侵攻の爪痕
野牛族の里。
田畑が広がる長閑な里だ。
藁で作られた質素な家が並び、舗装されていない砂利道を野牛族達が往来している。
『人』の侵略による爪痕はそこかしこに見られるが、一部の田畑を除く概ねが復興されつつあり、活気があると言えた。
「……変わってない。あはは。銀爺が藁を編んでる。……あず姉も元気そう…。」
里の入り口である木造の門をくぐり、辺りを見渡したレラが声を漏らす。内心は心配で堪らなかったと、そう思わせる表情と声。
「……れ、ら……?……レラね!?」
「香!!」
パサリと手に持っていた笊を落とした、中年に差し掛かろうかという年齢の女性に名を呼ばれたレラは、明るい表情で走り寄り、その豊満な胸に顔を埋めた。
感動の再開、という所だな。……しかし羨ま……いや、良かったなぁレラ。
野牛族というだけあり、確かに牛に近い顔立ちでがっしりとした体格、高い身長。色々とデカイ。
男は頭に立派なツノを蓄え、女は例外無く豊満な胸。共通するのは高い背と広い肩幅、毛皮のような布を巻き付けたような服装。それ以外については、目がくりっとした面長な『人』であると言えた。つまり色々とでかい。
「お兄ちゃん!お姉ちゃん!くるみちゃん!紹介するね!」
と爛々(らんらん)とした目でこちらに向き直るレラから、話にあった角とかいう獣人の奥様、と紹介される。
レラは『くるみちゃん』って呼んでるのか……確かに見た目では似合う呼び方だが中身は恐ろしく物騒なリスなのに。
「香と申します。獣王様から伺ってはおりましたが、まさかそのお姿を拝見出来よう日が来るとは思いもよらず。ようこそ……おいで下さいました……。」
その場に両膝をつき、深々と頭を下げる香。無論、獣神であるしゃもじに向かっての事だ。当の本人、基、本猫はそ知らぬ顔をして毛繕いをしているが。
「うむ。獣神様は言語が達者ではない。また、そういった畏まった態度を嫌うのじゃ。面を上げい。」
何故かジジイがしゃもじの隣で偉そうにしている。いやいやいやいやお前。いい加減にしろよこら……と言いたい所だが、しゃもじは尻尾を高々と上げ、「お前ら中々解ってきたな。」と言いたげに機嫌が良さそうだ。
……満更でもないのか、ただ何となく機嫌が良いだけなのか。それは猫にしか解らない。
「それより単刀直入で申し訳ないがのぉ。『人』に襲われた里にしては些か活気がありすぎるではないか。まだ一月も経ってないじゃろう?怪我等はせんかったのか?」
不躾とも取れるジジイの質問にも、香と呼ばれた女性は立ち上がり、快い笑顔で応じた。
「えぇ。今回の侵攻が『炎の騎士団』であった事が幸い致しました。……お恥ずかしい話ですが、敵の炎に焼かれたふりをしてやり過ごしたのです。私たちは炎ならばある程度の耐性があり、重傷者は一人だけで済みました。」
ふわりと笑う彼女は再興している里を見回した後、レラの目線に合わせてしゃがみこむ。
……ふむ。しゃがんだ事で胸が圧されてこぼれているな。ふむ。
左肩で止められた赤い動物の皮で出来ている服、というより布だ。それが体のラインをピタリと強調し、大変なことになっている。
「レラ。約束守ってくれてありがとう。良く出来ました!」
「……うん。がんば、っ、た、、。」
優しく頭を撫でられているレラは、俯いて涙を堪えながら必死に言葉を紡ぐ。この年齢でどれだけの苦難を乗り越えたのかが見えるようだ。
ほんの少しだけとはいえ、そう。ほんの少し。1ミリ程ではあるが、邪な目でこの女性を見ていた俺は恥ずかしくなる。
……いや健康的な男なら見るのが普通だろう。
「お兄ちゃん……色々台無し……」
うぉ!?そうだった……!!
この里は色々と刺激が強い……。
「ふふ。遠路遥々ありがとうございます。えっと……ナオトさんでしたね?我等野牛族は敵対しない『人』がいるという事を知っていますよ。歓迎します。」
香と呼ばれた女性にまで、柔らかい笑顔の見透かすような視線を向けられ少し焦ってしまう。
俺としゃもじに関する情報は獣王の霊術によって届けられているのだろう。どの程度の情報が流れたかはわからないが…………まさか。
「『にんじんしりしり』という美味極まりない食事をお作りになられるとか!是非とも我が里でも振る舞って戴きたいのですが……!」
……やはりか。でもうさぎに人参だからこそ美味極まりないと感じたのであって、牛は違うと思うが。
牛と言えば干し草……流石に干し草を美味しく調理する方法は解らない。……いや干し草の原料は主にライ麦か?
ライ麦といえばパンだ。ライ麦パンならサワードウ……つまり乳酸菌発酵。霊力を使えば作れそうだ。
いくら万能杓子とはいえ、イースト菌は……と思って腰から抜いた杓子を見ていると、『ドライイースト』という字が浮かび上がってきた。
……便利じゃないか……。まぁライ麦100%だとイースト菌発酵出来ないけどさ。
とりあえず後でジジイにライ麦を出せるか聞いてみるか。
「私……何かいけない事を言ってしまったのでしょうか……?」
「ううん。お兄ちゃんは食べ物の事になると話を聞かなくなる体質だから。」
俺がライ麦パンに関する思考を巡らせている様子を見た香がオロオロと言葉を漏らし、それに対して失礼な応答をするレラ。
「一先ず里長殿に会わせてくれ。話を聞きたい。」
そんな流れをぶった切る胡桃さんの一言で、俺らは里長のいる家屋へと向かうのだった。
「たのもーーーー」
やたらと甲高い声で叫ぶのはしゃもじだ。里の中心にある一際大きな藁造りの家の前で、ピタッと止まり尻尾を高々と天に上げて。
この世界に来てからしゃもじは機嫌の良い日が多い。不快感が無いこの気候のせいなのか、色んな場所に行けるからなのか。
まずいつそんな言葉を覚えたのか、だ。前の世界では「腹へったぞこのやろう!」と要求吠えしかしなかったくせに。かわいいからいいけどさ。
そんな可愛らしい声を、可愛らしいと感じたのは俺とレラだけであったようで、四葉と胡桃さんを含む、周囲の獣人という獣人が全て跪く。
「え……?」
「……え?なに?どうしたの……?」
俺とレラが顔を見合わせ、周囲の異様な光景について間抜けな声を上げてしまう。
里長とおぼしき獣人も家から転がり出てきては跪き、冷や汗をダラダラと流しながら、「何卒……何卒……何卒……!!」と、うわ言のように呟いていた。
とりあえず困った時のジジイ事典である。地面に潜り込みかけているジジイを霊力手でつまみ上げる。
「ジジイ説明!」
「む……ナオトの霊力に触れていると効力が無くなる……か?『契約者』だからか、はたまた獣神様に近い霊力だからなのか……いや、そうなるとレラが平気でいる説明にならんのぉ。『人』は摂理から抜け出した存在と言えるのかみょみょみょみょょょょょょょ」
説明を求めたにも関わらず、ぶつぶつと何かを言っているジジイをとりあえず上下に振ってみる。
しばらくすると大人しくなったので止めた。
「お主……。」
「いいから。どういう事だ?」
ジジイにジットリとした視線を向けられるが当然スルーである。
「……これは『神言』による事象じゃよ。今獣神様は「頼み申す」と言ったじゃろう?謂わば『神の願い』。摂理の中に生きる獣人、妖精、精霊は当然逆らえる筈もないのじゃ!」
ほう。それでさっきジジイがぼやいていた「『人』は摂理から外れた存在」が適応され、俺とレラには効果がないのか?
いやしかししゃもじの「たのもー」にそんな効果があるなんて。……今更驚きはしないが本当に凄い奴にされたものだ。
《あくまでも『人』には効果が薄いってだけなんだよねぇ。『神言』に逆らえるのは同じ神の力を持つ者だけだと思ってたけど、『契約者』も逆らえるんだねぇ。》
いつの間にか出てきていた小人さんが補足した。あれ?でもそうなると…
「いつもの「めしー」は願いに含まれない?」
《それは常に君に向けた『神言』だからさ。どの方角を見ていたとしても、君にしか獣神様の食事は作れないと獣神様自身が理解しているのだろうね。…名誉な事だね。》
そういえば九尾の里で獣人達がこぞってしゃもじにご飯を渡していた事があったな。それは無差別に『神言』を発動させたからか。
「僕のご飯は盗ったけどね。」
《きっとそういうので学んだんだ。「おれのまんぞくできるめしをつくれるのはなおとだけだー」ってね。》
はっはっは。聞いたかレラ。しゃもじは俺のライフパートナーなんだ!
膝の上で寝てくれたからって勝った気になるんじゃないぞ!?
「……お主等。儂を吊るして誰と話しておるんじゃ…?」
「まあいいじゃないか。それよりジジイ。里長らしき奴の精神がそろそろ限界に近そうだが、どうやって止めればいい?」
里長らしき野牛族の獣人は、先程からまったく動かずに冷や汗の量を増やしていた。
「恐らく、じゃが獣神様の気を逸らせる事が出来れば…」
と言われたので霊力袋を探って干し肉を取り出そうとすると
「めしだーーーーー」
としゃもじが飛びついてきた。…嬉しいがそれじゃ取り出せない所か、また俺が吹き飛んでるぞしゃもじ。
ごろごろと転がりながらも獣人達がふっと気が抜けた様子を見て、『神言』の効果が切れたのだとわかる。
「おい!!角!!大丈夫か!?」
「まだ動ける体じゃないのに…『神言』で傷が開いたか…」
「早く先生を呼んで来い!!!」
俺が一頻り転がり終えた頃。里の中が騒然としていた。




