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08F 《次元歪曲領域》ダンジョン

 



 車のドアを開けて外に出ると、冬の肌寒い風が一気に吹きつけてくる。

 空を見上げれば、いつの間にか分厚い雲が一面に覆っていた。周辺に俺たちを除いた人気がまったくないこともあり、どこか空々しくも寒々しい心境になってしまう。


「さーて、報告じゃあこの中からダンジョンの反応が漏れてるらしいが……」


 全員が降りた車に鍵をかけ、神藤さんは閉鎖された工場をぐるりと囲む塀を眺める。


 長い間風雨にさらされ続けた壁はところどころに罅が走り、その隙間を埋めるように生命力旺盛なツタが這っている。

 正面にある重厚な鉄格子の門には太い鎖が巻き付けられ、不心得者が侵入せぬよう巨大な南京錠がかけられていた。


 汚れた塀壁の灰と、くすんだ植物の緑。そして錆の暗い赤茶。

 三色に彩られた施設を前にして、彼は少し困ったように俺を見る。


「俺とシェルヴィだけなら、適当に塀を飛び越えて中に入るんだが……今回は雲雀くんもいるからなぁ。別の方法を考えないと」

「えっと……なんだかすみません」


 どうにも居た堪れなくなって顔を逸らす。

 と言うか、俺以外の三人ならこの壁を飛び越えられるのか……まあ、彼らなら出来るんだろうなぁ。軽く四メートルは超えてるけど。改めてギフトホルダーの人間離れした身体能力を認識した。


 でも、いずれは俺も鼻歌交じりに、この程度のことはこなせるようになるのだろうか? そう考えると、今更ながらに色々と空恐ろしいものがある。


「いやいや、無理に付き合わせているのはこっちだからねぇ。気にすることないよ」


 言って神藤さんがフォローしてくれるが、むしろその心遣いが痛かったりする。

 俺がチクチクと地味な精神ダメージを蓄積させていると、その間に車のトランクを開けていたシェルヴィさんは、中から二本の物体――鞘に納められた剣を取り出していた。思わずギョッと二度見する。


 片方は、装飾の類を一切省いた武骨な長剣だ。幅広の刀身に、頑丈そうな十字の(ガード)。柄は両手でしっかりと握れるほどの長さで、全体を通しての印象は『鎧姿の騎士』を連想させる。


 よく見ればそれが今朝方、自身に向けられていた長剣であることに気づいて、俺は反射的に身構えてしまった。

 けれど、そんな俺の様子に気づいていないのか、もしくは気づいた上で無視しているのか。彼女は鞘に巻き付けていたベルトで剣を腰に吊り下げた後、もう片方をシャルに捧げるように両手で差し出す。


「姫様、こちらを」

「…………」


 彼女が無言で受け取ったのは、シェルヴィさんとは対照的な修飾に凝った細剣であった。

 薄緑色の鞘に、大粒の宝石がはめ込まれた柄頭。刀身は細く華奢で、鍔には煌びやかな金と銀の細工が躍っている。


 外見だけならば、どこかの博物館に美術品として飾られていても全く違和感がない。そんな剣を鞘に納めたまま、シャルはゆっくりと感覚を思い出すように二、三度振るう。

 舞を踊るかのような彼女の姿には、まるで一つの絵画の如く完成された美しさがあった。


 ――けれど。


「……くっ」


 一体何が不満だと言うのか。そのシャルの動きに、シェルヴィさんは口惜しげに一つ唸る。

 やがてキッと眉尻を吊り上げた彼女は、鉄門の前で立ち尽くしていた俺たちを睨むように見据えながら歩み寄って来た。


「おい貴様ら、何をぼんやりしている。こんな仕事、さっさと片付けるぞ」

「別にサボってるわけじゃねーよ。どうやって中に入ろうかって話をしてただけで――」


 呆れたように肩を竦めて反論しようとする神藤さんだが、シェルヴィさんはそれを最後まで聞くことなく腰の剣の柄に手を伸ばした。


 刹那、ギィンッ――と。


 まるで悲鳴のような甲高い音を残し、視界に白光が閃く。


 気づいた時、彼女の手には既に長剣が抜かれていた。

 俺がそれ反応するのと同時に、巻き付いていた鎖ごと鉄格子と南京錠に亀裂が入る。数秒も経たないうちに、用をなせぬ鉄片と化した門は盛大な地響きを立てながら崩れ落ちた。


「行くぞ、ついてこい」

「…………えぇぇー」


 愕然とする。あまりにも乱暴な解決方法に、掛けるべき言葉が出てこない。

 隣へと視線を向ければ、そこには奇妙な民族舞踊に見えなくもない動きで心情を表現している神藤さんの姿があった。やはり当たり前だが、これは正道な手段ではなかったらしい。


 しかし、いつまでもここで驚愕に突っ立っている訳にもいくまい。

 ズンズンと肩で風を切りながら進んでいくシェルヴィさんに、頭痛を堪えるよう眉間を押さえた神藤さんが続く。その背中を追うシャルに並ぶよう、俺は工場の敷地内へと足を踏み入れた。


 途端、俺にもわかるほど空気が変わる。


「ぐっ……!?」


 気持ち悪い。近づきたくない。消えて欲しい。逃げ出したい。

 まるで脳裏に直接訴えかけるような、言語として形にするのが酷く難しい感覚。唐突に襲い掛かって来た内臓が逆撫でされているかの如き不快感に、クラリと足元がふらついた。


「大丈夫、ヒバリ?」

「た、多分……」


 咄嗟にシャルに肩を支えられる。喉の奥からこみ上げてくる吐き気を胃に叩き返しながら、俺は何とか返事をした。


「次元が歪むってのは、それだけ危険なことだからな。生物の本能がその場に留まることを忌避するんだ。慣れないうちは結構きついぞ」

「そういうのは……先に言っておいて欲しかったっ、です」

「わりぃ、俺たちは何度も場数踏んでるから。直前まで忘れてたわ」


 バツが悪そうに髪を掻いて解説する神藤さんに、口元を押さえながら恨めしげな視線を送る。視界の端では心配そうなシャルと、小馬鹿にするようなシェルヴィさんの顔が映っていた。なんとなく腹立たしい。


 落ち着け、と自分に言い聞かせる。ひとまずギュッと目蓋を閉じた。


 痙攣する肺を強引に膨らませて酸素を取り込み、俺は暗闇の中で自身の心臓の音に意識を集中する。

 これは悍ましい感覚ではあるが、人間は適応する生き物だ。そういうモノだと受け入れろ、寛容になれ。己ならば乗り越えられると、自信を持って胸を張れ。


 何より、でなければ俺よりも若いシャルが平気な顔をしていることに説明がつかない。


 半ば自己暗示に近かったが、それでも心を強く持っていれば、身体を襲う嫌悪感は幾分かマシになっていた。


「はぁ……ふぅ……もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」

「……ふん」


 顔を上げて告げれば、面白くなさそうにシェルヴィさんが鼻を鳴らす。その相変わらずな態度は、むしろこの状況では都合がいい。

 彼女への反骨心を原動力へと変えて、俺は調子を立て直した。


「無理する必要はないんだぞ……と、本当なら言ってあげたいんだけどね。もう少しだけ付き合ってもらうよ」


 様々な感情が絶妙に入り混じった表情で、神藤さんは俺たちのやや前方を見つめる。

 その先にあったのは、あちこちが割れたアスファルトの道路に、至る所からパイプの伸びている巨大な倉庫群。煙突の突き出た廃工場――ではなかった。


 いや、違う。否だ。

 彼の瞳が捕らえていたのは、そんなモノではない。


 その手前の、丁度大人の胸の高さほどの空間。

 何もないはずの中空に浮かんでいた『歪み』に、俺は焦点を合わせる。


「交わらないはずの世界が繋がって、次元が歪んだ。生まれた歪みは時間と共に拡大して、やがては世界を飲み込むほどの大きさに成長する……らしい」


 グニャリと向こう側の景色を捻じ曲げる『歪み』に近づきながら、神藤さんは語った。

 着ていたスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩める。シャツ一枚になった彼は、準備運動をするかのように指を鳴らした。


「正式名称、《次元歪曲領域》……まあ、長ったらしい上に小難しいから、皆向こうの言葉を借りて『ダンジョン』って呼んでるけどな」


 見てろよ、と神藤さんは一度こちらを振り返ってから、『歪み』へと勢いよく腕を突き入れる。


 瞬間――世界が『壊れた』。


 ガラスが砕けるような幻聴と共に、曇天の空は極彩色の不吉なマーブル模様に。大地は偽りの俺たちの姿を映す鏡面へと変革する。

 一瞬で激変した環境に息を飲んだ俺は、しかしこれまで以上に強烈な嫌忌と拒絶感を覚え、その発生源へと目を向けた。


 はたして、そこにあったのは……もとい居たのは、一言では到底名状しがたい存在だった。


 刻一刻と色が変化し続ける体表に、沸騰した熱湯のようにボコボコと形状どころか数すらもを変える手足。

 顔らしき部分には目玉が三つ不規則に並び、中央にはバックリと縦に開いた口が覗いている。

 体高は三メートルをやや超えたほど。かろうじて人型をしていることはわかるが、逆に言えばそれ以外は全く理解できない怪物を、俺は唖然とした思いで見つめていた。


 全身の細胞が絶叫する。アイツを決して許してはならないと。

 今すぐ、即座に、迅速に、この世界から消し去らなければならないと主張する。


「うっへぇ、気持ちワルぅ。出来立てのダンジョンだけあって、領域主(ボス)の姿もまだ定まってねぇみたいだ」

「だがそれは逆説的に、これから如何様にも厄介な魔物に変化する可能性があるという事でもある」


 けれど、この空間の中心に居座っていたそいつを観察しながら、神藤さんとシェルヴィさんは呑気とすら思える態度で語り合う。


 何を悠長な……っ! と、俺が思わず衝動のままに叫びだしそうなった、その寸前。


「GuluラlaaァaaaaAaaaッ!」


 人の精神を陵辱するかのような冒涜的な咆哮が、目の前の化け物から発せられた。



 

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