雲雀箱
「おい!しっかりしろ角!!」
「くそっ!先生はまだか!?」
焦燥感が一気に里を支配していく。叫び声からレラが世話になったという角という獣人が重傷者で、しゃもじの『神言』により容態を悪化させたと解る。
うちのしゃもじがとんでもない事をしでかした!と解るや否や、俺は里長の家へと駆け出していた。
「四葉!!」
「うん!わかってる!」
里長の家の中に寝かされている他の野牛族とは一線を画す雰囲気を持つ獣人。その姿は麻で作られたであろう粗末な包帯に至る所を巻かれていて、一目で重傷だとわかった。
「待て!四葉!!」
四葉が扱う九方霊陣"再生・時逆"は、その名の通り『時が逆戻りしたかのような再生』を可能とする霊術だが、発動までに長い詠唱と、陣を描く大量の霊力が必要だという事ともう一つ問題がある。
神の力なので他言無用だと、言外にジジイが四葉に訴えたのだ。
しかし素人判断ではあるが、もうかなりまずい状態に見える。人払いをしたり、霊術発動までの間…持つか…?
「何か…出来る事はないのか…?」
しゃもじに『神言』を使ってもらって人払いをすれば、同じ獣人である四葉まで追い出される事になるし…それに同じ轍だ。
「ジジイ!薬草とかないのか!?」
「そんなもんが効く訳なかろうが!」
というやりとりをしている横目に、ぽうっと光る青白い光の玉が映る。
そしてそれはふわふわと動き、角のいう獣人の体に吸い込まれていく。
「…もう。大丈夫だよ。角。」
優しく言葉を漏らすレラの視線の先には。
包帯の間から見えていた激しく残った火傷の痕が綺麗に治っている角の姿があった。
「みんなから、少しずつ魂…つまり寿命をもらっちゃった。ごめんね。」
角が落ち着いて眠りについた少し後。
里長の家の前に出来た人だかりに、レラはそう説明をしていた。
「角が助かったんだ!安いもんだぜ!なあみんな!?」
「おうよ。っつうかおめえ、なんつうかすげえぞレラ!」
「ほぉ。流石は『愛されし子』って所だな。」
魂を少し取られたというのに笑っている獣人達は、本当に心が広いというかガサツというか…。まぁ良い事だ。
ここが日本なら確実に訴訟物だしな。
レラの左目が元の色に戻ってから、小人さんから正しい使い方を教わっていたらしい。
九尾の里で聞いていた限り、一人を助ける代わりに一人の魂を移植する方法しかなかったようだが、なるほど全員から少しずつ抜けば大まかには犠牲は出ない。
更に小人さんの話では、『魂の状態を修復して、元に戻す』事で万病を治癒する事が可能になり得るのだとか。
そんな夢のような力には当然代償がある。それは術者、つまりレラの魂を削るというもの。
《…だから僕はその力をレラに譲渡するつもりはない。今はね。》
と、レラを気遣う言葉を小人さんはこぼしていた。
「…あれ?なんか私って…」
「どうしたよつはー?」
「…う、ううん!なんでもないのしゃもじっ!助かってよかったよねっ!」
元気がなさそうに「私の出番…」と言いたげな声を出した四葉は、角の命が助かった事を思い直し、祝福した。
「四葉はしゃもじのお気に入りだし、癒しとツッコミ担当だろ?」
「え…?あ…?そうなんだ…?ってツッコミ…?」
眉を下げて困ったように笑う四葉はとてもかわいい。たれ目って良いよたれ目。うん。
それにしても代償があるとはいえ、全てを治癒させてしまうレラの左目は、本当に凄い物だと思える。
なるほど。確かに金儲けにはうってつけの能力で、『人』が知れば利用されてしまうな。
「患者はどこだー!って角しかおらんわなー!」
大きな声を上げながら、人混みを掻き分けて出てきた獣人。
恐らく彼が『先生』と呼ばれていた医者なのだろう。
灰色の肌に、白く硬い角の様に上向きに尖っている鼻……ってあれ?よろず屋のおっちゃんじゃないか!
「おーおっちゃん!これ、使わせてもらってるよ!」
俺が霊力袋をパンっと叩いて挨拶をするが
「ん?誰だ?……お、石英んとこの客か!?」
と首を傾げられた。
「ナオトは水犀族の見分けがつかんか?水犀族は器用な種族でな、医者だったり、鍛冶士だったり、商人だったりするのだが。」
胡桃さんが説明をしてくれたが、まるで見分けがつかない。
俺の記憶の中にあるよろず屋のおっちゃん。目の前にいる医者の先生。…………あ、服装が少し違う!小汚ないエプロン姿だったよろず屋に対して、先生は白衣のような姿だ!
「……無論だが、見分ける所は服装ではないぞ?」
俺が大発見だ!という顔をしていたのか、胡桃さんが見透かすように溜め息を吐いた。
たまちゃんとまりちゃんは圧倒的な違いがあったのになぁ。
「遅ればせながら、私野牛族の里長をやらせて頂いております玉と申します。この度は遠路遥々お越し頂き………………」
里長の家の中。剥き出しの地面に藁が敷き詰めてあるというだけの質素な造りだ。
未だに冷や汗が止まらない里長は、頭を床に擦り付けながら堅苦しく挨拶をしていた。
そんなにこんな可愛らしい猫が恐いのか……。
「里長殿。堅苦しい挨拶は良い。状況を聞きたい。」
胡桃さんは腕を組み、顎を上げて偉そうにしている。
「胡桃さんってそんなに偉いの?」
「……虎伏術の師範ってだけで私からすれば雲の上の存在だったよ!」
すぐ横に座る四葉に小声で話し掛けると、同じく小声で返してくれる。
レラに「くるみちゃん」と呼ばれているくせに、そんなに偉いのかと思ってしまうが。
四葉が言うには、獣人は『強さ』が全てであり、階級序列もそれによって決まるとの事。
つまり獣人の中で一番強いのはまりちゃんって事だな。……ここで冷や汗を垂らしまくっている、筋骨隆々な野牛族の長の方が余程強そうに見えるのに。
「ほほう。いやしかし凄いもんだなぁ。これが『愛されし子』の力かいな……」
張り詰めた空気の中でも、水犀族のじいさんは角の体をまじまじと見つめ、言葉を漏らしていた。
里長の話では、俺等がここに来るまでの間、何度か『人』からの侵攻があったとの事だ。
しかし壊滅的な打撃を受ける程の大規模な侵攻ではなく、腕に覚えがある少数精鋭といった様子の者達であったらしい。
最初の侵攻で勝利していた『人』が、日を改めて様子を見に来た所、復興されつつある野牛族の里を発見した。
だが、大規模な侵攻を仕掛けるには多大な金と時間がかかる為、その間に功を焦る者や腕試しをしたい者共が押し掛けてきた。という感じだろうか?
「ちまちまとした侵攻は恐るに足らず。いつもの通り撃退は出来たのですが、つい2日前にまた『炎の騎士団』からの侵攻がありまして。……幸いと言って良いか解りませんが、その時は『上級魔導士』が不在であった為に何とか撃退するに至りました。……が…………」
「……"呪装"、だな?」
「その通りです胡桃様。その際、角が呪装"炎武"をもって『炎の騎士団』を単独で撃退致しました。その後は御覧の通りです……。」
静かに眠る角に目配せをした里長が、申し訳なさそうな態度で俯く。
ーーー"呪装"。
四葉の説明によると、『獣人の奥の手』という認識で間違いは無さそうだ。
自身が扱う霊術に、生命力を燃やして得た霊力を更に加えて理を崩す。
生命力とはその名の通り、生命を維持する為の力。それを戦いに使ってしまえば当たり前のように報いがくる。
体を巡る霊力は暴走し、体が脆く崩れていく。
そこに自身の力を大きく越えた力を纏うのだ。無事で済むはずもない事は、この世界に疎い俺でもわかる。
角の致命傷は、直接『人』から受けたものではなかったらしい。
「禁術を使わねば勝てぬ相手か…?『滅斧の角』と言えば大隈殿も一目を置く名高い存在と認識していたのだがな。」
訝しげな視線を角、そして里長に向ける胡桃さん。
黒坊主にガクブルしていたくせに何て言い種だ。
「畏れながら、角は上級魔導師に一度敗北しておりまして、その時の傷がまだ癒えぬ内にの事で御座います。」
そんな見た目小さな女の子にガクブルしているこの里長もだが……獣人の世界は理解し難い。
牛よりリスの方が強いなんて、前の世界では子供ですら信じないだろうし……。
「……む……生きて……いるの………か…?」
「角っっ!!」
「む……?れ……ら……か……?」
「うん……良がっだぁぁ角ぅぅぅ。」
目を覚ました角にすがり泣くレラ。無理もないが、この里に来てからレラは泣きっぱなしだ。
余程ここでの思い出が強いのだろうな。
「む……これは…どうした事か。……"炎武"を使って生きている所か……むしろ力が溢れるかのような……」
むくりと起き上がった角は、手のひらを握っては開き、を繰り返しながら瞠目していた。
「よぉ。角よぉ。小僧に感謝しなきゃなぁ?おめぇが拾ってきたこの小僧によぉ。」
どんぐり小僧が角の肩にひょいっと飛び乗り、その手でぺちぺちと角の顔を叩く。
……お前今までどこにいた。
「レラが助けてくれたのか…?……ありがとう。レラ。」
「う…ううん!角が僕を助けてくれたんだ!」
筋骨隆々で浅黒いワイルド過ぎる壮年のおっちゃんが、レラの頭を撫でながら、自身の頭を下げてお礼を言う。…日本ではまず見られない光景といっても過言じゃないな。
「近頃の若者は…」と言っている中年世代がむしろ、無神経、無愛想、傲慢な者が多い世界から来た俺にとっては、目の前の光景はとても新鮮でいて、ほっこりとした気持ちになった。
「樹王様、つまり世界樹の霊力が強すぎて、まり様の霊術が届かないんだよ。」
俺の「わざわざレラを危ない目に合わせながら獣世界に寄越さなくても、まりちゃんなら連絡とれたんじゃね?」という疑問に答えてくれる四葉。
阻害電波みたいなもんか?いやでもそれだと
「だとすると俺としゃもじの情報が何で流れてるんだ?」
「それは手玉、でしょ?」
というようにこの世界にも手玉、要するに手紙というものがあるらしい。
霊玉と呼ばれる精霊の欠片を加工した1センチ程の透明な玉に、霊力と共に思いを込めると、それを受け取った相手に伝わるというもの。
雲雀族という種族がそれを届けているとの事だ。
体は小さく、野性動物に近い姿をしているが、言語を理解し霊都に住まう種族なのだとか。
『雲雀箱』と呼ばれる、まぁ所謂ポストだな。これに手玉を入れておくと1日~2日でその宛先へと届けてくれる。
ちなみに宛先は『種族』と『名前』を玉に込めるだけ。切手は要らないという便利さだ。
そういえばレラのブレスレットが霊玉を繋げたような形をしていた。
九尾の里でブレスレットに触れた紅蓮達が、状況を把握したかのような険しい表情になったのはそういう事か。
「ここだね。」
「ここかー」
「ほう。ひどい有り様じゃのぉ。」
胡桃さんが偉そうにしていて、里長がペコペコとしていて、レラと角と香が再開を喜んでいる空間に居にくくなった俺、しゃもじ、四葉、ジジイは、雲雀箱の修理にと里内を歩いていた。
四葉が指差す方向には、5センチ程の丸穴の空いた焼け焦げた木の板がある。 どうやらこれが雲雀箱の残骸のようだ。
復興している、とはいえまだまだ途上と言わざる得ない程、土地は荒れている。あまり目を向けないようにしていたが、『人 』のとおぼしき兜や鎧、剣や盾が無残な姿でそこらに転がっている。
死体を霊法で燃やしてなければ、ここら一帯は地獄絵図と化していただろうな……。
ーーー九方霊陣"再生・時逆"ーーー
雲雀箱には小さな霊力で描かれた雲雀族の紋章があり、それが無ければただの木箱になってしまうらしい。
その為、時逆で箱を元通りに戻すという方法をとったのだが……四葉の霊術は物にまで効果があるらしい。
「……あのさ、九方霊陣ってレラの左目より…」
「気持ちはわからんでもないがのぉ。四葉のはあくまでも再生じゃからの。魂の修復、つまり命を強靭にするという能力には及ばんの。」
それでも使い勝手の良さで言えば四葉の方が…。
そんな事を思いながら四葉を見ると、大量の汗を流しながら息を荒げて座り込んでしまっていた。
「んっ……はぁ。やはり…殆どの霊力が…なく、なって…しまいます…。」
体内の霊力が枯渇すると動けなくなってしまう。その為、生命力から補う必要があるのだが、それはつまり呪装と同じ事だ。
無理に動けば生命力さえ失い死に至る。しかし霊力の補給をする為には動かなければならない。
修行、と称して霊力を使い過ぎ、そのまま助けが来ずに……という事故が間々あるのだとジジイは言っていた。
四葉の顔が紅潮し、汗だくで息を荒げている姿は実に。実に!色っぽいのだが、そんな事を言っている場合ではない。
俺はこの場で料理をする事になってしまった。




