夢の中でも走り続けて
「とうとう、ここまで来たわね……」
勇者カサンドラの呟きに、仲間の三人も無言で頷いていた。
女性ばかりで構成された四人組のパーティー。彼女たちが足を踏み入れたのは、青く透き通った宮殿だった。
コツコツと硬質な足音が響く床は、全て水晶で構成されている。壁や天井も同じ材質であり、鏡とは異なる反射の仕方で、見る者の姿を映し出していた。
カサンドラは、自分と仲間の顔に恐れの色が浮かんでいることに気づいて、それを払拭するために大声で叫んだ。
「さあ、ラストダンジョンよ! もうすぐ、世界に平和が蘇るわ!」
その透明感に相応しく、かつては『水晶宮』と呼ばれていた建物だが、今では禍々しい別名を与えられていた。
通称『魔王城』である。
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「土のティエッラを倒したのは貴様らか! あやつは所詮、数合わせで四天王入りした小物! だが、この風のヴィエントは違うぞ!」
四人の前に立ち塞がる、異形のモンスター。全体的にはいかにもモンスターなのに、長い金髪だけが人間そっくりであり、そのアンバランスさが気持ち悪かった。
風を司る四天王を名乗るだけあって、体を取り巻く気流により、長い髪も舞っている。
「食らえ! 竜巻地獄!」
ブンと腕を振って、暴力的なまでの風を放つモンスター。
四人は、バッと跳んで避ける。その中の一人――武闘家のブリセイダ――は、他の三人が着地するより早く、敵に向かって走り出していた。
気流のバリアをものともせず、ブリセイダはモンスターに掴みかかる。狙いは、竜巻を発生させるモンスターの両腕。それぞれ左右で一本ずつ、武闘家の怪力で握りしめて、その動きを止めていた。
「みんな! こいつは私が押さえるから、先に行って!」
ここまで来れば、一刻も早く魔王を倒したい。それが、四人全員の願いだった。
魔王さえ倒してしまえば、巷に溢れるモンスターも、ここにいる四天王たちも、その加護を失って弱体化するはず……。
改めて思い出したカサンドラは、
「わかった! この場はブリセイダに任せる!」
残りの二人と共に、最奥部の玉座を目指して、再び走り始めるのだった。
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「ぬおっ? 人間の魔法使いごときが、この水のアグーアの津波攻撃を食い止めるとは……!」
「賢者の『魔法障壁』を舐めないで! 何物をも通さない、鉄壁の防御よ!」
水の四天王の攻撃を一人で食い止める、賢者セレナ。その目を見るだけで、カサンドラは、彼女の意図を理解する。
「そいつの相手は、あなた一人で十分なのね? では、私たちは先に行くわ!」
もう一人の仲間と共に走り出し……。
「人間の分際で! 火のフェッゴと同等の炎を操るとは……! 生意気な!」
悔しそうに吐き捨てるモンスターの火炎攻撃に対して、大魔道士プリシラは、勝るとも劣らない威力の火炎魔法をぶつけていた。
双方の炎はぶつかり合って一つになり、凄まじいエネルギーを有したまま、互いの中間で燻っている。どちらかが魔力のコントロールを誤れば、その勢いが一気に押し寄せてくる、という均衡状態だった。
「わかったわ……」
仲間の集中力を乱さぬよう、聞こえない程度の小声で呟くカサンドラ。
これでは、下手に助太刀も出来ないので……。
彼女は、一人で走り出した。
勇者として全力で世界平和を願うだけでなく、「これで魔王と一対一の勝負が出来る」という武人の喜びも、彼女の心の中には生まれていた。
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「くっ!」
一人になって走り続けること数十分。『玉座の間』にて魔王と対峙したカサンドラは、最初の攻防だけでボロボロに傷つき、冷たい水晶の床に倒れ伏していた。
「ハッハッハ……! 貴様の力は、そんなものか? 勇者といっても、所詮は人間の小娘。我に立ち向かうとは、身の程知らずにも程があるわ!」
返す言葉もない。
まだ魔王が全力を出していないのは、カサンドラにも十分理解できていた。強大な魔力を有しているはずの魔王が、その魔の力を用いることなく、緑色の杖一本だけで、カサンドラの剣をさばいていたのだから。
しかも、見るからに貧弱そうな杖なのに、魔王の武器には傷一つついていない。一方、これまで幾多の戦いを共にしてきた彼女の剣は、刀身が半ばからポッキリと折られていた。
「でも! 私は負けるわけにいかない!」
折れた剣を杖代わりにして、体を支えながら立ち上がる。
カサンドラは、今さらながらに少し後悔していた。
いくらレベルアップしたとはいえ、いくら勇者と持て囃されるようになったとはいえ、一人で魔王に挑むのは流石に無謀だった。その場の雰囲気に呑まれて途中で仲間を置いてくるのではなく、四人全員の力を結集して、魔王との最終決戦を迎えるべきだった……。
「でも! 後悔したならば、今からでもやり直せばいい!」
自分に気合を入れ直すように大きく叫んでから、くるりと反転。カサンドラは、仲間と合流するために走り出した。
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「おやおや。せっかく来たのに、逃げることはないだろう。もっと我と遊んでくれたまえ」
背後から聞こえてくる魔王の声は、全く小さくならなかった。
カサンドラとしては、全速力で走っているのに。
「なんで?」
焦りの声が、口から漏れる。
足には確かに、床を蹴る感触が伝わっていた。足元を見れば、水晶で出来た床が、凄い勢いで後方へ動いている。普通に「走っている」という見え方だ。
しかし。
顔を上げれば、視界に入ってくる光景は、全く別のものだった。壁も天井も、前方に見える扉も、微動だにしていない。
混乱しながら振り返ると、ニヤニヤ笑いを浮かべる魔王の姿。その手だけが不気味に動いているのを見て、カサンドラは理解する。
この現象は、魔王独特の魔法により作り出されたものなのだ。床を部屋の空間全体から切り離された、という形だろうか。
いや、そんな理屈はどうでもいいが……。
「……魔王からは逃げられない、ということなのね」
思わず勇者の口から飛び出したのは、絶望の言葉だった。
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――――――――――――
窓から夕日が差し込む教室で、授業終了を示すチャイムが鳴り響く。
「では、今日はここまで」
教師は足早に立ち去り、高校生たちも帰り支度を始める。
そんな中、ウトウトと半ば居眠りしていた笠谷塔子は、隣に座る友人に肩を揺すられていた。
「起きてよ、塔子ちゃん。授業、終わったよ」
「うーん。ありがとう、瀬名……」
「今日も眠そうだったな、塔子。また昨日の夜、よく眠れなかったのかい?」
他の友人も声をかけてくるので、頷いて答える。
「うん、武羅田さんの言う通り。夜中に悪夢で目が覚めた、って感じかな」
細部までは覚えていないが、おおよその感じとしては「浮浪者に追われて逃げようとしているのに、いくら走っても前へ進まない」という夢だった。
彼女は、このような「逃げる夢」をよく見るのだ。夢占い好きな友人の楓里からは、
「現実逃避の気持ちがあったり、体の具合が悪かったりすると、そういう夢を見るみたい。塔子、気をつけた方がいいんじゃない?」
とアドバイスされたが……。
彼女自身は、根拠はないけれど「それは違う」と感じていた。
魔王から逃げられずに、命を落とした勇者カサンドラ。
平凡な女子高生の笠谷塔子として生まれ変わった彼女に、前世の記憶は全く残っていなかった。一緒に転生した三人の仲間たちも同様であり……。
こうして四人は、異世界の記憶を蘇らせることのないまま、モンスターや魔王など存在しない世界で、平和な人生を過ごすのだった。
(「夢の中でも走り続けて」完)