子坊主
黒坊主が倒れてから体感30分程経ったが、起きあがる様子はない。
その間に俺はモツ焼きをつまみ、霊力を回復させていた。お腹いっぱいには程遠いけどな。
食物連鎖の頂点というのは基本的に個体数が少なく、あまり殺したくない。流石にこれだけで生態系が崩れるなんて事はないだろうけど。
見に行ってみるか。
「お、おい!?どこへ行くつもりじゃ!?」
「どこって……黒坊主の近くだけど?」
「何をバカな事を言うのじゃ!?大体お主の先程の攻撃は未完成なんじゃろう?あれだけの規模の術なら黒坊主を確実に消し炭に出来たはずじゃ!!それが成せてない今、奴はまだ生きている可能性が高いぞ!!」
「だから、消し炭にしない為に途中で攻撃を止めて、殺さない為に今行くんだろうが。……あ。ついでだからジジイも来いよ。」
霊力手でジジイをむんずと掴み上げる。
「な……!?い、い、嫌じゃ!!!放せ!!後生じゃ……四葉!!助けてくれぃ……!!」
「ふふふ……あははははは!直人らしいね!」
「いや……何を笑っとるんじゃ!?いーやーじゃーーーー!!!」
「大丈夫大丈夫。瀕死だろ、どう考えても。」
「だからと言って嫌じゃ!!お主は殺意がないから良いが、殺意を持った強大な力なんぞ、少しも感じとうな……!!?ーーーー!ーーーーーーー!!!?」
煩すぎるので、霊力手の先を球体し中に閉じ込めてやった。何か叫んでいるようだけど何も聴こえない。二重構造だからな。
「なおとー。もっとー。」
……いつの間にか俺の足元にしゃもじがいた。そして事もあろうに「もっと」だと!?
「お、ま、え、は、ど、こ、に、い、っ、て、た、ん、だ!!?」
屈んでしゃもじの顔を両手でガシッと掴む。顔の毛わしゃわしゃの刑だ。しゃもじの柔らかな毛と、歪んで変な顔になるのがたまらない、そんな刑だ。
この刑を嫌がらない猫はまず居ない。しかしこの時俺は失念していた。彼が……獣神だということを。
「や!め!ろーーーー!!!」
しゃもじが牙を剥き出して叫ぶのと同時に、物凄い衝撃波が俺に襲い掛かり吹き飛ばされてしまう。
やれやれ。気軽にじゃれる事も出来ない程の力の差か。まいったね。
ーーーーーーーーーーーーバイーン。バイーン。バインバインバインーーーーべしゃ。
数秒の強制空中浮遊を終え、地面に叩きつけられると覚悟した所で、俺の身体はトランポリンの上に落ちたかのように跳ね、何度かバウンドした後に、やはり地面に叩きつけられた。
やはり痛みはないが、衝撃が辛い。しゃもじも一応手加減してるのだろうけど。うぅ……。
ん?…………トランポリン?と思ったら、どうやらちょうど良く黒坊主の身体にぶつかったようだった。
意外にも柔らかく弾力と艶のある黒坊主が目の前で寝そべっているのだが、大きすぎて今見えているのがどの部分なのかがわからない。
「ーーーーー!!ーーーーーーー!!!!」
俺と一緒に飛ばされたジジイ入り霊力球の中で、ジジイが喚いているようだ……あ。空気か。
「ぶはっっっ……バカ者!!!はぁはぁ。殺意がない方が、むしろ、危険、じゃなっ!」
逃げられないようにジジイの顔の部分だけを外に出すと、ジジイが息絶え絶えに文句を言ってきた。……息してんだな。
そういえばさっきの流れで『さん』付けるの忘れてた。
「ごめんよジジイさん。」
「……もういいわい。呼び方も好きにせい。」
これ見よがしな溜め息と共に、『さん』無しの許可を得た。
ひとまず霊力で空中に篝火を焚くと、暗がりの中では視認出来なかった黒坊主の多数の傷と脈動が見てとれた。
「ジジイ。これ、生きてるよな?」
「ふむ。ギリギリという所じゃな。霊力枯渇状態で、回復が追い付いとらん、といった様子に見えるのぉ。って、まさかお主……」
「じゃ俺の料理食ったら治るかな?」
「やはりか!儂は許さんぞ!お主のその甘さ何とかならんのか!?霊力を回復させるだけならまだしも、強化されるんじゃぞ!?」
煩いなぁ。大体殺意なんてものを自然の生物が持ってる訳ないだろ。
「ジジイさ、魔物ってのは自然界の生物が強い霊力を持って生まれた、もしくは後天的に霊力を保持して変異したもの、で相違ないか?」
「ん?まぁ概ねその通りじゃが……?なんじゃ急に?」
「だとすると、攻撃してきた理由に害意はないだろう?邪気もあるわけがない。縄張りを守る為か、単純に補食の為か…………」
「ぽーう。ぽぽぽぽぽーーーー。」
ーーーーーー子育ての為だろう。
横たわる黒坊主の傍らで、可愛らしくも悲しげな声を上げるミニチュア、とはいえ2メートルくらいの小さな黒坊主。まぁ単純に考えて子供だろうな。
子供の為に高濃度の霊力を摂取できる食物を探していたのだろうか。まだまだ小さなこのミニ黒坊主は、あまり強くは無さそうだし。
「子供か?随分とまぁ可愛らしい黒坊主じゃな。……て、お主!!!何をしておるんじゃ!!」
「何って?この子供に飯を上げようとしてるんだけど?」
「〰〰〰!!せめて儂を解放してからにしてくれぃ!!」
ジジイの怒鳴り声はやたら甲高くて迫力がない。さっきから怒鳴るか呆れるしかしてないぞこいつ。勿論だが、解放するつもりは更々ない。
空間圧縮袋の中にある干し肉を取り出し、ミニ黒坊主に与えようとしたが怯えているのか食べそうにない。やはり親からだな。
黒鶏の余り分、巨大なモモ肉に、杓子から出した塩、胡椒を塗り込み、霊力を燃やした遠火で炙る。
パチパチと脂が弾け、いい香りが漂い始めた頃黒坊主の脈動が少し早まったような気がした。
そういえばこいつの口どこにあるんだろう? さっき開けているのは見たからあるにはあるのだろうが、真っ黒だから裂け目がわからない。
「ジジイ。こいつの口……」
「知らん!わからん!絶対に知らんぞ!儂は何もわからんぞ!」
必死だ……。何でそんな怖がるかね。
「いいにおいがするー」
「まぁお前のじゃないけどな。」
食欲にまみれたうちの猫が、俺の足元に体を擦り付けていた。
自分の欲求に忠実な猫は、気が向いたり御飯が欲しかったりするとこうして甘えてくるのだ。
「でもでもいっぱいあるし」
「でもでもこれは黒坊主のだし。」
「でもおれめしほしいし」
「でもさっき食べたし。」
「じゃーかってにたべるからいーもん」
「じゃあお前のごはんはもう2度と作らないからね?」
「うーーーーー。」
「わかったよ!ササミあげるから大人しくしてなさい!」
「ささみーー!」
尾を高々と上げ、俺の足に体を擦り付けてくるしゃもじ。
これは言葉が通じなかった前の世界でも伝わっていたしゃもじの喜びの感情だ。
とはいえこのように猫の剰りの可愛さにやられ、おやつを大量に与えていると太ってしまうのだが。
猫の健康を気遣うよりも先に、期待に応えられないという感情に負けてしまう。猫に限らずだが、動物から期待に満ちた目を向けられて耐えられる奴なんかいないはずだ!
それが例え、すぐ横にいる巨大な未知の生物でもだ!!
実は先程から、俺の後ろで横たわる黒坊主の、身長よりも大きな目が見開き、期待の眼差しを持って俺を見つめているのだ。
そしてその下部の裂け目から、だらだらと溢れ出る水を確認した。……恐らくは涎だろう。
「……余裕だったのだな。」
「そうでしょ?だって僕には黒坊主っていう魔物の魔力見えたし。」
「なんと!?……そうか。神石持ちだったなレラは。とすると隠蔽の霊術か……?」
元々火が通りにくい鶏肉を遠火でじっくり焼いている間、ひとまず青い草原に戻ってきた。調理中の米と蛇足が気になったからだが、問題はなかった。
米は変わらず乾燥中だし、蛇足は串を打たれる途中で投げ出されているのを見て、胡桃さんとレラが呆れたように会話をしていた。
あれだけの霊術を放っておきながら、米の乾燥はしっかりと継続していた事で、余裕があったと取られたらしい。
俺の霊力壁は破壊されたし、攻撃は通じないし。実際は全く余裕なかったのだが。
「『王の種』の知識によれば、『分解』という特殊な霊術も使うはずじゃな。」
『隠蔽』と『分解』。なるほど。これにより皆に触手は見えず、俺の霊力壁が分解された上で破壊されたわけか。
「ん?じゃあ何で俺には見えたんだ?」
「ふむ。そうじゃなぁ。恐らくじゃが、装備品が関係しとるかもしれんな。……いやむしろそれ以外じゃと、『隠蔽』を防ぐ手立てがあまりないしのぉ。」
装備品か。俺の装備品といえば、
・飯野直人
装備
・プウの杓子
・プウの服
・プウのベルト
・プウの靴
だな。初期装備がプウシリーズだ。……そのうちにこれよりも高い性能を持つ武器や防具が、お店で買えちゃったりするのだろうか。
「例えばその服に精霊石並の霊力が込められているのなら、隠蔽の霊術は無効になる可能性があるのぉ。神石や精霊石、精霊の欠片を通して見れば、隠蔽された真実が見えるという事じゃな。」
ほほう。隠された真実か。じゃあいつも俺の下心を神石を持つレラが見抜いてしまっているのか。
あ、いや下心なんてないんだけどさ。こればっかりはレラの勘違いなんだけどさ。神石にだって間違いくらいはあるだろうしさ。
食の、とはいえ神様の服だ。確かに高い霊力が込められていても不思議ではない。
「服に霊力が込められているとして、それが何で目に影響するんだ?」
「そういう効果が出るような霊法が付与されてるんじゃないかな?そういうのは『人』が得意だよね?……それも形見?」
四葉が答えてくれたように、つまりこの杓子みたいな物なのだろう。様々な効果が付与された神の服。まぁ実際に汚れたり破れたりしないし。
プウも粋な事をするじゃないか。
「分解の霊術とはとてつもなく厄介なんじゃ。例えお主の霊力が圧倒的じゃとしても、霊子単位で分解されてしまえぱ霧散してしまうじゃろ?」
ジジイが解説を続けている。何だかんだでコイツは蘊蓄を披露するのが好きみたいだ。……歳を取ると男は皆そうなるんだよな。
『霊子』ねぇ。新しい単語だが、まぁ原子とか分子みたいに、細かな霊力の粒子の事だろう。
というよりも、霊力自体が極細かな粒子で、それを操作する事で様々なものを象る、の方がしっくりくるな。
……俺の霊力壁は、分解された上で破壊された。
それはつまりどれだけの霊力差があろうと、攻撃方法によっては俺やしゃもじに届く可能性が出てきたという事だ。……それってかなり脅威なんじゃ……?
「レラは黒坊主の霊力が見えたと言ったな?それは奴を纏う霊力か、或いは霊術が見えたのか?どっちじゃ?」
「ん、両方。」
「それは神石の能力じゃな?」
「うん。小人さんはそう言ってた。」
随分と冷静になったジジイが、レラと四葉、胡桃さんを巻き込みふ分析の範囲を広げ始めた。
俺としては向こうの焼いている途中の鶏が気になっているのだが。
「……つまり神石には精霊石と同じように『霊力を見る』という能力もあるという事ですね?」
「ふむ。だがレラに直人と獣神様の霊力は見えぬらしいな。」
「その通りじゃ四葉、胡桃殿。その点が解らん。……分解の霊術が効果があるのなら、霊力に違いはないのじゃろうが……。レラ、その小人さんとやらは何か言っておらんか?」
「ん~。『獣神はともかくとして、あの人は一体なんなのかな?』って言ってた事はあるよ。」
「いよいよ解らん。お主は一体何者なんじゃ……?」
ジジイが俺の方に向き直るとほぼ同時に、四葉、レラ、胡桃さんもこちらを見た。しゃもじがどこ吹く風という態度なのは仕方ないとして。
……そう言われてもな。食の神様に料理を作る為に呼ばれた、ぐらいしか解らんし、言って通じるものか……?
「神託により『食の大切さ』をこの世に伝える者……かな?」
「阿呆かお主。」
「直人……。神託を授かるのはお母様のような修行を積んだ巫女だけだよ……。」
「うむ。そして巫女とは字の如く、女しかなれんしな。」
この世界ではそうらしい。前の世界で神託を授かる者といえば、大概男だと記憶しているが。
それを女性だけとは。プウはスケベでもあったんだな。
「……あ。しゃもじ、つまり獣神様からの神託かな?そう言われてみれば……」
「なんだ?めしかー?」
「「「なるほど。」」」
四葉が呟いた言葉に、しゃもじが反応し、それに納得したように頷くジジイ、レラ、胡桃さん。
間違った解釈をされたのだと思うのだが、特に弁解する事も思い付かず、そのままにする事にした。




