第一話 斜め45度の景色
進級間もない麗らかな春。
俺の視界、右斜め45度の位置に、桐原リコ《きりはらりこ》は・・・居た。
同じ方向を向いて座っているのだから、
授業中は頭しか見えない。
それが当たり前で、日常なのだから、それでいいと思っていた。
それでも十分に、俺は彼女の存在を「確認」していた。
本当に?
正直、17・18のいきがった男が、自分を子供だと自覚するのは・・・しんどい。
でも・・・。
この安全地帯にいては、見えない彼女。
見せない彼女・見ようとしなかった彼女。
その他いっぱいの彼女の全て。
ぐるりと回り込んで、色んな角度から、見てみたい。
そう思った時から・・・俺の「しんどい」は始まった。
「桐原さんてぇ、弱点とかあんのぉ?」
俺の前の席に、3人でたむろしていたオンナの一人が、
その隣に座ろうとした、桐原リコに向かって、吐いた。
耳障りな気だるいイントネーションが、朝のホームルーム前の教室中に聞こえわたる。
あ〜あ・・・。俺の頭に浮かんだ端的な一言。
だってそうだ。
それは最初から「負け」の質問だ。
窓際の一番後ろ、いわゆる「特等席」の俺の席から、
その対角線上の一番近くにいる桐原をスルーして、教室の入り口近くを見遣ると、
悪友・浜野陸が「聞いてるよ」という合図の変わりに、左手でシャーペンを回した。
ずいぶんと楽しそうだ。
学年一のモテ男・浜野とは、一年のときからのつるんでいる。
最近流行の「知的メガネ男子」というやつだ。
大手ドラッグストアの跡継ぎ息子で、薬科大志望。
童顔で、可愛がられキャラを装う俺との共通点は、たった2つ。
「成績と見た目は抜群に良い」が「性格は極めて悪い」だ。
はっきり言わないまでも、あいつが桐原を気に入っているのは、知ってる。
だから、こんなお楽しみは、見逃すはずもない。
そ知らぬふりをしながら、クラス中が聞き耳をたてているのは間違いない中、
3人の中心人物・樫山茜は、ご出勤ですか?と訊きたくなるようなキャバ嬢メイクの手直しをしながら、
「聞こえてる?」と、桐原にではなく、取り巻き二人に促す。
最新の携帯音楽プレイヤーとは、超アンバランスな、どでかいヘッドフォン
――頭の小さい桐原がしていると、頭を飲み込まれてるように見える――
はずしかけていた桐原の、ちょっと考えるような仕草。
聞こえていたようだ。
「あ・・・虫歯になりやすい歯だって、歯医者に言われた事あるよ」
違う・・・。だけど、勝負有り、だ。
まぁ、間違いなくそいつらの言いたいのは、そういう事では無いけれど。
多少なりと「ねたみ」という毒を孕んだ問いかけを、彼女は呆気なく無害化してしまった。
そう。反撃ではなく、浄化。
頭が良い事を、悟らせない頭の良さだ。
美人でスタイルが良くて、さばさばした性格。
さばけている割に、下品なところは欠片もなく、およそ欠点が無い。
女の友人も多いのに、だれも彼女に加勢しないのは、その必要がないと知っているからだ。
まったく、このクラスは面白い。
俺や浜野が、それなりにネコかぶって在籍している、この3年6組。
通称「ごった煮クラス」
進路希望で、文系でも理系でもない結論を出した連中のたまり場だ。
分かりやすく言うと、「どっちも必要」か、「どちらも必要ない」に大別される。
俺が把握している希望進路だけでも、医者・獣医・看護士・学者に薬剤師。
他にも、調理師・画家・デザイナー。はたまたバンドデビューなんてヤツまでいる。
高校3年にもなれば、絵空事の夢というわけでもなく、
看護士を目指す連中に、熱心に親の開業した病院をアピールするやつもいたりして、生々しい。
ここは、カウンセラーを目指す俺には、格好の人間観察の場だ。
「な〜んそれぇ?天然ですってアピってるわけぇ?」
取り巻きの一人が言う。
さて、今日の相手は、とりわけ頭が悪い。
いや、切れ味が鋭利すぎたから、
はじめの一太刀でばっさり切られたことに、気がついていないのか・・・。
「うん。まだ差し歯は一本もないかな」
はい。お見事。
教室中に、どっと笑いが起こる。
彼女は変だ・・・。答えが一々、変。
天然でない事は、分かっている。
が・・・それならそれで、ひがな一日そんな事ばかり考えるんじゃない?
と、思わせるような答えが飛んでくる。
俺にとって、今一番の興味の対象だ。
タイミングよく、担任の安塚が、理科教師の雰囲気満載の白衣で登場すると、
教室は皆が着席する音で、一気に慌ただしくなり、すぐに静まる。
一応、進学希望が大多数の高校だ。空気がリセットされる。
このタイミングまで、わかっていたんだろうか・・・。
後ろ斜め45度からでは、表情がよみとれない。
見事に長い睫毛がけぶるのと、ヘッドフォンしてたせいで、まだ少し耳が赤いのが見えるだけ。
そういえば、いつもよりこころもち、頬も赤い気がする・・・。
っていうか・・・
「桐原、おまえ熱ないか?」
ホームルームが終わり、選択授業の大移動で慌ただしい時間。
珍しく一人で教室を出た桐原に、俺は声をかけた。
「え?」
驚いたような視線の先で、俺の手が彼女の腕を掴んでいた。
「悪ぃ。顔が赤いのが気になった」
腕をはなして、顔をのぞきこむ。
女子にしては背が高い桐原と、175cmあるかないかの俺の身長差は、10センチほどだ。
「そんな事、ないと思うんだけど・・・」
桐原は、めずらしく歯切れ悪く、誤魔化すように俯いた。
「それ、微妙な返事・・・。自分で気がついてるっぽいね」
「ああ、だね。すごいね本宮クンて」
あ・・・すげぇキレイ・・・。
本能で、そう感じた。
後でよく思い出すと、「悲しそうな笑顔」だったと思う。
でもそのときの俺は、そんな事思ってる余裕なんて全くなくて、
きれいな声で、「本宮クン」って呼ばれた瞬間、
ドクンと音を立てて、何かが動き出した・・・気がしたんだ。




