前日譚2
寝所として集会場を借りることになった。小さな村の集会場は、都会にある講堂とは比べ物にならないくらい小さい。それでも五人が寝泊まりするには十分すぎるだけの広さだった。
集会場は板張りの四角い建物で、部屋中央にある一本の柱で天井を支えている。風を跳ね返し雨も通さない。おまけに特製の香料が心を和ませてくれるおまけまである。野宿を覚悟していた身としては、ありえないほど高待遇だった。
寛ぎたいところだが、あくび以外にやらなければいけないことがある。
隊長とセイリアが村の周囲、特に五日前に変異種が出たという畑を重点的に探索。残りは村で待機兼見回りが言い渡された。探索班が目撃証言から変異種の痕跡を調査して、得られた情報を今後の指針へ反映させる。
隊長も変異種の目撃証言については納得行かない部分があるようだ。指示を出すとき歯切れが悪かった。
「探索から戻り次第、協議する。何か質問は?」
隊長の目が横に滑って、隊員全てを通り過ぎる。その間に首を振って否定するシュミスは居ても、挙がる手はなかった。
「よろしい。では各々、速やかに行動を開始してくれ」
待機班に準備らしい準備はない。水だけを持って、集会場から飛び出した。
「変異種は、東にいたんだっけ」
太陽の下、いつの間にか横にいるシュミスに振り向く。いつの間にかと言うなら、後ろにいるクフォに使うのが適切か。
「一番新しいのが東。でも、そっちには隊長が行くから、南でいいんじゃないか?」
変異種の多くは南からやってくる。ずっと南、山を超えた先には多くの変異種を生み出す遺跡があるからだ。守るなら襲われる確立が一番高い南に陣取るのがいい。変異種は頭が弱く、単純な行動しかできない。だから、変異種を待ち構えるなら南がいい。
「しかし不自然極まりない」
ようやく喋ったクフォに驚き、振り向かざるを得なかった。
「地理的にクルエ村の東側に変異種が出現するなど考え難い。何者かに誘導されているかのようだ」
声が小さく独り言のようにも聞こえるが、おそらく違う。こちらを見る目がそう言っていた。
「珍しいパターンなのは間違いない。それに加えて多くの目撃証言があるのに怪我人が一人もいない。偶然に偶然が重なっているのか」
「もしくは、だまくらかされているバカ五人がいるのか」
シュミスの声に合わせて、こちらも声を落とした。一番近くにいる村人まで声が届かないように。
「嘘を言っているようには見えなかったけど」
「演技がうまいんだよ」
憶測ならなんとでも言える。逆にシュミスの言葉を間違っていると断言できる材料もない。続ければ続けるほど不毛な会話を予感してため息を漏らす。こんな話を続けるなら、まだ突風の中での砂遊びのほうが実がありそうだ。
シュミスがここで勝ち誇ったように口角をあげなければ、舌打ちが続いたりはしないんだが。
下らない雑談よりも、隊長からの指令だ。気づけば先行しているクフォの後を追う形で、まずは村の南側へ向かった。そこを中心に見回るつもりだ。
南側に進めば進むほど、村民の声が大きくなっていく。子どもたちが遊ぶ声だ。複数の声が入り混じっている。ここに子ども嫌いはいない。
小さい村だ。すぐに子どもたちの遊び場が見えてくる。そこには村を象徴するモニュメントがあった。どなたかの像だ。もうだいぶ経つのか風化で顔が識別できなくなっている。右腕も折れているし、作り直しを提案したい。金銭的にそうもいかないのだろう。
この場所は、正確には子どもの遊び場じゃなくて村の広場だ。像を中心に円形になっていて、周囲には村唯一の雑貨店や村長の家がある。
広場沿いに家を構えている人からしたら、子どもが走り回っているのは喧しくて仕方がないかもしれない。昼間中ずっと金切り声が続くのだ。もはや怪奇現象である。村人たちはそんな子どもに文句をぶつけるほど狭量ではないのだろう。
遊んでいるのは五人だった。背丈も性別もバラバラだ。様々な年齢の子が、みんな仲良く走り回っていた。
子どもたちの足はすぐに止まった。こちらに気づいたのが切っ掛けだ。警戒されているのか、遊ぶよりも興味をそそったのかもしれない。
「君たちは、この村の子かい?」
一歩だけ距離を詰めて質問を投げ渡した。
もし違うと答えられたらどうしよう。初対面でそんな冗談を言ってくれるなら、むしろやりやすいまであるか。この辺りには子どもが歩ける距離に人の生活圏はない。
子どもたちはお互いに視線を交わして相談を始める。知らない大人から突然声をかけられたのだ。自然な反応だった。
余裕があれば、子どもたちとも変異種の話をしておきたい。子どもは日中、ほぼ常に外にいる生き物だ。もしかしたら何か見ているかもしれない。
そのためにも近づきたいのだが、子どもたちの相談が長い。
あまりに暇だから、こちらも相談でもしようかと振り向く。議題はシュミスの恋愛偏差値についてだ。シュミスに虫を払うように追い払われてしまった。
口を歪めざるを得ない対応をされて、仕方なく子どもたちに向き直る。合わせてくれたのかもしれないが、丁度子どもたちの相談が終わったところだった。
最年長と思われる最も背が高い男の子が前に出た。
「あんたら誰だよ」
「この村で変異種が目撃されたと聞いて来た。首都のソルクレルカから派遣された魔術師だ。私はセルトゥム・カロシーク。後ろの馬鹿面が――」
「誰が何だって? 初対面相手にする挨拶じゃないだろ」
「訂正する。後ろのお兄さんがシュミス・ケルタスア。左隣がクフォ・シディナル。他に二人いるんだけど、それは追々。短い間になるかもしれないけど、しばらく滞在することになった。遊び相手になってくれるとうれしいです。よろしく」
子ども相手に、いきなり変異種と名を出してよかったのだろうか。まあいいだろう。子どもは馬鹿じゃない。経験が少ないだけだ。隠したところで気づかれる。それに隠す利点は少ない。我々に対して抱かれるイメージが血生臭くなるくらいだ。
「ああ、あんたらが……」
最年長の子は予め聞かされていたのだろうか。こちらの素性を知って頷いていた。
「ってことはさ、魔法使えるの?」
警戒心が好奇心に姿を変えた瞬間だった。もはや間に壁はない。子どもたちが拳一つで叩き割ってしまった。向こうからずいずい迫ってくる。
「実は俺、魔術師に憧れてんだ。前村にきた魔術師が格好良くってさ、凄かったんだぜ」
変異種の対処は任せてもらっていい。でも子どもの相手は難しい。私では子供の遊び宛は務まらない。前に出なければよかったと後悔した。私の影に隠れようとするシュミスが恨めしい。
「俺も魔法ができるようになりたいんだ。お願いします。教えてくれませんか」
他の子どもたちが後ろで呆けているのが目に映る。自分たちのリーダーが知らない大人たちの元に亡命して思考が追いついていないようだ。
さて、どうしたものか。魔法を学びたいらしいが、私では基礎を教えられない。空を見上げても、雲が綺麗だなくらいしか出てこなかった。思いつきたいのは断り方なんだが。
頭ごなしに駄目だと言い放ち、強引に断れば心証が悪くなってしまう。当たり前の計算に時間を掛けていると、後ろから一人の男が滑るように出てきた。
「それは難しい」
なかなか言えずにいた言葉をあっさりと口にしたのは、ずっと静かなクフォだった。
「我々は魔法を伝えるために来たのではないからだ」
「えぇーいいじゃんか。少しくらい付き合ってくれてもさ」
「その少しがないんだ。警戒と休憩の時間しかない」
じゃあ、たった今は何やっているんだと訊かないでほしい。誰も答えられない。
それにしても、こんなに話をするクフォは初めて見た。クフォと関わる機会自体が少ないので、当然かもしれないけど。広場の中央にある草臥れた像とクフォ、どちらがお喋りかようやく判明した。
「休憩の時間があるじゃんか。そのときに少しでもいいからさ」
「休ませてくれ」
「なんだよ、ケチ。魔術師はみんなそうだ。そうやって勿体ぶるんだ」
「すまないね。教えられないんだ。でも、魔法を見せてあげることならできる」
影からシュミスが躍り出る。クフォが勝手に約束をしているからだ。
「おい」
「シュミスが抱いている心配は無用です。僕が子どもたちの相手をするので予定通り、二人は村の南側を重点的に見回りお願いします」
「ちょっと!」
こちらの声も聞かずに、クフォは子どもたちを引き連れていく。あまりにも勝手過ぎるので止めようとした。しかし、今まで見たことがないクフォの笑顔を見たら、言葉に詰まってしまった。
クフォの動きは早かった。もう既に、子どもを連れて広場の隅っこで魔法を使って石を転がして遊んでいる。子どもたちから感動の声が上がった。
子どもの一人が「すごい、すごい」と飛び跳ねているが、特段優れている点は何もない。その男、クフォはそんな小さな石どころか、家一つを吹き飛ばすくらいできるんだぞ。
クフォがお守りをして、子どもからの心象を良くするのは、我々にとってプラスになってもマイナスにはなりにくいだろう。
そう判断して、クフォは放っておくことにした。
見回りくらいなら二人でもできる。なぜなら、この村は狭いから。
「クフォは放っておいて、とりあえず南端を確認しよう。柵の有無、何かしらの防衛策はあるのか、変異種が現れた場合、変異種の体の大きさ、特徴毎に経路の想定と対策を即興でいいから組み立てておく。隊長が戻ってきたら、異常なしです、以外にも言えるようにね」
「要はいつもどおりだろう? 了解」
シュミスが先行して南側に早足で向かった。距離を空けられないよう、こちらも速度を上げて歩く。シュミスに離されても不利益はないのだが、手を抜くな怠けるなと小言を並べられてしいそうだ。