序章 始まりの予感
【序章】
なだらかな丘陵の一本道をひとりの若者が歩いていた。身に着けた簡素な鎧は傷ひとつない新品で、その身なりには相応しくない豪華な剣を背負っていた。遠く地平線まで続く草原には、ところどころに畜産家や狩人の家がぽつりぽつりと建っているだけで、その他には、はるか彼方に雪を頂に載せた険しい山々が見えるばかり。初めは観たことのない壮大な眺めに感動を覚えた若者だったが、進んでも進んでも変わらない景色にいささかうんざりとしてきていた。すると、前方の道の傍に立つ一本の大木が目に入った。そこで一休みしようと歩を進める。
大木の根元には初老の男が座っていた。身に着けた装備から戦士だろう。男は木の幹にもたれかかり、目を閉じていた。その鎧は薄汚れ、ところどころほつれ、いたるところに大小の傷があった。眠っているのかもしれないと気をつかい、若者は小声で声をかけた。
「こんにちは」
男はゆっくりと目を開けると目玉をきょろきょろと動かし、大きく伸びをした。
「ふわぁ。おお、こんにちは」
「起こしてしまいましたか、すみません」
「いやちょっと休憩していただけだ、気にしなさんな。俺はゴードン」座ったままで手を差し出す。
握手をしながら若者はこたえた「アレックスです。隣に座ってもいいですか」ゴードンの手のひらのごつごつとした肌触りを感じる。
「もちろん」ゴードンは腰を浮かせるしぐさをするが場所は動かない。
アレックスが腰を下ろすとゴードンが尋ねた。
「あんたもノースランドへ行くのかい」
「はい。傭兵志願です」
「見たところ新人さんのようだが」
「実は今回が初めての参加で」
「ほう。で、どちらから来なすった」
「グロウサンドからです」
「え、あのグロウサンドからか。よくもまああんな遠くから来たもんだ。向こうにも兵役の仕事はいくらでもありそうなもんだが」
「……」アレックスは口をつぐんでしまった。
「いやすまない。立ち入ったことを聞きすぎた、忘れてくれ」
「いえ、いいんです。以前からこちらの地方に興味があったもので、一度来てみたかったんです」
「そうか、武勲をあげてたっぷりと稼げるといいな。ところで、もしよかったらなんだがその剣を見せてはくれないだろうか」
「もちろん。どうぞ」アレックスは木に立てかけておいた剣をゴードンに渡した。
ゴードンは鞘と柄をまじまじと眺めると「抜いてみてもいいかな」と尋ねた。
「はい」アレックスはうなずく。
刀身は傷どころか汚れひとつもなく、白銀に輝いてた。ゴードンが両手で掲げてみると刀身自体が光を発しているようにさえ感じた。
「なんと素晴らしい剣だ。これをどこで」
「父の形見なんです」
「このような剣を授かるとは、さぞやお父上は立派な武人だったのだろうな」
「ありがとうございます。そのようなお言葉、父も喜んでいると思います」
ゴードンは剣を鞘に収めると、うやうやしくアレックスに返した。
アレックスは携帯していた獣の胃袋の水筒を取り出すと、水を一口飲みゴードンにも勧めた。ゴードンは一口飲むと「うまい」と小さくつぶやいた。
「さっき通りかかった小川で汲んだんです」
「なるほど。この辺の水は美味いからな」
ゴードンはノースランドの情勢や傭兵が知っておくべき知識、戦場で生き残る秘訣など色々な話をした。だが、自分の身の上話はしなかった。
「さてと、僕はそろそろ先を急ぎます」
「そうか。俺はもう少し休んでから行くよ。城はもうすぐだ、しばらく歩けば見えてくる。向こうでまた会えるといいな」
「楽しかったです、ありがとう。向こうで会いましょう」
道を進んで行くと、山に囲まれるように建つノースランドの城の尖塔が見えた。振り返ってみると、先ほどの木が小さく見える。まだゴードンは木の下に座っていた。どうやら眠っているらしかった。