに子どもの頃とは違う逞しいものだった。昔はつるんとしていたのに、エイミーにはないごつごつした筋肉の隆起が目につく。

 エイミーが同じように腕を並べてみなくても、その違いは明らかだった。

「脚はあたしのほうが太いもん」

「そんなの、見せてくれたことないんだから知らないよ」

「……あ、当たり前でしょ」

 ふたりはまだ婚約しているだけだ。

 上官であるウォーレンの目を気にしてなのか、アルは結婚の約束をしてからも、必要以上にエイミーに触れてくることはなかった。


「今頑張って口説いてるつもりなんだけど、もしかして通じてない?」

「下手くそ。全然気づかなかったわよ」

「自分の鈍さを棚に上げてよく言えるな」

 いつも通りやり合ってお終いになるかとエイミーは思ったが、今日のアルはそこで終わらなかった。

 彼は座ったまま距離を詰めてきて、自分よりも小さな両手を掴んだ。

 捕まった、と思ってしまうくらい強い力だったが、振り解けないほどではない。エイミーは覚悟を決めた顔でその手を握り返した。


 アルが唇をつけたのは、持ち上げたエイミーの手の、指の付け根だった。

 ハリエットのような貴婦人であれば、こんなのはただの挨拶だ。

 だけどエイミーは唇にキスされたときよりも猛烈に恥ずかしくなって、顔を真っ赤にした。

 彼女の動揺振りに満足すると、アルはなんの余韻も残さず、じゃあまた明日、と手を振って帰って行った。

「じゃあまた明日、って」

 なんでもないことのように言うが、その明日、はふたりの結婚式だ。




 白亜の木造二階建造物は、新しい王妃のお気に入りの場所だ。

 小さくて落ち着く、らしい。

 エイミーも本宮に呼び出されるのは勘弁願いたいところだから、アデライダとの交流は専ら離宮でなされるのが常だった。

 普段はアデライダ、対外的に王妃の友人とされ実際に仲良くなりつつある伯爵夫人ロージー、その侍女のエイミー、の三人が集まる。そこにミアだったり、時に彼女達の友人だったりが加わったりもする。

 親しみやすい王妃様、と市井の娘も気軽に来ることがあるし、ロージーが厳選して紹介する、政敵になりにくい立場の貴族令嬢や夫人も訪れた。

 つまりは女性客ばかりだ。


 離宮の主は金茶の瞳を丸くして、珍しい男性客を眺めた。

 普段は女子会から距離を取っている近衛騎士も、許可を得て室内まで入って来た。職務熱心なため、というより、すっかり顔馴染みになってしまった大隊長に頼まれたせいだ。


 ニコラスは居心地悪そうに椅子の上で身動ぎした。

「で? 相談ってなんですか?」

 エイミーは長椅子のアデライダの隣に座り、踏ん反り返ってニコラスを見た。

 彼は珍しく真面目な表情で姿勢を正し、改めてエイミーに向き直った。

「結婚を申し込みたいんだ」

 エイミーははあ? と言って身を引いた。

「あたし結婚してますけど」

「式挙げただけだろ。アルの奴可哀想……ってちげえよ。誰がでかい小娘なんざ」

「お帰りはあちらでーす。ご案内しまーす」

 エイミーは素早く立ち上がると、笑顔でニコラスを促した。


 ふたりは実にくだらない理由から、長年反目し合っている。

 事の発端は、今から七、八年前、エイミーがまだ子どもの頃の話だ。

 当時ニコラスは三十歳になるかどうかといった歳だっただろうか。

 小さいことでも大事件のように受け取ってしまう歳頃の少女に向かって、彼はこんな台詞を吐いたのだ。

 なんだ、ひとりだけでっかい娘がいるな。そのうち団長みたいな熊になるんじゃねえか?

 エイミーはその頃急激に背が伸びて、母を見下ろすようになっていた。まだまだ成長は止まりそうになくて、その体格は憧れの貴婦人のような華奢さは望むべくもない。

 それが嫌で嫌で、一番気にしていた時期だ。それを言うに事欠いて、熊などと。

 大人のくせに、騎士のくせに、子どもの自分と同じ高さの目線でそんなことを言われて傷ついたのだ。

 エイミーはうっかり人前にも関わらず涙ぐんでしまった。

 そのときは近くにいたニコラスの配下が上官の頭をぶん殴り、引き摺って去って行った。このひとは僻んでるだけだからな! チビの言うことなんか気にするな! いっぱい喰ってでっかくなれよ! と言ってくれたのだった。

 ニコラスはその後、報告を受けたウォーレンによってしごき倒されたらしい。ざまあみろだ。

 それからエイミーはニコラスのことをわざとらしく上から目線でこき下ろしてやっているし、彼も大人げなく応戦してくる。


 犬猿の仲であるエイミーになんの用かは知らないが、態度を改めないなら話を聞いてやる義理はない。

「待った! 悪かった! 違うんだ。だから、あの……デ、デイビスの弱点とか知らないか?」

「はあ?」

 要領を得ないニコラスに、エイミーは遠慮なく嫌な顔をしてやるが、それまで黙って聴いていたロージーがぽんと手を叩いた。

「まああ。ニコラス様がそのお歳まで独身でいらしたのは、デイビス様をお好きだからだったんですね!」

 控えめにアデライダの側に立っていた近衛の喉の奥がぐご、と妙な音を立てた。

「なんでそうなる!」

「だって結婚を申し込みたいというお話なのでしょう?」

 思わず吼えたニコラスに、ロージーがおっとりと小首を傾げてみせる。

「……失礼、伯爵夫人。そうじゃなくて、だから、…………に」

 尻すぼみになっていくニコラスに、エイミーは耳を近づけた。

 聞こえなくても、彼の出す名が誰のものか、すでに察しはついていた。

「え? なに? ニコラス様ったら、お声もちっちゃいんですから」

「うるせえ大娘! クロエだよ! クロエにどうやって求婚したらいいか、相談に乗ってくれって言ってんだ!」

 ニコラスが卓を叩いて立ち上がった。


 そこにアデライダが冷たい声を投げかける。

「うるさいのはあんただよ。大声を出すなら今すぐ出て行って」

 ニコラスはすっと冷静になると、座り直して頭を下げた。

「悪かった……申し訳ありません、妃殿下。気をつけます」

 毎日のようにエベラルドに怒鳴られているアデライダだが、他の男、特に騎士の振る舞いには厳しい視線を向ける。

 自分より大きく強い男に乱暴な振る舞いをされたら、誰だって怖い。

 エイミーは騎士団はそういうところだと承知しているし、彼らが実際に腕に物を言わせてくることはないと知っている。

 だがアデライダにはおそろしいのだ。

 多分それは、幼い頃に体験した騎士による襲撃の記憶のカケラのせいなのだろう。

「次にやったら、このひと追い出しちゃってよ。できそう?」

 アデライダに、あなたは大隊長に勝てるかと問われて、近衛は涼しい顔で請け負った。

「お任せください」

「大丈夫だ。もうやらない。きちんと騎士として振る舞う」

「騎士とか関係ないよ。強い子は弱い子に優しくしてあげるの。うちの子でもそのくらい知ってる」

「承知した」

 真面目な顔で頷くニコラスに、エイミーは自分も悪巫山戯が過ぎたかと、こほんとひとつ咳払いをした。

「ニコラス様は、クロエさんとお付き合いされてたんですか? あたし達の情報網もまだまだなようですね、ロージー様」

「そうねえ。意外だったわ。クロエさんはご主人を亡くされてだいぶ経つのですから、おめでたいことですけど」

「よくデイビス様の目を欺けられてますね。ボニーとは仲良くやれそうなんですか?」

 ニコラスはエイミーとロージーに畳み掛けられて、小さな身体を更に小さくした。

「……ま、まだなんだ」

「何が」

「クロエとはまだなんともなってない」


 女三人で顔を見合わせたところに、外の近衛騎士が来客を告げ、赤子を抱いたミアが現れた。

「遅くなってごめんなさい。出かけにこの子が服を汚しちゃって。……あら、ニコラス様いらしてたんですね?」

「聞いてよミア! このおじさん、付き合ってもない若い女性に求婚しようとしてるのよ! 頭おかしいんじゃない」

 エイミーが訴えると、当然ニコラスがいきりたつ。

「んっだとこの……っいや、失礼。だから結婚を前提とした真面目な付き合いをだな」

「なんか勘違いしてんじゃない? 自分の歳考えてくださいよ。もう四十?」

「三十八」

「四十近いおじさんが二十半ばの女性に相手にしてもらえると思ってます? 特に美男なわけでもない三十男に夢中になれるミアは特殊な例なんですよ!」

「うわーエイミーひどーい」

「だってそうでしょ。ザック様の結婚は騎士団七不思議のひとつよ」

「適当言わないでよ。ライリー様だって見た目も中身もフツーじゃない」

「どこがよ! あんな爽やかで、奥方に釣り合う男になるためだけに一生懸命なひと他にいないわよ」

「エイミー、それ褒めてるの?」

 アデライダの疑問に、エイミーは即答する。

「あったり前でしょ! 褒める要素しかないでしょうよ!」

 女の大声は許されるのかよ、とニコラスが耳を押さえた。

「その話はもういい。俺だって急に申し込むのはどうかと思うが、こないだアルが言ってたんだ」

「アルが? なんて?」

 名ばかりの夫の話にエイミーが怯んでしまったので、代わりにアデライダが訊ねた。

「上官の娘と付き合うなんて無理だ。結婚してしまわないことには何もできない、ってな。おまえ結婚しても何もできてねえだろってのはさておき、なるほどと思ったんだ。デイビスが生きてる間は、中途半端なことなんかできないだろ」

 女性陣は白けた顔になる。

「もしかしてニコラス様、子持ちのクロエさんと結婚してやる、くらいに思ってませんか?」

「まさか!」

「どうだか。ちゃんと分かってます? クロエさんはデイビス様のお世話になってることを心苦しく思ってるんですよ。そんなところにニコラス様がお申し出をされたら、本当は全然まったくこれっぽっちも好きじゃなくても、頷くしかないじゃないですか」


 クロエは若くして騎士であった夫を亡くした。すでに実家は無く、頼れる兄弟もない。幼い娘を抱えて途方に暮れている彼女に夫の両親が手を差し伸べ、以来共に暮らしているのだ。

 彼女の亡夫の父は農家の生まれでありながら騎士団の大隊長まで昇り詰めた傑物で、そろそろ引退を考える年齢になっていた。息子を亡くしたことによりその時期を早めるかと思われたが、孫を育てなければという使命感により再び最盛期の勢いを取り戻した。

 初老の舅の負担が軽くなるのであれば、とクロエがニコラスの手を取ることは想像に難くない。

 彼女にとっても悪くない話だ。


 だけどそんなのひどいじゃない、と二十一歳のエイミーは思ってしまうのだ。

 好きでもないひとと結婚なんて、つらいばかりじゃないか。

「そんな力一杯嫌われてる設定つくるなよ。おっさんだって傷つくんだぞ」

「まあまあ。じゃあ今日はニコラスもそこで話聴いていきなよ。オンナ心を勉強していけばいい」

「オンナゴコロ」

「今日のお題は馴れ初め、って決まってるから」


 にこにこしているアデライダとは反対に、ニコラスは顔を引き攣らせた。

 王妃としての生活に辟易しているアデライダは、エイミー達と他愛無い話をするのを楽しみにしているのだ。それは招かれるエイミー達にとっても楽しいものだから、こうして定期的に集まっている。

「それを聞けば、結婚できるのでしょうか」

「そんなわけないでしょ。勉強させてあげるって言ってるだけ」

 ニコラスは難しい顔をしていたが、腹を括ってその場に居座る決断をした。

「よし分かった。聴かせていただこう」

「決まりですね。では年齢順にわたしからお話ししましょうか」

 ロージーが一番手に名乗りをあげた。

「拝聴いたします」

 真面目腐るニコラスに、エイミーは手の甲を見せてひらひらと振った。

「ニコラス様、そういうのいらない。背丈だけは溶け込めてるんだから、こうにっこり笑ってくださいよ」

「お、おう」

登場人物について


ライリー

主人公。頑張る平凡な男の子。すぐ兄とか姉とか言って人に懐く。

でも騎士団全体がそんな傾向にあるから、特に誰も気にしていない。

エイミーをハグしたことについては、過去の反省を活かして「言わなくていいこと」と判断、してるといいな、というのが作者の願望。学習能力は備わっているはず。


ハリエット

表向きは完璧な淑女。

若干ストーカー気質だけど、本人達が幸せなので問題視されていない。

ライリーは軽いと言ってすぐ持ち上げようとするが、背が高くて出るとこ出てるから、そんなに軽くないはず。


エべラルド

美形で過去が重い。なぜ彼がヒーローじゃないのか、と途中で思ったけど、多分それは女癖が悪いから。

王宮襲撃の最中、つらくないかと気遣うアデラに「思ったより悪役楽しい」と言う、というエピソードがお蔵入りに。

本編後半、だいぶ主人公を喰ってしまった。反省。


アデライダ

普通の元気な女の子。生まれに曰くあり。彼女がヒロインになれなかったのは、夫のせい。

彼女のことを美しいとかきれいとか思っているのはエべラルドだけ。

彼女がいいこと言ったらエべラルドにはすぐ突き刺さるけど、ライリーにはまったく響かない。

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