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04F 平穏の終焉

 



「誰だ、こんな朝早くから?」


 アパートの室内に響いたインターホン。それに眉をひそめながら、俺は壁にかけられた時計を確認する。

 時刻はまだ八時過ぎ。世間一般では朝食を食べ終えたくらいだろう。事前の約束もなしに訪ねるにはやや非常識な時間帯だ。そして俺には連絡もなしに自宅に遊びに来るような友人はいない。


 加えて、今日の俺はたまたま講義が休みだったが、本来であれば平日と言うこともあり、自宅を留守にしている人の方が多いのではないだろうか。

 新聞や怪しげな宗教の勧誘にしても、もう少し時間は選ぶはずだ。


 やや不自然さの際立つ来客に、けれどこのまま放置するわけにもいかず、俺は立ち上がってドアスコープから相手の顔を確認しようとする。


「待って!」

「え……シャル?」


 が、それを引き留めるように、シャルが俺の腕を掴む。

 先程までの太陽のような笑顔から一転、警戒心も露わに入り口のドアを見つめる彼女へと、俺は戸惑いながらも問いかけた。


「急にどうしたんだ? 誰が来たのか心当たりでもあるのか?」

「…………」


 シャルは俺の質問に対し、苦虫を噛み潰したような表情で眉根を寄せ黙り込む。その反応からするに、彼女には何か思い当たる節があるようだ。

 同時に、それはシャルにとってあまり良い相手でないだろうことも、自然と察してしまう。


「……ん?」


 そこで何故だか違和感を覚えた。小さな、だが重要な『ナニか』を見逃している気がする。


 ピンポーン、ピンピンポーンと。再び連続で何度も鳴らされ始めたインターホンに、俺は困り果てて頬を掻いた。


 恐らくドアの向こうでは、なかなか出てこない俺たちに業を煮やしているのだろう。と言うか、この様子だと居留守を使っているのがバレてる気がする。

 だんだんと間隔が短くなっていく呼び出し音からは、顔が見えずとも相手がかなり苛立っていることが如実に伝わってきた。


「なあシャル、この調子だと放っておいても帰ってくれなさそうなんだが。近所迷惑にもなるし、やっぱり一度会って話した方が――」

「ダメ! 絶対にダメだからっ!」


 しかしその提案に、シャルは少々過剰なほどに取り乱し、縋りつくよう俺の服を握り締める。見上げてくる蒼色の瞳に浮かんだ恐怖と必死さに、俺は彼女がどうしても来客と顔を合わせたくないのだと知る。


 けれど、シャルは何をそこまで恐れる必要がある……?


 ついにはガンガンと直接ドアを叩き始めた相手。まるでドラマの中の借金取りのようだ。俺も少し怖くなってきた。

 確かにこれは、穏やかならざる状況ではある……が、元々が物事に対してあまり物怖じしない性格であるシャルが、そこまで危惧する存在と言うのも想像できない。


 ――いや、違う。そうじゃない。


 ようやく、違和感の正体に気づく。

 シャルは異世界人だ。そんな彼女がこちらに来て知り合った人間など、俺を除けばほぼ皆無だと断言できる。


 つまり、今、あのドアの向こうにいるシャルの知人らしき人間も、また――


「――――っっっ!?」


 ゾクリ。刹那、首筋の産毛が総毛立った。

 例えるなら、それは鋭利な氷の刃を背中に添えられたような絶望感。反射的に全身の筋肉が萎縮し、引き攣った呼気が僅かに開いた口から漏れる。知らず知らずのうちに奥歯が鳴っていた。


 キンッと、背後で甲高い音が一つ響いたのを耳が捕らえた。続いて一陣の風が髪を揺らし、ガガガンと複数の重量物が倒れる振動が床を通して伝わる。


「な……にが……?」


 俺は硬直した身体に喝を入れ、何とか首を回して部屋の入り口へと顔を向ける。


 そこに広がっていたのは、外の景色が丸見えになっていた玄関と、幾つかの塊に分かたれ床に転がっているドア。

 その上に土足で立っているのは、黒のパンツスーツが異様に似合っている若い女性だ。


 派手な銀色の髪を後頭部で束ね、サングラスで目元を隠した彼女は、こうして相対しているだけで肌が粟立つような凄みを発しながら、ジロリと室内で固まっていた俺を睥睨する。


 そして、更にその視線が俺の背後にいるシャルを捕らえた、瞬間――物理的な圧迫感さえ伴う殺気の奔流が吹き荒れた。


「え――ぐがッ!?」

「ヒバリ!?」

「ふ、ふふふ……ようやく見つけましたよ、下賤な溝鼠(ドブネズミ)め」


 頭に衝撃が走る。肺の中の空気が飛び出す。シャルの悲鳴がどこか遠くで聞こえる。

 気づけば俺は女に喉を片手で鷲掴みにされ、にわかには信じがたいほどの力で部屋の壁に叩きつけられていた。


 息ができない。ミチミチと肉が潰れる音が身体の内側で鳴り、俺は死に物狂いになって女の腕を引き剥がそうと試みる。だが――


「暴れないでください。ついつい力加減を誤ってしまう」

「ァあ――ぁ――――ッ!?」


 女は俺の抵抗など意に介した様子もなく、更に喉を掴む手に力を込める。おおよそ人間離れした怪力だった。


「さて……それでは姫様をかどわかした大罪、どのようにしてその身に償わせてやりましょうか?」


 剣呑な台詞と共に、ギラリと視界の端で何かが光る。ゆらりと彼女が持ち上げたのは、鈍い金属光沢を放つ一振りの剣であった。

 その重量感や質感は、到底お飾りや偽物のそれと同じモノとは思えない。まず間違いなく真剣であり、もしもこの身に突き立てられでもすれば、容易く俺の命を奪い去っていくのは想像に難くなかった。


「シェルヴィ!? ダメ、やめてっ!」

「ああ……姫様、ご安心を。さぞかしお辛い思いをなされたことでしょうが、このどことも知れぬ不逞な輩はすぐに私が始末しますので」


 陶然とした口調で彼女が語る。鋭い切っ先が、真っすぐに俺の瞳に向けられた。

 本気だ。この人は、本気で俺を殺そうとしていた。


 嫌だ。死にたくない。身体の底から濁流の如き衝動が噴出し、俺は混乱する頭のまま文字通り死力を振り絞って彼女から逃れようと身を捩る。

 けれど、そんな反抗すら取るに足らないと言わんばかりに、女は俺を取り押さえる腕を微動だにさせず、構えた剣を握る手に力を込めた。


 視界が滲み、真っ白に染まっていく。酸欠だろうか、あれほど苦しかった息もいつの間にかスッと楽になっており、キーンと酷く耳障りな音が聞こえていた。


()く、死ぬがいい」


 端的な呟きと共に、白刃が迫る。それを俺は、これまでの人生でも経験がないほど澄んだ意識で認めていた。


 ああ、死にたくないなぁ……。


 先程よりもずっと穏やかな、されど純化された思考が脳裏を過ぎる。

 諦観ではない。覚悟を決めたわけでもない。それは生命の危機に晒されることで研ぎ澄まされた、生存本能とでも言うべき意志だった。




 だからこそ、俺はごく自然とその力へと手を伸ばしていた。




「――なっ!?」


 ギイィンッ! と、剣の切っ先が寸前のところで弾かれる。

 突如として宙に出現した光の膜に、彼女は初めて動揺する気配を見せた。


「っ!」


 同時に、室内に暴風が駆け抜けた。

 俺を掴んでいた女が勢いよく吹き飛ばされる。解放された俺を抱き止めながら、シャルが見たこともない程険しい表情で女を睨みつけた。


「シェルヴィ! 命令です、剣を収めなさいッ!」

「姫、様……? どうしてその男を庇うのです? そして今のは、まさかその男が……?」


 直前までの毅然とした雰囲気から一転し、まるで親に叱られた子供のように弱々しい声色で女はシャルに問いかける。

 吹き飛ばされた衝撃で外れたのだろう、サングラスが取れた彼女の素顔には、ありありと『信じられない』と書き殴られていた。


 そして、そんな女にシャルは告げる。


「ヒバリは……この人は、私の【聖約】の相手です」

「なぁっ――そんな馬鹿な! ありえないッ!!」


 一瞬、眦が裂けんばかりに目を見開いて唖然とした表情を浮かべた彼女だったが、すぐに怒りとも驚愕ともつかぬ叫びをあげる。


「認められる訳がない! そいつは! その男は! どこの生まれとも知れぬ地球人ですよ! そもそも貴女には――」

「そんなの関係ない! 私の相手は自分で決める!」


 声を荒らげて言い返すシャルの断固とした態度に、女はかなりのショックを受けたようで、砕けんばかりに歯を噛み締めた。

 しかし、すぐに彼女はシャルの腕に抱かれていた俺へと、鬼気迫る眼差しを向ける。


「そうか……貴様か。貴様が姫様を誑かしたのか」


 ゆらりと幽鬼のような不気味な動きで立ち上がり、剣を構える女。

 それに呼応するよう、シャルもまた俺を背中に庇いつつ前に出る。彼女の周囲では、自然にはありえない風が轟々と渦巻いていた。


「どいてください、姫様。今ならまだ間に合う。そいつを消せばどうとでも誤魔化せる範疇なのです」

「絶対にイヤ! ヒバリは私が守る!」


 まさに一触即発。互いに何か切っ掛けがあれば即座に爆発してしまいそうな空気の中、俺はまだボンヤリと霞む思考で彼女たちの対峙を眺めていた。


 しかし。


「はいはいはい! 双方そこまでだそこまで!」


 突如として現れた第三者の声によって、シャルと女の激突はギリギリのところで回避される。


「邪魔をするなジンドウ! 同郷だからとその男を庇うならば、貴様も斬るぞ!」

「おうおう、やってみろや! その場合、おたくは問答無用で本国に強制送還させてもらうがな!」

「ぐ、うぅぅぅぅぅぅっ!」


 ズカズカと遠慮もなしに部屋に踏み込んできたスーツ姿の男に、女は歯を剥き出しにして食って掛かる。

 おそらく二人は仲間なのだろうが、男の反論に彼女は悔しげに唸るばかりで、それ以上の戦闘行為には移らなかった。


「ったく。穏便に済ませるって話だったのに、なんとまあ派手に暴れてくれやがって。後始末する方の身にもなれってんだ……はぁ」


 ブツブツと吐き捨てるように小声で何やら呟いた男は、最後に盛大なため息を零してから俺たちに向き直る。


「悪いな、こいつも悪い奴じゃないんだが……って、この惨状じゃ何を言っても信じられねぇか」

「……いえ、シェルヴィのことは私も良く知ってますから」


 ここ数分ですっかり荒れ果てた室内を見渡しながらの謝罪に、シャルは目を伏せながら答えた。


「そうか。それじゃあ、何で俺たちが送られて来たのかも、当然わかってる訳だよな?」

「…………」


 ギュッと、唇を固く引き結ぶシャル。その深刻な表情からは、男の言葉を十分以上に理解してしまっていることが窺える。

 けれど、対する男の方も憂鬱そうな顔で髪を掻き毟り、厄介そうな視線を隠そうともせずに向けていた――他ならぬ、俺へと。


「クソぅ、これ絶対面倒なパターンじゃねぇか。よりによって民間人と【聖約】交わしてるなんて聞いてねぇぞ」

「あ、あの……」

「っと、すまん。だが、お兄さんたちも仕事なんでな」


 いや、その歳でお兄さんはちょっとキツいんじゃ……などと少しずれた考えが脳内に浮かぶ中、男は気分を切り替えるよう一つ息を吐いた後、真面目な顔で語る。


「俺は防衛省・異世界対策局所属の神藤(じんどう) 歩武(あゆむ)だ。異世界防衛法に基づき、お前ら二人の身柄を確保させてもらう」



 

 

 多分こんな感じ。


シェルヴィ「姫様どいて! そいつ殺せない!」

シャル「やめるんだシェルヴィ(無言のラリアット)」


ヒバリ「ひぇっ……」

 

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