三大精霊
どういった状況なんだろうこれは。台の上で毛繕いしているしゃもじに、慌てて台を降りて片膝立ちで頭を下げる女性。
うちの猫に深々と頭を下げて、微動だにしない女性からは、根本部分は髪色と同じだが、先が純白の毛に包まれた尻尾がふさふさと伸びている。キツネの尻尾だ。…触りたい。
服に尻尾用の穴が開いてるんだよね多分。仮に俺が着たら大変な事になりそうだ。
沈黙が5分程続いている。怒ったり、嘆いたり、困ったり、驚いたり、跪づいたりで、忙しい人だな。
あぁ風が吹き抜けて、草逹が歌っている。流入流出が見えないこの湖は、湧水で出来た湖なんだろうなぁ。透明度が高く綺麗だ。……おっと。現実逃避している場合じゃないな。
「水竜様ってどんな姿をされているんですか?」
俺が沈黙を破り問うと、女性はやっと顔を上げてゆっくりと答える。
「解りません。ただ黒竜のような御姿をしていると言い伝えられております。」
先程までとは違う、優しく女性にしては少しだけ低めの落ち着く声。見習え、しゃもじ。
それより黒竜?…蛇じゃないのか?
「何分、水竜様を見て生きている者がいませんので。お怒りになられると、頭から尾にかけて紅い模様が浮かび上がるとも言い伝えられています。」
あぁダメだ!間違いなくうちの猫がやったわ!!……どうしよう。
「や…やはり神様といった存在なんですか?」
罪悪感から言葉をつっかえてしまった。いざとなればしゃもじの尻尾に捕まって、全力で走ってもらえば逃げ切れるかな?でも例にもれずウチの猫も尻尾触られんの嫌うしな。
「いえ。そういう訳では…。説明すると長くなりますが………」
と話し出した女性の話をまとめると
・百年前、『光雲の停滞』という大災害の影響で、この一帯に生命が溢れた。
・光雲とは、上空に流れる霊力で出来た雲のような物で、普通の雲との見た目の差異は無く、『光の民』と呼ばれる民族でしか見分けはつかない。普段は薄雲のような形をし流れているが、何百年に一度、どこかで停滞する事があるのだそうだ。
・光雲が停滞してしまうと直下の大地に、濡れる事のない光の雨となり降り注ぐ。その影響であらゆる生命が巨大化し、それらを捕食する生物も集まる。
・光の雨自体は二時間程で止むが、問題なのはその後。生まれ持った霊力の器を急激に成長させるそれを浴びた生命は、霊力を保有する者同士で喰らい合うようになり、最後に残った生命だけが莫大な霊力を保有する形になる。それがこの場ではあの大蛇。光の雨によって霊力を蓄えたこの湖に住み着いて『水竜様』と呼ばれるようになったと。
・ここから程近い女性が住む里が狙われるのは極自然な流れで、里の人々は『里を襲わない事と引換に年に一度、里で一番霊力の高い者を捧げる』と苦渋の決断を強いられた。水竜も、霊力を保有し巨大化したツル草が有った事から了承し現在に至る、と。
まぁつまりはツル草を喰い終わるまでのお遊びとして、百年もの間、里の生け贄となった獣人達を喰っていた、と。極悪な蛇じゃないか。とりあえず良かった……。
ツル草は毎日一本食ったとしても何百年かかるか解らないような森になってるけどな。
「失礼ながら……獣神様に付き添う事が出来るなんて…あなた様はどういった方なのでしょう?」
説明を終え、一息ついた女性は再び言葉を紡ぐ。たじたじ…とした様子が小動物のようにかわいく見える。俺がしゃもじの従者になっちゃう訳ね。
「その前に獣神とは何の事でしょう?」
質問を質問で返すのは失礼に当たる場合が多いが、この場合は仕方がない。こちらの持つ情報が圧倒的に少ないからだ。下手な言一つで恨みを買う可能性すらある。
俺の問いに目を丸くさせて驚いているようだ。知らずに従っているのか…と言いたいのか?
「記憶を失ってしまいまして…。」
と俺は言葉を続ける。プウに連れて来られた話は今言わなくても良いだろう。まず信じてもらえる気がしない。
「あぁなるほど。それで獣神様に保護して戴いているのですね!」
手の平を一度だけ叩いて女性は納得した表情を浮かべた。通じちゃったよ。
「まぁ少しだけ違いますが…で、獣神様とは?」
「失礼しました。獣神様を説明するなら、まずは精霊のお話からですね!」
先程から長々と説明させてしまう事に若干の後ろめたさを感じながら聞き入る俺。しゃもじは座りながら腰を少し上げて、尻尾を持ち上げている…トイレだな。
・精霊とは大概が毛や羽といった柔らかい何かで体表を覆っているそうだ。つまりは動物の姿をしているって事か?
・そして例外無く膨大な霊力を持っていて、契約によってそれを借りる事で、より強力な霊力による力『霊法』の行使が可能になる。ちなみに全ての生命は霊力を少なからず所持していて、簡単な『霊法』ならば、契約精霊が居なくても『言霊』により行使可能との事。
・精霊にも上下階級はあり、強い霊法を使いたいと願うなら、より強い精霊と契約する必要があるが、言うは易し。弱い精霊にも気に入られるのはとても難しいらしい。
・地上で会う事が可能な精霊は、天の精霊・地の精霊・海の精霊の三精霊が統べる眷属精霊のみ。
まぁ例えて言うなら、神社に於ける狛犬だ。この世には三つの神社があって、祀られた神が三精霊。それを守護する数多の狛犬が眷属精霊だと。
「私の里に住まう『九尾の狐』は、地の精霊の眷属で、火を司る最上位の精霊です!!」
胸を張って我が子のように自慢をする女性。……白い着物が強調する大きな胸は目を逸らさせるのには充分な破壊力だ。そのクセしっかり括れている腰は何なのだろうか。反則だ。
「ここまでは良いですか?」
下に目を逸らした俺を覗き込むように腰を曲げて、女性は言う。…止めろ!!女性耐性が低いんだ俺は。しゃもじ中心の生活が6年も続いたのだからな!!
「で、獣神とは?」
悟られないように出来る限り平常心で、出来る限り落ち着いて声を発したはずだ。……クスッって何だこの女!!
「なおとあかくなってるー。」
「…お前はうるさいぞ。どっかで遊んでろ。」
「あーばかくるなー。」
しゃもじをキッと睨むと「きゃーーー!!」とはしゃいだ声をだしながら走っていった。…もう驚かない。例えしゃもじが水の上を走っているとしてもだ!
「獣神様をお前呼ばわりとは……あなた様は恐れを知りませんね。」
女性は水の上を走るしゃもじに驚いているようだ。
「……それで!獣神とは何!?」
あぁもう敬語を忘れちゃったじゃないか。こいつら、いつか後悔させてやるからな!!




