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稲荷神考

作者: いのしげ


 福岡の方でお稲荷さんの石像が4体壊されたという話を聞いて。(※注意! これは2015年4月に書かれたモノの焼き直しです)


 全く以てこういった文化財を破壊するという行為には、微塵の情状酌量の余地も無く、さっさと天罰で滅ぼされればいいじゃないかと思うんだが、どうだろう。


 しかしだ。やたら「お稲荷さんの祟りは怖いぞ」みたいな話をガーガー書いてる輩が多いが、じゃあそもそも明治維新の廃仏毀釈後「一村一社令」が出た時、アホみたいにぶっ壊しまくった神社が数万社有るのだが、この時祟りがあったのかというと、数例しか確認出来ておらず、しかも、その後ご丁寧にアメリカのB‐29が日本の津々浦々を焼きまくった訳だが、この時アメリカ人に何か祟りがあったのかというと、とんとそういう話は聞かない。寧ろ、焼夷弾の前に祟りは脆くも敗れ去った訳だ。せめて神風の一塵位吹いて欲しかったものだ。



 うむ。じゃあ、なんでお稲荷さんは祟ると思ったんだろうね?

 狐だから? 狐…弱い生き物だよ? ホンド狐は滅んじゃったよ? 蝦夷のキタキツネが今細々と生きてるくらいだよ? CMで有名になったチベットスナギツネは目が死んでるよ?

 なんで狐だと祟る?


 そもそも、お稲荷と、狐って本当に一緒なの?


 先ずはそこから話していこうと思います。稲荷神の正式名称はウケモチノカミとか、ウカノミタマとか言われてますが、ハッキリ言ってよく分かっておりません。秦氏の氏神という説がありますが、秦氏は一枚岩では無いというか、何処から何処までが秦氏なのかもよく分かっていない状況ですので、これまた推定の域を出ません。つまり何が言いたいのかというと、一昔、日本で外国人を見かけると全部「アメリカ人だ」と思った様に、昔の大和人は渡来人を全部ひとくくりに「秦氏」と見た風潮があるのです。例えばイラン方面から来たとしても「秦氏」。モンゴル方面から来たとしても「秦氏」……ザックリし過ぎでしょ?


 一般的には稲作に関する神様と言われておりますが、これも『記紀』のオオゲツヒメやウケモチノカミからの流用な気がして仕方ありません。何故ならば、総本家の伏見稲荷の祭典を見てみるに、五穀豊穣(勿論ある)の要素が見当たらないからです。

 これは『宗像教授』シリーズでもたびたび言及された様に、どうも「丹」との繋がりが強い気がします。丹…つまり「辰砂」です。…そう、水銀です。

 かつて、アマルガム製法に頼っていた世界では、金と水銀は同等の価値がありました。金鉱脈の探知に疎い日本でしたが、幸いなのか、国土の至る所で水銀は良く見つかりました。前々から言っておりましたが、日本が天平時代にいきなり中国に並べるほどの文化水準を持てたのかというと絹ともう一つ、この水銀だったのです。


 ここで一旦、お稲荷=狐、という話に戻りたいと思います。よく狐の背中の金毛が豊穣に実った稲穂を連想するからとか、狐は稲の天敵ネズミを食べてくれるから…といった理由で狐になったという話です。ハテ、それにしては狐だけ酷い仕打ちで狩られまくったような気がしてなりません。

 同様に、「宇賀神信仰」というモノがある様に、ヘビの神様も稲荷神として崇められたりもしております。これがいわゆるウカノミタマ=蛇玉です。

 宇賀神もよく分かっていない神様の一つです。ヘビの神様なのですが、頭は翁、老人なのです。更に言うと、ヘビ繋がりで弁天信仰とも結びつくので、大変ややこしいです。いつか、時間と暇があればここら辺についての研究もしていきたいと思います。

 じゃあ狐はどこから来たのかというと、平安初期に伏見稲荷を統括した人物の話をしない訳にはいきません。


 大体、平安文化を数多くプロデュースした人物として外せないのが、弘法大師空海です。90年代の音楽シーンを小室哲也抜きに語るヤツはモグリである様に、平安初期文化を空海抜きには語れないのです。


 稲荷神を密教の神様「ダキニ天」と喝破したのは空海です。本当に稲荷がダキニ天かどうかは置いておいて、現在の稲荷神とダキニ天は似ても似つかない代物です。

 また「ダキニの眷属は本来ジャッカルだ」という話もありますが、いえいえ、そもそも古代インドにジャッカルって居たの? と、思ってちょっと調べたら完全に俗説でした。根拠のないデマです。

 ダキニは本来、個性等無い、一使役だったようですが、何故か空海は稲荷をダキニと確定しました。狐繋がりなのか、ちょっとそこら辺はもう少し調査の時間を下さい。


 因みにですが…天皇の即位式の時には必ずダキニ天真言を唱えるしきたりとなっており、これは平安後期以降、連綿と絶える事無く伝わっております。恐らく、天皇に課せられた使命と言えるものが五穀豊穣ですので、その関係で唱えるのだと思います。


 稲荷という名前はそもそも「稲生(いなう=稲が生る)」から来ていると言われており、稲の神様というのは概ね間違いないようです。稲荷神にオイナリさんを供える様になったのは江戸時代初期と言われております。アブラゲ自体は室町末期にはあったのですが、その黄金色から→狐→お稲荷さんとなった様です。

 そして、ココが重要。江戸時代になって戯曲・歌舞・音曲が発展するに至り、狐を題材にしたネタが数多く上映されることとなりました。そう、阿倍清明の母、葛葉とか玉藻前の九尾のキツネなど…エンタメとなって初めて狐が恐ろしいモノだという認識が生まれたのです。豆知識ですが、民俗学的に身近で化けるモノといったら、当時普通はタヌキでした。それだけタヌキは人里に出てきており、認知され易かったのに対し、狐は警戒心が強く、あまり人里に下りなかったからです。


 お稲荷=狐 =祟るという発想は、つまり江戸時代中期から後期にかけて醸し出されたものであり、我々が思っているほど古いモノでは無いのです。良いとこ200年くらいでしょうか。

 だからそういった発想がちゃんと醸造されていなかった100年前の明治維新の時には祟りが発動されなかったんですね。 


 大分端折ってしまいました。もっともっと丹生津姫とかの関係や、金毘羅神など…はたまたカカミとカンナビにも言及してみたかったのですが、今回は精気が尽きました。また何がしかの事件や発見がありましたら、改めてこういう話をしてみたいと思います。


 考古学や民俗学は遺跡調査するだけではなく、現代を如何に過去に置き換える事が出来るかの作業だと思っております。人間はどれだけ発明を繰り返し文明が発達しても、精神面はそんなに進歩していないんだという再発見でもあると思うのです。



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