風魔韻旅情-時代の終焉-
フマインがリョウマの付き人になってから六年が経った。
倒幕の勢いは日に日に増し続け、リョウマとその盟友であるナカオカが命を狙われる事も増えてきていた。
キョウの外れに寺田屋という旅籠があるのだが、そこで暗殺者に襲われた事もあった。
リョウマとナカオカの二人だけだったら危なかったかもしれない。
フマインは機転を利かせ、シンサクを頼って護衛の数を増やしていた。
「おんしがおらなんだら、ワシャどうなってたかわからんきに!ありがとぉなぁ!」
とは、暗殺者を撃退したのちにリョウマから肩を叩かれながら掛けられた言葉である。
普段は故郷のなまりを出さないリョウマだが、非常に興奮すると自然と出てくるらしい。
フマインはこの、一見物静かだが内面に龍を飼う男の事を師として慕っていた。
リョウマは神道無念流免許皆伝の腕前を誇り、それまで忍としての戦い方しか知らなかったフマインに王道の剣術を教え、一流の剣客へと育て上げた。
その頃のリョウマは、軍艦奉行の任を解かれて首都トクガワから離れたカイシュウを護衛する意味が無くなり、ナカオカと共に日の本中を駆け巡ってオエド城の無血開城を成そうと奔走している。
フマインもそれに付いて周り、様々な敵と対峙してきた。
だが、フマインの本当の仇は現れていない。
☆★☆
かつて風魔一族を壊滅させた服部一族の存在を、フマインは三年ほど前に聞かされている。
オエドの国では十五歳になると元服と言い、成人したとみなす。
平均寿命も短かった当時は、この年頃から結婚したり、家を継ぐのが慣例となっていた。
だがフマインに継ぐべき家は無く、許嫁もいない。
代わりにシンサクが用意したのが、風魔一族壊滅の真相だったのだ。
その日は成人祝いとして、フマインに関わりある者が十名程集まっており、その席では酒も振舞われた。
フマインはほぼ口を付けてはいなかったが、初めての飲酒体験でほろ酔い気分だった。
だがその心地良い気分は、シンサクのその話で完全に打ち砕かれる。
その日、フマインは大いに荒れた。
真実を隠していたシンサクとコゴロウをなじり、なだめようとしたリョウマやサイゴウにも噛み付く始末だった。
だが、集まった大人たちは誰一人としてそれを責めない。
フマインと同じ痛みを持つ者がいなかったからだ。
気持ちは分かる、などの当たり障りのない言葉をフマインに掛けられる者がいなかったからだ。
衝動に駆られて暴れたフマインだったが、叫び続けた喉を潤す為に飲んだものが酒だった為にそのままぶっ倒れた。
翌朝、覚えのない頭痛に苛まれながら起床したフマインは昨日何があったのかをシンサク達に聞いたが、困った顔で言葉を濁すばかりで誰も答えてくれなかった。
過去の真実を聞かされたところまではハッキリと覚えているのに、そのあと気付いたらもう朝だった。
☆★☆
現在に至るまで服部一族との交戦は無いまま、オエドの国の時代の趨勢は倒幕派に傾き続けている。
幕府のトップである大将軍ヨシノブは、表向きは幕府を護るために幕府軍の軍事調練などを進めているが、裏ではオエド城無血開城の為の手筈を整えていた。
無血開城とは、倒幕軍がトクガワに到着し次第、城を明け渡すという事。
つまり武力衝突を避けるという事であり、無条件降伏と同じ意味だ。
今に至るまで、倒幕派の主要人物であるサイゴウと数度にわたり秘密裏に会見をしており、幕府が倒れた後のヨシノブ自身の処遇など、細部に至るまで話し合いが行われて来ている。
「ふむ、やはりカイシュウやタダマサを失ったのは痛手だったな」
「左様でございます、ヨシノブ様。カイシュウ殿でしたらトクガワ湾に停泊している軍艦を黙らせる事も容易だったでしょうに」
「仕方がない。軍艦の砲撃が届く東海道ではなく、中山道を進むように彼らに伝えよ。あとは彼らがどうにかするであろう事を信じるしかない」
「はっ。ただちに使者を送ります」
ヨシノブと彼にごく近しい者数名は、倒幕に傾き切ったこの情勢を、なるべく血を流さずに終わらせたいと考えていた。
その為に幕府の象徴でもあるオエド城を、幕府最高権力者の大将軍ヨシノブが明け渡す。
この国を内戦状態にしない事が肝心だった。
長く内戦が続けば、疲弊される国力はこの国のものだけだ。
勝っても負けても、その疲弊しきった国を動かしていかなければならない。
それは並大抵の事ではないだろう。
倒幕軍はキョウに集結している。
キョウを進発し、そのまま首都トクガワに攻め上がるつもりだ。
それに合わせヨシノブ達は、無血開城決行までの秒読みを開始していた。
だがここで彼らにとっても倒幕派にとっても予期せぬ事態が起こる。
キョウにいるヨシノブの母が病に倒れたとの報せが入ったのだ。
急ぎオエド城を出てキョウへと向かった。
連れているお供はごく僅か。
大将軍が城を出たという話は、伝わる所にはすぐに伝わってしまう。
馬でひた走り続け、数日後にキョウの邸宅へ駆け付け、目を疑った。
母が住まう邸宅の扉を何度も強く叩いたところ、なんと出迎えに出てきたのは倒れたと聞かされた母だったのだ。
その瞬間、してやられたことを悟る。
母に体調などの変わりはないかを詳しく聞き、問題無いと確認し、その足でキョウの二条城へと入った。
急な大将軍ヨシノブの入城に騒がしくなる城内。
そこで彼はキョウにいる情報を集める役目の者、つまり忍びの者たちに緊急招集をかけた。
ひとつの確信を持って。
主だった者達が集まった事を確認し、会議を始める。
入口から一番遠い席にヨシノブが座り、その周りを扇状にお供の者達と部下が固める。
そして入口側には屈強な男が一人と、その他黒装束の者が四人。
彼らは全員が頭巾で顔全体を覆っており、見えるのは目の部分だけである。
「ヨシノブ様、如何なされたのです。キョウに来るという理由も話されず、お着きになられてからもお話しいただけていない。拙者、ひどく心配致しましたぞ」
「…ふむ。五日前の事だ。私が私用で使っている情報網に、我が母危篤の報せが入ったのだよ」
「なんと。して、お母上様はご無事でらっしゃるのですか?」
「ああ。何もお変わりなく、このキョウという都を楽しんでらっしゃる。 ところでジュウゾウよ」
「は。何でございますかな?」
「服部一族当主であるお前なら、このニセの報せがどこより発せられたか、知っているのではないか?」
「はて…。 拙者にはさっぱりわからんですな。 なぜヨシノブ様はその様にお考えに?」
「なに、いくつかの証拠を照らし合わせた結果として、その答えが出たというだけだ。お前に心当たりが無いと言うのであれば、後ろに立つお前の息子に詳しく話を聞かせてもらうだけだ。お主、名は何と言う?」
ヨシノブに話しかけられた、ジュウゾウの息子。
ヨシノブと父を交互に見、父が頷くのを見て答えた。
「ゼンゾウでございます、我が主」
ゼンゾウの声を聞き、動揺が走るヨシノブの部下達。
そのざわめきを片手で制し、ヨシノブが言葉を続ける。
「ゼンゾウ、か。服部一族の始祖はハンゾウという名前だったそうな。現当主がジュウゾウで、次期当主がゼンゾウとは。闇の世界を統べるお主らにも、ネーミングセンスが無いという欠点があったようだな」
唇のはしを吊り上げ、冷ややかに笑うヨシノブ。
「ハッハッハ!これは痛い所を突かれましたなぁ!いやはや、全くその通りでございます!これで拙者の父の名がキュウゾウだったならば、この話のオチとなったものを、残念ながら違うのでございます!ハッハッハッハッハッ!!」
腰に手を当て、体を揺らして笑う服部ジュウゾウ。
この場で笑っているのは彼ひとりだ。
空気がどんどん冷え込んでいく。
ジュウゾウが笑い終わるのを待つつもりではなかったヨシノブは振り上げた右手で目の前の机を強く叩いた。
その音を合図にピタリと止む笑い声。
「そうか。それでジュウゾウ…その、私と同じ声を持つ息子を使って何をするつもりだった?」
「嫌ですなぁ、何をするつもりだったか、などと。まるで、我々の企みが潰えたかのような言い方ではありませんか」
「ほう? この城は私の城だ。 私に何かあれば、他の者が黙ってなどいない。 それを忘れているのではないか?」
「いえいえ。全く忘れてなどおりませんよ?それにこの二条城がヨシノブ様の城であったのは昨日までの事。現在は…俺の城だ」
「…そうか、やはりお前だったのだな。前大将軍イエモチと密約を交わし、その見返りに得た情報で風魔一族を滅ぼして戦国乱世から数百年続く因縁にケリをつけ、そして今後のこの国を動かそうと暗躍していた者共の元締めは」
「ん〜〜〜。いいですねぇ、元締めという言い方。まるで栄えある服部一族をヤクザでチンピラだと言っているかのようだ…!」
殺気が迸る。
ジュウゾウの周りの四人もわずかに腰を落とし、いつでも戦える姿勢になった。
「貴様らこそ、私をただのお飾り将軍だとでも思ってるわけではなかろうな? お前たちのお粗末な襲撃を何度も撃退したのは、他ならぬ私自身だぞ」
ヨシノブは立ち上がり、刀を手に取る。
周りの者も同じ様に臨戦態勢だ。
数秒の間、にらみ合う両者。
先に仕掛けたのがどちらだったか、もはや定かではない。
最初に剣と剣がぶつかる音が数人分聞こえた時、ヨシノブは背後にあった隠し通路を使い、逃げの一手を打った。
ジュウゾウが二条城を掌握したと言うのならそれは事実であり、この城の至る所にはジュウゾウ配下の忍びの者が潜んでいるだろう。
ヨシノブ含め、たったの十人では瞬く間に全滅する。
だからヨシノブは逃げるしかなかった。
例え、自分を長く支えてくれた臣下達が忍びどもに細切れにされようとも。
息を切らし、ヨシノブは走る。
行く手から敵が現れれば角を曲がり、廊下で挟撃されれば襖を蹴破って広い室内へと敵を誘い込んだ。
ヨシノブは確かな剣術を学んでおり、それは闇を統べる服部一族の忍びと言えども下っ端では数人がかりでも歯が立たない程であった。
室内に入って来た数人を瞬く間に斬り伏せていた。
「はぁっ…はぁっ…」
息が切れる。
勝手知ったる我が城が、今や敵の城に成り代わった。
自分を含めて数人しかその入り方を知らない隠し通路に敵がわんさといる。
二条城は平城だ。
大昔に天守閣が落雷により焼失して以来、再建されずに天守台だけが残り、その真下にある大広間は謁見の間として使われている。
裏の通路を使ってその大広間まで出たヨシノブは、そこで三人の男が待ち構えていたのを知った。
「ヨーッス!ヨシノブちゃん!鬼ごっこおつかれさん!そんじゃここで死んじゃおっか!」
その真ん中に立っていた長身痩躯の男が軽い調子で喋り出す。
横に立つ二人はじっとこちらを見つめている。
「ヨシノブ?はて、誰のことですかな?」
「え?ヨシノブちゃんじゃないの?」
「ええ。私はヨシノブ様のお茶汲み係です。この争乱とは関係無いのでどうかそこを通していただけますか?」
「えー?それならしょうがないかー!いいよ!通って通って!」
「ありがとうございます…」
事実、大将軍であるヨシノブの顔を知っている者はそれほど多くない。
幕府要職の者や側近達はその限りではないが、幕府に属していたとしても大将軍と仕事上の関わりがある者はそうそういないのだ。
それは通常の護身の手段であるし、おいそれと誰でもが会える立場ではないからだ。
ヨシノブはこの三人に会った事はない。
彼らは服部一族の忍びなのでそれは当然であり、この手は通じると思っていた。
三人の脇をすり抜けようとしたその時、一人が動いた。
咄嗟に身をよじってかわしたものの、その手に持つ剣はヨシノブの首があった所を綺麗に通過している。
避けることが出来なければ自分の首がその辺に転がっていたのだと知り、背中を冷や汗が伝う。
「あれー?ただのお茶汲み坊主がこいつの太刀筋を避けられるわけないんだけどなー?」
「………」
「だんまりかよ。やっぱりただのお茶汲み坊主じゃないよな!!」
先ほどの剣閃をかわして転がり出た砂利の上、ヨシノブは刀を抜いて構えを取る。
それを見た彼らも刀を抜き、ヨシノブににじり寄って来た。
まずは一人ずつ順番に刀を交わす。
やがて三人が代わるがわる刀を交わした。
ヨシノブは応戦しているが、三人相手では到底勝てないだろう。
三人とも手を抜いているのがわかる。
完全に遊ばれているのだ。
そうしているうちに、また数人分の足音が聞こえる。
新手だ。
「ちっ、他の奴らが来やがったな。手柄を取られちゃうかもっつーことで終わりだ!じゃあなヨシノブちゃん!」
三人が横一列に並んで跳んだ。
ヨシノブの背後には壁。
転がり出た縁側からかなりの距離が出来ている。
遊ばれつつも追い詰められていたのだ。
三方向から飛んでくる必殺の斬撃を全てかわすことなど出来ない。
彼が死を覚悟した瞬間、敵の三人より更に上から降ってくる影がある。
早い。
そちらも数は三つ。
そして先に飛んだ三人よりも早く、後ろの三人の剣が閃いた。
反応出来たのは常に喋っていたあの男のみ。
他の二人は地面に倒れ伏し、首筋から血を流して死んでいる。
そして彼も、反応が間に合わなかった為に左の胸を背中側から立ち割られ、口から血を吹き出しながら、近くの壁に手をついて立っている。
「ゴボッ…! 参ったなぁ… これじゃまた、頭領に怒られ…る…」
それを見ていた男…少年と言って差し支えない彼が、首筋に指を当てて死亡を確認した。
他の二人もそれぞれ同じ動作をし、それを終えて立ち上がった。
「…君たちは?」
「これは失礼、申し遅れました。私の名はコゴロウ。そちらのボサボサ頭がシンサクで、そちらの少年はフマイン。数年前から貴方と連絡を取り合っていたリョウマの盟友です」
「そうか、リョウマの…」
「おいコゴロウ!早くしろ!」
「分かっている。立てますか?急いでキョウを脱出せねば」
「急いで?あぁそうか、もう始まってしまったのだな?」
「はい。佐幕派が暴発し、倒幕派の屋敷を襲撃。それに対抗して倒幕派が決起し、街のそこら中で戦闘が起きています。しかし最初の襲撃犯はどこを探しても見つかっていません」
「ジュウゾウの仕業だな。忍びを使って最初の口火を切った。よし行こう、続きはここを出てから聞く」
「はい。こちらへ。私たちで道を開いておきました」
「おいフマイン!」
「なんだよシンサク」
「お前さっきのやつ、何で首を斬らなかったんだよ」
「うるさい!刀が届かなかったんだよ!」
「お前なぁ、だから助走は俺らの倍取れって言ったじゃねーか。あいつ、無駄に苦しんで死んだんだぞ」
「うん……」
「あいつらに対しては完全に奇襲だった。俺らが勝つ可能性しか無かった。分かるな?」
「…うん、分かった。次は無いようにするよ」
「そうしろ。お前の為じゃなく、斬った相手の為にだ」
「うん」
シンサクと戦う事に関して会話をしたのはこれが最初で最後だった。
そしてそれを聞いていたヨシノブは耳を疑った。
彼らは、ヨシノブ達四人がいた場所から優に二十歩は離れた屋根から飛んだのだ。
だから上から降ってくるかのような格好になった。
彼らの強さは信用できるらしい。
四人はそのまま二条城を脱出。
その足でオオザカにある港へと向かった。
そこにある船で一気にオエド城のあるトクガワへ戻る。
馬では五日だが船なら二日。
停泊せずに行けばもっと早い。
当初の予定より早まってしまったが、オエド城の無血開城を実行するのだ。
船にはリョウマもいた。
それと、あの赤髪の青年も。
会わずにいた数年の間に、一文字だった傷が十字傷になっている。
この時のリョウマとの会話で初めて知った彼の名はシンタ。
優しすぎる名前だと彼の師匠に揶揄されたらしいが、名は変えずに今に至るらしい。
オオザカを発つ。
後方、遠くに見えるキョウの街からは幾つもの煙が上がっている。
サイゴウが指揮をする倒幕軍が、佐幕派の軍と戦っている。
この戦闘はのちに戊辰戦争と呼ばれる事になる。
「心配ですか、キョウの街が」
「シンサクか。…そうだな、心配ではないと言えば嘘になる。私の母も、部下も、キョウで暮らす幾万という人々も、心配だ。だが、ここで私が討たれればもっと多くの者が犠牲になる。それを避ける為だけにこの数年間があったのだ。今の私が取れる選択はこの船でトクガワに向かう事しかない。頼む、シンサク。私を守ってくれ」
「は。この命に代えましても」
フマインはその様子を少し離れたところから見ていた。
この国の頂点に立つ者、大将軍ヨシノブ。
彼が頭を下げて頼み込んでいる。
この瞬間、この国の時代はひとつの終焉を迎えたのだ。
異変が起こったのはその夜遅くの事だった。
船に付けられている警鐘が鳴らされている。
松明を持った乗組員が数名、船尾から身を乗り出して騒いでいる。
後方から三隻の小型船がすごい速さで近付いて来ているのだ。
既に陸地はうっすら見える程度に遠ざかっており、こんな時間に他の船にここまで近付く船舶はいない。
誤ってぶつかりでもしたらそのまま沈没してしまうからだ。
つまりは…
「追手だ。あの船の帆に描かれている家紋は間違いなく服部一族のもの。この船に攻撃手段は?」
「ありません。目立たぬように商戦に偽装したのが仇となりましたな。あちらは航続距離を代償に速度を引き出した小型船。すぐに追いつかれるでしょう」
「ふ… よもや、こんな海の上でこの国の趨勢が決まるとはな。私があんな計略に引っかかったせいか…」
自嘲気味に笑うヨシノブ。
「諦めるのはまだ早いですぜ、ヨシノブ公」
「ん?」
ニヤリと笑いながら話し出すシンサク。
「勝算があるのか?」
「確実な勝算があるわけではないが、確実に負けると決まったわけでもない。見れば、向こうの人数とこちらの人数はほぼ同じ。俺とコゴロウ、リョウマとフマイン。それにヨシノブ公と、他の乗組員も腕利き揃いだ。どう転ぶかはわからない」
話しているうちに、左右と後方に船を着けられる。
影のように漆黒の者たちがスルスルと船上に上がってきた。
その一番後ろ。
一際大きな体格の男がいる。
その傍らには銀髪の少年。
少年の顔は目元まで黒い布で隠れているが、銀の髪は宵闇でも目立つ。
そして隣の大男。
その二人に関してはヨシノブから答えが出た。
「あの大男が服部一族の現首領、ジュウゾウだ。隣の少年はその息子、ゼンゾウ。かの二人は必ず仕留めねばならん」
「ゼンゾウ…くんの方もですか」
「ああ。寧ろゼンゾウこそを殺さねばならん。あの少年は、私の声を持っている。首尾よく私を討ち果たした後に、私になりすますつもりなのだ」
「なるほどなあ。この国の実権を忍びの一族に握らせるなんて、あっちゃならん事だわな。 さーて、覚悟を決めろフマイン。この場の誰が生き残るかでこの国の未来が決まる。俺達の誰が死んでもヨシノブ公を守れ」
「シンサク……」
「来るぞ」
視線を前に戻す。
黒い影が音もなく、こちらに襲いかかってきた。
そこから先は混戦になった。
忍び達の剣筋は曲りくねり、こちら側の剣をうまくかわす。
あっという間にフマインは傷だらけになった。
腕からも脚からも血を流している。
だが、不思議と負ける気はしない。
「ウオオオ!!」
近くから響いてくるシンサクの怒号。
彼が叫ぶと敵が倒れる。
必殺の一声と共に繰り出される剣は、忍びを確実に捉えるのだ。
シンサクだけではない。
コゴロウも、リョウマも、ヨシノブも、みな善戦している。
細かい傷を負っているのは敵味方一緒だ。
動けない者の数もほぼ同じ。
戦況は混戦から、膠着状態になった。
忍びは元々、長期戦には向いていない代わりに、一撃で相手を仕留める状況を作り出す。
対するシンサク達はサムライと呼ばれ、彼らは一定のペースで戦う事が出来る代わりに、忍びほど素早く敵を仕留める事は出来ない。
本来なら両者は、その長所と短所を補い合い、お互いの戦場で戦うものだ。
同じ戦場に居合わせる事はほぼ無い。
まして、敵同士など。
「ふっ!!」
フマインの一撃が見事に敵を捉え、影の者が倒れ伏した。
次の敵はいるか、と首を巡らせた瞬間、視界の端から刀が迫る。
「うあ!!!」
かろうじて腕を振り上げ、自らの刀で防御したものの、相手の力により船のはじっこまで吹き飛ばされてしまう。
ゴロゴロと甲板を転がり、追撃を凌ぐ為に身を起こしたフマインは、倒れた者の刀を取った。
そしてこの船で一番大きな身体を持つその者と相対する。
「おまえは…!」
「んん?なんだ餓鬼め。おまえ呼ばわりされる筋合いなど無いぞ。さっさと去ね」
ドカドカと甲板をふみ鳴らしながら近付き、暴風雨の様な剣戟を繰り出すその男。
しかしフマインはその全てを防いでみせた。
「ほう? やるな。クソ餓鬼、名は?」
「フマインだ。クソ餓鬼じゃない」
「フマイン…だと…? そうか貴様がか…」
「なんだ…?」
「ふ、何でもない。俺が引き起こした事の始末を俺が付ける。それだけの話だ。死ね小僧!」
【豪嵐刃!!】
「なん…うおっ!?」
ジュウゾウが自らの体格を存分に活かした上からの斬撃を何度も繰り出してくる。
体重を乗せ、フマインの持つ刀ごと断ち切ろうとしているのだ。
対してフマインは咄嗟に、ジュウゾウの刀の横っ腹を弾いて軌道をそらし防御していた。
「貴様、その技は!!」
「これは父上が教えてくれた技だ!自分の刀をよく見てみろ!!」
ジュウゾウの忍者刀は既にいくつもの刃こぼれが出来ている。
「チッ… 使えぬ」
数歩分距離を取ったジュウゾウは、吐き捨てながら刀を捨てた。
「投降しろ!そうすれば残った者たちの命は保証する!」
「ふん。餓鬼がいっぱしの口を利きおって…この手は使いたくなかったが仕方ない…俺は負けるわけにはいかんのだ」
【強化外装!!!】
突如、ジュウゾウの身体が光を放つ。
その光はジュウゾウの身体を包み込み、そして固定された。
その光は船尾から甲板上を照らし出す。
ジュウゾウとフマイン以外の戦っていた者たちはみな手を止め、その様子を見つめていた。
「あれはなんだ?」
目の前の忍びを気絶させ、シンサクが問う。
「まさか! 奴め、西洋の禁術にまで手を出したのか!!」
その問いに答えたのは、この国の大将軍だった男だ。
「禁術とは?あれはどういう類のものです!?」
「あれは西洋で魔法と呼ばれている術だ。彼らはその術で自らの身体を鉄のように強化し、何も無い所から武器を創り出す。更には、死人を生き返らせるなどという眉唾な噂もある」
「そんな強力な術がなぜ禁術に!?そしてこの国では魔法という言葉すら広まっていないのは何故ですか!」
「簡単な話だ。我々オエドの人間には魔力が無い。だから魔力を使用して魔法や魔術を行使する事が出来ない」
「…ではあれは?あの男は何故扱えている…」
「あの男は、身体のどこかに魔力を蓄える魔石を埋め込んだのだ。それこそがこのオエドで禁術に指定されている行為そのもの!あの力を使ったものは、魔石の暴走により身体の中を食い破られて魔物と化してしまう! もう人間には戻れない!!」
『グワハハハハハ!!! この昂ぶりは一体なんだ!? 俺を苦しめてきた身体の痛みが綺麗さっぱり無くなった!! 今なら神にでもなれそうだ。 手始めにここにいる鬱陶しいゴミを掃除するか』
禍々しいオーラを放つジュウゾウが腕を一振りした。
それだけで、近くにいた味方の上半身が消し飛んだ。
続けて腕を振る。
その腕が届く範囲内にあるものが根こそぎにされていった。
悲鳴が、やまない。
腕や脚を吹き飛ばされた者たちが甲板に転がっている。
「やめろ!!!」
振り上げられた腕を、刀で受け止めた男がいる。
フマインの師、リョウマだ。
『ほう!?そんな刀で俺様の一撃を止めるとはな!!だがそれ以上の事は出来まい!』
「それは、どうかな…?」
リョウマが力を込めていく。
すると、オーラに止められていた刀が、段々と引き裂いていく。
それに気付いたジュウゾウは急いで左腕を振り上げた。
『ヌゥン!!』
「おおおあっ!!」
振り抜かれた左腕は空を切る。
リョウマは既にジュウゾウの右腕を斬り捨て、後ろに抜けていた。
『小癪なァ!!』
血が吹き出す右腕をリョウマへと向けた。
数歩先にいたリョウマの背中に、何かが突き刺さった。
「ガハッ…」
「リョウマ!!!」
「次から次へと何しやがったあのジジイ!!」
ジュウゾウの右腕からリョウマの背中にかけて、ジュウゾウの身体を覆うオーラと同じ光が繋がっている。
しかしその形は、先端部に向かうに従い鋭利なものになっていき、リョウマの背中の手前で、それは完全に刀を形作っていた。
「魔力で刀を作ったってのか…!」
ジュウゾウがゆっくりと刀を引き抜く。
リョウマはそのまま倒れ伏した。
「リョウマ!!」
フマインは慌てて飛び出すが、敬愛する師との間には既に正気失いつつある大男が立ち塞がる。
『グル、グル、グルルルルアアアアア!!!!!』
獣のような咆哮を上げ、その眼に映るものを手当たり次第に叩き壊している。
ーーー
足がすくむ。
なんで。
リョウマを助けなきゃ。
このままじゃ死んでしまう。
でも。
怖い!!!
ーーー
その一瞬の逡巡を感じ取ったかのように、ジュウゾウがフマインをその眼に捉えた。
刀と化した右隣を振り上げる。
「フマイン!!逃げろ!!!!」
コゴロウの声が遠くに聞こえる。
身体が動かない。
シンサク達がこっちに向かっているが、到底間に合わない。
迫り来る死を避ける事が出来ないままでいたフマインの視界の端、赤い影が動いた。
その影はそのままジュウゾウの右腕を弾く。
刀と刀がぶつかった澄んだ音が鳴り響いた。
「動けフマイン!! 守れ!!!」
そう声をかけて来た赤い影の正体、それは、シンタという少年だった。
赤い髪、そして頬に十字傷。
暗殺業を主に請け負っていた彼とは殆ど接点がなかったが、コゴロウやシンサクが赴く場所に護衛として同行していたので、何度も顔を合わせてはいた。
ただ、同じ場所にいても会話した事は数える程しかない。
そんな彼が、身を呈して自分とリョウマを守る為に戦ってくれている。
そして言われた、守れ、という言葉。
リョウマを守る。
俺がリョウマを守る。
守るんだ!!!
「うおおおおお!!!」
刀を手に取り、竦んだ足を動かす。
シンタは素早い動きでジュウゾウを翻弄し、既に何度も切り込んでいる。
だがその度に身体を覆うオーラに邪魔をされ、刃が届いていない。
ならば。
「はっ!!」
シンタが削ったオーラを、フマインがなぞる。
『グガアアアア!!』
ジュウゾウの脇腹から血が吹き出した。
これなら届く!!
その時、後ろからシンサクとコゴロウ、そしてヨシノブまでもが加勢に来た。
あれ荒ぶ魔力の暴威をかわしつつ、五人で連携しながらジュウゾウのオーラと身体を削り取っていく。
しかし…
「クソっ!!傷がすぐに塞がっていく!!これも魔力なのかよ!?」
「どうやらそのようだ!倒すには一撃で致命傷を入れるか、魔力の根源である魔石を破壊するしかない!」
「そんなもんどこにあるんだ!?」
ジュウゾウの身体は金色に光り輝くオーラに覆われていて、魔石は魔力を行使する時に同じく光るのだという。
だが同じ光に覆われている為、それがどこか分からない。
闇雲に攻撃をして探るのは悪手。
こちらの損耗の方が早い。
どうするべきか、と一同が考えていると、フマインが声をあげた。
「心臓の上!! あそこから全身に光が行き渡ってる!!」」
「良い眼だ」
ちょうど隣にいたシンタに褒められる。
二人で笑みを交わし、左右に分かれて走り出した。
シンタが動く。
フマインは反対側でシンタと同じ動きを繰り出す。
一瞬のズレはすぐに埋まり、左右で完全にシンクロした二人がジュウゾウのオーラの鎧を剥ぎ取っていく。
【リュウカンセン・双星】
身体を捻り、凄まじい回転力を持って相手に幾重もの斬撃を浴びせるシンタの技。
本来は一人で行うその技が、フマインとの共鳴により進化した。
魔力の暴走に意識が呑まれつつあるジュウゾウは、自分に襲いかかる斬撃を認識する事が出来ない。
「「うおおおおおおお!!!!!」」
二人が同時に技を終える。
巻き起された刃の嵐はジュウゾウの魔石を何度も切り刻み、完全に破壊した。
パキンッ…
その音は、いつの間にか昇っていた朝日に照らされる甲板の上に鳴り響いた。
『グ…ガ…』
苦悶の声を漏らしながら倒れる。
息を切らしながら近付き、ジュウゾウの首筋にそっと指を当てるフマイン。
脈は感じられない。
顔を上げ、シンサク達を見やり、そしてシンタと目を合わせ、大きく頷いた。
勝鬨が上がる。
残った忍び達にはもう戦意は無く、ジュウゾウの息子のゼンゾウも、コゴロウによって捕らえられている。
ふぅ、と息をついたフマインは、何かを忘れていたことに気付く。
「あ!!リョウマ!!!」
ダッと駆け出し、リョウマの元へ。
「リョウマ!!リョウマ!!!!」
「………う…いてて…やっと来てくれたねフマイン…まさか、忘れてた…?」
「ぅい!?イヤだなぁ!そんなわけないじゃあるませんぬですよ」
「なんて?」
「そんな事より傷は!?」
「大丈夫、そんなに深くはないと思う。貫通もしなかったし…」
「良かった…!! 今シンサク達を呼んでくる!!」
リョウマから離れ、ジュウゾウの身体を通り越し、生き残った忍び達を取りまとめていたシンサクに声を掛ける。
「おーいシンサク!!リョウマも生きてるよ!!早くクロウ先生を!!」
「なにぃ!?あいつめまた死にぞこなったか!!すぐ行く……フマインあぶねぇ!!!!!」
「えっ?」
全員がフマインを見る。
その背後に、先程、その死亡を確認したはずの黒い影が立ち上がったのも見た。
次の瞬間、そこにいたほぼ全員がフマインを助ける為に動いた。
一番近くにいたのはリョウマだが、彼は動けない。
シンサクとヨシノブはほぼ同じ場所、船の前方にある、船の船室へと続く階段の前にいた。
コゴロウとシンタは階段を降りた先にて、捕虜とした忍びを船室へ押し込んでいた為、シンサクの声を聞いて上の甲板へと向かった。
そして、肝心のフマイン自身はというと。
振り返りざまに刀を抜き、戦う姿勢を見せた。
彼が一瞬でも持ち堪える事が出来れば、シンサクやヨシノブの加勢によって、今度こそトドメを刺せる。
だがその希望は容易く打ち砕かれた。
立ち上がったジュウゾウは、自分に向けられたフマインの刀を右手の一振りで叩き折ったのだ。
その衝撃でよろめくフマインの首を左手で掴み上げる。
『ウごくナ!!』
潰れた喉で叫ぶ。
その声に、駆け寄って来ていた者達は止まらざるを得ない。
『ゴブッ…』
大量の血を吐き出すジュウゾウ。
最大限に魔力が暴走している時に、魔石が破壊されたからだ。
その反動で体内組織はズタズタになっているはず。
「も、もうあきらめろ…今ならまだ、治療すれば間に合うかもしれない。大人しく投降するんだ…!」
『グ、ククク…コんな目に合っテモまだ、オレを人間だと思っテいルのか…?」
左手に込める力が少し増す。
その分の息苦しさがフマインを襲う。
にも関わらず、怯まずに言葉を紡いでいく。
「当たり前だろ…あんたも、ヨシノブ様も、この国を想っている…たまたま進む道が違ってしまったけど…この国に生きている人間同士…だ」
『ククククク…お前の両親を殺シたのは俺ダト言ってテモか?』
ヒュッ…と、全身の血が引いた。
『アァ、それかラ、あのムスメ…お前の姉ダッたそうだナ…あの島イチの遣い手だった。あの娘の腹に穴をアケタのも、オレダ』
「お前が…お前が…!!」
脇差として腰に差していた短刀を握る。
それを見たジュウゾウが、フマインを嗤う。
『グハハハははハ!!所詮はその程度ナノだお前も!!怒りに支配サレ、復讐のヤイバを俺に突き刺すコトシカ考えられナクなる!!ヤレ!!その手デオレを、コ ロ シ テ ミ ロ !!!』
「うわあああああ!!!」
フマインが短刀のを抜こうと力を込める。
だがそれは、今まで聴いたことがない音によって、遮られた。
バァン!
という乾いた音がひとつ。
ふたつ、みっつ。
その音が響くたび、ジュウゾウの身体が傾ぐ。
そして、既に血まみれだった口元に、新たな血がゴポリと流れ出てきた。
ぐるり、と首を回す。
フマインもその視線を追う。
そこに居たのは、S&WモデルⅡを構えたリョウマだった。
その銃を、フマインは知っている。
ナガサキに住む大商人、バグラーから買い付けたものだ。
「フマインを離せ。お前の息の根は俺が止めてやる」
また鳴り響く乾いた音。
それが三発続いた。
回転式弾倉の弾は全部で六発。
その全てを撃ち切った。
しかし、ジュウゾウの手は緩まない。
口から泡を吹き、身体中が血まみれになりながら、フマインを掴んだまま離さない。
代わりに、静かに口を開いた。
『小僧…お前の手で殺されてやれず…済まないな…お前達風魔一族を襲ったのも…前将軍イエモチに脅されていたからだ…だが…それについては謝らん…俺は服部一族を生き長らえさせる為に…風魔一族を滅ぼすことを選んだ…俺の最期の仕事は…お前を道連れにする事だ…』
「なにを言って…」
『共に逝こう…戦国時代の忘れ形見よ』
ジュウゾウの言葉が終わった。
そして世界が反転する。
ジュウゾウがフマインを左手で掴んだまま海へと身を投げたのだと気付いたのは、着水する寸前、船の縁からシンサクが顔を出したからだ。
それを見た後、フマインの視界は海に覆われた。