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前日譚5

 クルエ村が見えてきたのは夕日が隠れた直後だった。悠長にしすぎた。いくらなんでも時間を掛け過ぎだ。お腹を下していたわけでもあるまいに。


 言い訳をすると、変異種の数が尋常じゃなかったのだ。全部で十体は超えていた。同時に三体と出くわすケースすらあったのだ。ユークアルの実を護りながらの戦いなのだから、時間を取られないわけがない。ユークアルの実が熟れて柔らかくなければ動き回れたのに。


 隊長はもはや怒りを通り越して、一言目で帰還を命じられないかと危惧している。もしそうなったら変異種を倒した件を差し出して許しを請うとしよう。隊長は押しに弱いと知っている。


 疲れで肩を落としながら、クルエ村へ歩く。歩く……そして顔を上げた。寒風のように違和感が徐々に体に染み込んでくる。

 村に一切の明かりがないのは、変異種が寄らないようにだろうか。暗い上に距離がある。月がなければ村は闇夜に溶けていただろう。


 クルエ村は昼間と変わったところはない。建物は記憶の通りだ。でも何かが違う。

 思い違いなのだろうか。首を傾げてみた。その瞬間、村から少し離れたところに落ちている、見覚えのない塊の存在に気がついた。それが違和感の正体だと確信する。


 塊をじっと見つめてもすぐにはわからなかった。ただの動かない塊。この位置からは楕円にしか見えない。大荷物に布をかけて隠したものや、巣で眠る動物を大きくしたものに近い気がする。……眠る動物……。


 一つの想像が頭を支配して、背中に氷を入れられたように冷えた。

 森には動物がいなかった。変異種が狩り尽くしたからだと思われる。このあたりにいる動く物は、人間を除けば変異種ばかりだ。

 村の側に落ちているアレは、もしかしたら変異種の死骸ではないだろうか。この想像が焦らせてくれた。


 ユークアルの実を抱えていることなど忘れて、村の側に落ちている何かに突っ込んだ。

 近づくに連れて、想像が確信に変わる。間違いない。これは変異種の死骸だ。つまりここまで変異種が来て、誰かと戦った。


 すぐに村へ目が行った。さっきまで興味の対象だった変異種の死骸は、どうでもいい物になり、頭の中からなくなっていた。

 何が起きたのか知らなければいけない。


 クルエ村からは物音がした。その音には聞き覚えがある。巨大な何かの足音。

 さっき森の中で会った変異種が、似たような足音を立てていた。違いは葉が潰れる音がないだけだ。


 確かめなければいけない。しかし確かめるのが怖い。隊長にセイリア、シュミスとクフォもいるのだ。変異種が何匹か遊びに来たくらいでは動じないはず。

 きっとこの足音は、セイリアが自立人形に警備をさせているからに違いない。そう自分に言い聞かせても、心臓は早打ちをやめなかった。


 クルエ村の南門には石柱が横たわっている。それを乗り越えない限り、村へは入れない。

 簡単に超えられるはずの石柱がとても高い壁に見えた。魔法で足を強化すれば、片足で飛び超えられるくらいの高さしかない。


 止まった足を見下して、唇を噛んた。立ち止まっていても意味はない。悪い想像を打ち消す。いつもなら無意識的に使える軽度の肉体強化魔法を、意識して自分に適用した。

 石柱の上に立つ。瞬きの後に、クルエ村の広場を見渡した。


 そこにあったのは、悪い想像とは違う光景だった。より悲惨だ。

 解体場だった。広場の中央で一体の変異種が、まさに今、新鮮な肉を骨ごと噛みちぎっていた。

 広場はどこを見ても人の亡骸がある。その亡骸に共通しているのは、人であることと、体の一部、もしくは大部分を失っていることだ。


 変異種は正常な生き物を、喰らい取り込む。変異種に殺された人は、通常であれば丸呑みだ。体を食べやすいよう細かく分けられている場合もある。なんであれ、亡骸が綺麗な状態で残ることはまず無い。


 体が勝手に動いた。気がついたら魔法を使っていて、それを食事中の変異種に向ける。魔力で形作られた刃が飛ぶ。切れ味が悪かったのか、変異種の銅にギザギザの切り口が残った。それでも変異種の胴は二つに裂けている。


 今回の変異種は小型だった。体が二つに分かれただけで、もう殆ど動かなくなっている。しかしそれでも損傷を修復しようと蠢いているから恐ろしい。

 変異種が治ってしまう前に、魔法で強化した足と、体の周囲に張り巡らせている障壁で踏み潰した。


 広場に他の変異種はいない。だが、村の中にはまだいる。気配がある。

 足元の変異種が動かなくなり、広場は静かになった。しかし広場から受ける刺激は激しい。各所を濡らす血液の跡。変異種の食べ残し。血を吐ききった傷だらけの屍。たった一本だけ落ちている指。

 変異種を許すわけにはいかない。最低でも、この村にまだいる変異種は滅ぼす。行動の指針は怒りだった。


 声がした。馴染みはないが、知っている。クフォの声だった。


「遅すぎませんかね」

 家屋の扉に寄り掛かるクフォを見つけた。地面に腰を置いて、倒れる直前まで、ぐったりと体を傾けていた。


「クフォか!」


 急いで近寄る。クフォは体の至るところに傷を作り、唖然とするほどの血を流した後だった。医術に関しては門外漢だが、クフォが手遅れなのはわかる。

 あとほんの少しでも遅れていたら、こうして会話はできなかっただろう。


「すまない。俺が勝手な行動をとらなければ」

「そんなことは、どうでも……いいですよ。生き残った人をここに隠しています。必ず守ると誓ったんですけどね。この様なので……。セルトゥム・カロシークさん、後はお願いします。みんなを、子どもたちを」

 クフォは言いたいことを一方的に告げ、笑顔になった。クフォの笑顔は初めて見る。いつも無表情な奴だった。いい顔ができるものなんだな。もっと積極的に交流しておけばよかった。そうすれば、こんな笑顔を何でもないときに見せてくれたかもしれないのに。

 言いたいことを言い終えたクフォは体を楽にした。


 クフォが背を付けている家屋、ここに人を集めてこの家屋をひたすら守っていたようだ。

 扉の前にいるクフォを優しく移動させる。腰を持ち上げて壁をクフォの背もたれにした。そして、クフォ傍らにある剣を手にする。


 その剣はただの剣だ。似たものやそれ以上の質の剣はいくらでもあるだろう。血が付着していて欠けもあり、剣としては不良品と言い切っていいかもしれない。それでも剣を持っていきたかった。これはクフォの剣だ。劣化具合は彼が戦った証なのだ。


 どれだけの人が残っているのだろうか。クフォの思いを引き継ぐために、戦う理由を怒りから人々を守る、に変えるため。クフォが守っていた家屋の扉を開く。


 家屋は静かだ。恐怖から音を立てられないのか、我慢し続けているのか、思っているよりも人数が少ないのかもしれない。


 扉を開けると月が見えた。足元には天井や床だったと思われる板の残骸が無数に散らばっている。家屋の天井と壁には穴が空いていた。大きな穴だった。人どころか化け物が出入りできるくらい広い穴だ。

 その穴から見える、丸い綺麗な月が屋内を照らす。照らされた家屋には生命の影はなく、物に成り果てた肉塊が転がっているだけだった。もはやそこには何も残っていない。たった一匹の変異種を除いては。


 息をしている状態が人の条件なら、誰もいない。小さな子供から老人まで八人がいるが、全員がもう手遅れだった。


 扉を空けた音で、変異種がこちらを向く。この変異種には頭らしきものがあって、目が二つ、鼻に口まで付いていた。人を丸呑みできるくらい大きな口は、当然のように赤く化粧している。


「何やってるんだよ」

 言葉が通じるはずがない相手だとわかっている。それなのに話しかけている。

「何やってるって訊いてるんだ!」


 怒鳴らずにはいられなかった。呑気だった自分への怒り。クフォに託されたこの家屋に逃げた人々、誰一人残っていない。ユークアルの実なんて取りに行かなければよかった。過去の自分への憤りは止まらない。もし村に残っていたら、この悲劇を防げただろうか。防げたかもしれない。極小でも可能性があるだけで、後悔するには十分すぎる。


 もしかしたら八つ当たりなのかもしれない。目の前の変異種を壊すと決めた。もはや守る人がいないこの土地では無意味な行動かもしれない。

 でも、そうでもしないと感情が収まりつかない。やったら収まるのだろうか。

 試してみたが、収まらなかった。


 さっきの大きな声に他の変異種も集まっていた。家屋に空いた穴から外に出てそれらを迎え撃つ。


 笑ってしまった。これは何体いるんだ。両手の指じゃ足りない。それだけの数が集まってきていた。一匹ずつ倒しながら数えればいいか。思考能力がない動物のように、変異種に牙を剥いた。


 一匹。二匹。三匹。四匹。五匹。六匹。七匹。八匹。……まだまだいるのか。

 おそらく二十匹を超えた。辺りには変異種の死骸が散らばっている。巨大な体を持つ者がいたせいで、少数でも場を埋め尽くしてくれる。実に動きにくい。


 剣が折れてしまった。剣の扱いはいまいち慣れない。いつもは使わない武器だ。つい変な使い方をしてしまう。そのせいで折れてしまった。勝手に持ち出して壊すなんて、クフォに怒られてしまう。

 中央辺りから完全に二つに折れた剣だが、柄は離さない。魔法を変異種にぶつけるための触媒とするなら、まだ利用価値がある。


 折れた剣に魔法を送り込む。折れた刃は魔法で再現して補った。

 こちらの障壁に片手で十二本の爪を立てる変異種がいた。そいつに剣の切っ先を差し込む。魔法の刃は変異種の強固な殻でも関係なく通った。関節や殻の隙間を狙うまでもない。


 そのまま切り裂いてやってもいいが、それでは勿体ない。刃を魔力玉へと変質させた。その魔力玉は、程なくして肥大する。傷口に風船を入れて膨らませるようなものだ。殻が浮いて剥がれていく。殻の裏にあった傷口が顕になり、その傷口がどんどん広がっていく光景を楽しめた。


 体液が溢れる。異臭に慣れた鼻にも刺さる腐臭がした。

 仕上げに魔力玉に残った魔力で業火を発生させる。焦げた傷口はそう簡単には治らない。ダメージを蓄積させられる。


 それでも怯まないのが変異種だ。攻撃が遅れても、なくなりはしない。頑張って攻撃をしてくる。しかし傷だらけの体から放たれる攻撃は遅すぎた。

 難なく変異種の懐に入り込み、首から胸までを裂いた。


 変異種の片腕が落ち、攻撃の種類と頻度が更に減る。そもそも頭部が殆ど胴から離れて、首が落ちかけている。もう正確な攻撃は難しい。

 その変異種はもう殆ど片付いた状態だった。別の個体を壊しに掛かっていい。しかし注目は依然、頭部が落ちかけている変異種に向かっていた。傷口から珍しいものが見えたからだ。


「胃?」

 片腕を落とした一撃で袋が露出した。


 変異種が臓器を持っているのは稀だ。持っていても飾りでしかないが。この変異種はその稀だった。口から体内に取り込み袋に蓄える。生き物だった頃の痕跡を残していた。


 変異種が吠え、身を捩ると、袋に空いた穴が広がっていく。そして内容物が落ちた。

 ころりと転がるそれは金色をしていたに違いない。色は汚れて暗い緑色になっている。


 この場所には傾斜があった。変異種から落ちた緑色が傾斜で転がった。そしてその正体を知る。二つの開かれた目がこちらを見た。


「……セイリア」


 同じチームとしてクルエ村までともに来た仲間の首だった。下顎が捻れて美しさが失われている。


 それを見ても、あまり感情は湧かなかった。セイリアとは少し長く危険な仕事をやってきた。いつかはこうなるかもしれないと想像もしていた。だからか、何も思わなかった。しかし目が離せなかった。光を失った両目に釘付けになった。思考能力が底まで落ちて、このままセイリアを見つめていたらどうなるかすら想像できなくなった。


 強烈な衝撃に襲われる。後ろから出てきた別の変異種が、こちらの障壁を全力で叩いたらしい。見ていなかったし感知もしていなかったから、どんな攻撃をされたかはわからない。凄まじい威力の一撃をもらったのは間違いない。


 ようやく思考能力が戻ってくる。変異種を倒さなければいけない。頭が仕事を再開して、これが真っ先に思い浮かんだ。

 胃を持った変異種が更に身を捩ると腕が落ちた。その腕は隊長のものと思われる。腕はまだ服を着ていた。


 変異種の腹にはまだ色々と入っているようだ。放っておけば他にも落とし物をするかもしれない。しかしそんなものに興味はない。

 セイリアの顔から目をそらし、変異種の殲滅に行動を移した。

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