水売り吉次
水売り吉次
奥州の在、吉次なる者、京にのぼりて諸事物産を贖うこと夥し。これすへて金もちて払いたり。それゆえ、人、金売り吉次と称うるなり……。
そんな昔話ではありません。最近の事件を紹介します。
去年の夏は記録を塗り替える暑さが続きましたが、これはある町であった話だとか……。
木曽は山中、檜の産地。御岳それ見て笑うてる。
かほどに山に囲まれたのが木曽ですが、山と檜だけが名物ではありません。
木曽節で有名なこの土地には、その名を冠した川が流れています。
中央アルプスの伏流水を集めて轟々と流れる木曽川。この川、とても水質がよくて旨い!
猛暑であっても涸れることなく麓一円の水を供給しているのです。
所変わって徳島県。山が急峻なために水不足になりがちです。去年もダムの底が現れるほどの水不足。節水の掛け声が悲鳴のようになり、厳格な取水制限をされていました。ですから、水を使うあれやこれやの行事はことごとく中止になっていました。それでも子供たちには不自由させまいとプールを用意したのですが、入れ替え用の水がありません。気の毒なことに、子供たちはボウフラの湧いたプールで遊ぶしかなかったのです。
それに目をつけたのが木曽の町役場。大きなタンク車に水を満載して行商にでかけました。
「木ぃー曽ぉーのぉーなぁあーーーあ 中乗りさぁーーん 木―ぃ曽ぉーのー御岳ゃ……」
屋根のスピーカーが木曽節をがなりたてていまして、運転手兼営業がアドリブで口上を流します。水不足の地域にはとてもありがたい行商だそうです。
そんな時にでも火事はありまして、消防も頭痛の種だったそうで……。
うーーー カンカンカン……。
余談ですがあのサイレン、うーーーと聞こえているうちはまだ余裕があるそうです。
余裕がなくかると、うーーーが、あーーーに聞こえるそうですね。
あーーーカンカンカン。あかん、あかんと聞こえます。
もっと切羽詰ると、ゆーーーだそうです。
ゆーーーカンカンカン。ゆかん……湯灌? 慌てなければ……。手遅れでしょうね。
今日も火災出動です。
颯爽と到着した消防車、飛び跳ねる勢いでやってきたそうです。 飛び跳ねる……、つまり水を半分しか積んでいません。
現場をつぶさに眺めた消防士が家主を交えてミーティングです。
「ご主人、どうかな、今から消火してもおそらく全焼ですから……」
気軽に予測した隊長に家主が食って掛かりました。
「どういう意味ですか! 早く消してくださいよ!」
こういう緊急事態では動転するのが当たり前なのですが、そういう時にかぎってへまをやらかすものです。ですから落ち着かせるのを何より最優先せねばなりません。
「まあまあ落ち着いて、ご主人。ご家族は全員無事ですか?」
「全員畑で仕事してましたから無事ですよ。……早く消してくださいよ!」
「そうですか、全員無事ね。で、相談ですが、やっぱり消しますか?」
「当たり前でしょう!」
「へたに消すと後始末が大変ですよ。そっちにお金がかかりますからねぇ。皆さん後悔されるのですよ。さいわい……と言ってはいけませんが、周りは空き地だし、延焼のおそれはないから……」
「ゆ、指くわえて見てろっていうことですか! 早く、早く消せよ!」
「そうですか? そりゃあ消すは消しますがねぇ。へたして棟が残ったら半焼になってしまいますよ。保険金が大幅に減るけど知りませんよ」
隊長さん、家主さんに念押しをして消火を始めました。
ブシャーー。
放水開始です。
……始めの五分はブシャーっと勢いよく水が出ていました。それが、シャーっと勢いを弱めると、いくらもたたないうちにチョロチョロです。
「何してるのですか! 水出して!」
家主さんは気が気ではありません。
「ご主人、申し訳ないけど割り当ての分を使いきってしまいました。署へ戻って水を積んできますので一時間ほど待ってください」
「水がない? どういうことなんだ!」
「節水でねぇ、飲み水に困っているくらいですから上からの締め付けが……」
「燃えちゃう。家が、家が、燃えちゃう……」
現場は大騒動です。そんな時に聞こえてきたのはのどかな歌声。
「木ぃー曽ぉーのぉーなぁあーーーあ 中乗りさぁーーん 木―ぃ曽ぉーのー御岳ゃ……」
「水はいかがですか? ミネラルたっぷり天然水。木曽川のお水だよーーー」
営業さんのアドリブも入っております。家主さん、その水をつかうよう隊長に求めました。
「落ちついて! ね、落ち着いてくださいご主人。あれは業者の水ですから有料です。費用はご主人もちになりますよ」
「そんなこと言ってる場合か? 消せよ!」
家主さんの決意が固いことを確かめた隊長さんですが、もう一度考え直すことを薦めようとした矢先でした。
「南アルプスの天然水、ミネラルたっぷり天然水、美味しいおいしい木曽の水。本日は十八リットル七百二十円。十八リットル七百二十円でのご提供ですよー。無制限にお買い求め、いっただけますよーーー」
なんと軽快なノリですよ。それにしても水ともいえぬお値段です。
「おい! 無制限だってよ! あれ使え。いいから、金はいいから」
家主さん、とうとう頭から血が噴出したようですね。
ため息をついて水売りを呼びとめ、無事に消火できました。
「毎度ありがとうございます。えーっと、ご利用が六千十二リットル。……十二リットルはサービスさせていただいて、料金が……。二十四万円と消費税一万二千円で、しめて二十五万二千円になります。現金ですか? それともカードで?」
営業マンはメーター横から伝票を印字して示しました。
カード決済をする時、新たな火災を報せる無線が入りました。
「いつも世話になります。少ないけど皆さんで冷たいものでも……」
隊長に封筒を渡してつぎの現場へ出発です。急がなくてもよいのです。頃合いが大事なのです。
「木ぃー曽ぉーのぉーなぁあーーーあ 中乗りさぁーーん 木―ぃ曽ぉーのー御岳ゃ……」
のどかな歌声とともに去って行きました。
水の補給をどうしてるかって? そりゃあなんですよ。
水だけに、浄水場の横流しでございます……。
おあとがよろしいようで。