※幻術
彼はそうだった。
何にでも優しく、暴力を嫌う。
でも彼はそうだ。
守ろうとする時は怖いくらいの殺意を見せた。
彼は多頭竜をいとも簡単に捕らえてみせた。ただただ震えていただけの私達とは違う。
「そっか。じゃあ殺そう!」
「直人何言って……!?」
私が彼の言葉を飲み込むより早く、多頭竜は私達の前に現れた。
そしてそれは彼の霊力により押さえ付けられている状態だった。
油断から弛めてしまったであろう拘束を解き、高く舞い上がった多頭竜が放たれる霊術のようなもの。
恐らく彼は解っていた。
その地形すら変えてしまいそうな強大な霊力は取るに足らないと。
そして彼は知っていた。
その取るに足らない脅威から私達や野牛族の里、世界樹を守る方法を。
焦燥を微塵も感じさせない彼の絶対の強みは
ただその手を払うだけで多頭竜の渾身の一撃を無効化してしまう獣神、しゃもじ。
渾身の一撃が逸れた場所を確認していた彼は見ていない。
皆が皆、多頭竜の圧力に、彼の行動に硬直していて気付くのが遅れてしまった。
何処からか竜人が現れ、その手が強烈な光を放った直後
しゃもじは珠になった。
書物には確かにあった。知識としては確かにあった。
それでも目の前で起きた事実を受け入れるのには、少しだけ時間がかかった。
「なぁ!四葉!!しゃもじを知らないか?さっきまで俺の足下にいたんだ!!なぁ!!」
焦燥を隠せない彼の弱味は。
絶対的な強さを誇る獣神への、極々僅かな危害の可能性。
私の肩を掴みかかった彼の手は震えていた。
その応えを、私は行動で示すしか出来なかった。
_______どうする。
恐らくこれは封印石である事から、封印状態にあるだけでしゃもじは無事だと言い切れた。
問題は、しゃもじに危害が加わったという事実だ。
彼は『殺す』という言葉を良く使う。
彼を取り巻く私を含む全員が、その言葉が獣神を確実に守るという決意だと知っていた。
だけど私達は獣神であるしゃもじに、直接危害が加わってしまうような事態が起きるなんて全く思っていなかった。
故に思い至る。
彼が壊れてしまうのではないか、と。
事実彼は、ただの一瞥もなく、霊術により多頭竜を潰した。
あの彼が、躊躇いもなく殺したのだ。
そして目の前には何かに縛り付けられたような姿の竜人が、次々と並んでいく。
だめ、だめ。駄目!
________どうすればいい。
彼を止めるには力が足りない。
レラくんも花王様も私と同じ焦りを抱え、叫び掛けているが彼には届いていない。
「さて。お前がリーダーか?これはどういう事だ?」
理性で無理矢理感情を押さえ付けている。そう感じる声色だった。
時間がない。
________そうだ。
彼より先に殺せばいい。
この激情に身を任せた後の彼はきっと後悔をする。
そしてきっと変わってしまう。
私はそれから彼を守りたい。
出来る限りの霊力を展開!
特定する時間はない。空間ごと幻術にかける!
「あなた…とんでもない事を思い付くわね…。でも確かにそれしか方法はなさそう。」
「華澄!お願い!力を貸して!」
「もちろん!」
九尾の力はとても強力だ。これなら…!
敵意も悪意もない。これは彼の夢だ。
彼が敵に直接手を下す夢を見せる!
彼の霊力に私の霊力を混ぜ、空間に展開……!
「うっ。くぅっっ。」
でもこの霊力量は…この密度は……
「ナオトだって相当の霊力を消費しているはずなのに……本当に規格外は獣神様だけじゃないわ。……負けないでね!四葉!」
「う……んっっ。がんばるっっっ!!!」
まるで強固な岩盤を小さな刃物で穿つかのような難関。
少しずつ、でも確実に、慎重に、迅速に!!
間に、あったっ!!!
私は次々に彼がそうしたかのように竜人を殺していく。
幻術の中の『死』は重大だ。
確かに幻術は幻であるが故、現実の体には何も影響はない。
…けれど、心が死んでしまう可能性がある。
幾度も絶望と無力感を味わった頭人であろう大柄の竜人も。
自害を選ばない訳がない。
この空間で見せている情景に耐えられなくなりそうになりながら
気が付けば直人の背にしがみついていた。
「直人。…直人。………直人直人直人直人直人。…………もう…………」
願いが通じたのか、直人は間もなく気を失った。
でも……これからだ!
「獣神様が封印された事で、完全にナオトの殺意が芽生えてしまったんじゃ…」
「花王様!竜人全員の縛り付けて下さい!!」
「……?何を言うとる?其奴はもう逃げる気すら……」
「いいから早く!!!!」
「…うむ。承知した。」
花王様の妖法により縛られた竜人を確認し、幻術を解く。
空間が端から風化していくかのように、現実に塗り替えられていく。
「まさか…どこからが幻術じゃ……?」
「直人……は、誰も……」
「お姉ちゃん!!」
封印の解き方聞かなくちゃ。
封印の…解き……方……
でももう、少しくらい休んでもいいよね。




