62宇宙クルーズ船ASUCA2
定時になったところで司会者が一段高くなったステージに上がり、簡単な挨拶の後、主賓を紹介した。
「あれ? 主賓の名前と役職がわたしと一緒? って、わたしのことじゃない!?」
「一条さん、急いでステージに向かわないと」
「じゃあ行ってくる。何も用意してないのに。誰がわたしを主賓にしたんだよーー」
一条は泣き言を言いながらステージに向かっていった。
一条のボディガードも当然一条を追ったが少し距離を取っている。一条には知らされてはいないが狙撃されたとしても一条の頭上には、アギラカナ大使館からドローンがステルスモードで付き従っており、狙撃手から発射された銃弾は飛翔中にドローンが撃ち落としてしまうため、銃弾が一条に届くことはない。
また至近からの発砲などの場合は、発砲行動をとった段階でボディガードによりその人物は取り押さえられる。
一条の挨拶の前にステージ脇に待機していたソーラー・クルーズ担当者によるASUCAの概要と特徴の説明があり、その後、司会者からマイクを渡された一条がステージ上の演壇で挨拶を始めた。
「ご紹介にあずかりましたアギラカナ代表特別補佐官一条です。
みなさん、太陽系観光旅客船ASUCAの処女航海セレモニーに参加していただきアギラカナを代表して御礼申し上げます。
航海の安全に関しましてはアギラカナが責任を持ちますのでご安心ください」
仕込みだったのかもしれないが、ここで大きな拍手が起こった。そしてカメラのフラッシュが各所でたかれた。
あまり公の場に出ることのないアギラカナ代表特別補佐官であるため、メディアからのニーズは高い。もっともこの肩書きはアギラカナ代表の山田圭一が適当に一条に付けたものだが、結果的に日本政府からアギラカナのナンバー2として認識されている。
「これからASUCAに乗船して世界初の太陽系観光を体験される方は、地球人としてはアギラカナ代表山田圭一に次いで太陽系の諸惑星を肉眼で間近に目にすることになるわけです。
私自身も月までしか行ったことがないのでうらやましい限りです。
代表補佐官として日々忙しく立ち働いているわたしも、そのうち休暇を取ってASUCAによる太陽系クルーズを楽しみたいと思っています」
ここで会場から笑いが漏れた。
「どうぞ、わたしを置いてASUCAの処女航海をお楽しみください」
簡単に挨拶を終えて一条はステージを降りた。
一条の挨拶に続き国土交通省副大臣が挨拶を終え、司会が法蔵院麗華ソーラー・クルーズの社長の挨拶です。と言って麗華を呼んだ。
打ち合わせなどなかったが、麗華が挨拶のためステージに立った。
「ASUCAを運用するソーラー・クルーズの社長を務めます法蔵院です。
わが国とアギラカナの友好の印となる太陽系クルーズ船ASUCAが驚くほど短期間で建造され無事処女航海の日を迎えることができ、万感の思いです。
ASUCAに多くの方々が乗船され、太陽系を巡り、はるかかなたからこの地球を眺めると、この地球はおそらく芥子粒にも満たない小さな点に見えるでしょう。そのちっぽけな世界にわたしたち80億を超える人類が生きていることの奇跡を実感されるのではないでしょうか。
ご存じかと思いますがこのASUCAの名前は、とあるweb小説に登場するヒロインの名前にちなんだものです。すでにASUCA型の2隻目のクルーズ船であるSHIRLEYも艤装工事に入って近々就航する予定です。
SHIRLEYが就航すれば、予約待ちも幾分緩和されると思います。
とりとめがなくなってしまいましたが、これでわたくしの挨拶を終わらせていただきます」
式場からの拍手の中、麗華はステージを降りた。
次に、桟橋からASUCAを結ぶ大型ギャングウェイ(注1)の入り口前にテープカットのための赤いリボンが渡された。
来賓のうちの一条はじめ、麗華やその他の代表が係に呼ばれてテープの前に立った。そこで各人に白い手袋とハサミが渡された。
全員が白手袋をはめてハサミを用意したところで、司会の合図でリボンがカットされた。
同時に報道陣や記念撮影ためのカメラマンがによるフラッシュがたかれた。
テープカットの後、来賓が全員集合し記念撮影を行ない、司会の閉会の言葉により、セレモニーはいったん終了した。
式場脇に置かれたテーブルの上に用意された飲み物を、給仕の人たちがトレイに載せて、来賓に配っていった。
一通り飲み物が行き渡ったところで、司会の音頭で「乾杯」
10分ほどの歓談の後、11時までにASUCAに乗船するようアナウンスがあり、三々五々来賓たちはギャングウェイを上ってASUCAに乗船していった。麗華と代田も一条と連れだってASUCAに乗船した。もちろん一条のボディガードたちも同行している。
ギャングウェイを上った先のウェルカムエリアはロビーになっていて、見上げるほどの天井には巨大なシャンデリアが電灯色に輝いていた。
素材はガラスではないのだろうがロビーの壁が鏡張りになっているため、ただでさえ広大なロビーがさらに広大に見えた。
「わたし、クルーズ船に乗ったことはなかったんだけど、これって船じゃなくって宇宙船なんだよねー」と一条。
「そうですね。海に面したデッキがない以外はクルーズ船そのものですものね」
「一条さま、法蔵院さま、代田さま、ラウンジにご案内します」
縁の厚い眼鏡をかけ、イヤホンを着けた女性スタッフが、入り口で一条たちを迎えてくれた。
「わたしたちの顔をスタッフの人って知ってたのかしら?」という一条の問いに、麗華が答えた。
「顔認証システムで、乗船者の方々の区別をつけてるみたいですよ」
「麗華ちゃん、よく知ってるね」
「社内での説明会で説明を受けてますから」
「わたし、すっかり忘れてたのかしら? ASUCAのチケット取るには顔写真が必要って事だけ覚えているんだけど」
「いえ、一条さんは説明会には参加していらっしゃいませんでしたから」
「よかったー。聞いていたのに忘れたら、ボケが来たってことだものね」
「一条さんに限ってそんなことはないでしょう」
「でもねー。最近物忘れするようになったのよ。そのせいで今日も遅れそうになったの」
今日遅れそうになったのは単純に寝坊して出発が予定時刻より遅れたためだったが、一条は物忘れのせいにしてしまったようだ。
遅くなったことと物忘れにどういった関連があるのか麗華はよく分からなかったが、あいまいに相槌を打っておいた。
ステルスモードで一条に張り付いている護衛ドローンによって、一条のオフィシャルな行事での行動は会話も含め全てアギラカナ大使館でモニターし記録している。今現在大使館では山田圭一アギラカナ代表が自席でマグカップに入れたインスタントコーヒーを飲みながら机の上のモニターに映った一条の映像と流れたこの発言を聞いて苦笑いしていた。
彼らはスタッフによりロビーから階段を1段上がった先の部屋に案内された。
「こちらでしばらくお寛ぎください」
一条たちが通されたラウンジはいわゆるVIP専用ラウンジで、一般来賓は一般ラウンジに通されている。
ラウンジで、ゆったりしたソファーに麗華と一条が座ったところ、立ったままの代田に一条がソファーに座るように言った。
「代田さんも、気にせず座った方がいいですよ。ここはもうアギラカナなんだから」
日本に船籍登録しているので実際のところ適用される法律はアギラカナではなく旗国である日本の国内法なのだが、麗華はそのことは指摘しなかった。
「代田、一条さんもそう言っているんだから、遠慮せずに座っていいのよ」
「それではお言葉に甘えて」
ラウンジの一方の壁一面はスクリーンになっているようでASUCAが係留されている桟橋方向が映されていた。
代田がソファーに座ったところで、黒いホールベストを着けたラウンジスタッフがやってきた。
「お飲み物、軽食などをご用意しています。メニューはこちらになります」
スタッフに渡されたメニューを見た一条は、麗華と代田の予想に反してソフトドリンクを頼んだ。
「わたし、いま禁酒してるの。この前、月に視察に行ってきたんだけど、空港のラウンジで飲みすぎちゃって」
麗華は、一条のこの言葉にも答えることができず、あいまいに笑って一条と同じソフトドリンクを頼み、代田はミネラルウォーターを頼んだ。
「かしこまりました」
スタッフがいったん下がり、すぐにトレイに飲み物を載せて戻ってきた。
「どうぞ」
「「ありがとう」」「ありがとうございます」
それぞれグラスを受け取って口をつけた。
「せっかくラウンジにきてるんだからやっぱりアルコールがないともったいないと思わない?」
「わたしはまだ未成年ですから」
「麗華ちゃんて、落ち着いているから学校の制服着ていても大人に見えるのよね」
「そんなことはないと思いますけど」
「いやー、麗華ちゃんは立派な大人だよ。わたしなんかよりよっぽど大人じゃないかな」
「ありがとうございます」
この会話を聞いた山田圭一は大きくうなずいた。
注1:ギャングウェイ
乗員、乗客が船を乗り降りするため、船とふ頭や桟橋を繋ぐ(機械式)通路のことで、ここでの形状は大型飛行機用のタラップ。