対話
おーい。杓子ー。
俺はお前と会話出来るらしいぞー?
恥ずかしがってないで喋ってごらん??
……しかしなにもおこらない。
「ナオト。」
「あ、そうか。声に出せば良いんだな?おーい杓子ー。」
「ナオト!」
「ん~何も話してくれなっっつ!?」
暗い部屋の中で現実逃避している俺の口を、適度に張りのある美しくも白い柔肌が塞ぐ。
獣人の集落には空き家がちらほらとあり、通称『子作り部屋』と呼ばれていた。
ひねりもへったくれもないその部屋の入り口には旗のような物があり、それを立てると使用中、寝かすと空室、となり一目で解るようになっているという。
地面に藁が敷いてあるという他の家屋とは違い、木の板が敷いてある点は、気が利いていると言わざるを得ない。
「恥じているのかナオト?それともまだ女を知らんか?」
「〰〰〰〰!!?」
割りと強く押し付けられている俺の顔に、控えめだが確かに膨らんでいる何かが当たっているのが解る。
……着てないよね。これは。脱いでるよね。これは。
いやー!ちょっと展開が猛ダッシュしてて何が何だか……。
「ちょっと待とう!待とうか胡桃さ……うわぁ!?」
呼吸を確保しようと、胡桃さんの細くしなやかな曲線美を誇る腰に手をかけ、つい狼狽えてしまう。
小さく、細い、艶やかで、滑らかで、張りがあり、柔らかい。
至高の曲線美を撫でる手は、理性という言葉を嘲笑うかのように情欲をかきたてる。
……って、いやいやいやいやいやいや。
今ちょっと理性飛んだわ俺。これはキツいぞ。
「く、く、胡桃さん、はさ、決まった相手とかいないの!?」
「ほう。まずは会話から、という事だな。確かに本にはそう書いてあったな。……決まった相手とは何だ?」
胡桃さんも本とか読むのか、と内心で驚きつつも、その言葉を少し深読みしてしまう。
『本に書いてあった。』とは、そういう経験が乏しい、もしくは無いという意味ではなかろうか。
「婚約者とか、幼馴染みとか、好きな奴とか!?」
「……私よりも強い男は、大隈殿とナオトぐらいしか知らんな。」
少し理解した。
確かに動物的な情事とは、あくまでも子孫を残すという目的であり、快楽を求めるものではない。
自然界の厳しさから、雌はより強い雄と結ばれる事を望み、強い子孫を残すという本能がある。
雄はその強さを示す為に日々戦う。
『理性』という感情を持つ人間から見れば、動物的な情事とはあまりにも淫らだ。
「……四葉は良くて、私では駄目な理由はなんだ?」
「いやいやいやいやいやいや。四葉は良くて、の意味がわからないかな!」
「おや?……そうか。ナオトは男色……」
「ではないね!断じて!!」
「ならば欲はあろう?……『人』は女を選ぶのか?」
……確かに動植物とは違い『人』の男は、女を選ぶ。
というよりも恐らく『平和』がそうさせていると言うべきか。
良いことじゃないか!
「……そうか。では、もっと強くなれば抱いてくれるか?」
考え方がとても危険である。
何故そうなる!
「いや、もう充分過ぎるくらい魅力的だとは思うけどね……」
男の弱さ全開の言葉を吐き出してしまう。
良く考えれば特定の相手がいるわけでもなく、彼女がそう望んでいるとくれば、理性を放り出しても良いのか……?
「……?では何が気に入らない?」
窓から差し込んだ月明かりは、極めて幻想的に曲線美を晒す。
それに誘われるかのように、自然にその肢体を撫でてしまう。
「……綺麗だね。剣術をやっていて、どうしてこんなに綺麗なの?」
「……!?そ、いや、えっと……」
結局理性が吹き飛んでしまった俺の質問に、胡桃さんが戸惑い焦る。
胡桃さんの小さな後頭部に手を回し、その勢いでキスをしようとした瞬間である。
----ドガッシャーン
という轟音と共に、部屋の屋根が吹き飛んだ。いや、部屋自体が崩壊した。
「うわっっっ!?」
その衝撃から守るように、胡桃さんを抱き寄せ外に目を向けると、ガラガラと音を立てながら崩壊する家屋の破片の奥に、見覚えのある動物がいた。
----しゃもじだ。
「しゃもじ!?」
「なんだー!?」
「何?何?何なの!?」
「べつにー!!」
うちの猫はとても嫉妬深い。
友達の猫を預かった時、やたらジットリとした目で俺を見たり、足の回りをうろちょろしたり、体を擦り付けてきたり、友達の猫を威嚇したりしていた事を思い出した。
弁解しようと、怯えている胡桃さんを優しく離し、しゃもじに近付いた所で、
「おもいしれこのやろーーーーーーー!」
「ゴフゥゥァァァ!」
可愛らしくも凶悪な勢いで、渾身のタックルをかましてきた。
当然いつもの事ながら、強制空中散歩である。
少しばかり本気を出したのか、お腹あたりに激痛が走っている。
巨大な弧を描き終わる時、俺は肺の空気が強制的に吐き出された事による一時的な呼吸困難で身悶えしてしまった。
あれー?
何だこの天国と地獄。ってまだ天国の全貌を見ないうちに地獄が来たよね!
数分が経ち、やっと息が整ってきたな、という所で驚愕する。
……ここ、黒漠じゃね?
まだ服着ていたのが不幸中の幸いというやつか。
「ちゃんとかまえー」
かまえー?あ、構え?相手しろって事か。
って嘘だろ!?何でしゃもじもここにいるんだ!?
「かえるぞー?」
「いやいやいやいやいやいや、帰るぞーじゃないよしゃもじ!ここからどれだけかかると思ってんの!?っていうか、案内も無しに辿り着けると思えないんだけど!?」
「よつはのにおいがあるだろー」
あぁ!なるほど!
四葉は常に良い香りがするから、その方角に行けば辿り着けるよな……って出来るかそんな事!!!
「しゃもじなら解るの?辿り着ける?」
「まかせろー」
ふさふさな尻尾を高々と天にかかげ、機嫌良さげにしゃもじは歩き出す。
主人を独り占めしたかったのか、ただの気まぐれなのか。
しゃもじの今のスペックで本気で走れば、一瞬で野牛族の里まで辿り着けるのだろうが、トテトテと歩き出していた。
果てしない黒い空間を進む。
時折地面が流動しているのは生物だろうか。それとも自然現象か。
黒漠の名に似つかわしくない快適な気候と、歩きやすい地面。
空でさえも真っ黒であるおかげで、月明かりで辺りを見易いのが救いか。
「さてめしにするかねー」
驚かされているのはしゃもじの燃費の悪さである。
体感にして1時間~2時間のペースでご飯をねだってくるのだ。
持久力の乏しい肉食動物故の行動から、1日18時間近く寝るはずの猫が連続して起きていて、且つ消費した体力を食事で補おうとしているのは、この世界だからなのだろう。
そういう事なら、しゃもじが満足するまでご飯をあげても、太ったりはしないのかもしれない。
思っていたよりも早く緑の草原に着いた……とはいえ既に空は白み、10時間以上は経過しているはずだ。
ここから世界樹の森は見えてはいるが、かなり遠い。野営をしながら少しずつ進むしかない。
「…少し寝ようかしゃもじ?」
「おれならいけるぞー」
「うん。何かこの世界に来てから元気だねぇしゃもじは。」
休む、とはいえ便利なジジイも、野営に慣れている胡桃さんもいないからなぁ。
………胡桃さん、か。
大体おかしいよな!獣人、とかいってるくせに尻尾と耳以外ほぼ『人』の女性じゃないか!!
乳房が6つあるとか、体毛に覆われているとか!そういうアレなら俺もアレだったのに!!
「まーおちつけなおとーめしにするぞー」
見透かされるようなしゃもじの言葉に肩を落としつつも、飯を作ろうと辺りを見渡したが。
……食えそうな物がない。
向こうに見えるのは…蟻か…?あの木に巻きついているのは巨大な羽を持ったムカデのようだし。
虫かぁ。何処かの国に日常的に蟻を食べる種族がいる、という話を聞いた事があるし、日本にはイナゴや蜂の子もあるし。
俺はいいけど、しゃもじがなぁ。愛猫に虫はちょっとなぁ。
朝露が煌めくあの巨大な苺みたいな果実も、多分猫は食えないだろうなぁ。
「しゃもじ。食べれる物がなさそうだよ。」
「もってないのかー?」
「袋置いて来ちゃったからね。鳥も飛んでないし。」
黒漠ならそこらに鳥が飛んでいたので、霊力手でガシッと掴んで調理出来た。
だが緑の草原はあまり鳥が飛んでいないし、青の草原のように魚が走っている訳でもない。
「あれはどうだー?」
「……?あれってどれだ?」
「むー」
しゃもじが走って行った先には、大きな大きな岩がある。
岩の隙間に何か見えたのだろうか。それとも岩の上に……?
掬い上げるかのようなしゃもじの名前の由来である『猫アッパー』。
それをもろに食らった岩は空中へと投げ出され、パキョッッ!という生々しい音を響かせた。
いやいやいや。自分の何百倍の体積を持つ岩を殴り飛ばすって。
………………ん?パキョ?生々しい??
ズズンッという落下音、岩のひび割れた部分から盛大に液体が吹き出しているのが見えた。
岩に擬態した巨大貝。
それは牡蠣のような、栄螺のような巻き貝であるようだった。
溢れだすのは体液なのか、溜まった雨水なのか。それをスンスンと嗅いだしゃもじは、鼻をペロリと舐める。
食べ物の匂いを嗅いだ後に鼻をペロリと舐める仕草。
全ての猫がとは言えないが、これはこの食べ物は気に入らないという表現だ。
ただただ殻をかち割られて、食いたくないとそっぽを向かれた巨大貝……。これは体液でも雨水でもない。涙だ!
「しゃもじ!食べない生き物は殺しちゃ駄目だよ!」
「なおとがくえー」
……まぁそうね。霊力手で運んでちびちびやるか。
食事を探しながら歩く。ただひたすらに歩く。
煌めく太陽、小川のせせらぎ、柔らかな風の音。
鶴のような、ダチョウのような4本足で走り回る3つ首の鳥?を捕らえたり。
地面と同化し、泥沼のように見える平たい蛙のような生き物をどうにか調理してみたり、と。
世界樹の森に辿り着く頃には、既に4回程の夕陽を見送っていた。
食事をすると驚く程に体力が回復し、休憩などあまり取らないのだが、睡眠は必要である。
穏やかな気候のおかげで、草原にゴロリと寝転ぶだけでとても気持ちが良い。
地べただと虫がちょっと……等と思える程の小さな虫はいない。
凶悪な見た目の益虫、と有名なゲジゲジも3メートル級の体長を誇る。もちろん脚無しの胴体のみで3メートル級である。
普通に考えて捕食されてしまいそうだが、休憩時には霊力壁を球体に展開しているし、しゃもじの愛らしい『シャー』で絶命する虫がいるほどだ。
「てっめぇ!!!どこほっつき歩いてたんだごらぁぁぁぁ!!!??…………っ!?あ、いえ、獣神様に言った訳でねーですぜ!?」
突然聞こえた叫び声の正体は、勿論どんぐり小僧である。
世界樹の化身であるどんぐりをフル稼働させて探してくれていたらしい。
「ってそんな事言ってる場合じゃねぇ!!野牛族の里が魔物に襲われてんだ!!」
どんぐりから伝わる焦燥感は、事態の深刻さを物語っていた。




