第三話:『ゲームが始まる』
私は、王立学院へ入学するその朝、鏡の前で自らの姿を見つめながら、心の中でひとつ誓いを立てました。
「わたくしは、勝たねばなりません」
それは誰かを打ち倒すという意味ではなく。
王子妃として、誇り高き公爵家の娘として、わたくし自身が“ふさわしい”と認められるための、覚悟の言葉でした。
学院は、王国貴族の子弟が集う学び舎。
けれど、表向きは“才能ある者に門戸を開く”という建前のもと、ごくまれに“平民”も在籍するのです。
貴族たちはそれを「慈善」と呼びます。
そして本心では――誰も彼らを歓迎などしていません。
当然のこと。
貴族とは、格式を重んじ、血筋を誇りとする存在。
身分とは、生まれの重みと、数百年に渡る系譜の証なのです。
だから、わたくしも初めは気に留めておりませんでした。
“ある平民の少女が、特例入学するらしい”という噂も。
学園の廊下で聞こえてきた、「その子は精霊術の才があるらしい」などという話も。
“どうせ、すぐに消える星でしょう”と、どこかで見下していたのかもしれません。
ですが、それは。
わたくしが初めて、彼女と顔を合わせた瞬間に、崩れ去りました。
彼女の名前は、フィリア・エストレア。
わたくしたちのクラスに編入された、平民の娘でした。
けれど、その佇まいは、驚くほど――“明るかった”。
何も持たない者の素朴さではありません。
自身の力に対する純粋な誇り。
周囲に恐れず微笑みかける、まっすぐな意志。
そして何より――わたくしとはまったく違う、“自然な光”。
貴族たちは最初こそ嘲笑しました。
「身分を弁えぬ平民が、何を勘違いしているのか」と。
けれど、それも三日と保ちませんでした。
彼女は、成績が良かったのです。
座学では常に上位。
魔力制御の講義でも、複雑な詠唱を正確に唱え。
しかも、それを“嫌味なく”こなす。
そして、失敗した子には、自然と手を差し伸べる。
「わたくしに、できたのですから。きっとあなたもできます」
そう言って、純粋に微笑むその姿に。
貴族の娘たちは心を揺さぶられ。
貴族の息子たちは、目を奪われてゆく。
――わたくしは、見ていました。
誰よりも。
教室の隅で、フィリアの言葉に笑う男子生徒たちの顔を。
談話室で、さりげなく彼女に手を貸す上級生の姿を。
そして。
……あの方が、彼女を見ていたことも。
王太子、レオン・アーデルハイト殿下。
彼はいつも公平でした。
誰かを過剰に贔屓するようなことはなく、冷静な観察者として、常に一歩引いて世界を見ているような方。
けれど、わたくしには分かりました。
彼の目が、“変わった”のです。
フィリアを前にした時だけ、ほんの少しだけ、表情が緩む。
視線が、柔らかくなる。
言葉が、選ばれている。
ああ、と思いました。
この人は、あの子を見ているのだ、と。
あの子のような“光”に、心を許しているのだ、と。
わたくしは、知っていました。
“王子妃”の座は、血筋と才覚と品格によって選ばれるもの。
わたくしが選ばれるのは、必然。
誰もが、そう口を揃えておりました。
けれど、あの方の眼差しだけが――
“わたくし”を、通り過ぎる。
まるで、見えないもののように。
「お美しいですね、ルーティア様」
「さすがに、成績も完璧でいらっしゃる」
「これで“あの平民”さえいなければ……」
そんな取り巻きたちの言葉が、むしろ耳に障りました。
わたくしは、ただ“完璧”でいることしかできない。
努力の果てに築いたすべては、たったひとつの“光”によって、掻き消されていく。
誰もが彼女を称え、誰もが微笑みを向ける。
わたくしは――
(何も……されていないのに)
(ただ、そこにいるだけのあの子に……)
……初めて、“嫉妬”という感情を知りました。
それは、酷く――冷たく、鋭いものでした。
笑顔を保つのが、苦しかった。
誰かの目を見て話すたび、喉の奥が凍えるように痛んだ。
けれど、わたくしは“令嬢”であらねばなりません。
涙を流すことも、怒りを見せることも、叶わない。
ただ、静かに、嫉妬を――飲み込むだけ。
けれど、わたくしは誓っていたのです。
この学院で、“王子妃にふさわしい女”として、誰にも疑われぬ立場を築くと。
たとえ、あの子が光でも。
わたくしは、影の中からでも――
王子殿下の傍に、立ち続けてみせるのです。
……そう信じておりました。
あの時までは。




