恩返し
「えぇぇ!?」
ジジイの考察を聞きながら、そろそろ米が乾燥された頃合いだと米の様子を見ようとすると、黒漠の方を見て大きな口を開けたレラが叫んだ。
「どうした?」
「あ、あれ……。」
レラの小さな人指し指が指し示す方角。そこには、霊力火ごと鶏モモ肉に食らいつく黒坊主の姿があった。
「あぁ……まだ完全に火が通ってるかわからないのに……。」
「言っとる場合か!?あれは『霊食』じゃぞ!?」
「冷食………?」
「霊法を食する、の霊食じゃ!!霊法を食らい、自身の霊力を上乗せして吐き出すという能力じゃ!……いかん。いかんぞ!」
上乗せ?俺の霊力火が強化されてこっちに向かってくるという事か?
……それで何故ジジイは焦っているのだろう。
「老師。直人の霊法ならば、私達には無害なのでは?」
俺の疑問を四葉が代弁してくれた。俺の霊力は攻撃出来ないはずだし、問題ないよな?
「奴の霊力は飛んでくるじゃろう!?まして、直人の料理で回復し強化された霊力が、じゃ!」
あの鶏肉は杓子で捌いているので、確かに黒坊主の霊力は上がったはず。
だけど霊力、要するにお腹が満たされた野生の生物が襲い掛かってくるとは考えにくい。食物連鎖の頂点が、怯えて飛び掛かるとも思えない。
事実、焦っているのはジジイだけである。
「大丈夫だよおじいちゃん。もう敵意も害意もないから。」
俺の霊力球に閉じ込められたジジイに歩み寄り、優しく声をかけるレラ。敵意、害意、殺意、邪気、下心と、やはりレラの左目には色々なものが映っているようだ。
流石に『人の心を読める』って訳ではなさそうだが。
「む。……じゃが……。ほれ!!来よったぞ!!」
ズズズズと地面を這いずる音と共に、確かに黒坊主がゆっくりと近寄って来ていた。が、レラが落ち着いてその様子を見ている事で、ジジイ以外は特に様子を変えることもなく、ただ黒坊主を見ていた。横には3メートル程の大きさの小坊主もいる。
ん……?さっきはもう少し小さくなかったか?
「おじいちゃん。何か言ってるみたいだよ?」
「ひいぃ……ん?……なんじゃと?……ふむ。……確かに落ち着いた目をしとるな。」
ただただまん丸なだけの黒坊主の目に落ち着いてるも何も無いように見えるが、ジジイにはそう見えているようだった。
黒漠と草原の境目ギリギリまで来た黒坊主は、あの邪悪な口を少しだけ開けて「ぼーぅ。」と小さく鳴く。
「ふむ。中々可愛いではないか。なぁ四葉。」
「え……えぇ。そうですね。先程の殺気が嘘のようですね。」
腕を組んで、顎を少し上げながら言葉を発する胡桃さんに少しだけ違和感を持ったのか、四葉が言葉に詰まりながら応えていた。
「胡桃さんはもう怖くないのか?」
「阿呆。怖くないわけないだろう。」
「あ、そうですよね。実は私もまだ少し怖いです。」
つまり強がりな訳か。意外にかわいい所があるんだな。
「ぼう。ぼぼぼぼぼぼぼう。ぼーう。ぼぼぼーう。」
「ほほう。ほーう。なるほどのぉ。……ひょひょひょ!お主、中々面白い奴じゃな!!」
何やら草の根のようなものを黒坊主に繋げたジジイが楽しそうにしている。……様子から見て会話をしているのか?
「ひょひょひょふょょょょ……ぶへっっ!!!?」
あまりに黒坊主と楽しそうにしているので、霊力手でべしゃっと潰してやる。さっきまでの怯えはどこへやら。
「お主!もう少し他のやり方はないのか!?」
「……黒坊主は何て言ってるんだ?」
相変わらず無傷なジジイの訴えを無視して、黒坊主の事を尋ねる。霊食の話はどうなったんだ?
「ほほっ!実はこやつはまだ幼い我が子を育てる為に、霊力濃度の高い食事を探しておったそうでな。」
実はも何も予想通りだ。それで俺の料理を食べた小坊主が少し大きくなった、という事か。
「というか、話せるなら初めから話せば良かっただろ?別に黒坊主に飯を作らない主義があるわけでもないのに。」
「直人、直人。それを平気で出来るの貴方としゃもじぐらいだから。」
ジジイに文句を言うと、横から半ば呆れたように四葉がぺしぺしと俺の背中を叩きながら言う。
確かに黒坊主と相対している時に普通に会話出来たのは、レラだけであった。
「レラは初めからあまり怖がってなかったよな?」
「……うん。まぁしゃもじとお兄ちゃんがいるし。…………それに『人族』の邪気に比べたら……ね。」
語尾に向け小さくなる声は、レラがどれだけ『人』からトラウマを植え付けられたかが解るかのような、悲哀に満ちたそれだった。
「ごめん。思い出させちゃったね。」
「大丈夫。……でもお兄ちゃんと出会えて本当に良かったって思う。」
少しはにかみながら俯き、シルクのように綺麗な光沢を放つ深緑の髪がさらりと下がる。
……この子本当に男の子だよね?と思う程に可愛らしく、妙な色気のようなものすら感じられる。
ーーーーーーキュン死に。
俺は目の前に立つ男の子を見て、そんな言葉を思い出していた。
俺にそういう趣味があるわけではないが、この子上手いことやるだけで王宮とかに住めそうだよな。
「とりあえずめしだなー」
空気が読めないうちの猫が、相も変わらず飯の要求をしてきた事に便乗し、「黒坊主もまだまだ足りんみたいじゃからの。作ってやってくれんかの?」とジジイが言うので、鰻丼作りの続きに取り掛かる事になったのだった。
「いやー自分『霊食』とか使えないっすよー。自分らの霊術は『隠蔽』と『分解』っすから?とりあえずまぁ、敵とかいないはずなんすけどねー。この『人』なんなんすか?ってかすげー旨かったんすわ。あの黒鶏。なんすか?あれは黒鶏だけど黒鶏じゃないっすよね?自分のガキに食わす分を、ほとんど自分で食っちゃったっすわー。」
黒坊主との通訳をジジイに頼むと、こんな言葉が返ってきた。……「なんでこんなチャラチャラとした感じに訳したのか」と聞いた所、「何でも何も、言っておる事をそのままに伝えただけじゃ!」との事。黒坊主は俗に言う"若者言葉"で話すらしい。
ジジイは身体の一部を生物と繋げる事で、万物と意志疎通を図る事が出来る、と誇らしげに語っていた。
「まぁ万物とはいえじゃ。意志が無い石等と繋がっても沈黙でしかないがな!ひょっひょっひょっ!」
……つまらないオヤジ、いやジジイギャグと、違和感たっぷりの若坊主は放って置くとして。
とりあえず、米を炊く所からだ。
霊力で型どった巨大なすり鉢に籾を入れ、球体にした霊力であまり力をかけずに擦る。
小学生の時に習った籾ずり方法だったが、霊力を使えば一気に出来るから楽だ。出来れば籾ずり機や精米機があればいいのだが。
……待てよ。今までを考えると、杓子が籾ずりも精米してくれてもおかしくないのでは?
ふとそう考えつくと、試しに巨大なすり鉢の中に入った籾を、適度に大きくさせた杓子で混ぜてみる。
……出来たわ。出来たよ。籾殻も糠も米と離れて、白米が完成した。今までの苦労は一体……。というか、説明書ぐらい寄越せやプウのヤロウ!!
米を巨大な釜に変えた杓子に入れて火にかける……事もしないで勝手に水を張って勝手に炊いてくれるようだ。便利すぎる。
その間、霊力手を駆使して次々と蛇足を捌き、焼いていく。
「もの凄い光景じゃな…。」
俺の霊力が見えないジジイ達にとってはそうだろう。空中で次々と蛇足が捌かれて、焼かれていっているのだから。
厨房はどこの世界でも戦場である。
辺りの空間をタレが焼けた香ばしさが支配した頃、もう既に空が白んできていた。
「「「「「……………。」」」」」
日本人の叡智とも言えるうな重。それを食べた面々が絶句しながら夢中で箸を運び、空になった重箱を切なげな目で見つめ、その後余韻に浸るように遠い目をするのも無理はない。
俺は無言で急須に変えた杓子から出した焙じ茶を配布する。
タレをたっぷりと吸ったご飯に、ふっくらと香ばしく焼き上げた蒲焼。
この味を正しく表現できる言葉など、ありはしないのだから。
「うおっっ!?」
思わず声が漏れてしまった原因は、黒坊主の姿が先程と比べて倍近くの大きさになっていたからだ。
「幾らなんでも大きくなりすぎじゃろう…?」
「ぼぼぼぼぼぼぼぼーーーーう。」
「なぬ…?それは本当か?」
「ぼぼーう。」
大きくなった体で小さく鳴く黒坊主の顔は、視認出来ないほど上にあるので表情は読み取れないが、満足してくれたようだった。
「皆。黒坊主が背に乗れてくれるそうじゃ…!」
「本当ですか!?黒漠を渡ってくれると!?」
「…そう言っておるぞ四葉。ひょひょ!予期せぬ嬉しい事態じゃな!」
いやぁ上手く行き過ぎだろう…。と思いつつも黒漠を楽に越えられる方法を手に入れたのだった。