表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/12

第十一話:『この命は、置いていきます』

蹄の音が、大地を揺らしていました。


森の空気が震え、木々の葉がざわめき、霧が引き裂かれる。


わたくしは、その中心で剣を構えておりました。


手の中にあるのは、幼少から父に叩き込まれた「ヴァレンシュタイン流」の細身の騎士剣。


その剣が、今は、少女一人の命を守るために振るわれている。


 


「怖くありません、大丈夫。目を閉じて」


 


震える少女の背中を、そっと押しました。


あの子は、わたくしを見上げて、目に涙を浮かべながら頷いた。


その姿が、あまりに幼い頃のわたくしに似ていて――

守りたい、と、心から思ったのです。


 


魔猪が咆哮する。


それは人の理を捨てた咆哮。

瘴気に染まり、もはや生き物とは呼べぬ、破滅の音。


わたくしは剣を突き立て、真正面からその巨体を受け止めました。


 


衝撃。


腕が痺れ、肺が潰れそうになる。


それでも、足は止めなかった。


誰も来てくれなくても構わない。


誰も見ていなくても構わない。


たった一人の命を、わたくしは守りたかったのです。


 


そして――


咄嗟の瞬間でした。


魔猪の三本角が横薙ぎに振るわれ、それが少女の背に迫ったのを見て、


わたくしは、身を投げ出しました。


 


「逃げて!」


 


その声が届いたのかどうか。


分かりません。


ただ、確かにその一撃を、わたくしは受け止めたのです。


肉が裂け、骨が軋み、呼吸が止まる。


 


それでも、腕を伸ばし。


少女の背を、押し出しました。


 


走れ、と。


生きて、と。


わたくしの命では届かなかった未来を、どうかその足で踏みしめてほしいと。


 


視界が霞み、世界が遠のいていく。


倒れたわたくしのそばに、剣が落ちる音がした。


濡れた土の匂い。


夜の空気。


木々の葉のざわめき。


そして、あの子の小さな足音が、森の奥へと遠ざかっていく音。


 


(よかった……)


(誰にも届かない人生でも……)


(最期くらい……誰かのために……)


 


それは、孤独ではありませんでした。


苦しみでも、悲しみでもなく――


ただ、静かな、ひとつの「選択」だったのです。


 


手の中には、小さなブローチが握られていました。


銀でできた、小さな、ラネイアの花の形をした飾り。


あの春の日、殿下と出会った庭園に咲いていた花。


いつか贈ろうと思って、けれど渡せなかった、たった一度の想いの形。


 


わたくしは、それを胸に当てて、微笑みました。


 


――ありがとう、殿下。


 


世界が、闇へと溶けていきます。


 


誰かの記憶から、ゆっくりと消えていくように。


 


けれど、それで良いのです。


わたくしの物語は、ここで終わり。


誰にも語られない、“悪役令嬢”の、幕引き。


 


この命は、置いていきます。


あなたの未来の、邪魔にならぬように。


 


だから、どうか。


あなたは――


 


 


――幸せに、なってくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ