夕焼け〜それから〜
秋の夜風が私たちに優しく吹きつける。
「うぅ…。寒い…」
「はは。我慢だよ、宵咲」
「そんなこと言ったって寒い…。夕威は温かそうでいいなぁ」
少し恨めしそうに夕威を見上げる。夕威は「そう?」と、首を傾げた。
あの後、幾度かの逢瀬を経て、私たちは付き合うようになった。まるで不思議な運命に引き寄せられたかのように出逢い――自分は現実的な人間だと思ってたのに――、今はこうして当然のように隣にはお互いがいる。
私は夕威と出逢って、欠けていた何かが埋められたような気がして仕方ない。でも、それは私だけではないかと思う。
――だって、夕威は何も言わないから。
出逢えて良かったとも、満たされているような気がするとも、幸せだとも言わないから…。
私だけが舞い上がっているのだろうか。
あの日……、確かに夕焼けを見つめながら、互いの抱く孤独は同じだと、感じることが出来たのに。
今は夕威の気持ちがまるで分からない。
こんな私の気持ち、夕威は気づいているのだろうか。
「……」
横を歩く夕威の顔を見つめる。だが、その表情からは何の感情も読み取れない。感情を隠すのが上手い人だから。
「宵咲、僕の顔に何かついてる?」
「え?」
「さっきから見ているだろう?」
気づかれていたとは…。でも、それも当然か。気づかれてもおかしくないほどじっと夕威を見ていたのだから。
「…何も!」
私は短く答えた。そして少し早歩きをして夕威より前を歩く。
今表情を見られたら、すべてを見透かされそうで怖かった。
「……」
夕威は何の反応も示さなかった。けれど、何か言いたいことがあるのだということは伝わってきた。
「夕威、何か言いたいことあるんでしょう?」
自分から話を振ることにした。何か悲しいことを言われたとしても、自分から聞いておいた方が悲しみは少ない。
「……宵咲は、もう僕とはいたくないの?」
「え……?」
夕威の言葉の意味が理解できなかった。けれど、だんだんと体の中を夕威の言葉が駆け巡るのを感じると、血の気が引いていく心地がした。
「どうして…? 夕威はもう、私とはいたくないの?」
「違うよ。でも、君は最近おかしいじゃないか。僕といたって全然楽しそうじゃないし……」
夕威の言葉は冷たくなり始めた秋風と共に吹きつけてきた。逃げ出したくなるほどの冷たさで。
「…違、う…」
そんな風に思われていたなんて。
心が張り裂けてしまいそうだった。涙が、少しずつ視界をぼやけさせていく。
「……違う、よぉ…。だって、夕威の気持ちが分からないんだもん…! だから、悲しくて、怖くて、だから、だから……」
立っていることすら出来なくなって、顔を覆いながらしゃがみこんだ。涙が次から次へと溢れてくる。
何て自分は愚かだったのだろう。自分の気持ちでいっぱいいっぱいになって、相手の心を顧みないなんて…。けれどもそれも今更のような気がして仕方なかった。
多分、夕威も呆れ返っているだろう。今に彼の去る足音が響き始めるだろう。
私は恐怖と共にその足音がするのを待った。
しかしいくら待っても遠ざかる夕威の足音が聞こえない。私はおそるおそる顔を上げてみた。
「っ!」
顔を上げると、夕威の顔が目の前にあった。
「宵咲…、僕は君を不安にさせていたの?」
夕威の表情は見ている方が切なくなるほど悲しそうだった。
「違う…! 私が悪いの。自分の気持ちだけしか見ないで、夕威の気持ちを考えもしなかったんだから」
「でも、不安にさせていたんだろう?」
不安でなかったといえば、それはまったくの嘘だ。でも……。
「いいの。私が悪いの。夕威はちゃんと想ってくれていたのに……。ねぇ、夕威」
「何だい?」
「もう疑わないから、だから今だけ愛してるって言って」
そう言うのは、夕威に名前を尋ねた時以上の勇気が必要だった。
すると夕威は切なそうに首を振った。
「疑ってもいいよ。その度に教えてあげるから。だから言わない。それに言葉なんてきっと意味がないよ。宵咲だって分かっているだろう」
「…そうね」
確かにそうだ。言葉なんて意味がない。
きっと信じられるのは夕威という存在だけ。
「うん。……ありがとう、夕威」
まっすぐに夕威を見つめると、彼はこれ以上ないほどの微笑を浮かべた。
私の目から再び涙が溢れた。けれど今度の涙は悲しい涙じゃない。
安心したのだ。夕威が隣にいてくれるということに。それだけに。
きっともう、孤独に泣くことはない。独りじゃないから。 二人一緒にいるから。きっと…きっと。
――――夕焼けも、悲しくないよ。