紅獅子
「うぅ……。俺のせいじゃないのに……。」
「おらぁ!何泣き言ほざいてんだてめぇ!!さくさくやれやぁぁあああ!」
世界樹の森一部消失事件から数日間。
どんぐり小僧にどやされながらも、世界樹の森があった所にひたすら肥料を撒いていた。
野牛族の里で出た生ゴミを杓子鍋で煮込み、冷ましてから霊力でスプリンクラーみたいに撒く。
幸い霊力を養分とするこの世界の木々は、俺の料理……といえるか解らんが、杓子で作った肥料が効き、驚きの速度で成長してくれている。
ただ範囲が広すぎて終わりが見えない……。
杓子槍の衝撃波、といえば良いのだろうか。それは世界樹の枝の1/3と、その周囲の森を消し飛ばした。
世界樹自体は1日程で自己再生したのだが、森はそうもいかなかった。
プウさんよ。なぁどっかで見てんだろプウ、てめぇこら。
世界樹の森は衝撃波でなぎ倒されたんじゃねぇんだ!『消し飛んだ』んだぞ!?
こんなの狩りに使える訳ねぇだろうが!どんな獲物を想定したんだゴラァァァ!
「……お兄ちゃんが静かに荒ぶってる……!!」
「しかし肝を冷やしたぞい。少しでもズレていれば『樹の』、お主も消えとった……。」
「……。まぁ俺も思う所はあるがよぉ。こう献身的に森を再生してくれてんだ。許してやんねぇ事はねぇさ。」
「え……!?許してくれんの!?」
「あぁ!!!?森が完全に再生されてからだぼけぇぇぇええええ!!!」
「……うす。」
俺は短く返事をして向き直り、再生作業へと戻る。
肥料を撒いた所から、にょきにょきと再生する森が珍しいのだろうか。レラは毎日俺に着いて歩いていた。
「レラ。角の所に行かなくて良いのか?」
「あれからずっとくるみちゃんと手合わせしてるから……。話す機会があまりないんだ。香もそれを楽しそうに見てるし。」
そう。胡桃さんと角は、未だに激闘を続けていた。
朝起きて、軽く体操をして、日課の鍛練をこなし、手合わせをする。
獣人の手合わせはあんなガチでやらないはずなのだが、バトルマニアなあの2人としては満足いかないのだろう。
霊力が底を尽きかけ、どちらかが動けなくなるまで技を繰り出し合う。……まるでプロレスごっこだ。
ちなみに常に勝者は胡桃さんだ。霊刀である豹双牙の『能力解放』から、一気に角の分が悪くなる。
武器の性能の違いとは些か卑怯である、と思っていたのだが、そうでもないとジジイが説明する。
「この里にも霊具はあるからのぉ。『紅獅子』と呼ばれる戦槌じゃが……扱えるもんなら扱えば良いんじゃよ。」
なるほど。霊具を扱うのも実力の内か。
「角が選ばれるはずなんだがな。なんつっても"気"の扱いが下手だからよぉあいつは。」
はい。出ました新たな要素、"気"。
霊力、魔力、生命力、そして"気"か。いよいよ俺の頭がついていかない所まで来そうだ。
「……"気"ってなんだ?」
「やかましい!!てめえは聞いてねぇで手を動かしやがれやぁぁぁああああああ!!」
……最近のドングリは常にこうである。
俺が話しかけても怒りの言葉しか返ってはこない。
「……はぁ。"気"とは、周囲の霊力を纏う技術、といえば良いじゃろうか。空気の中、或いは水や炎、土等の自然物に含まれる霊力を借りて、己に纏うんじゃよ。地亀様の眷属である以上、土と炎から霊力を引き出して扱えるはずなんじゃ。」
「……?つまり……?」
「つまり角は闘気を纏うのが下手くそという事じゃ。」
闘気!あーなんか聞いた事あるなー漫画とかで。何かこう、気合い入れると空気がピリピリってするやつだよな確か。
「野牛族は霊力の扱いが上手くない種族だから?確かに"気"の扱いは、魔力の少ない『人』にとって大事な戦闘手段だもんね。」
「そうじゃなレラ。野牛族の中でも角は絶望的にヘタクソじゃ。しかし、まだ幼いレラの方が理解が早いとは……。」
ジジイが哀れむような視線を俺に向けると、レラは焦ったような表情に変わる。
「き、記憶がないんだもんね!?」
「大丈夫だよレラ。そんなに気にしてないから。俺が生まれた世界には、霊力とか魔力とか存在してなかったし。」
俺が霊力も魔力もない世界から来たと言ったらどういう反応をするのだろう。
そんな好奇心からさらっと出た言葉は、ただただ同情と怒りを生んだだけだった。
「お兄ちゃん……。」
「お主は本当によく解らん奴じゃが…これほどまでとはのぉ。」
「あ…?じゃ何かおめえ。俺は霊力がまるでねぇカスに枝の何本かやられたってのかよ?バカにすんのも大概にしろやぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!?」
万物に霊力が宿るこの世界では、今の発言は精神異常、またはただの暴言として取られるだけ。
…やはり本当の事はしばらく言えそうになさそうだ。
「はぁ~~。今日の分終わったぁ。」
特に肉体的な疲れを感じてはいないが、どんぐりの怒りの視線を浴びながらの作業は精神が擦り減る。
1日が48時間というこの世界での日中労働は、約24時間。1日置きに徹夜仕事をしているようなものである。
「おーめしがきたなー」
「ふふっ。しゃもじ。直人は食べ物じゃないよ。……お疲れ様。直人。」
野牛族の里で留守番をしているしゃもじと四葉が出迎えてくれる。
超絶美人妻と、超絶かわいい猫が待っている家へと帰る。
心の中だけでならそんな幸せを感じていても、バチは当たらないはずだ。
「ナオト!今日のあれはなんと言う飯だ!?」
わざと視線から外していた物騒過ぎるリスが、弁当について聞くべく、その存在をアピールする。
「確かにあれは驚きの美味さだったな。」
更にむさ苦しい筋骨隆々の男が発言する。―――角だ。
里長が用意してくれたこの家に俺としゃもじと四葉とだけだったらなぁ。と思わない日はない。
大体なんで角がいるんだ!!
「はぁ…、あれは黒パン、というライ麦の実を粉にして練り上げて焼いた物だよ。」
「らいむぎというのは、この里で育てておる干草の事じゃったな?」
そう。この里ではライ麦を栽培していたのだ。干してそのまま葉っぱや茎ごと食う、という野性が溢れる食べ方だったのだが。
ライ麦パンの発酵に使うサワードゥは、乱暴に言えばライ麦粉と同じ量の水を混ぜて、室温に放置すれば出来る。
とはいえその方法だと、安定した品質のものが出来る保障がないが…そこは要研究、という部分だろう。
霊力で窯を具現化し、焼いたライ麦パンは麦の味を素直に味わえるものになった。
「僕は正直あんまり…固いし、何か酸っぱいし。」
とレラが言うように、確かにとても美味しい!という物でもない。
乳酸菌発酵故の独特の酸味があり、噛みごたえのあるパンだ。
「ちなみに、今日のは俺が作ったんじゃないぞ?」
「なんだと…?では誰が!?」
「私です。胡桃様。お口に合いましたでしょうか…?」
タイミングを見計らったかのように現れた、今日の弁当の作者―――香がおずおずと胡桃さんに尋ねた。
作り方を一度で覚えきり、何度も失敗し、ようやく上手くいったものを皆に内緒で弁当として配ったのだ。
「あぁ!とても美味かった!角は良い妻を持ったな!」
「……あれを…お前が…?」
「何かおかしいかしら。あなた?」
「い、いいや!美味かった…とても美味かったぞ香!!」
獣人の男は妻には弱い。そんな先入観が生まれそうなやり取りを横目に、俺は確かな手応えを感じていた。
プウが俺を呼んだ理由。それは「料理を作る」というものだ。
実際にこの世界の住人の食生活は、素材をそのまま、もしくは焼くか茹でるかして食うというもので、料理、とは言い難い。
ただ肉を火で炙って、食う。これだけでも血抜きをしっかりとして、熟成させた肉でないと美味しくないし、直火、炭火、鉄板等の調理法で大分味が変わり、調味料で味を調えたりもする。
俺一人で、どれだけ広いのかも解らないこの世界全体に行き届く料理を作り続ける、なんて出来るわけもない。
つまりプウの要望は、『この世界に料理を広めろ』という事なんだろう。
………………多分。
「めしめしー」
しゃもじが最近主食にしている野牛族達の家畜、でっかいトカゲみたいな奴もちゃんと調理をすれば、俺でも美味しく食べられた。
「めしめしめしめしめしめーーー」
「あれ?四葉、しゃもじの飯は?」
「あ、もう無くなっちゃったよ?」
「……!!?」
体長にして約3メートルはあろう巨大トカゲを10尾分用意したしゃもじ用干し肉やら、ホルモン入り肉団子。それが…この数日で…もうない……だと?
「1回の食事にどのくらいあげたの……?」
「……?しゃもじが満足するまで、だけど……?」
「……!!?」
説明してなかったーーーーー!!!!
野性動物は次の食事がいつ摂れるか解らない為、栄養価を蓄えやすいように身体が作られているし、「今のうち食っとこ。」と過剰に食う性質がある。
それがきっちりと備わっているしゃもじは、食事制限をしなければブクブクと太ってしまう……。
「めーーーー」
「ダメ!!!いっぱい食べたでしょ!?」
「……かたいこというなよ。」
「!!!?」
いきなり重く低くなった(ような気がした)しゃもじの声に驚きつつも、不可避の飯くれビームを避けられるわけもなく、睡眠時間を削って巨大トカゲを調理するのだった。
皆としゃもじの食事が終わり、食後の運動にと思い里の中を歩いていると、暗闇の中に角が蹲っているのが見えた。
俺の作った飯が悪かったのかと一瞬だけヒヤリとしたが、そうではないと解ったのは、角の頭の先に石碑のようなものが建っていたからだ。
「…力が……欲しい……」
暗闇の中に角の歯痒さの溢れた声が、静かに響く。
その重すぎる空気に俺は立ち尽くすしかなかった。
月の柔らかい光に包まれた静かな里。涙を流してさえいそうな角を、ただただ眺める。
≪何故、力を望む≫
突然、頭の中に直接語りかけるような声が聞こえた。……あの石碑か?
「里を!聖域を!誰も傷つかぬように、自分だけの力で!!護りたい……!!!」
≪随分と傲慢な事よ。私を扱えたならそれが可能になるとでも言うのか≫
「…っ!少なくとも今よりは戦えるはずだろう!!」
≪……狭く、浅い。それでは私を扱う所か、抜けさえしないだろう≫
「くっ!」
角は飛び上がるように立ち、石碑についている取っ手のようなものに手をかける。
どうやらかなりの力を入れているようだが、石碑はぴくりとも動かない。
……あぁ。もしかしてあの石碑が霊具か!
「ふぉぉぉぉぉぉおおおお!!!」
全力で引き抜こうとしている角の声は里の静寂さを切り裂くが、誰かが家から出てくる気配はない。
この里では既にこれは日常なのだろう。
「僕が居たときから、ずっとこうだよ。」
うえ!?いつから隣にいたんだレラ!!
「ちょっと散歩してたらお兄ちゃんを『感じた』から。」
「レラの目ってちょっと精度上がった?」
「うん。小人さんが色々教えてくれてる。お兄ちゃんのおかげで霊力も上がってるしね。」
違和感。レラの言葉のそれに気づいた時、レラは角のもとへと走っていった。
そしてレラが口を開く。
「角。"気"は、それだと使えないよ。」
「…む。レラか。」
「霊力ってね、自身の心がとても大事なんだって。一人で、なんて思ってたら、周囲から霊力を借りる"気"を扱える訳がないよ。」
「…だがなレラ……」
「だが、じゃないよ!角が"気"を扱えれば、里が壊されたり、僕が獣世界に行くこともなかったかもしれないのに!」
力強く訴えるレラの叫び。
角がもう少し強ければ、あの時に霊具を扱えていたなら、『人』に蹂躙されたりはしなかった。
実際にそうなのだろう。豹双牙を解放した胡桃さんに勝てる『人』がいるとは思えないしな。
無数の日本刀がまるで達人に扱われているような動きで一気に襲い掛かってくるなんて、俺なら瞬殺される。
「あぁ…。確かにその通りだな、レラ。すまなかった。」
レラの気迫に面喰らいながらも、角は自分の非を認めて謝罪する。獣人は基本的に素直な性格をしている。
「今の角の魂は、里の皆の魂が混ざってる。感じてるんでしょ?"気"の扱いが得意な銀爺のも!香のも、里長のも!」
……え?そんなまさかの効果もあんの??
「あとは心だけだよ角。確かにくるみちゃんは強いけど、眠ってる霊力は角も同じくらい大きくて暖かいんだから。」
普通なら生意気だ、と取られそうな発言も、何故かレラだと説得力がある。
それにまだこの世界に詳しくないが、言葉を無粋に受け取る獣人もいなそうだ。
「大きくなったなレラ。ありがとう。」
「えへへへ。」
大きな手でレラの頭を撫でる角。そして歳相応の笑顔を見せるレラ。
『人』の世界。俺の知識にあるそれには、レラに合わないのだろうなと思わさせる光景だ。
「霊具を扱う。言葉にすれば簡単だが、易しくはない。私も豹双牙の力を全て引き出せているとは言い難いしな。」
突然後ろから声をかけてきたのは胡桃さんだ。
「……気配を絶つの禁止にしようか。」
「ん?何故だ?いや、そもそも絶ってなどいないが。というか何故ナオトはこんな暗がりにいるのだ?」
一応角の邪魔にならないように少し離れた所で見ていたのだが、胡桃さんに手を引かれ、角とレラのもとへと連れていかれてしまう。
身長が低い胡桃さんの手は相応に小さく、俺の手を掴みきれていない。
「うぁぁあああー守ってあげたくなる感満載な小さい手とかたまんねーなこらおい!」なんて思ったりはしない。
こんなに身長が低くて小さな手を持つこの女の子が恐ろしいと知っているからだ。
「角よ!見ていただろう!こやつの霊具の力を!痺れるよなぁぁ!!豹双牙の力を完全に引き出せば、同じ事が可能となるのだ!!」
とても良い。それはもうとても良い笑顔で、俺の世界樹破壊事件を振り替えるこのリスは、もうきっと手の施し様がないのだろう。
「確かにとんでもない破壊力だった。……しかし自分はまだ対話が出来るのみ。まだ始まってさえいないのだ。」
それに対して肯定するかのような発言をする角も、戦闘狂といってもいいと思う。
「対話が出来ている?そうか。まだ認めてくれんのか。」
「あぁ。"気"の扱いをうまくなれば認めてくれるのだろうか。」
自分の拳を見つめながら、角は言葉を漏らすように話す。
随分と落ち込んでいるな。
「"気"っていうより、どちらかといえばその思想って感じで話してたけどね。『力を借りる』とか、『誰かに頼る』って思えばいいんじゃないのか?」
「……まるで紅獅子との対話を聞いていたような口振りだが……。」
「……え?あ、いや盗み聞きするつもりはなかったぞ!」
「まさか……他の霊具と話せるのか!?いや、そんなはずは……」
「いや、杓子と話せた事はないんだけど……。」
「「何だと!?」」
角と胡桃さんの声が重なる。
こいつら手合わせの時もそうだけど、息がぴったりだ。
力を借りるって意味なら、石碑みたいになってる霊具を誰かが抜いてあげればいいんじゃないかな?
《我の意思と反して、我と対話出来るのは些か驚いたが、扱うのは叶うまいよ。》
頭の中に響く声を聞きながらも、石碑の取っ手のような部分に手をかける。
確かに圧倒的に筋肉量で劣る俺に、深々と地面に刺さる石碑を抜ける訳が……
《ん……?おい……!?いや、ちょっ!!?待て待て!!!待てぇぇぇえいいいい!!!》
スポーンっという音がしそうな程、軽快に抜けたが……何だこれ。発泡スチロールかなんかで出来てんじゃないか、ってくらい軽い。
シジイは戦鎚とか言ってたけど……これはただの取っ手付きの柱だ。
「「何だとぉぉぉぉおおおお!?」」
相変わらず胡桃さんと角の声が重なる。
仲良いなぁ。
《何故!?何故なのだ!?…………戻せ!今すぐに戻せぇぇ!!!》
紅獅子のキャラが崩壊した。渋い初老の生真面目騎士団長みたいなキャラだったはずなのに。
「はい。抜けたよ角。これ軽いね。武器になるのかね?」
「………………。」
魂が抜けたかのように唖然としている角に、紅獅子を渡す。「今までどうやっても抜けなかったのに!!」という声が聞こえるかのような表情だ。
これもプウの仕業なんだろうさ。聞こえる訳がない霊具との対話とか、見える訳がない小人さんとか。
おかげでかなり快適に生活は出来ている……と思うけどね。
「…………やり直す。」
《…………いや、良いよ……もう。》
「紅獅子!?」
《角、貴殿が我を扱え。》
「紅獅子!!」
《慢心せず精進し、時には誰かを頼り、自身を大事にしろ。……っと気付いて欲しかったんだけど。まぁ……うん。》
「紅獅子!!!?????」
そんな角と紅獅子のやり取りを聞こえないふりをしながら、行き場のない空気から逃れるように、空を眺める。
「はっはっはっ!ナオトといると退屈せんな!!今夜は私と寝ようか!」
……は?
いきなり何を言い出すんだこのアホリス。
「ナオトとの子ならば、強い子になろう!」
キラキラとした上目遣い(ただの身長差)に少しドキッとさせられてしまう。
そして俺の手を強引に引き、胡桃さんは駆け出したのだった。




