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レンタル*彼女  作者: ゆうまに
3/3

3

 「私とデートに行きましょう」


 そいつは至って無表情で言い放った。

 「デート、って……お前……」

 さすがに、深夜帯に生きている僕でも、こんな時間にデートに行くなんて考えたこともない。

 ましてやこんな極寒の日に……行きたい訳ないだろう。

 「私の行動可能時間は限られているのです。さあ、ぐずってないで行きましょう」

 「は、はあ……?」

 行動可能時間? なんだそれは。

 訳が分からないまま、僕は女に手を引かれ、我が部屋をあとにした──。



 「ううっ……寒い、んだけど」

 「私は寒くないですよ」

 明らからにおかしいのはこいつだった。

 真冬の深夜に、寝間着のまま外にデートしに行くカップルがどこに居るのだ。

 これも、レンタル彼女のサービスの一環なのだろうか……

 (嬉しくないような、嬉しいような……)

 ……今まで、僕に彼女が出来たことはなかった。

 昔から僕の周りには大人ばかりが、僕を守るようにして集まっていた。

 そのおかげ……とでも言えばいいのか分からんが、僕は何不自由なく過ごせていた。

 食べるのに困らなかった。学校には通わなかった。欲しい物は何でも揃った。

 そんな環境で生きてきた自分が言うのもなんだが、とても人間らしい生活じゃなかった。

 そんな生活が、今はどうなったんだ。

 ふと、横を見れば、僕と同い年……いや、もっと若いか、見た目は美人の女と一緒に歩いているんだ。

 これほど人間らしい事をしたのは初めてかもしれない。それほどのものだ。


 「デートスポット、一ヶ所目は……こちらですっ」

 そいつは高らかと声をあげ、僕の手を引くようにして走り出した。

 (なんでまた、こんなとこに……)

 僕が見上げたその大きな、大きなオブジェは、僕も一度は目にしたことがあるものだった。

 「時計台、です~」

 見れば分かる。

 「なんでここなんだ?」

 デートスポット……にしては、地味な所だと思う。デートにいったことがない僕が言うのはおかしいだろうけど……

 「まあまあ、あの時計を見てて下さい」

 そいつが指差した時計は、針が特殊な形をしていて、とてもいい趣味をしてるとは言えない……と思うが……

 (……ん?)

 何だろうか。この、下腹部が暖かく……感じる。

 気味が悪い。気味が悪いぞ。

 「…………」

 変な気分になってきた僕は、時計台の近くにあったベンチに腰を下ろした。

 「どうしたです? 疲れましたか?」

 そんな僕を心配したのか、女は僕の顔を覗き込んでくる。

 「そんな訳ないだろう。家から五分も歩いてないんだぞ」

 「そうですね。そう言われてみれば、ここは結構近いですね」

 そう言いながら、そいつは羽織っていた俺のコートを脱ぎ、俺の背中にかけてくれた。

 (やさしい所があるんだな……)

 しみじみと、そう思った。

 「……あっ、そろそろ来ますね」

 一体何が、何がくるんだ。僕は女の視線の先──時計台へ顔を向けた。


 僕が顔を向けたのとほぼ同時に、時計台はその古びた姿を一転させた。


 ──眩しい。

 僕は思わず、自分の右腕で視界を覆った。

 「なんだよっ……この、眩しいの」

 いくら腕で覆ったと言っても、完全に光を遮ることは出来ず、所々で漏れる光が僕の眼を刺すように伝わる。

 痛い。

 僕は直感などではなく、しっかりとした痛覚で感じた。

 「……もうすぐ楽になりますよ」

 わずかに聞こえたそいつの声。どこか、どこか優しい口調のように思えた。

 やがて、光は徐々に弱まり、ほぼ元の状態に戻った。

 (なんだったんだ? 今の……)

 おそらく光を発していたであろう時計台を、僕は睨むようにして見たが、特に変わった様子はない。

 しかし、どこかが変わった。変わったような気がする。

 「さあ──」

 そんな不思議な感覚を味わっていたのも束の間、そいつは僕の手を取り、ベンチに下ろしていた腰を浮かせ、次なる場所へと導き始めた。

 

 不思議だ。

 僕は自分の胸の辺りを撫でるように、何かを確かめていた。

 (体が、軽い……)

 そこまで重く感じていた訳ではないが、なんかこう、宙にでも浮いているかのような感じがするのだ。……宙に浮いたことなどないけど。

 あの光か? あの光を浴びた直後から、こんな感じになっていた。

 「…………」

 うつむきながら歩く夜道。

 僕は今、この世界の誰よりも不思議な体験をしていることだろう。

 謎の女に出会い。そいつとデートに行き。謎の光を浴び。体が軽くなった。

 まるで、聖なる光が僕の汚れきった体を洗浄したかのようだ。

 「ところで」

 時計台から少し歩いた場所で、そいつは口を開いた。

 「あなたは、今まで楽しい事をした覚えはありますか?」

 不意にかけられた問い。答えるのに、そこまで難しくなかった。

 「無い。」

 僕に楽しかった思い出などあるものか。あってたまるか。

 いつも大人の作った輪の中に居て、いつも僕は泣きもしていないのに慰められていた。

 気づけば一人暮らし。隣近所には全く面識がない。

 学もない。欲もない。

 まるで亡骸だ。

 「そうですか……」

 シュンとした様子で、そいつは再び歩き出す。

 「ただ、今は楽しいかもしれない」

 その言葉に驚き、そいつは歩くのを止め、僕の方を向いて微笑んだ。

 驚いたのは僕の方も一緒だった。

 自分の口で、『楽しい』なんて言った事あっただろうか?

 ないな。ない。

 「それは良かったです、私は心配だったですから。あなたの事」

 「そう。」

 少しだけ、女の口調が変になった気がした。

 もしや──いや、もしかしなくても、行動可能時間の制限とやらだろう。

 そんな事を気にしていると、そいつは再び歩き始めた。僕もそれに続いていく。


 「二つ目はこちらになります、よ」

 「結構、歩いた、な……」

 僕は少し息を切らしながらも、なんとかそいつに追いつき、二つ目の場所にたどり着いた。

 「さきほどの時計台から、およそ三十分です」

 時間の問題じゃないと思うが……

 僕の体感では、もっと長い時間歩いたような気がした。

 「ここは、えっと……」

 僕が見渡すその場所は、見知らぬ地であった。

 見たこともないような花がたくさん植えられていたり、変な形をしたイスもあった。

 全く真新しい場所に来た。僕にはそれぐらしか分からなかった。

 「山のふもとです。ここは、とても落ち着きま、すん」

 ハッキリ、おかしいと感じたそいつの言葉は、自分でも分かってるらしく、若干バツが悪そうにしている。

 「で、ここは何が起こる場所なんだ?」

 僕はそれに気づかないフリをして、そいつに聞いた。

 「まあ、もうすぐ分かりますよ」

 さっきよりゆったりとした口調で、女は話した。


 それからしばらく、僕は変な形のイスに座ってその時を待っていた。

 とくに何か話す訳でもなく、女は僕の隣で静かに立っていた。

 

 どれくらい時間が経っただろう。

 僕には体内時計など装着されてこそないが、あればよかったなと思う。

 「まだ、かな……」

 少しギシギシした空気があったが、僕は気にせずそいつに話しかけた。

 「もういいですね。次行きましょう、か」

 なんだ。もういいのか。

 少し残念な気にもなったが、まあいい、こいつに着いていこう。

 何が起こったのかなんて、思い返さないでいいような気がした。

 「分かった。行こう」

 僕はそう言って立ち上がった。それを見て女は、クスっと笑うように微笑んだ。

 「行きましょうか」

 そしてまた、歩き出す。

 僕は今度こそ遅れないように、少しそいつとの距離を縮めるように着いて行った。

 

 僕は三つ目の場所に辿り着くまでに、色々、女の話を聞いた。

 僕の顔は世間体的にはイケてる方か? 今社会ではどんなことが起こっているのか? バリボーって何なの?

 そんな事を聞いてばっかいた。

 僕にとって、これほど目を輝かせた時はないくらい、僕は知りたがった。

 童心というのだろうか。

 僕はとても、言葉に表せない気持ちの渦に居るようだった。

 

 「さあ、着きましたよ。三つ目のデートスポットです」

 「やっと着いた。やっと……」

 長く短いような時間、僕は女と二人で歩いた。結果、着いた場所は……

 「山の頂上になります、す」

 と言われても、僕にはほとんど暗闇にしか見えない。

 大体、こんな時間に来ても何も見えないのは確かなはずだ。

 「……へえ」

 だが、そこで曖昧な反応をするのも、なんか惜しく感じたので、僕は一応相槌を打ってやった。

 「実は、ここが最終デートスポットになります」

 最終という言葉に、僕は強く反応した。

 「……そう、か」

 極めて冷静に、沈着に。僕は自分をなだめた。

 レンタル彼女も、もう行動可能時間が限界に近いのだろう。

 それでも、ほんの二時間ほどしか行動していなかったが……

 「では、失礼いたします、です」

 先と同じどおり、そいつの口調はおかしくなっていた。

 ──だがそれよりも、そいつが僕の顔に、自分の顔をどんどん近づけてくる事の方が驚いた。

 「なっ、何が失礼します、だっ……」

 反射的に、僕は顔を逸らした。

 急なことだったので、僕は動揺からか顔全体が紅潮していた。というか、火照っていた。

 何をされるかなんて野暮な事は聞かないつもりだ。

 今の今まで、僕はこいつの彼氏であり、こいつは僕の彼女なのだから。

 たとえ仮だったとしても、その行為自体は変わらないのだろう。

 僕は意を決めた。

 「どうせ、誰も見てないだろうし……いい、か」

 まだ火照る顔をさも隠さず、僕の目はしっかりとそいつを捉えていた。

 しかし、経験などない。どうしたらいいのか、なんて分からない。

 僕はそんな不安を押し切るようにして、そいつの唇を奪った。

 ──奪った。という表現通り、今度は僕からいったのだ。


 時に激しく。舌を絡ませたり、空いている右手で、そいつの腰を引きつけたりした。

 無我夢中だった。

 これが理性崩壊と言うのだろうか。まるで獣みたいだった。

 「んん……」

 少し息が苦しくなった所で、僕はそいつの唇から離した。

 そしてまた、大きく息を吸った後で、優しいキスを何度も何度もした。

 時に二人して微笑み合い、強く抱きしめたりしながら。

 僕は、僕は今まで味わったことのない幸福を感じた。

 ‘今まで’がどうでもよくなるような、そんな感じがした。


 

 ──気づけば、僕の頬には一滴の涙が伝っていた。



 悲しいのではない。

 決して、悲しいのではない。

 嬉しい、嬉しいんだ。

 

 よく分からないけれど、とても嬉しいんだ。


 こんなに、この世界を素晴らしいと思ったことはない。

 これほど、この世界を好きになった事はない。

 

 僕はこいつを、こいつを見つけた時から、変わっていった。

 

 何も変わらない日々が僕を苦しめていた。

 幾多の不安が僕を押しつぶそうとした。

 どれほどの大人が僕を知った。

 どれだけの、どのくらいの‘愛’を今まで感じたんだ?

 

 ない。


 僕が愛を感じた事など、今まで一度もない。

 

 そんな過去なんて、どうでもいいのだ。どうにでもなれ。

 

 なぜなら僕は──。僕は──。


 今、最高の‘愛’を感じているのだから──。


 「もう、そろそろ……」

 僕は有無を言わず、そいつを離した。

 十分、僕は愛された。この一瞬で。

 「これから、どうする」

 嗚咽がまじり、よく聞こえなかっただろうが、そいつは僕の言葉をはなから聞くつもりはなかったらしく、僕から一歩二歩、離れた。

 「私、あなたの彼女。なれてましたか?」

 そして、また変な口調で、淡々と話し出した。ほんの二時間前のように。

 「ああ、うん。僕はとても楽しかった」

 今度は柔らかく返事した。あの時抱いていた不審感などない。

 「よかった、です、です」

 僕の言葉が嬉しかったのか、とても可愛らしく微笑んでいる。

 

 ──ああ。


 ──ああ、なんて幸せだったろう。

 そう短くなかっただろうか。


 「…………」

 思いにふけっていると、自然と僕の体から力が抜けてきた。

 遂には、ガクンと足から力が抜け地面に膝をついてしまった。

 ──そんな事は気にしない。

 僕はまだ、夢の悦の最中だった。

 

 いつからか体が軽い。

 あの時の時計台だったか……確かそこに居た時に……だったか。

 僕は朦朧としてくる意識の中、必死になって記憶をたどった。


 ──もう、耳が聞こえなくなってしまった。

 そいつの声が聞こえない。

 そいつまだ確かに、僕の目の前にいる。笑ってくれている。

 

 あの、山のふもとで過ごした時間。

 あの時間は、僕にとって持て余した時間だったのかもしれない。

 あの時からもっと、話していれば……もっとそいつの声を聞けたのに。

 

 ──声が出ない。

 もう、そいつと話してやることさえ出来なくなった。

 感覚がない。

 話すどころか、キスさえも僕は出来ないのか。

 いや──いい。それでいいのかもしれない。


 僕はまだ、夢の悦の最中だ。終わっていない──。


 ここまで来るのに、どれだけの時間そいつと話しただろうか。

 どんな事を話していただろう……思い出せない。


 ──何も見えない。

 だが、怖くない。怖くないんだ。

 そいつが居る。目で耳で感じ取っている訳じゃない。

 僕は、記憶の中に居るそいつの姿をハッキリ思い出していた。

 

 初めて会った、あの場所はどこだったか。


 どんな会話をしただろうか。


 キスの味はどんなだったか。


 

 もう。何も感じない。何も感じられない。

 

 ──ただ、そいつの事だけは忘れない。忘れられない。


 自分は『レンタル彼女』だと、そいつは言っていた。

 だが、僕は知った。

 そんな造りものの体・心でも、人を幸せに出来る。

 僕が立証されたんだ。そいつに。

 ニセモノの愛じゃない。本物だ。

 冷えきった僕の体を暖かくしてくれた愛だ。


 そいつは、僕を決別させてくれた。

 

 


 



 ──いらぬ過去は忘れよう。

 

 ただ一つだけ覚えておこう──僕を愛してくれた女の事を──。

 


 



 僕は、永遠の幸福へと、向かった──。   The  end..

この物語はフィクションです。実在する団体、人物とは関係ありません。

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