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加奈子の想い

 加奈子が香苗の存在を知った一週間後の土曜日の午後、真琴が賢一郎を尾行してこっそり観察していた頃。忙しい美奈子に代わって分担している家事を済ませた加奈子は、自宅で一人ベッドに腰掛けてぼんやりとこの一週間を思い返していた。


 土曜日に賢一郎の婚約を知り呆然としたまま帰宅したこと。

 両親が仕事で不在だったのは幸いだった。でなければ、すぐに加奈子の様子がおかしなことに気付かれていただろう。風邪をひいたみたいだから先に寝るねとメールして、部屋に閉じ籠った。もう少しだけ一人で落ち着きたかったから。でも、結局、頭の中がぐるぐるしたままただぼんやりと一晩を過ごした。

 そして次の日には両親にばれてしまった。ご近所さんとの立ち話からだった。土曜日賢一郎と香苗が駅へと向かう時に近所に住んでいるおばあさんがちょうど行き合ったらしく挨拶されて賢一郎の婚約を知ったとか。加奈子のことをとても心配してくれたそうだ。……すぐにひどい騒ぎになった。

 日曜日には珍しく家にいた美奈子に手首を掴まれてすぐそばの賢一郎の家まで連れていかれたが、肝心の賢一郎は不在で、止めようとしたものの母親同士が派手な口論となった。美奈子はおっとりした見た目に反してかなりはっきりと物事を言う性格で、引け目を感じているらしい真理恵を終始激しく責め立てたが、真理恵は謝りながらも決して譲らなかった。二人は恋人同士としてつきあっていたわけではない、幼馴染みで兄と妹のような関係だったと、親世代がどんなに望んでも、本人達の気持ちが肝心なのだと主張した。

 それを聞いて、わたしの気持ちはどうなのと加奈子は思ったものの言葉にはならなかった。美奈子はそんな話があるかとさらに激怒した。そしてその場で真理恵に絶交を宣言し、加奈子はもうどうしていいのか分からなくなった。


 月曜日からは毎日のように友人から連絡が来た。日曜日に不在だった賢一郎は、高校時代の同級生と会っていたようだ。一学年違うので、加奈子に声がかからないのは当然だが、どうやら香苗を伴って行ったらしい。婚約者として紹介したそうだ。そこからだんだん情報が拡散していき、木曜日にはしばらく会っていなかった小学校時代の友人からさえも電話が来た。

 そしてとうとう金曜日には、親友の真琴にもばれてしまった。

 自分でも飲み込めていないことをずっとみんなに繰り返し説明していたせいか、ドラマや小説のあらすじを話しているかのようで、自分のことだというのに現実感が乏しい。全てはスクリーン越しの出来事のようだった。


 涙が出てこないのは、そのせいなのだろうか。ただただ気持ちが昂ぶって眠れない。

 

(ああ、今日は賢ちゃん、挨拶に行く日だな)


 香苗が言っていたことを思い出し、心の奥のほうがずきんとした。

 美奈子は加奈子を一人にするのを嫌がってなるべく付いて居たがったが、加奈子は毎回大丈夫だと言って両親を仕事に送り出していた。今、二人の仕事は大事な準備段階の山場に差し掛かっているのだ。邪魔したくなかった。


 昨日までと違って、友人達からの電話やメールも今日はぽっかりこなかった。外からは、近くの公園で遊ぶ子供達の声がする。……幼い頃に賢一郎と毎日のように通ったあの公園。


 昨日打ち明けた真琴にはひどく心配されてしまった。電話越しの声だけで加奈子の異変に気付いた真琴には驚いたが、加奈子自身強いて隠そうという気はなかったのだし、頻繁に会っている仲の良い友達なのだから仕方ないのかもしれない。今日の予定が特にないことを知ると一人暮らしの部屋に泊りに来いとかなり強く誘われたが、加奈子は固辞した。いつでも味方でいてくれる真琴の気持ちはすごく嬉しかったが、今は一人になりたかった。


(ああ、今頃もう、向こうの両親と会ったのかな)


 今日は、とても静かだ。


(……賢ちゃんはもう、わたしの彼氏じゃないんだ……)


 一人きりの静かな時間の中で、ようやくその現実が、しみじみと胸に迫ってきた。賢一郎本人から、次に真理恵から、そして友人達から、畳み掛けるように突きつけられてしまった。……本人にもう一度確認に行こうとも思えないくらいにだ。まさか賢一郎は狙ってやったのだろうか。そんな筈はないと思いたいけれど。


(賢ちゃんの中で、わたしが彼女だったこと、ホントに一度もなかったのかな……)


 口でいくら人にはそう説明していても、気付いてもらえていないなど、本心では思っていなかった。周りだって、加奈子を思いやって納得した振りをしていただけだろう。


(わたしフられちゃったんだ)


 ようやく、加奈子の目に涙がにじんできた。現実を受け入れるのにずいぶん時間が掛かったが、ようやく胸に落ちてきた。加奈子は、賢一郎に、振られたのだ。


(わたし、ホントにフられちゃったんだ)


 何が悪かったのだろう。なんでフられちゃったのかな。妹としか思えなかったって? なんで? 血なんか繋がってないのに。


(わたしの賢ちゃんを返して。奪っていかないで)


 嗚咽が込み上げてきた。

 賢一郎は加奈子のものではなかった。賢一郎の口から明確な言葉は出ていないにも関わらず、これ以上なくはっきりと伝えられた。


(付き合ってくださいって、はっきり口に出して頼まなかったのが悪かったの?)


 加奈子は一度も賢一郎に対する好意を隠したことがない。受け取る気がなかったのなら、はっきり拒絶してくれれば良かったのだ。

 キスなんかして欲しくなかった。ネックレスだって欲しくなかった。なんでそんなことしたの?


(それとも、わたしこそ、賢ちゃんの拒絶に気付かなかったの?)


 想いは通じ合っていると思っていた。どこで間違ってしまったのだろう。

 賢一郎を兄だと思ったことなど一度もない。妹として扱われていたなんて、夢にも思ったことはない。

 加奈子は嗚咽をこらえるのをあきらめた。しゃくりあげながら、ぼろぼろ涙を流す。


 そう言えば香苗は結婚式に来てねと言った。


(絶対行きたくない。絶対行かない)


 今は家に誰もいない。自分一人だけ。気兼ねなく思い切り声を上げて、気がすむまで泣いた。鼻水が出てきて、ティッシュに手を伸ばす。最後には鼻が詰まって息が出来なくなった。


 泣くとエンドルフィンが出て、少し楽になるんだよ。中学生の頃、賢一郎がそう教えてくれた。自家生産の脳内麻薬だって。変なことを思い出した自分の脳味噌に、少し笑ってしまう。そして、どんな記憶にも、賢一郎がいることにも。


 本当にずっと、一緒にいたのだ。これまでの加奈子の人生は、いつでも賢一郎がすぐそばに存在した。これからもずっと続くのだと信じて疑っていなかったのに。


 こんな状況でも、賢一郎に対して、不幸になってしまえとは、思えなかった。自分は甘いのだろうか。バカなのだろうか。

 それでも、香苗を殺してやりたいとは思わなかった。賢一郎を殺して自分も死のうとも思わなかった。ブラック加奈子にはなれないみたい。そんなことを思う自分に、今度は笑いが込み上げてきた。鬱から躁へ。自分が精神的に不安定になっているのが分かった。


「わたし、ばかだ」


 声に出して言ってみる。鼻が詰まっていてまともに聞き取れる声じゃない。

 笑ってしまった。でも大丈夫。自分で自覚出来ているうちはまだおかしくなってないってどこかで聞いたことがある。わたしはまだまともだ。失恋したからって、狂ったりしない。一人でも大丈夫。一人になったって、生きていける。わたしは、強い子だ。

 笑いながら自分に言い聞かせた。

 

 でも、だからといって、式に参列して目の前で祝うなど考えられない。わたしは妹じゃない。それだけは、お断りだ。

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