※四葉
突然ですが四葉視点。
「……水竜様への贄は貴女に決まったわ。」
巫女である母からそう告げられた日。涙を堪えながら気丈に振る舞う母を見て、私は覚悟を決めた。
戸惑いはあった。とても恐いし、死にたくない。
けれど私が逃げ出せば、今まで贄になってきた先人達の覚悟を踏みにじる事になる。
それに私が助かった所で、里の誰かが代わりに差し出されるだけだ。そんな事出来るはずもない。
「駄目だ!里長!俺が贄になる!!」
母の隣で神妙な顔付きで私を見る里長に、父が怒鳴りかかる。
悲哀と愛情と焦燥と怒り。そんな感情達が入り交じった父の表情を見て、私は再度覚悟を固めた。
私が逃げ出せば、他の誰かがこんな表情になる。
私が贄となる。だからお父様。ごめんなさい。
里の大人達数人で、私に睡眠の霊法を施す。
深く深く眠らせて、せめて苦痛を感じぬよう。せめて恐怖を感じぬように。
意識が遠退く私が最後に聞いた言葉は。
「四葉!!俺が助ける!絶対にお前を贄なんかにさせるものか!!」
多重にかけた睡眠霊法が解けるのは、1年も先の話。その間飲まず食わずで生きていける筈も無く。
もうこの時点で私の命は終わる事が確定していた。
……でも。
何故か開いた自分の両目。眩しい光と青い空。
そしてすぐ隣から感じた誰かの気配。
彼らは、水竜様を殺したと言った。
千里眼で見た事実と、妙な格好をした『人』と。存在すら曖昧な筈の獣神様と。
それらは突然現れた。当たり前のように失う筈の私の命が、何も判らないままに救われた。
本来なら戸惑うべき所だ。こんな嘘のような出会いに。
でもここに居るはずがない『人』と獣神様は、驚くほどに親しみやすくて。
戸惑いなんてすぐに忘れてしまったのだ。
『直人』という名前の『人』は、父とも直ぐに仲良くなり、三大妖精様の一人『花王』様さえ連れて歩いた。
今は力を失っているとはいえ、花王様にまで気安い態度で接する直人は不思議な、とも形容し難い。
更に彼は、知識としては知っているが、まず誰も目にした事がないと言われる『樹』の妖精『小豆洗い』にも気に入られた。
獣神様との『契約者』とは、恐らく私の考えが到底及ばぬ存在なのだろう。
と、思っていたのだか、彼は何も知らなかった。幼子でさえも知っている事も、契約している獣神様の事でさえ。
里に来てもらった彼は、皆から歓迎されなかった。
やはり『人』とはそれほどの確執があると再確認させられた。
その後唐突に現れた悪魔と、その『契約者』を、彼が瞬く間に撃破。
直人は一躍この里の救世主となる。
だけど驚くべきはこの先だ。
里の者には勿論だが、あそこまで悪魔に染まった『人』にさえも好かれてしまったのだ。
あくまでも私の想像だが、恐らくは彼の不思議な能力とも言える『料理』が関係しているのだと思う。
事実、彼が作る料理とは見たことのないような物ばかりで。
とても美味しい、という事と。
口にすると霊力の器が強化され、上昇したり。
表現できない程の幸福感に満たされる。
嫌な事を忘れさせてくれるような。
とても楽しい気分になるような。
霊力の補給、という食の根本は忘れず、更に様々な効果が付随する。
料理をしている時の彼は凄く楽しそうで
「漬け込むのは、肉に味を染み込ませる…だけではなく、柔らかく、そして臭みを抜き、純粋な肉の味を楽しむ為にある!!」
だとか
「これが料理…だと?一応は素材に恵まれていながらも…これなんか素材としては最高級な物なのに…。」
等とブツブツと言いながら、コロコロと表情を変えていた。
私達が理解出来ない様々な事を知っている彼。その辺りはやはり『人』と思わざる得ない。
彼が里に来てから状況が一変した。
まず水竜様に怯えなくて済むようになった事。
業火様の尾が8本になり、九尾の名を襲名させられた事。
そして九尾様との『契約者』が誕生。
―――私だ。
「もう私は九尾の狐じゃないからー。名前をつけて下さいな四葉!それを契約の言霊にしましょう!」
という元九尾様のお言葉に従い、散々迷った挙句『華澄』という名を提案した。
「あらあら。思ったよりずっといいわー。風華はなんて言ったと思うー?九尾の狐からとって『クビコ』だってさー。」
九尾様と母は仲が良いのか冗談を言い合ったりもするようだ。……冗談だよねお母様?
ともあれ、私は華澄と契約した。が、当然華澄が求める霊力を私が渡せる訳もなく。
契約は形だけのものになってしまった。華澄を具現化出来る日はいつになるのやら。
「ふふふ。ナオトさんについていけば、華澄様に渡す霊力なんてすぐだね。」
ーーー夜。
直人と花王様が作った『ふろ』という物がある所に母と共に向かっていた。
私達が体を清めるのは週に1度、近くの川での水浴び。それを直人に言ったら、苦笑とも言い難い変な表情をして、
「ちゃんと女性用のも作ったから、入ってみて?」
と優しく言われたので、母を誘って入ってみる事にしたのだ。
花王様の妖法によって象られた建物の入り口には暖簾がかかっていて、外から見えないようになっているとは言え。
幾つか並べられた籠の中には、先客の衣類が収められているのを見て。
「裸に…なるのかなぁ?」
私はそう呟く。
獣人である私達はあまり脱衣をする事はない。水浴びの時も、予め薄地の白い着物を用意する。
誰かに裸を見られるというのは恥じらい…というよりも、弱点を晒しているような気になってしまうから。
「ナオトさんはそうしていたみたい。」
母が返答してくれた。……見たのかな?
意を決して服を脱いでお湯に浸かってみると、とても気持ちが良かった。
今までどうしてこれを知らなかったのかと悔やむ程に。
「本当にナオトさんは不思議な『人』ね。優しさの塊って感じだわ。」
「……そうですね。」
先程、直人には私も一緒に連れていってもらうという事を承諾してもらっている。
彼は『愛されし子』を里の祭壇まで連れてきて。
『人』からの襲撃を受けた野牛族を助けに向かうのだと言った。
「乗りかけた船…か…。」
直人の呟きは、私達には理解が出来ない。こんな草原の真ん中に船など何処にもないのに。
「ふふ。いってらっしゃい。元より貴女がこうして生きていてくれるだけで、私は充分よ。元気で居てね。たまには帰って来なさいよ?」
とても優しい笑顔で母は背中を押してくれた。
元々私は水竜様の生贄として命を失うはずだった。だから残りの生は、獣神様である『しゃもじ』と直人に捧げたい。
そう決意している。
野牛族への援軍を募る為、私達は霊都に向かった。
直人と獣神様の莫大な力を借りて、解決を一時的にする訳にはいかず、長期的に野牛族と共に聖域を守れる者が必要なのだ。
『天音』と名付けられた固有霊術を駆使する現獣王様は、やはり直人の事も獣神様の事も既に知っていたようだ。
側近であるたま様が転移場所で待機をしていた。
獣王様やたま様は、本気を出せば人世界の音まで拾えるのだそうだ。
少しだけ恐ろしいとは思うけれど、獣世界の平穏の為を考えると、最も適切かつ重要な能力なのは理解出来る。
しゃもじと直人と旅に出るにあたり、恐らく多くなるであろう戦闘等の為に、私は欲しいものがあった。
霊都のよろずやに売っていると噂で聞いていた『ぶらじゃあ』という胸を抑える人世界の下着。
サラシよりも簡単に、さらに快適に動きやすくしてくれるらしい。
「いらっしゃい。む?九尾族かね?珍しい。」
出迎えてくれたのは初老の水犀族の男性。灰色の肌に白く硬い鼻が角の様に上向きに尖っているのが特徴だ。
九尾族の里は、獣世界の末端。人世界との狭間である『黒漠』から程近い場所にある。
言わば人世界から来た『人』を通さぬ為の関所。
その為、九尾族が霊都に赴く事は極めて少ない。
人員を欠いて『人』を通したとなれば九尾族の名折れになってしまう、といつも里長が言っていた。
「旅に出る事を許されたので。あの……それで…こちらには人世界の下着が……あるとですね……。」
「お?…あぁあるぞ。おーい。お前、客だ。相手しろい!」
初老の男性が自身の立派な白髭を撫でながら、店の奥へと声を飛ばすと。
「はいはい。……おやおや。いらっしゃい。」
同じく水犀族、恐らくは店主の奥方であろう、笑顔がとても優しい女性が顔を出した。
「おやおやおやおや。大きいわねぇ。おやおやおやおや。」
陳列棚に並べられた人世界の下着と、私の胸を交互に見た女将さんが 呟く。
……私の胸は九尾族では異質だと言われた事がある。
「『人』の男性は、どうしても女性の大きな胸に視線を奪われてしまうらしいですよ?四葉さんは『人』との戦闘で優位に立てるかもしれませんね。」と紅蓮様が仰っていたのを思い出す。
……そういえば直人もやたらと私の胸をチラチラと見ている気がする。
思い返してみれば里を襲ったあの『契約者』も、私の胸を見て、眼を輝かせた。
こんな肉の塊、邪魔だし、重いし、動き辛いだけなのになぁ。子育てにしか使わないし。
でも『人』との戦闘に活かせるのなら無駄ではないのかも、救われた気分だった。
「あぁ。良かったわ。野牛族用に仕入れたのがあった。」
野牛族は獣人の中でも胸が大きいのが特徴を持つ種族。それと同じって……。今回の『人』の襲撃には役に立たなかったのだろうか。
あまり期待しない方が良さそうだ。
早速店の奥の一間を借りて、女将さんから使い方を教わる。
絹、もしくは綿で成型された、胸の下半分から持ち上げるような構造の下着。
ひらひらとした装飾が施されていたり、小さな精霊の欠片を宝石のようにつけられていたり。
後ろの小さな鉤爪のような金具で留めるのだが、これがとても難しい。慣れるまで時間がかかりそう。
「これをお金に替えてもらえますか?」
「これって……あんたこりゃ精霊の欠片かい?そんな金はうちにはねぇよ。」
私がぶらじゃあと格闘していると、直人と店主の声が聞こえた。
こんな姿見られたら恥ずかしくて死んじゃうので、女将さんに匿ってもらった。
「獣王様の『天声』で聞いていたけど、あんたはあれの連れかい?なんだか変な『人』だねぇ。腰が低いし、覇気がない。黒い髪も似合っちゃいるけど不気味だしねぇ。」
と女将さんは言っているのを苦笑で返した。直人はそんな風に思われてるんだ。
私は親しみ易いと思うけどなぁ。
『天声』とは獣王様の霊術の応用術で、声を霊都中に届けるというもの。他に『狂聴』とか、『音砲』とか。音に関する全てを獣王様は自在に操る。
それよりも値段を聞いてびっくりした。布の使用量が少ないのにも関わらず、普通の服の値段よりも高い。……正直手持ちが足りない。
「あぁあんたさ、さっきの『人』の連れだろ?変な奴だなぁありゃ。獣神様に始まり、妖精もいりゃ、愛されし子まで居やがらぁ。祭りでもあんのかね?」
「私もそう思ってます。」
女将さんと同じ意見の店主にほっこりとした気持ちになりながら
、改めて不思議な『人』だと認識した。
「そんで、こんな高価なもん置いてったから、あんたのお代も要らないからよ、好きに持ってけ!!」
しゃもじと直人はこんな所でも私を助けてくれた。魔力付与品と呼ばれる高級な下着を3着も戴いてしまった。
魔力と聞くとあまり良い気はしなかったが、そんな気持ちとは裏腹に快適だった。
身につけると体が軽くなり、更に魔法や物理攻撃の耐性強化効果があるみたいだ。
霊具のような物は私も作れるのだけれど、こういう発想は無かった。『人』避けの罠くらいしか作った事はない。
それにしても本当に動きやすくて、胸が動きを邪魔しない。心地良い。
ありがとうしゃもじ、直人。
千里眼で居場所を特定し、さっき寄った団子屋さんの近くで直人達と合流。
あぁ。やっぱり直人は私の胸をチラチラと見ている。
後でどうして見てしまうのか聞いてみよう。
団子屋の女将さんが、魔王子に呪われていて、その団子を食べた私も呪われてしまった。
事もあろうにたま様に向かって霊法を放ってしまったのだ。
「団子を食べた人の理性を外し、獣性だけを高める呪いですよ。無力化させるには殺すしかない。
または、私が居るサイハク帝国を攻め入りますか?クフッ。」
直人の霊力手に包まれながら、朦朧とする意識の中、そんな言葉を聞いた。
理性が外れて獣性だけを高められたとしても、私は何故たま様を攻撃したのだろう。
どうしてレラくんの首を絞めてしまったのだろう。
花王様により解呪された私がレラくんに謝った時、
「やっぱりお姉ちゃんもたまちゃんがお兄ちゃんと話してると嫌?……ちょっと馴れ馴れしいよね。でも僕は男の子だから、お兄ちゃんとは何ともならないよ?」
と耳打ちしてきたのは、どういう意味なのだろう?
確かに獣王様やたま様と話して、でれでれとしている直人を見ると、何故か心がチクリと痛む。
でもそれは直人がでれでれしているからであって。
獣王様もたま様もレラくんも悪くない。
直人がでれでれとするのがいけない!
……あれ?何で、でれでれとするのがいけないんだろう。
北兎族の2人は、誰がどう見ても魅力的だし、レラくんは彼と同じ『人』だし。
…………うん。魔王子の呪いだ。きっと何か別の効果があったに違いない。
魔王子の呪い問題が片付き、直人の料理が皆に振る舞われた。
あまり知られたくない事だと言ったのに、直人はそこらかしこで料理をしている。
後で注意しておかなきゃ。
その後、野牛族の下へ胡桃さんの同行が決まる。三獣剣の筆頭、虎伏術師範の高名な方だ。
直人の力を見たい、と大隈様が手合わせを提案。
如何に虎伏術師範とはいえ、獣神様の『契約者』である直人に敵う訳はない。
けれど薄々感付いてはいた。直人は攻撃に向いていないと。
あれだけ優しい直人が、殺意など持てる訳がなく。
大隈様と胡桃さんに貶されている直人を見て、自分の中で嫌な気持ちが渦巻いているのがわかった。
私の胸の中で眠るしゃもじは、いつも無邪気でいつも気ままで。
それを見て微笑む直人で居て欲しいと私は思う。
……まぁしゃもじに危害を加えようとする者には容赦無いみたいだけど。
そんなものは存在しないのに。直人はどこまでも優しい。
その後、獣王様とたま様との手合わせで霊化した直人が、小さな太陽のような狐火を発現した。
九尾族なら幼子でも扱える低級霊法が、天の精霊様と同じ様な光と熱を放つ。
……流石獣神様の力は凄い、の一言だ。
砂漠と化した辺りを見回している直人が一番驚いているように見える。
私達は誰も傷付いていない。霊化しても、直人の霊力は攻撃には使えないみたい。
「儂等植物を生物として扱っておらんなお主……?」
と訝しげな表情の花王様が直人に訪ねる。
確かに草原は燃え尽きて、砂漠になってしまっている。
「いやそういう訳じゃないけど。でも火があったら植物は燃えるだろ?」
そんな言葉に笑ってしまう。火があれば燃えてしまうのは私達も同じなのに。
「ふふっ。直人、ありがとう。」
「え?何が?」
「何でもないよ。」
「何?四葉。気になるから言ってよ。周りを砂漠にしといて俺お礼言われるっておかしいだろ。」
「ふふっ。」
私は笑って誤魔化して、私の服の襟から顔を出して寝ているしゃもじを撫でた。
もう夕方。明日から野牛族の里へ、つまり『人世界』に入る。
霊都に戻った私達は、宿を取って水浴びと洗濯を済まし、明日に備えて早めに寝る。……はずだった。
「ねぇナオト……いいじゃん……。」
直人とレラくん、花王様がいる部屋から、何故かたま様の声が聞こえた。ちなみにしゃもじは私と同じ部屋で寝てくれるらしい。
「ね、お願いだよナオト。作ってよ。」
「私も頑張るから!ねぇってば!!」
居ても立ってもいられず、私は自分の部屋を飛び出し、隣の部屋の戸をバーンっと開けて叫ぶ。
「何をしているんですか!!こ……ここここここ…子作りなんてまだたま様には早すぎ…………え?」
「え?」
「え?」
「え……なに?どうしたのお姉ちゃん。」
部屋の中で、両手に緑の野菜を持ったたま様が直人に詰めよっていた。
はぁ。だっていいじゃんとか作るとか頑張るとか。誤解を招くような発言は控えて欲しいな!!
「……あのね。失礼だな君は。たまちゃんはこう見えて29歳だぞ!」
「「「ええ!!?」」」
「俺より上かよ……。」
「そ……そうなのですか……?」
「僕と同じくらいだと思ってた……。」
たま様の意外な年齢を知り、一同は驚きを隠せない。
「四葉からも頼んでよ。たまちゃんはニンジンシリシリが食べたいの!!」
「散々食べただろう!」
「あれ?全部食べちゃった。」
舌を出してかわいらしい仕草をするたま様が29歳とは到底思えない。
結局宿の厨房を借りて、直人がニンジンシリシリを作るみたいだ。
200本はあるのではないか、という量のニンジンをひたすら刻む直人は、少し涙目になっていた。
「何をしてるの四葉!早く手伝ってよ。さっき勘違いした事は忘れてあげるからさ。」
にやっと邪悪な笑みを浮かべたたま様には敵わない。結局寝るのが遅くなってしまった。
しゃもじと直人に出逢ってから、1日1日がとても濃い。
不謹慎なのかもしれないけれど、明日を迎えるのがとても楽しみだ。
野牛族の里に行ったら、直人はどんな反応をするのだろう。
野牛族の女性の胸をチラチラと見るのだろうか。
直人が『人』の集落に行ったら、居心地良かったりするのかなぁ。
明日はどんな事が起きるんだろう。
布団にくるまりながら、寝ているしゃもじを撫でながらそんな事を考えている内に、私は眠りについていた。




