7話:エンカウント・ジ・エネミー(1)
同じ時間。助達の家からそう遠くない、今は使われていない町の廃工場に6台の自動車が止まっていた。黒い巨大なバンだ。知らない人間が見たら装甲車のようにも見えるであろうその車体の後部にはとある文字が書かれていた。
――『シルバークリーン(株)』――
凡そ清掃会社の車とは思えない車体。その、運転席にいる人間はそれ以上に清掃会社に似つかわしくない男だった。
長身で、痩せ型。くすんだ長い銀髪は左側だけ異様に伸び、顔の左半分に存在する火傷の跡を隠している。およそこの世界では平均的な見た目では無いが、それを気にする人間など殆どいなかった。何故なら周りの人間は彼のことを『影の薄い清掃員』としてしか、見る事が出来なかったからだ。
その男は今、ハンドルに足を掛け、何かを待つように、目を閉じ、座席に背を預けていた。
ドンドン――
車の扉が叩かれる。外にはスキンヘッドの男が立っており、中にいる彼に言った。
「レオナス隊長。上からの指示です」
その男、アルゼラ皇国第三懲罰部隊の部隊長――レオナス・ローズハートは、目を開けると軽く首を鳴らして車から出る。
「ようやくか……。一体どれだけ待たせれば気が済むんだ。役立たずの元老院が……」
舌打ちしながらスキンヘッドの男――副隊長のヴェルガ・バルボラが差し出す紙を受け取る。白紙だったそれは、レオナスが触れるとあぶり出されたように文字が浮かび出る。持っている人間の魔力によって浮かぶ文字が変わる魔法紙だ。レオナスがそれに目を通していると、バルボラが言った。
「2日前アーシア様に基地を破壊されたそうです。中立である教会の使者だという事で油断したとか」
「相変わらず、自分達の言い訳だけは一人前だな。下っ端には自己責任だと言う癖によ」
「……しかし、アーシア様は”女神様”であらせられます。まさか、我々を襲うとは夢にも思わなかったのでしょう」
”女神”――その言葉を聞いたレオナスの読む手が止まった。
「女神だと? ただ魔力が多いだけの小娘だろうが? こちとら作戦の為にリスクを冒してカワゴエまで陽動に行ったんだ。それを素人のガキに好き放題やられて台無しにされた上で、『僕たち悪くない』なんてよく言えたもんだ。もし俺達がその場にいたら、全員不名誉除籍になってるだろうよ」
「……」
バルボラは黙った。レオナスの言う事が最もだったのもあるが、彼の女神に対する敬意の欠片も無い口ぶりに閉口した、と言った方が正しかった。自分達の母国が国教として崇め、奉っている女神へのその発言は、不敬罪にもなり得る重大なものだったが、彼はそんなこと微塵も気にしていないらしい。
レオナスは再び視線を紙に移し、読む手を進めると言った。
「死ぬほど無能な連中だが、脳ミソの欠片くらいはあるみたいだな。場所は予定通りだ」
「……あの坂の森という名の学び舎ですか?」
「ああ。俺達がいま”擦ってる所”だ」
「仕事が無駄になりませんでしたね」
「また、公園に集合、なんて言われたらいよいよ憤死する所だ」
坂の森高校――自分達が次の目標地点としている場所を思い出す。
あそこは『鍵』の設置場所として最高だ。『鍵』を問題無く発動出来る、広く整地された土地、清掃会社として無理なく侵入出来る状況、周りには自衛隊の基地も無く、あるのは潰れかけのAMISの支部だけ。これでもやりやすい事この上ないが、最も気に入っているのは”人質がいる”という事だ。
坂の森は学校だ。そしてそこに通うのはまだ10代のガキが殆ど。そいつらを人質に取れればこの国の連中はもちろんAMISも強い手を打ってこられなくなる。間違っても爆撃なんて真似は出来ない。『鍵』を設置し、DEMを呼び込むには充分過ぎる時間が稼げる。
レオナスの顔から不敵な笑みがこぼれる。AMISのトップが変わって以来、やたらと追跡が厳しくなり、今日までコソコソと清掃会社として身を隠し続けたきたが、ようやくその苦労も報われる時が来たのだ。笑わずにはいられなかった。
笑みを押さえ、後ろに並ぶバンを見る。
「よし、ロッヅヴェルとラグドライブを起こせ。チンピラ共にも連絡しろ。急げよ」
「……今からですか? 作戦はいつに?」
レオナスはバルボラに不気味な笑みを浮かべ、手に持つ紙を見せる。そこにはアルムニアの世界の言語で、
――『明日、13時』――
と書かれていた。
■
翌日。朝の日の光を浴びつつ助は補習を受けるため、何時もの学校へと続く坂を歩く。普段は1人で登校する助だったが、今日は違った。彼の隣には1人の女子が並んで歩いていた。
「う~ん……やはり反応はないか」
その女子、月神リサは学校に向かう途中ひたすら周囲を見回しながらそう言った。彼女はシャリアロットに頼まれて朝から『ガイド』の手掛かりになる”魔法的な何か”を”魔法で”探しているようだった。彼女が具体的に何をやっているかサッパリ分からないが、どうやら彼女の反応から察するに、収穫は特に無かったようだ。
「この学校じゃないんじゃないか? 他にも条件の良い所はいくらでもあるらしいから」
助が無表情で言った。シャリアロットが言っていた事だが、敵がDEMを呼び込める場所は関東地方には幾らでもある。そうなるとこの学校を『ガイド』がターゲットにしている可能性は確率的には相当低い。
当然の理論の帰結。しかし、彼女の表情はそれに反して晴れなかった。
「……相手がレオナス殿のような高度な魔法使いなら、術式を壁の傷に見せかけたり、魔力を極限まで抑えたりして、魔法の使用を巧妙に隠す筈だ。もしかしたら見落としてるかも……」
「それって、気を付ければ見つかるの?」
「……1月くらい入念に調べれば見つかる……”かも”しれない」
「なら、やめよう。現実的じゃない。それに――」
彼女のお腹がグゥ~っと音を立てる。たちまち彼女はバッとお腹を押さえた。
「魔法使うとお腹が減るんだろ?」
彼女は顔を真っ赤にしながら無言で頷く。
助はどうせそんな事なんだろうと考え、あらかじめ用意しておいたカロリーメイトを彼女に差し出す。彼女が満面の笑みでそれを受け取り、食べ終わる頃には下駄箱に着いていた。
「先に教室に行っておいてくれ、ちょっと職員室に寄っていくから」
昨日彼女と食事をしながら決めた事だが、今日一日は行動を共にした方が良いと考え、彼女も自分と一緒に補習に出ることにしていた。
彼女は「ん。分かった」と頷くと、先に教室に向かう。助は踵を返し職員室へと歩き出す。小松先生に昨日、補習に出られなかった事を謝る為だ。
職員室を訪ねて小松先生の元に向かう。昨日休んだ事を謝ると、彼女は少し驚いた表情を見せた後、「補習を欠席した事を謝りに来た生徒は成瀬君が初めてよ」と笑って許してくれた。
彼女から昨日の補習の分の課題を貰い、教室へ戻る。その途中、廊下に見覚えのある人の姿を見つけた。何時ぞやの自分に学校への道を聞いた清掃会社……確か”シルバークリーン(株)”という社名の清掃員の人だった。
その清掃員の人は、壁の塗り直しを行っているのか、ハケで壁を撫でていた。
彼は歩いてくる自分に気づくと、こちらへ振り返る。長身で痩せ型。くすんだ銀色の髪は顔の左半分を隠し、左手にだけ手袋着けた彼は、一般的とは言いがたい容姿の持ち主で、青いツナギと塗装道具が全く似合っていなかった。
僅かだが縁があったので、助が小さく会釈すると、彼は笑って言った。
「やはり君は珍しいね。俺の事が気になるなんて」
「……? はあ……」
意味不明な台詞。助が頭に疑問府を浮かべていると、その男はそれを気にせずに話はじめた。
「今日は補習?」
「ええ、まあ……」
「そう。頑張ってね」
それだけ言うとその男は再び壁に向かいかけるが、突然助へと再び振り向く。
「そう言えば。君には道案内をして貰ったお礼をしていなかったね」
「いえ、いいですよ。大したことじゃ無いですから――」
「今日は学校サボった方がいいよ」
「……は?」
困惑する助に、その男はそれ以上何かを言うわけでも無く、フッと笑うと壁にむき直した。
(なんなんだこの人……?)
助は悶々とした物を抱えながらも、教室に戻った。
■
魔法が通じない珍しい少年が視界の端から消えると、レオナスは壁に視線を移した。壁にはペンキの厚みを僅かに変化させる事で、巧妙に偽装された魔術式が幾重にも書かれている。『高位極光系空間断絶の術式』――つまる所、広範囲で結界を生み出す魔法の呪文だ。高度かつ繊細な魔法だが、一度発動すれば完全に結界の内と外を遮断出来る。普段ならこんな手間の掛かる物は使わないのだが、幸か不幸か、上層部の無能共のお陰でここ2、3日の間、時間が合ったので、清掃にかこつけて学校中の壁に書き殴っておいた。これが出来あがった以上、作戦はほぼ完了したと言って良い。もうここは俺のトリカゴの中だ。
レオナスはフッと鼻で笑うと、壁に『ペンキ塗り立て』の紙を貼り付け、立ち上がる。後は時間が来るまでに『鍵』を設置すれば終了だが――
「余った時間はボーナスに備えるか。強欲だからな俺は」
掃除用具の中から旧式のトランシーバーを取り出し、それに呼びかけるとバルボラが出る。
「AJの機動準備が終わったら、視聴覚室と繋げ。……何でだと? 決まってるだろ――」
「ここを占拠するんだよ」