前日譚9
隊長はどうだろう。問題はなさそうだった。順調に変異種を仕留めている。本気を出している様子はないが、安定感がある。手を貸す必要はなさそうだ。
壊れた柵が足元に落ちていた。おそらく変異種に跳ね飛ばされたしまったのだ。それを地面に刺し直し、腰掛ける。隊長の戦いを観戦する体勢になる。
「お疲れ様。セルトゥムが加わっただけで、こうまで違うなんてね」
気がつけば隣にパゼリカが座っていた。
「思っていたよりも変異種に手応えがない。隊長たちは本当にこいつらにやられたのか?」
「捌ききれずに背後から。でもそれだけじゃない」
隊長が変異種を倒し終える。あっけないとまで思えた。
柵から立ち上がる。
「それだけじゃないって、何が起きたんだ?」
もう終わった。周囲にある変異種の死体を見て、気を抜いてしまっていた。
「村から人が逃げた。あの隊長さんが捌ききれず残っていた変異種が、ここに逃げてきた人を狙った」
「どうして村から逃げてくる。一番安全な場所なのに」
「ユークアルの実が必要な人はいないの。カナメアがユークアルの実を自分で取りに行こうとしたのは、大人を頼れない事情があるから。カナメアは隠れてペットを飼っている」
ペットの一言で全てを理解した。全身に悪寒が流れて、柵に座ってのんびりしていた自分を殴りたい気分になった。おそらく、村の中で変異種が発生したのだ。
変異種は、簡単に表せば動物が魔素に侵され、理性を失う代わりに凶暴性と強靭な体を得たものだ。治癒効果のあるユークアルの実が必要なまでに弱った動物なら、魔素に負けてもおかしくない。
隊長を無視して村へ急いだ。後ろから隊長の声が追いかけてきたが、聞き取れなかった。
クルエ村は騒がしかった。子どもの鳴き声、大人の噂話が雑音になるまで混ざっている。
村から逃げる人はいなかった。しかし何かが起きたみたいだ。
人の隙間を縫ってクルエ村の中央まで行くと答えがあった。
未熟な変異種が潰されている。シュミスが仕留めたようだ。焼いたような痕があった。
「セルトゥム!」
人の隙間から手を挙げるシュミスがいた。直ぐ側にはセイリアもいる。
二人に近づく。変異種を横切る際に、泣き声を上げる子どもを見つけた。カナメアだ。完全に放置されていた。
カナメアが気になるが、シュミスを選んだ。
「何があったんだ?」
「あの家の裏手から変異種が出てきたんだ。成り立ての未成熟だけど、人を襲って食うってことはしっかり理解していたよ。カナメアが隠れて動物を飼っていたんだ。さっき言ったあの裏手な。俺は完全に後ろ取られちゃってね、セイリアが気がついて教えられなかったら危なかった」
「あれは間一髪だったね。ところで、私にお礼を言ったっけ?」
「ありがとうございます……これで五回目。何回でも言うぞ」
シュミスとセイリアが笑い合った。仲がよくて結構なことだ。
ふと泣き声が静かになったので、カナメアに振り向く。カナメアの相手をするクフォがいた。
「そっちはどうだったの?」
セイリアは吉報を聞けると確信しているのか、笑顔を崩さない。私は両手を広げた。
「この通り」
無傷を見せつけた。
「隊長は置いてきた。いろいろ言っていたけど無視して、小言の予約を入れておいたから、あとで皆で楽しもう」
「勝手に戻ってきたの? それはありえないでしょ」
「やっちゃった」
セイリアには呆れられ、シュミスには笑われた。
「はぁ、もう。ちょっと隊長のところ行ってくるね。バカは一人です、って伝えなきゃ」
「俺も行く。戦いの痕を見たい」
そう言って、シュミスとセイリアは歩き出した。どいつもこいつも勝手だ。勝手なのは私もだが。
二人の背中を見送る。シュミスがセイリアにちょっかいを出そうとしているが、どれも跳ね返されていた。
「これで終わり。お疲れさまでした。セルトゥム」
私のすぐ横にはパゼリカがいる。
「村を救ってみて、どうだった?」
「達成感がない。あっけない。チームが全滅してたんだ。もっと苦戦するかとも思ってたのに、数が多いだけだった。つまらなかったよ。でも、にぎやかでいいな」
人が生きている。両足で立って歩いている。他の人と会話をしている。泣いている。笑っている。今のクルエ村には、飽きない要素が山のようにある。充足感はないが、これで十分だ。
「セルトゥムはこれからどうするの? 今、ユークアルの実を取りに行っている、もうひとりの自分と会う?」
「会っても良いことはないからなぁ」
同一人物が二人いるなら、片方は不要だろう。チームにも私の席は一つしかない。
私ともうひとりの私との違いは、パゼリカを知っているかどうか。
チームでの仕事は、呑気に木の実探しに出ている私がやってくれる。余った私は、自由行動が許されるのではないだろうか。
「パゼリカは故郷に帰りたいんだっけ」
「はい。でも後回しでいいですよ。行って楽しいところではないので」
「後回しも何もないよ。他にやることが思い浮かばないんだ。もう一人の俺が戻る前にこの村から逃げないといけないくらいかな。パゼリカの故郷はどの方角にあるの?」
「どの方角でもありません。別世界にあるので」
首を傾げたくなる単語に喉が詰まった。
「別世界って、なに?」
「言葉通りの意味ですよ。私は異世界からの来訪者です」
バカバカしいとは思った。しかし否定するだけの知識を持ち合わせていない。
「別世界ね。なるほど。帰り道は覚えてる?」
「扉は私が開けられますけど、今は無理ですね。二つの世界が隣り合わせになっていませんから」
説明を要求するかで悩んだ。ただ、説明を聞いても理解できるとは思えない。
「それに関しては任せるよ」
しかしそうなると、今後の方針が行き詰まる。自分と出会わない、以外に目的らしい目的がない。私がやりたいことを空に問うても、正にこれだと思えるものがなかった。ため息をついて誤魔化すくらいしかできない。
「何もないなら提案したいのですが」
パゼリカの両目に映る私を見つけた。私は頷いて、パゼリカに先を促す。
「学校に行ってみたいです。ルーゼが楽しそうに語ってくれて、興味が湧きました」
「ルーゼって?」
「私の前の宿主です」
たった今、元気に広場を横断した子どもか。前見たときは息もしていなかったのに、元気になったものだ。
「俺が知っている学校といえば、ソルクレルカの、アファレサ魔法学校くらいかな。昔、通っていた」
「そこに通えないんですか?」
「通う?」
学校へ行ってみたいとは、見学したいという意味だと捉えていたのだが、どうやら勘違いだったらしい。
「通うのは無理じゃないか? 身元は何とかなるけど、パゼリカには肉体がない。俺が学校に通うのも無理だ。魔法学校には年齢制限があるし、そもそも俺は修了している。教える側としてなら歓迎されるかもしれないけど、そうなったらセルトゥム・カロシークが二人いるのがすぐに露見する。周りを納得させられる言い訳を用意できる自信がない」
「では、セルトゥムが別人になれば、通えますか? 私なら、宿主の肉体を変えられます。顔はもちろん、肉体年齢まで」
「そいつは、素晴らしいな」
これは一番初めに知っておくべき情報だったんじゃないだろうか。全くの別人になれば、心配要素の大半は消えてなくなる。何をしても、もう一人の自分に迷惑がかからない。
しかし本当にそんなことができるのだろうか。疑っても仕方がないか。顔を変えるよりも奇妙で目を疑う出来事を既に体験しているのだ。
母と同じ形の目元と、父と瓜二つの指先は残してもらえれば、他は全て変えてしまっても構わない。少し足を長くしてもらおうか。
「変えるときは、今より格好良くしてくれ」
「期待に応えられるように頑張ります」
俗世から外れまくっていたであろうパゼリカが、どんな顔を作ってくれるのか楽しみだ。
「これからだけど、学校に入学する、でいいんだな。パゼリカが俺の肉体を相応の歳にして、学生をやっていても怪しまれない容姿にする。身元は孤児を使う。偽造は発覚するとまずいから、正攻法で行く。抜け道はガンガン使うけど。こんなところでいいかな?」
「ええ。楽しみね」
パゼリカの言葉から始まった。どうやら私は再び学生になる。もう一度母校に通うのだ。肉体の年齢を若くして別人になる。真偽は確認していないが、パゼリカならそれができるらしい。
現実逃避という毒を飲む気分だ。とても甘美な毒だ。言い出しっぺこそパゼリカだが、私も十分なくらい乗り気だった。
昔を思い出す。周りとの競争ばかり考えて親しい友達こそ居なかったが、懐かしさが滲む思い出は散見する。
懐かしい顔、出来事、なあなあになった約束。未だに口元を歪めたくなる苦い敗北。
今よりも時間に追われていたような気がするが、今よりも心に余裕があった。
「自由にしていいなら、どこまでも怠けてやろう」
「怠けすぎは関心できない。被害の確認等、できることは少なくないはずだ」
すぐ横からの声だった。パゼリカではない。
「クフォか」
気配を消して近づくなと言いたいところだけど、私も気を抜きすぎていた。
「いろいろと考えることがあってね」
静かな風が流れる。村中が不安や驚き等でいつ止むかわからないくらい騒がしいのに、私とクフォとの間だけはとても静かだった。
クフォとは話題がない。しかし、たった一つ伝えたいことがある。月夜のクルエ村で、クフォにみんなを守って欲しいと頼まれた。
「約束は守ったってことでいいのかな? 俺にとって都合がいい考え方だけど」
「約束とは?」
「こっちの話だ」
卑怯な話の綴じ方だと我ながら思う。一方的に言いたいことを伝えるなんて、もはや会話ではない。でもそれでよかった。クフォが何を疑問に思っても、私には答える意思がない。
短い付き合いだったが、クフォとはこれでお別れだ。別れと言っても、永遠の別れにはならない気がする。根拠はない。同じ街で暮らしていたら、どこかですれ違うだろう、くらいの曖昧な予想だ。
口元だけで謝罪を連ね、クフォに背中を見せる。
もう消えるとしよう。隊長たちが戻ってきたら面倒だ。もう一人の私がクルエ村に戻るまでまだ時間はあるはずだけど、それまで会議やいろいろで拘束されないとも限らない。セルトゥム・カロシークは二人もいらない。のんびりしすぎて、ユークアルの実の採取を終えた自分に出会ってしまう前に、さっさとクルエ村から立ち去ろう。
村の中央に背を向けて歩く。
「じゃあな」
最も疎遠な仲間への挨拶は簡易的に済ませた。
「どこへ行く」
「そうだな、ユークアルの実を採ってくる」
きっとクフォは私の言葉に疑問を感じただろう。今はユークアルの実なんて、全く必要ない。そもそもクフォは、私がユークアルの実を取りに行ったことすら知らないはずだ。
完全に無駄な行動でしかない。本来であればこんなにゆっくりとしている時間はない。変異種が残っていないか、村の周囲を警戒しないといけない。遊んでいる暇なんて全くないのだ。
それなのにクフォは引き止めてくれなかった。私は村の外へ向かっているから、周辺の調査をするのだと深読みされてしまっただろうか。それならそれでいい。
クフォよ、私がユークアルの実を取ってから、クルエ村に戻るまでまだ時間が掛かる。それまでクルエ村をよろしく頼む。
一方的に責任を押し付けて、私はクルエ村に背中を向ける。正直、後ろ暗い。仕事の放棄は今までしなかった。私にとって禁止事項だ。
この後また変異種が出たら、仲間たちに仕事を押し付けることになるのだ。とても気分が悪い。それでも、この場には残れない。
これは一種の離反なのだろうか。書面を介さず隊を出た。秘匿すべき情報にはしっかり鍵を掛けておくし、我が国に刃を向けたりもしない。だから許して欲しい。
隣にはパゼリカがいる。彼女は誰にも見えないし、触れられない。村を歩いていても、何人かがパゼリカをすり抜けていた。
全ての人が幻のような存在を無視する。パゼリカ自身は気にしていないし、私も何とも思わない。でも、パゼリカがいたからクルエ村は救われた。そして私も……。
「行くか」
「道案内はよろしくね」
「街道に沿って歩いていればいいんだよ」
周り全ての人の意識から私が外れたと確信してから、クルエ村を出た。決して振り返らず、前だけを見た。