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何一つ変わりない。そうだ、何も変わっていない。
僕は、そう、何も変わらない。変わっていない。
ふと、気づくことがある。僕は何のために生まれ、何のために生きているのかが分からない事に。
ソレは僕を苦しめる。思い出したくなかった過去や、考えたくない未来と同じように。
ソレらすべて、僕が寝てる間に消えてくれないだろうか。どこかへ行ってくれないだろうか。
僕はいつもそう願いながら、眠りにつく。
だが起きてみると、何一つ変わらない日常が何事もなかったように動いている。
何も変わっていない。何も変わろうとしていない。
──僕の住むアパートの一室は、元々、母が別居中に住んでいた借家だ。
だから、設備などや立て付けは、普通の家よりはるかに悪い。
だが、僕はそこで何年もやりくりしている。今、現在6年目だ。
時に、新聞勧誘のおじさんや宗教勧誘のおばさん。そして、身元確認の調査で警察などがここを訪れる。
「僕は死んでいないというのに……」
いや、死んでいてもおかしくない。僕の生命は、ひ弱過ぎる。
そんな身を持ってるせいか、やっぱり生活のリズムが他とは違う。
そのリズムで生きていくために、僕はわざわざ実家を離れ、ここに住んでいる。
もとい、あの夫婦喧嘩を毎日のように繰り返されてたら、耳が腐ってしまいそうだった。
「……十二月二十九日、時刻は二十五時三十四分」
僕は暗闇の中で、ぼそぼそと独り言を漏らす。
「──何も、変わらなかった」
──僕の朝は早い。
いつもこのくらいの時間に起き、ゴミばかりの部屋を見渡しながらため息をつく。
サッと立ち上がり、床に散らばるゴミを足で掻き分け、財布と緑のコートを探しだし手に取る。
「これから買い物に行きます。行ってきます」
また独り言を言いながら、玄関へと向かう。
趣味の悪いスニーカーを履き、ドアをゆっくり開き外へ出た。
当然、静かな夜だ。よく耳を澄ましてみれば、荒い猫の鳴き声……女の喘ぎ声……
さまざまな音が、この静寂の中に紛れ込んでいる。
古めかしい階段をスタスタと降り、近くのコンビニへと向かう。
暗い。暗い。
ここらへん一帯、建物自体が古く、街灯はないし月の光だけが明かりになっている。
この時間になれば、民家の電気は点いていない。
だが……そうだ、最初は怯えていたが、何回も通るとそれもなくなる。
(よくある事じゃないか……)
そうこう考えていると、目的のコンビニに着いた。
こんなところにあるのが不思議くらい、このコンビニは新しかった。
内装と外装は言うまでもなく、毎日訪れても代わり映えない。
まるで、僕の人生みたいに。
店内は静かだった。何とも言えない油の匂いが気にはなるが。
「いらっしゃいませー」
深夜帯のシフトは一人か二人、そのうちの一人は店長代理だったりするのかもしれない。
(何がアツイかな~)
レジ付近に置かれているおでんコーナーを見つめ、考える。
よくよく考えてみると、おなじ鍋に入っているのだし温度は同じなのでは?と、思った。
いつも買うのはお弁当とお茶。栄養とか値段とかは気にしていない。
今思えば、このコンビニにどれだけ世話になっているだろうか。
自分がどれだけこの店のドアを開けたか。
考え出すと、いらぬ過去まで思い出してしまいそうなので、止める。
──この時は知らなかった。
今日、この時、この場所。僕はいつもとは少し違った空間に居たことを。
「ありがとうございましたー」
袋を手に取り、店を出る。
温めてもらった弁当は、家に着くまでのカイロにしよう。そうは思ったものの……
(意外と熱いんだな)
これがカイロの常温なら、僕はカイロなんて物は持たないかもしれない。
いや、持たない。
僕は目があまり良くない。だから、遠くにあるものや人を、よく見間違えたりする。
今だってそうだ、アパートの階段付近に人が立っているように見える。
アレはきっと影かなんかだろう。
そう思いながら、僕は階段へと近づいていく。
僕の目はあまり良くない。だから、近くにあるものや人を、よく見間違えたりする。
「…………」
今だってそうだ、僕の目の前にある『影』が『人』に見えてるんだから。
これは影だ。人なんかではない。
そう思いながら、僕は階段を上がる。
──フワ、と、僕の後ろで何かが動いた気がした。
振り返ってみると、僕の目と鼻の先に、人が立っている。
人が立っているではないか。
「……え?」
人が立っている? なぜだろう。僕には理解出来ない。
顔をよく見れば、女、女だ。しかも、十代に見える。とても若い。
(あの……あなたは一体どこの誰ですか?)
頭で考えていても、なかなか言葉に出すのは難しかった。
しかしその葛藤は、長くは続かなかった。
「あなた、私の彼氏です。か?」
そうだった。
僕はとても耳が悪い。だから今、こうして聞こえる音はすべて幻聴だったりする。
そんな事もたまにはある。
だから今、こうして……
「──私、あなたの彼女。です、か?」
僕は、僕は落ち着いてられなかった。
「お前……誰だよ? なんでここに居る?」
「私、彼女になるから。あなたに」
いや、こいつは人間ではなさそうだ。ネジの一本や二本なくて当然の生き物だと定義しよう。
「ちゃんと答えろ、じゃないと大声で叫んで助けを呼んで警察を……」
「だから、私はあなたの。彼女に」
「彼女とか知らん。いい加減なことばっかり言うな」
上手く話がかみ合わなかった。
きっと、こいつの頭の中と僕の頭の中では違いが多すぎるようだ。
「うぅ……」
なんだなんだ。急に頭を抱えて座り込んだぞ。
これは、泣き落としなのか? 泣き落としでいいのか?
僕は段々、落ち着きを取り戻していた。
「……お前、名前は」
「名前、ないかも」
もうお手上げだ。
──ガチャリ
なぜだろう。ドアノブが重く感じる。
「ほら、入れ。中で話を聞いてやる」
「おじゃま。するけど」
相変わらず言葉遣いが変だ。
僕は、謎のこいつを部屋へ上がらせるのは本意ではないがそうした。
これ以上外で話を聞いてても、埒があかないと思ったからだ。
「お前は身元が不明だ。だから最終的には警察へ行ってもらう」
「ああ、そうすれば、いいんでね?」
「……そうして欲しくないなら、何か話せ」
「任せて。そういうの、苦手じゃ」
「…………」
僕がやっているのは、漫才か何かなのだろうか。
そうだとすればタチの悪い漫才だ。ツッコめないボケばかり。面白くもなんともない。
「あの、あの……」
「なんだよ」
「何か?」
「……お前、ほんとに何人なの?」
くだらない時間だけが過ぎていた。
しかしなぜだろう、嫌な気持ちにはならない。なぜだろう。
「私、は、あなたの彼女にーなるんです」
そいつは、僕の目を見て、そう言い放った。
高らかと手を上げ、天を仰ぐようにして。
「……何度も、何度も。僕に彼女は居ないんだ、お前はそれが分かっていない」
「レンタル……しますか?」
「え?」
──まったく脈路ない会話だ。自分が恥ずかしい。
「レンタルがどうしたって?」
でも、どうしてだろう。こいつの言葉の一個一個が、とても頭に響く。
そして、考えさせる。
「レンタル彼女とは、某社が開発した自発生命体であり、一生の間をレンタルされて過ごすことになる。しかしこの試験体には色々な不具合が見つかっており、すべて完璧とはいかないが本来の……」
「ちょ、ちょっと待て! 急に普通に喋るなよ!」
ボーカロイドのように、噛むことなく喋り出したこいつをとりあえず止め、話を戻す。
「レンタルって、どういう事だ?」
「レンタル彼女とは、某社が開発した自発生……」
「もういいって! もういいから」
同じように喋りだしたこいつを止め、話を元に戻す。以後、これが繰り返し行われた。