7話:エンカウント・ジ・エネミー(2)
ジャック・ウエィツキンがAMIS八王子支部に出勤した頃には、時間は午前10時を回っていた。 AMISの基本勤務時間は9:00~17:00である。ジャックは遅刻がバレないようにそそくさと生体認証を終え、事務所の裏口へ忍び寄る。どこぞの蛇の名前を持つ潜入員クラスの侵入だと、ジャックは心の中で自賛していたが、裏口のドアを開けた瞬間、目の前には鬼の顔になった廉が立っていた。
「1時間遅刻。はいこれ”いつもの”始末書」
鈴の様な声を冷たく響かせ、廉が始末書をジャックに押しつける。ジャックはそれを受け取るより先に、理不尽を叫ぶ。
「なんだって日本人は終業時間は守らないくせに始業時間は、こんなに厳しいんだ!」
自分は毎日、毎日残業して、あまつさえ休日出勤までこなしている。それなのにちょっと遅れただけでこの世の全ての悪みたいな扱いを受けるのである。これではオチオチ深夜アニメも見られない! 日本の社会というのは大変に非効率だ! もっと労働者に安らぎと権利を与えるべきなんだ――!!!
そういう意味を含めた抗議の視線を廉に送る。すると廉は、何時ものオキニの声優のような可愛い声からは考えられない、薬中のデスメタラーのような声で言った。
「まず、謝るのが先だろうが……。ア”?」
「マジスンマセンデシタ……」
生まれて初めて心の底から震え上がったジャックは廉から素直に始末書を受け取ると、よく躾けられた犬のように彼女の後を着いていく。これから自分にはペナルティとして地獄のような労働が待っているだろう……。そう思うとジャックは考えるのを止めた。
2人はグラウンドに向かう。駐車場も兼ねたそこには、1台のトラックが止まっており、そこでシャリアロットが忙しなく積み荷を確認しながらトラックの運転手と話していた。
「何やってんだ?」
ジャックが言うと、廉が普通のメタラーくらいの声で答えた。
「新型のAJのパーツ納品。対『ガイド』用のらしいわよ」
「それマジ? 見に行こうぜ!」
即調子を戻したジャックがシャリアロットの元に向かう。廉はため息をつくとそれを追った。
2人がシャリアロットの元に着くと、丁度話が纏まったのか、コンテナを残してトラックが発進していく。色々と電子ボードを叩いていたシャリアロットは、近づいてきたジャックに気づくとジトっとした目で言った。
「あら、おはようウエイツキン社員。遅かったわね。ここはフレックスだったかしら?」
ジャックは視線を逸らしながら言った。
「曜日によってはそうかも。――それよりも、それが例の『切り札』って奴か?」
シャリアロットは僅かに嘆息して答えた。
「そうよ。内の系列のバイラテクニクスが作ったやつ。まだ、上半身の装甲しか無いけど」
「およ? 完成品じゃないのか」
「敵がいつ動くか分からないから、出来る限り早く動かせるように近い工場からパーツを順々に持ってきて貰ってるの。12時までには全部揃う予定だから、そこから組み立てして、調整して、15時から試験運転予定」
「お、マジか! じゃあ俺も15時までアップしとかないとな!」
「……言っておくけど、オペレーターは貴方じゃないわ。鳴瀬社員よ」
「後輩が!? 確かに後輩は超エース級だけど、ここで一番腕が立つのはオレだぜ!?」
後輩――鳴瀬助のAJの操縦技術は大した物である。今、AMISで5つあるAJの技量評価項目『近接戦闘』『射撃技術』『戦術機動』『戦術判断』『戦術指揮』の内、『戦術機動』の評価は後輩が20万人いる社員の内トップだ。跳躍用ブースターを用いたAJの高速移動や、DMSを解除した状態での超機動はアイツにしか出来ない。そこら辺の奴なんて相手にならないレベルだろう。しかし――
『戦術機動』と『AJ指揮』を除く、それ以外の項目は現在、全て自分がトップである。総合的に見たらAMIS最強の座は自分である筈だ。ならオレが乗る方が、筋ってもんだろ!
納得出来ず口を尖らせる。シャリアロットはそんな反応を分かっていたように続けた。
「貴方の技量については熟知してるわ。ウェイツキン社員。でも、この機体には技量あるなしに関係無く、動かせる人間が限られるの。貴方はその条件を満たしていない」
「後輩は満たしてるって事?」
「そうよ。体質的にね」
「ふ~ん……。まあ、後輩が乗るならそれはそれで良いけどね」
特に食い下がる事無くジャックは引いた。横から廉が言う。
「アッサリ引き下がるのね。『新型はオレが乗る!』って駄々こねると思ってた」
「いやさ。よくよく考えれば、日本においては遙か昔から新型のロボットには、ティーンエイジャーが乗るのが伝統だからな! 古事記にもそう書かれてた!」
「アンタの言う伝統はアニメの伝統でしょうが……。というか、古事記って何よ……」
ため息をつきながら呟く廉を横目にジャックは言う。
「ともかく、コイツがあれば例のしっぽ頭には楽勝なんだろ?」
「ええ、十分機能すれば、テールヘッドも含めて『ガイド』有利に戦えるわ。ただ――」
「彼等が先に動かなければ……だけど」
シャリアロットは時計を見る。時計の針は10時30分を指していた。
■
補習は校舎の4階にある1室で行われた。内容は英語、古典、数学で、メジャーな3科目が主な内容だった為か、補習を受ける人間はかなり多く、助を含めて1クラス分の人間がいた。 助は教室の窓際、一番後ろの席を確保し、隣には月神が座っている。前の席に座っていたのが毛頭という同じクラスのアフロ頭の男子生徒だった為、電子黒板が見え辛かった。
なんとか英語と古典を乗り越え、小松先生の数学の授業も終わりが近づく。時間は11:30分。助は勉強で重くなった頭を小休止させる為に、窓から外を覗く。普段は周囲を森に囲まれた、やたら大きな校庭が見えるだけの面白くも無い風景だったが、――今日は違った。
(……なんで清掃会社の車が校庭に並んでるんだ?)
校庭の真ん中に数台の黒い大きなバンが止まっている。車体の後部には『シルバークリーン(株)』の文字が見えた。グリーンダストで敷かれただけの校庭に清掃するものなど有るのだろうか……?
不思議に思っていると、バンの中から数人の人間が出てくる。青い繫ぎ姿をしていたその数人はバンの後方を開ける。中に、あったのは清掃道具ではなく――AJだった。
「――!?」
一瞬高鳴った鼓動を助は瞬時に制御する。思考を学生の状態から一気に切り替え。そのAJを見る。分厚く角張った装甲を持つそれは中国製の第三世代AJ――『機人』だった。
機人は稼働状態にあり、バンの中から次々と出てきた。その数は3機に達し、そのAJ達はまだ後部ドアが開いていないバンに向かい、何かを運び出し始める。助は最初、AJを全神経を使い注視していたが、機人がバンの中から取りだした物を見ると、瞬時に視線がそれに移る。
何かの宝石のようなものが埋め込まれた分割された石柱、同時に見たことも無い文字が刻まれた3つに分かれた円陣。まさか……アレは――!!!
バン!
椅子を弾き飛ばして助は立ち上がる。周囲の視線と小松先生の視線が集中するが、そんな事どうでも良かった。ただ、1つ。ありとあらゆる仮定と推論を吹き飛ばす、決定的な事実があったからだ。
(奴らが『ガイド』か!!!)
直感的に理解する。写真でしか見たことが無いが、間違い無い! あの石柱と円陣はDEMを呼び込む為の装置である『鍵』だ! しかし、なぜ奴らがこの学校に!? いや――
シャリアロットが言っていた『ガイドが学校に来るかもしれない』という台詞を思い出す。この学校は間違い無く『鍵』を設定する場所の候補地の一つだったのだ。いくら可能性がゼロに近くてもゼロではない……! 自分が勝手に来ないと思い込んでいただけだ!
「月神!!!」
隣に座る彼女に叫ぶ。とにかく一刻も早くこの事態に対処しなければならない!
彼女は突然叫んだ助に対して戸惑った表情を見せた。助が口を開き書けた時、窓の外から一瞬青白い光が差し込み、教室を照らす。
あまりの光に目を閉じる。光が収まり、目を明けると窓の外には半透明な光の膜のようなものが学校を覆っているのが見えた。膜の表面には見たことも無い文字が幾重にも刻まれている
「え、何々?」「何かのドッキリ?」「シャボン玉か?」
突然の異常事態にその場にいた生徒達は各々感想を述べながら窓に殺到する。俄に騒がしくなる教室を小松先生が「静かに!」と叫んで制しようとするが、全く効果が無い。
AMISに報告しようと携帯に手を伸ばす。ホーム画面上に表示された電波の状態は圏外だった。恐らくこの光の膜の影響だろう。完全に先手を取られた……!
「タスク……!」
助の隣に月神が立つ。事態が飲み込めた彼女の声は緊張を孕んでいた。
「……例の連中だ。清掃会社に扮して侵入してたみたいだ。校庭に『鍵』が置いてある。それと外の膜はなんだ? 何かの魔法か?」
「【バーズトゥース】……高位の結界魔法だ。術式が暗号化されているが、まず間違い無いだろう」
「クソ……。とにかく皆に連絡を取らないと――」
ジジ……
教室内のスピーカーにノイズが走る。校内放送が流れる事を察した生徒が騒ぎつつもそれに耳を傾けていると、スピーカーから男性とも女性とも言えない合成音声が響いた。
『この学校は占拠された。校内の人間は速やかに廊下に出ろ』
テンプレート染みた内容に、教室から「映画かよ!」「テロリストじゃん!」等々……脳天気な声が上がった。生徒達はおろか小松先生ですら、顎に手をあてて「こんな事が起こるなんて聞いてないんだけどなぁ……」と唸り、教室から出る気配すらない。助と月神の2人も敵の目的が分からない以上、動けず、教室で互いに無言で居ると。突然校舎が揺れ、隣のクラスから爆音が響いた。
先程までの楽天的な雰囲気から打って変わり、生徒達から悲鳴が上がる。
助が窓から隣のクラスを見ると。教室には大穴が空いており黒く焼き焦げた机と椅子。散乱したガラスが見えた。視線を校庭に移すと3機いた機人の内1機が、こちらに手持ち式の20mm砲を構えているのが見える。
『手間をかけさせるな。早く出ろ。次は当てるぞ?』
合成音声では無く、男の声がスピーカーから響く。何処かで聞いた事のある声だったが、助にそれを気にする余裕は無かった。
■
「……チッ! ガキ共が……」
レオナスはトランシーバーを乱暴に投げながら、車から出る。車外には3機のAJ『機人』が立っていた。
「チンピラ共に奴らを体育館まで集めさせろ。お前達は引き続きAJで『鍵』の準備だ」
レオナスがそのAJ達に指示を出す。今、副隊長であるバルボラとその部下2人は魔法鎧では無くAJに乗っている。各人の魔力や魔法の技量によって出来る事が左右される魔法鎧よりも、ソフトウェアに優れ、戦力として安定しているAJの方が、余程使い勝手が良いためだ。
1機が前に出る。20mm砲を背負ったその機体はバルボラが乗っている物だった。
「了解です。しかし、結界を張った今、我々の任務はほぼ達成したと言っても過言ではありません。今更人質を取る意味が有るのでしょうか?」
「”女神様”がこっちの世界に来てるんだろ? なら意味がある」
「……学校に潜んでいると? そんな偶然がありえますか?」
「女神はこっちに来る前に幾つか情報を奪っているんだ。充分その可能性はある。なら、それに備えて人質を取っていれば、慈悲深い女神様は『鍵』への攻撃より人質の救出を優先するだろうから、やりやすくなる。もし、女神が居なくとも人質とチンピラ共を纏めて処理をする為の過程だと考えれば良い。いずれにせよ俺達に損な事は何もない」
この仕事を終える時には、自分達の事を知っている現地の人間には機密の為に死んで貰わなければならない。それは今、自分達が雑用の為に雇っているチンピラ共も例外じゃない。彼等も現地人である以上、遅かれ早かれ始末する必要がある。なら、人質と一緒についでにやっておいた方が楽だ。
「何にせよそんなに深く考える必要は無い。俺が完璧主義者なだけだからな。お前達は、後から魔動機と一緒に来る本体の連中に媚びうる言葉でも考えとけ、原隊に復帰したいんだろ?」
「隊長は? 復帰されないのですか?」
「俺は暫く向こうに戻って休暇さ、元々そういう条件で来てるからな。本体の連中と一緒に負け戦なんてまっぴらゴメンだ」
「……”負け戦”? 我々が誰に負けると?」
バルボラは心底理解出来ないと言った。レオナスはそんな彼を鼻で笑う。
「この世界の連中だよ」
「ありえない。魔法を発動出来るだけの魔力も持たない劣等人種に、私達が負ける筈が無い」
バルボラは重く低い響きの声で言った。それは自分の信じる信念や教示と言った物が小馬鹿にされ、嘲笑された時に出る物と似ていたが、レオナスにとってはそれは現実が見えていない者が発する、ただの自惚れた妄言にしか聞こえなかった。
レオナスは侮蔑混じりの視線を向ける。
「お前はこの2年何を見てきたんだ? この世界の連中は俺達よりもよっぽど先進的で、効率的で、破壊的だよ。国を吹き飛ばすような兵器を抱えながら、空には龍よりもよほど早い連中が飛び回り、地上では魔法鎧なんかよりよっぽど上等な装備を使ってる奴らがうじゃうじゃいる。しかも、どいつもこいつも魔法など使わずにだ。勝てるわけが無いだろう」
「……隊長は十二分にこの世界の兵器と渡り合ってたではありませんか?」
「確かに、対抗出来る人間はいる、俺みたいにな。だが、それはあくまで戦術レベルの話だ。万や億の人間が関わる戦いになったら、戦力を不安定な個々人の魔力に頼ってる俺達と、代替がいくらでも出来るこの世界の連中とじゃ、比べる気すら起きん」
「……ですが、我々には魔動機があります。数ならそれで補える」
「奇襲ならともかく、正面から使うのならあんなものは役にたたん。事実、国どころかただの民間軍事会社に20年以上完封されてるんだからよ」
「しかし――」
「もう黙れ」
バルボラを手で制す。正直これ以上、話の通じないバカに付き合ってられない。
「俺の言ってる事に納得出来ないというのなら、自分で証明して見せろ。最低この町くらいは灰に出来る。精々武勲を立てると良い。懲罰部隊の汚名を返上したいのだろう?」
「……そうさせて頂きます」
「じゃあ、さっさとと『鍵』の設置に戻れ。遅れると上の機嫌を損ねるぞ」
3機の機人はレオナスのその台詞を聞くと『鍵』が格納されたバンに焦るように戻って行った。レオナスはそんな彼等を見ながら改めて嘲笑する。身の丈に合わない野心を抱えた連中はなんとも生き辛そうだ。
再び車に戻り座席にもたれる。車内のデジタル時計は12:00分の時刻を示していた。予定の時刻まで後、1時間。レオナスは笑う。
「俺以外みんな不幸になる戦争の始まりだな」