another side 村長の日記
今回、ネタ成分、コメディー成分がほぼゼロです。しかも自己記録を軽く塗り替えるくらい長くなってます。もっと上手く書きたいですね~。
☆ドミナの月、4番目のクロウの曜日
―――――近く、世界を覆う凶星が空に瞬くことになる。そして、世界は混沌のときを迎えるだろう。時に乗じ凶星に呼応するように数多の星々が地に堕ち、それと同じくして新たな禍星が生まれることになる。だが、恐れることは無い。凶星と禍星はいずれ御子の手によって沈み、我らは安息を得る。ただ一つだけ、試練を乗り越えることが出来さえすれば。
先日卜占師のマーサが言っていた占い・・・、いや、予言がそれだ。
やや時代がかった言葉だし、肝心の部分がぼかされていて意味がよく判らない。
普通なら、例えば精霊術の素養があまり無い私などが言えば、それこそ失笑ものの話だが言ったのが他でもないマーサであったため、私はあまり気分の優れない日々を過ごしていた。
彼女の占いは、信憑性が高い。というよりは、まず的中する上にこの集落での一番の長老であるため、彼女の言葉には言外の重みがあるのだ。
ことに、この村の住人の大半の命の恩人であるとくれば、名目上はこの村を仕切っている村長とはいえ、無視は出来ない。それは、私とて例外ではないのだ。
だからこそ、彼女は普段黙して多くを語らないのかもしれないが。
ただ、それでもこの村にとって歓迎できないことが迫っていることだけは理解できた。一つだけとはいえ、それが将来村にとって影を落とすものであることは間違いないだろう。
事情を知らなければ私とて流れに身を任せるだけだっただろうが、生憎と私は村長だ。村の者の生活を守る義務がある。
それ以来、村の外で働いているものへの連絡や、付近の警戒等するべきことが加速度的に増えているが、それもいたしかた無いことだ。
私たちの現状を考えれば。
丸い世界の中、東の端に位置するアイオーン王国のさらに東端。海岸よりは少々、山を三つ分ほど内陸に移動した場所に、私たちの村はある。
特産品は特に無し。村の中で作ったものは基本的に村の中で消費され、多少余ったり細工が上手い者が作った物を商人に買い取ってもらっている。近場の鉱山では魔法石が採れるらしいが、それも予言の中の『試練』を避けるための壕を村の者が山を掘ってみたら判ったことだ。恥ずかしながら、既にながい間この村で生活しているというのに私は知らなかった。
この村のことなら大抵は知っていると思っていたが、しかしそうでもなかったらしい。
少しばかり、そう考えて得意になっていた過去の自分が恥ずかしい。子供にも言ったことがあるから、それもひとしおだったりする。
現在、掘り起こされた拳大の魔法石は商人に買取を依頼しているが、知人の話ではかなり高価なものらしい。
魔術師の生命線でもあるのだから、当たり前か。魔術の研鑽には才能と根気と、さらに大金が必要になるのは子供でも知っている事実だ。
魔法石も使用者の精神力や魔法を中に溜め込むという性質上、けっして安くは無い、むしろ高い値で売れることだろう。
年々赤字に近付いていく村の財政に頭を悩ませていた私としては喜ばしい限りだ。
だからこそ、私に今出来ることをしていかなくてはならないのだが。
そう考えていた、そのときだった。
「――――――村長!大変だッ!」
先日から壕を掘ってもらっていたエリオが突然ドアを開けて部屋に入ってきた。私はため息をついて水差しから水をグラスに注ぐと、息を切らせたままのエリオに持たせ、飲み干すのを待つ。
男性であることを差し引いても他の同胞に比べて大柄な彼は、しかしその顔を青ざめさせている。
まだ息を整えている段階で報告は聞いていないが、しかし来るべきものが来たか、という予感は拭えない。そして、それは正解だった。
「・・・さっき、例の洞窟まで行ってたんだが、聞いてくれ。俺が掘った穴にモンスターが居やがったんだ・・・!」
良い知らせは中々無いものだが、悪い知らせはそれが義務であるかのように唐突に、しかし確実に現れるものだ。
とはいえ、苦々しい思いを持たずにはいられない。まだ万全とは程遠い対策しかとれていないし、すべきことも山ほどあるのだから。
「俺が洞窟に近付いたら、中から出てきて威嚇してきやがった・・・。触手っていうのか?なんか、モジャモジャした黒い毛玉みたいな奴だったよ。・・・どうすりゃいいんだ?あいつがマーサが言ってた試練って奴なのか?」
それが『試練』そのものであるか、それともその一端でしかないのかは知りようが無いが、全くの無関係ということはありえないだろう。
そして、それに対する私の行動はいつもと変わりはしない。
「・・・狩人たちにその洞窟を監視させるよう手配してくれるかしら。ただし、相手にけっして見つからないように細心の注意を払って。交戦はせずに、複数名で退路は常に用意した状態を維持して。」
敵になるのか、それとも潜在的なそれで終わるのかはわからないが、それでも危険であることは間違いない。モンスターと亜人や人間には狭くてとても深い溝があるのだから。
「ああ、判った。俺の方から当たってみよう。しかし、気持ち悪い見た目の奴だったな・・・。村長、何か知らねえのか?」
「・・・毛玉みたいって言ってたわね?だとしたら、ローパー種のモンスターだとは思うけど・・・。でもこんな内陸に住む種族なんて聞いたこと無いわね。」
海の近くを生息地としているローパー種は基本的に臆病で、人間や亜人が近寄ると逃げてしまうはずだ。威嚇をするなど聞いたことも無い。
だが、私が知らないからといって存在が無くなるわけでもなく、現実としてモンスターは存在している。それも、私たちの生活圏近くを縄張りとして。
「それ以外に、何か判ったことは無かったかしら?」
「・・・いや、驚いてすぐに逃げてきちまったから・・・、あ、そういやすぐに洞窟の中に戻ってたな。」
すぐに洞窟の中に戻った・・・?
逃げる獲物を追跡しなかったということだろうか?だとしたら、それは何故だ?空腹ではなかった?あるいは威嚇だけに留める必要があった?それとも、何か・・・、そう、追跡するには不適当な条件があったのか?
よく判らないが、憶測だけで決断を下せる段階でも無さそうだ。
「それじゃ、俺は狩人仲間を当たってみる。」
「ええ。頼んだわ。ただし、無理はしすぎないようにね。」
エリオが部屋を出た後、ため息をついて椅子に座り込む。来るべき時が来た。世界は今頃、混沌の時とやらを迎えているのだろうか。
辺境のこの村では試練一つでこのザマなのだ。その状況は想像も出来ない。
『どんなに辛くても、明日は来るし私たちは生きている。世界は回るし太陽は西から昇ったりしない。生きている以上は死なない努力をしていかなければならない。』
古い友人の言葉だったが、しかし今の私の状況にはあっているのかもしれない。
さて。精々、自分と村の者たちが生きていけるように努力をしていこう。
☆アーボの月、1番目のヨグの曜日
先日から監視している件のモンスターは、今日はトンネルを掘るのは止めたらしい。もしかして塒か、それとも産卵の場所を求めていたのかと思ったが、違ったのだろうか。
穴は既に山を貫通しているそうなので既に充分な場所が確保出来ている可能性も捨てきれないが。
因みに、奇妙なことは他にもある。件のモンスターは毎朝決まった時間に洞窟から出てきて奇妙な踊りをしているらしい。
内容は毎回同じらしいが、触手を左右両側から振り廻すことにどういう意義があるのかは判らない。もしかしたらその種のモンスター特有の宗教にも似た何かなのだろうか。
それは特に珍しいものではなくコボルトやゴブリンといったモンスターにも同様に見受けられる特徴らしいが。
モンスターの信仰対象というのも興味を引く話題ではあるが、今はそんなことを考えている暇は無い。午前中、行商人が来たため採掘出来ていた魔法石を売却。それとなく情報交換をしつつ、精霊石をあるだけ購入する。
精霊石は文字通り精霊が多く宿る鉱石で、精霊術の使い手が9割以上を占める我が村では生活必需品の一部である。普段なら貯蓄の分と、次回までの繋ぎの分しか購入しないが、今はそうも言っていられない。
幸い、魔法石に良い値段がついたので貨幣は出さずに済んだ。やはり隠れ里とはいえ何かあったときにモノを言うのは金銭だから、使わなくて済むならそれに越したことは無いだろう。
私たちは人間とは違うとはいえ、最終的にそれの社会に頼る必要が出てきた場合、金銭の力は大きい。
商人は私の買い物に少し驚いたような顔をしていたが、同胞からの連絡で近々なにかしらの異変がある可能性を示唆されたことを伝えると納得していた。
私たちの同胞はその生まれつきの資質の高さから様々な理由で世界中に居たりする。定住出来るような里はここ以外には無いが、だからこそ村を大切に思ってくれているのだろう。
尤も、異変を知らせてくれていたのは村の中にいるマーサだし、精霊石が必要なのは主に近隣に住み着いたモンスターのせいなので、商人に言った内容はほぼ嘘なのだが。
とはいえ、真相を知れば彼は金輪際この村には近付かないだろうし、そうなってくると物資が足りなくなってくるかもしれない。
彼等の危険と村の全滅の可能性を天秤にかけ、私は後者を取った。そのことに後悔は無い。それでも、今も笑顔で私に挨拶をしている人間の青年がもしモンスターに襲われたらと思うと、ぞっとしない。
まるっきり偽善なのだが、数世紀も生きていてまだ自分の役割に徹しきれていない成長の無さには少々自分でも驚かされる。勿論、悪い意味で。
一応、去り際に用心棒を雇うことを薦めたが、どれほど本気で取ってもらえたことやら。
商人が村を去った後、若衆に指示して精霊石を倉庫に運び込み、家に戻る。
書斎で図鑑を開きつつ狩人たちからもたらされたモンスターの形状や生態から正体を特定しようとするが中々見つからない。そもそもローパー種の項目は全て調べたが、それらしきモノは載っていない。
首を傾げながら娘が淹れてくれた紅茶に口をつけていると、正面のドアがズバンッ!と音を発てて開いた。
「――――――――――村長!大変だ!・・・ってどうしたんだい?」
一週間前と同じくエリオが部屋に飛び込んできたが、紅茶が気管に入って噎せている私は答えることが出来ない。
というか本当に苦しい。そしてエリオは何故毎回慌てて入ってくるのか。
数分して息をようやく整えると、椅子に深く座り込む。紅茶を勧めたが、エリオは私に心配そうな表情を向けるだけで辞退した。余計なお世話だと言いたいが、そういう雰囲気でもないか。
おほん、と空咳をしてから改めて視線を向けるとエリオは再び深刻そうな顔をして口を開いた。
「例の奴を今朝から見晴らせてたシアラが怪我をしてな・・・。」
その言葉を聞いた瞬間、サッと自分の顔から血の気が失せていくのが判った。例の奴と言えば当然洞窟に住み着いたローパー種のことだ。
それに、シアラのこともよく知っている。下の娘と同世代の村の少女でとても仲が良かったはずだ。
見張っていたシアラが襲われたということは・・・。しかも、彼女は来月結婚する予定だったはずだ。自分の決定したことながら、痛ましい結果に目を覆いたくなってくる。
私たちは神に祈らないが、しかし運命を司る存在がいるというのなら、何故我らにこうまで辛く当たるのだろうか。
「・・・それで、シアラの容態はどうなの?」
最悪、モンスターに殺されたか、捕まって今も慰みものにされているのか。前者ならまだ救いがあるが・・・、もし後者なら、一刻も早く彼女を助けなければならない。私の娘と同世代の彼女が生きていることに苦痛を感じる姿は、どうにも許容出来ないのだ。
だが、もしそれで余計な被害が増えることになったりしたら・・・。
「いや、腰が抜けたのと、後は木から落ちたときの打撲くらいか。例の奴が、魔術を使った後でいきなり叫んだらしくってな。驚いたそうだ。」
「捕まったわけじゃ、ないの?」
「そんな大事だったら、今頃村の衆を集めて助けに行ってるさ。」
私のきょとんとした問いに、エリオは苦笑しながら答えた。
それもそうか。どうにも例のモンスター絡みでは神経質になっているらしい。楽天的に構えるのも拙いが、皆を纏める者が常時余裕が無くては不安にさせるだけだ。
よくよく自省すべきだな。
「・・・ってちょっと待って。魔術を使ったの?例の奴が?」
「ああ。岩を溶かすくらい強力な炎の魔術だったらしい。珍しいと言うべきか、何と言うべきかは判らんがね。」
この世界に現在も存在する奇跡の内の一つ、魔術を使用出来るモンスターもいないわけではない。むしろ、魔族と分類されるものは高確率で使用出来るし、中には他の奇跡である法術や精霊術を使いこなす個体も存在するらしい。
らしい、というのは、大抵そういうモンスターは強大な力を持っており、出会うことは死とイコールで繋がっているから、あくまで風説でしか知りようがないのだ。生息地自体が前人未到の魔境の類に位置することもそれを後押ししているのかもしれない。
つまり、例のモンスターはそういった類の一匹である可能性が出てきたわけだ。
「体制は指示した通りにしてくれていたのよね?」
「ああ。2人体制で一人が『気配隠し』、もう一人が『隠蔽』を使って監視に徹底させてたよ。シアラは『隠蔽』の方だ。相棒は例の奴が洞窟に戻ってからシアラを回収してきたらしいが・・・。」
シアラ一人だったから脅威をそれほど感じず、相手にもされなかったかもしれないので、その選択は正しいだろう。下手に脅威度が高いと思われたら、襲われていたところだ。
尤も、それは結果論でしかないし、そのままシアラが襲われていた可能性だって同率かそれ以上にあったのだが。
「しかし、何故奴は監視に気付いたんだ・・・?」
「魔術には『感知』や『解析』みたいなものもあるわ。どんな切欠でそれに気付いたかは判らないけど・・・、相当用心深くて魔術が得意みたいね。」
あるいは索敵魔術すら使用せず、攻撃魔術を見て監視が起こした僅かなリアクション――――息を呑む、身体を硬直させる、といったことでほんの僅か、普通なら見過ごしてしまうほどの変化――――を確認していたのだとしたら・・・。
それは、もう確実に私たちの手に負える相手ではないだろう。
ただの魔術を使うだけなら、正面から戦わなければ怖くない。たしかに強い。強いが、所詮モンスターの知能は一部の例外を除いて動物並みしかない。奇襲や罠、毒を使用すれば倒せるかもしれない。こちら側の犠牲を恐れなければ。だが、相手がその例外だとしたら・・・。
「ともかく、監視は一端引き上げさせて。警戒されている以上、現在の態勢では続行は不可能よ。」
「確かに、最初っから居ると疑われてたんじゃ、難しいことこの上ないわな・・・。」
「ええ。だから森の中にも感知結界を張って、ある程度の接近には気付けるようにしておいた方がいいかもしれないわね。それだけじゃ、結界をなんらかの方法で無効化される心配もあるから気休め程度かもしれないけど、村と洞窟の間を三人体制で哨戒してもらえるかしら。」
「了解だ。早速、魔術を使える奴を当たってみるよ。」
エリオは言い、ドアを開けて出て行った。私はすっかりぬるくなった紅茶を飲むと、ため息をつく。
外部から冒険者か、退治屋を招聘するべきか・・・?
脳裏に考えが一瞬よぎるが、すぐにそれを否定する。
この村はあくまで最小限の人間にしか知られてはならないのだ。なにせ、他でもない人間から隠れるために作られた村なのだから。
とはいえ、半分は自分たちと同じ血を持つ種族だ。判りあえないことはないかもしれないが・・・。私の一存で決めてしまうわけにはいかない。
それに、私とて人間の多くを知っているわけではない。偶々幸運が続いて人格的に問題の無い者たちを知り合えてはいたが・・・。
村の何割かの同胞のように、好事家に買われそうになっていた過去を持つものからすれば、人間とは化物の代名詞でもあるのだろう。そういった人間たちは、私たちのもう半分の血が伝えている容貌にひどく執心しているようだから。
そして、運よく招くことが出来たとしても、その人間たちが私たちの村を知った上で放っておいてくれるとも限らない。窓口を別に設けることが出来たとしても、この村の存在を知られたら同じことだ。
結局、その日は夕暮れまでうんうんと考え込んでいたが、最後まで答えは出なかった。
☆アーボの月、1番目のカンの曜日
正直、自分の目が今も信じられない。
私は今、村の中心にある大通りに来ているのだが、そこから例の洞窟のある方向を見ると、山の中腹から奇妙な、しかも驚くほど巨大な樹木が生えているのが判る。
私の周囲では驚いて樹を指差すもの、慌てて家に弓矢をとりに帰るものと落ち着きの無い様相を呈しているが、実際のところそれは私も同じだ。呆然と立ち尽くしている状態で、次に何をするべきなのか、とりあえず皆と同じように大きな声を上げて驚けばいいのか、それとも避難の指示をするべきなのか。それすらも判らずに立ち尽くしている。
驚くにしても、既に驚いて大声を上げている者の近くで馬鹿みたいに同じように声を出すことは躊躇われたし、避難するにしても、あれが危険かどうかはまだ判らなかったからだ。
いや、あの樹が明らかに普通ではないことは簡単に判るのだが。
直感だが、例の忌々しいモンスターがやったのだろうと考えながら、これからどうするべきか考える。当然、調査が必要だ。あの樹が危険なものかそうでないか。そうだったとしたら、速やかに排除しなければならない。
無論、例の奴と同じように。場所から考えても当然無関係とは思えない。自分でやったのか、それとも仲間を呼んでやらせたのか。
どちらにせよ、縄張りを広げ始めたということか。
とはいえ、下手に刺激すれば一気にこの村に攻め込んでくることも考えられる。もし、あのモンスターが上級魔族だったりした日には、この村の全滅は免れないだろう。
それに、避難するにしても何処に?住み着いた洞窟以外にも壕は設けているが、未だに村全体がそこに移って生活が出来るほどではない。
頭の中で答えの出てこない問答をしていると、何かの音が聞こえた。徐々に近付いてくるその音は、すぐにその正体を現した。
それは西の空から、青い光を纏って現れた。おそらく、『移動』の魔術だ。以前見たことがあったから、かろうじて判る。ということは、あの光は人間か亜人、それとも魔族か。もしかしてあの樹を目印として仲間を呼ぶ気だったのかと考えたが、しかし青い光は巨大な樹木を通り過ぎ、私たちの頭上を通って海の方向に飛んでいった。
・・・たまたまここを通っただけだったのか?なんて人騒がせな。
胸をなでおろすが、しかしそれで終わりではなかった。『移動』の衝撃波によって巨大な樹木が大きく揺れたかと思うと、そこから青い光が生まれ、流れ星のようにここからでは見えない方向に向かって飛び去ったのだ!
視界で起こった異常事態を分析したいが、しかし慌ただしいこの場ではそれも難しい。
・・・とりあえず、家に戻らなくては。
ほとんど空白のままの思考でその答えを出すと、エリオを見つけたので事態の沈静化と後で家に来てもらえるよう伝えてよろよろと移動する。エリオは二つ返事で了承してくれていた。
その姿はとても男らしく、格好が良かったので私が人妻じゃなければ惚れていたかもしれない。
そう伝えると、微妙な顔をされていたが。250過ぎのオバさんの冗談くらい、笑ってくれてもいいような気もするけど。
・・・どうにか家に戻ると、書斎に戻り、椅子に座ってからようやく息をつく。
置かれたままになっていた水差しからグラスに中身を注ぐと、イッキにそれをあおる。そろそろ、胃薬が必要になってくるかもしれないな、と誰にともなく言った。
ここのところ、ストレスを感じることが凄まじい勢いで増えている。今のところ、種族としての特性のお陰で私の見た目は人間でいうところの30代前半くらいだが、このペースでいくとそう遠くないうちに一気に老け込みそうだ。私とて女ではあるので、それに対する忌避感はあるが、さりとて現状がどうにもならないのだから受け入れるしかないのだろうか。
村の問題と自分の問題を同列に考えるのもどうかと思うが。
ともかく、外の樹木のことに思考を移す。いや、今のところ樹木は黙殺しよう。それよりも重要なものがあるのだから。
外で見た二つ目の『移動』の魔術。あれは、魔術の光の起こった場所からしてあの樹木の上で唱えられたものだ。
そして、その樹木の近くには例の魔術を使用できる魔族が住み着いている。さすがに樹木の発生と『移動』の魔術はそれとは無関係だと根拠なく考えるほど、私はおめでたくない。
十中八九、なんらかの形で関与しているだろう。もしかしなくても主犯という形で。
しかし、それは更なる異常事態を告げるものでもある。『樹木の成長』なんてものは魔術の領域には無い。あそこまで巨大な樹木を作り出すすべは法術の中にしか無いのだ。
神や他の何かに祈りを奉げることで、その力を奇跡という形で借り受ける法術。本来なら、高位の神官や一部の部族だけが使用できるものだが・・・。
そういえば、例の魔族は毎朝決まった時刻に奇妙な踊りをしているという報告を受けていたことを思い出す。
・・・迂闊だった。想像できる材料は揃っていたというのに。手を瞼の上に当てて、天井を仰ぐ。きしりという音をたてて椅子が軋んだ。
だが、今はチャンスかもしれない。奴が『移動』で何処かに行っている今なら、棲家は誰もいないだろう。たしか、『移動』はかなり精神力を使用する魔術だったはずだから、戻ってくるにしても相応の時間が必要になってくるだろう。正直、戻ってきてほしくはないが。
今日・・・は流石に無理だから、明日一番に捜索隊を出そう。メンバーは・・・、エリオと後で相談しよう・・・。
☆アーボの月、2番目のウルの曜日
結果から言うと、捜索隊は失敗に終わった。順調に洞窟にたどり着き捜索を始めようとした瞬間、魔族が戻ってきたらしい。
もしかしたら、私たちを誘い込む罠だったかもしれないことを考えると、全員が無傷で帰ってこれたことは僥倖だったと言える。
捜索隊のメンバーはリーダーのエリオ、私の娘のアリア、村の若者のクルドとべリスだったが、念のために持っていった精霊石すら使用しなかったのには少し驚いた。
報告によると、魔族はその洞窟を自分の根城にしているらしい。外から見た洞窟はそのままだったが、その近くに小屋を作り、柵で仕切った場所にはモーレイス(羊もどき)を飼っていたんだとか。
こちらが神経をすり減らしているというのに、その悠々自適さはなんなんだろう。アリアから話を聞いているときはふつふつと怒りが湧いてきたものだが。
ともかく、これで魔族が家畜を飼う程度には知能があることが証明された。それは、本能だけで生きるモンスターには到底不可能な芸当だ。
そして、エリオとアリアが洞窟の中を調べていると、何を考えているのか周囲の制止を無視したクルドがモーレイスを確保しようとしたんだとか。
正直それを聞いた瞬間、すぐさまクルドの家まで走って行って思いっきり彼を殴り倒したい衝動にかられたが、どうにか落ち着けた。クルドは年齢よりは若い、というか幼い精神の持ち主なので、多少気性が荒い部分があるが肉は美味く、皮や毛は衣類になり、乳も搾れる家畜としては最適なモーレイスを欲しがったのだろう。それを奪ったら魔族がこの村にどんな報復をしようとするか、全く考えもせずに。
そのことに関してはエリオがかなり叱責したらしいのでそれ以上私が言うことは無い。ともかく、それに気付いたべリスが制止を呼びかけるが、クルドは聞きもしない。声に気付いたアリアとエリオが表に出てきたが、後のまつりである。
当然ながら話はそれで終わりではない。間の悪いことに、クルドがモーレイスを袋に入れようとした瞬間、魔族が戻って着たのだ。魔族は威嚇をしながら戦闘態勢で接近してきたというので、4人はすぐさま逃げ帰ってきた。
事前に4人ともに相手の危険さをよくよく教え込んでいたお陰で、交戦しようなどという馬鹿を考える者も居なかったようだ。クルドもさすがに一人では敵う相手だとは思わなかったのか、撤退には拒否しなかったらしい。
モーレイスも置いてきたそうなので、報復を受けるかどうかは微妙なところだが・・・、塒の近くにいたことを見られているから、正直状況はよろしくないとしか言いようが無い。五分五分・・・いや、四分六分で襲ってくると考えておいたほうがいいだろう。
しばらくは監視よりも村の防備を充実させた方がいい。仮に襲ってこなければいいが、もし襲ってきたのに防備が出来ていなかったらどれだけの死傷者が出ることか。
そういえば、出稼ぎに出ている村の衆からそろそろ仕送りが来る頃だ。出来る限り、有用に使わせてもらうことにしよう。
さて。仕事がまた増えそうだし、頑張ろう。
☆アーボの月、三番目のヨグの曜日
私は暗澹たる思いで机に置かれた水晶球を見ていた。占い師などが持っていればサマになりそうな拳大のそれは、勿論ただの装飾品ではない。
”水鏡の水晶球”と呼ばれる魔術の一種、『付加魔術』がほどこされた一品だ。
村の倉庫の片隅で埃を被っていた遺物が何故こんな場所にあるのかというと、その効果に関係がある。
この水晶球は付属された小指の先ほどの水晶球と連動しており、そちらに映った映像がこちらの水晶球に映されるという仕掛けなのだ。初めてその存在を知ったときは正直、こんなものが何の役に立つのか、と思ったが実際今役に立っているので人生とはよく判らないものだ。
役に立つ場面が来なければよかったのに、とも思うが。
今、小水晶を身につけているのは2人。アリアとクルドだ。そして映された二つの視界の先、両方に醜悪な姿をした毛玉のようなモンスターの姿が見える。
一見、そいつは追い詰められたかのように見える。だが、私にはそれで終わるような簡単な相手だとは思えない。ブラフだと言われれば、すぐに納得してしまいそうだ。
さて。そもそも何故こんなことになっているのかを説明すると、昨日、村の若衆が抗議に来たのだ。彼等の主張は単純明快。例のモンスターを討伐する許可を出してほしい、というものだった。無駄な血を流すことはないと私は説得を試みたが、しかし若衆、その中心人物となっていたクルドは聞き入れない。
とにかくモンスターを倒せばすべてが好転するとオウムのように繰り返すだけ。精霊術を付与した矢なら通じるはずだ、と。
絶望感から段々と目の前が暗くなってきた私を救ってくれたのは、意外にもアリアだった。彼女が若衆を取りまとめ、その指示に従えるのなら許可を出すと言ったのだ。
命がけであることは変わらないし、我が子までがそんな正気の沙汰とは思えない作戦に参加するなんてとんでもない!と叫びたかったが、衆人環視の中でそれを言うわけにはいかない。私は少なくともそのときは、公人として振舞わなければならなかったのだ。
でなければ、私の言うことの説得力など皆無になってしまうだろうし、そうなれば余計な混乱を招き、助けられる相手も助けられなくなってしまう。
だから、私からも条件をつけた。決して相手に有利な洞窟には入らず、罠を張って待ち構えること。そして、水晶球で私も現場が判るようにした上で、アリアの指示に従うことだ。
クルドは不満そうだったが、了承しなければ絶対に許可は出さないことを名言すると、渋々と頷いた。
他の若衆も私が必死に説得していたことで多少は危機感を持ったことも応じた理由の一つだろう。これ以上食い下がれば、仲間が降りてしまうだろうし。
そうしてアリアも加え都合10人になった若衆は、準備を整えた後出発した。
それから一睡も出来ずにずっと水晶を見守っているが、さっき罠を張っていた巨大樹のところにモンスターが来たらしい。
退路を塞ぎ、徐々に縮まっていく包囲の輪。全員が風の精霊の加護を受けた矢を使用しているから、ただの矢とは比べ物にならないほどの威力がある上、万が一外れても狙った相手以外には当たらない。それがかなりの至近距離から10本も放たれるのだ。普通なら死ぬだろう。
―――――――そう、普通なら。
若衆に囲まれた状態でモンスターの身体が一瞬だけ輝く。魔術か?と思ったが、しかしその光はすぐに消えた。後には何も変わっていないモンスターだけが残っている。魔術に失敗したのだろうか?
モンスターはただ、矢を放ってくるのを待っているだけだ。まるで、それが効かないことが判っているかのように。
「――――――総員、構えッ!」
アリアが号令をかけ、それぞれの弓にこめられた力が跳ね上がる。おそらくは、これほど精霊矢が放たれればドワーフが作った全身板金鎧でも跡形も無くなるだろう。
鎧よりは柔らかいモンスターの身体なら、さらに比べるまでもない。
なのに何もせず、ただ獲物を見定めたようにアリアの方をじっと向いているのは、酷く気持ちが悪い。
「――――――放てッ!」
アリアの言葉と同時にすべての矢が放たれ、精霊の光を纏いながらモンスターに近付いていく。
それに対し、モンスターは微動だにしない。まるで矢を何の問題とも思ってないかのように、正面から受け止めるつもりだろうか。
精霊術は直接的な攻撃力こそ魔術に一歩譲るが、けっして侮れるものではない。むしろ、大の大人でも使い方を間違えればすぐに自分の命をおとしてしまうような、危険な代物なのだ。
あまりにも杜撰すぎるその態度に、ようやく私は相手の罠を疑った。そして、それは正しかった。
「――――――え?」
「馬、馬鹿な・・・!矢が効かないだとッ!」
矢がモンスターの身体の表面に触れた瞬間精霊の光を失い、そして勢いはそのままに方向だけを逸らされてばらばらと地面に落とされたのだ。
それを見ていた私の顔は真っ青になっていた。
『解呪』!付加魔術や精霊付与の天敵の高等法術!
名前通り物に付与された魔術や精霊術を破壊する法術だ。・・・これで間違い無くなった。あの巨大な樹木を作ったのはこのモンスターだ。
2系統の奇跡を扱えるモンスター。それは、言葉で言えるほど簡単な相手ではない。むしろ、こんな田舎の若者が相手に出来るモンスターではないと言うべきだろう。
「―――――――クソッ!総員、退避ッッ!」
アリアの声が響くと、若衆は我先にそれぞれの背後に向かって走っていく。矢と同じく風の精霊の加護があるから、追いつかれて再び『解呪』をされない限り捕まることは無いだろう。
ただ、去り際にモンスターの身体が震えているのが気になった。
あれほど見事に若衆をあしらっておきながら、何を恐れているのか。最初はそう考えていたが、すぐに違うことに気付く。
あのモンスターは嗤っていたのだ。自分を殺しに来ておきながら、傷一つも負わせることが出来ず、惨めに敗走するしかない私たちを。
心の底から侮蔑し、嘲笑していたのだろう。
私たちはこれからどうすればいいというのだろうか。私の問いに、答えてくれる者はいない。