前日譚4
シュミスから目を背け、魔法を使う。クルエ村に来てから始めての魔法は、汎用性に富んだ身体能力を上げてくれる魔法だった。
今回は主に、短時間での長距離移動を目的に使う。目の乾燥と瞬きを抑制。動体視力を必要最低限まで向上させた。
森まではただ真っ直ぐに走り続けた。狭まった視界で、吸い込まれるように森が近づいてくる。そのまま吸い込まれてしまったら木と激突だ。森に入るときには、木と木の間を縫える速度まで落とした。
森の中は月のない夜のように暗かった。しかし視界は問題ない。魔法で補助すればよく見える。
とても静かだった。ここは変異種の目撃が耐えないクルエ村の南側にある森だ。ここ以上に変異種が集っていそうな場所はない。それなのに影がない。
いいや、そうではない。静かというのは、まともな動物の鳴き声すら無いという意味だ。これは森として異常な状態。きっと変異種が生き物を片っ端から襲ったのだろう。襲われた動物は食われたか、逃げ延びて遠くへ避難した。こうして静かな森ができあがる。
その説を証明するように、森に入って最初に会った生き物は変異種だった。木と木の向こう側で動いた影がそれだ。
こちらが気づくと同時に、向こうもこちらに気づいたようだ。異常に肥大した眼球を剥き出しにしてこちらを目で追う。
変異種に見て見ぬ振りはない。見たものは必ず殺す。瞬きと同じだ。
異様な形が走り出す。細長い腕を木に巻き付け、体を引っ張り寄せて移動していた。手足を地に付けて歩くのが苦手なようだ。細い腕は、重い体を引っ張れても持ち上げられないのかもしれない。
変異種は胴を地面で擦っている。効率にそっぽを向いて、ただがむしゃらに進むのみ。
然程速度は出ていなかったので、私が逃げるのは簡単そうだった。
でも逃げるわけにはいかない。こいつが村で目撃される次の変異種になるかもしれないからだ。滅ぼせるなら滅ぼしておく。後回しにはしない。
体の周囲に戦闘用の障壁を展開させる。手の中には星型の魔力玉を生成した。
元の形が全く残らなくなるまで変質した変異種が迫る。子どもが作った泥人形のように、のっぺりとした風貌で、不安を掻き立ててくれる。
物怖じはしない。変異種の相手はもはや慣れた。
一歩下がり、距離を調整する。
今の所、こいつに恨みはないが、後々はどうなるかわからない。悪いが変異種だからという理由で処分させてもらう。
変異種の細く長い腕が迫る。移動のために木に巻き付けていた腕だ。その腕を全力で振ると、木の幹を枯れ枝のようにへし折る強烈な一撃が生まれる。確かに恐ろしい威力だが、しかし此方の障壁を割れるほどじゃない。
変異種の腕が障壁に触れた瞬間、小爆発で弾けるような音が森を駆けた。障壁に付与していた反射能力が働いて、変異種の腕を引き裂きながら押し返したのだ。
変異種の腕一本がズタズタになったが、命には関わりのない怪我だ。眼孔から落ちそうな見開かれた目は、依然変わりなくこちらを見つめている。
変異種との距離は狭まった。仕上げに数歩詰めてから、星型の魔力玉を放り投げる。魔力玉は直線運動をして変異種に近づいた。
変異種に避けるという概念はない。ただ真っ直ぐ進み、生き物を食らう。それ以外には何もできない。その習性に付け込むのが、この魔力玉だ。対人であればなかなか当てられないこの攻撃も、変異種が相手なら百発百中だ。
変異種の目の下辺りに魔力玉が沈む。そして爆発、膨張した。変異種の体が膨れ上がる。体内での爆発が、風船のように体表を浮かせた。
さすがは変異種だ。とても硬い。体が膨張するだけに留まっていた。動きにぎこちなさが生まれたが、変異種は変わらずこちらを見下ろすくらい余裕がある。次の攻撃のために腕を振り上げたところだった。
魔力玉は一回目の爆発を終え、二段階に突入する。それは変異種が腕を振るより早かった。
さすがにこれは堪えるか。変異種の腕が止まる。二回目の爆発は棘だ。槍のような尖った刺激が体内から外に向かって走る。一回目の爆発は、この二回目のための条件付と場を整えるためでしかない。本命は変異種の硬い表皮も容易く破る二回目の爆発だ。
変異種の体の各所が穴を空けた。複数の棘が変異種から突き出る。
自分の魔法は白く見えた。魔法が消え、変異種の体表にできた穴が綺麗な円形として残った。
変異種が胴を地面に落としたが、すぐに立ち上がろうとした。うまくいかないようだが。
胴体に無数のトンネルが出来てしまっては動きにくかろう。それでもまだ動くところに敬意を払えばいいのか、呆れればいいのか。
「一発じゃあ辛いか」
変異種の回復能力は高い。並の攻撃であれば意味がないどころか、強化してしまう可能性もある。変異種は魔素を取り込み変異する。魔法は魔素を生む。
攻撃の回数はなるべく少なく。手数が必要なら、一気に決めること。これが変異種と戦う際の鉄則だ。
それに習って、慈悲は掛けず一気に決める。
障壁の範囲を狭め、変異種に近寄った。汚らしい変異種の皮に触れてから、再びさっきの魔力玉を作り直接浸透させる。
今回の魔力玉は先程よりもずっと小さく、代わりに数を増やした。
爆発が起こる。変異種の体が一瞬だけ浮き上がった。その最中も、ずっと魔力玉を流し続ける。変異種が暴れるがそれでも止めない。腕で攻撃をしてくるが、全て障壁だけで防ぎきれる。ダメージは変異種の腕にしか残らない。
始めは激しかった変異種の抵抗も、時間とともに穏やかになり、最後には止まった。
変異種の死骸を見下ろす。これでクルエ村の驚異が一つ減った。驚異が減っても、いい気分にはなれない。
変異種は、正常だった生き物が魔素に汚染されて、正気と元の形を失った存在だ。この変異種も元は必至に生きる掛け替えのない命を持った動物だったに違いない。
もはや修復不可能なまで変異種の肉体からは、生き物だった頃の面影は全くない。それでも生き物だったのだ。死骸を前にすると色々と考えてしまう。悪い癖だ。どこで生きていたのだろう。この森で生まれここで変異種になったのか、別の場所で生まれて……。
首を振って思考を吹き飛ばす。考えるだけ無駄だ。この変異種を殺したのは誰だか思い返してみればいい。悪い癖だ。戦いの直後はつい感傷に浸ってしまう。
目的を忘れるな。この森には散歩に来たのではない。早くユークアルの実を持って帰らなければ。しんみりタイムに終了の印を押した。
変異種だったものをその場に残して、森の中を急いだ。
ユークアルの実はなかなか見つからなかった。変異種の群生地になってしまった森だから、命が育ちにくいのかもしれない。変異種は命を尽く狩っていく。
なんとかユークアルの実を見つけるまでに、合計で五体の変異種を見つけた。変異種を見つける度に足を止めて、しっかりと対処した。その分、時間を消耗してしまったが。
日もだいぶ進んでいる。もう隊長も村に戻っている頃だろう。持ち場から離れたどころか、事実上の行方不明みたいな状況にいる隊員に対し、きっと激怒よりも更に激しい怒りを発現しているに違いない。
ようやく見つけたユークアルの実は持ち方に気を使うほど熟れていた。力加減を間違えたら潰れてしまう。行きのように走ったら、皮が破れてそこから果肉が漏れ出る。
急げないなら時間を掛けて戻るとしよう。どうせ隊長が戻っているなら、少し遅くなっても違いはない。早く戻っても遅く戻っても、雷が落ち火山は噴火する。
それならカナメアのために、ユークアルの実を大事に運ぶとしよう。
時間を掛けて戻ると、帰り道でより多くの変異種と出くわす可能性がある。変異種を倒すとクルエ村がより安全になるから、それはよしとした。