月読みの巫女~追放されたので、女神様と女子会しながら隣国で冒険者ライフを楽しむことにします~
思いついたことを思いついたまま書き殴りました。
私が女神だったら気に入った子とは女子会がしたいなーって思ったので。
何番煎じかはわかりませんが、楽しんでいただければ嬉しいです。
リュンヌ王国の王都にある、白亜の「月読みの神殿」。
年に一度、月の女神からの信託を民衆に伝える『月読みの儀式』の日、広場を埋め尽くした群衆の視線は、祭壇の上に立つ一人の少女に注がれていた。
今代の「月読みの巫女」、アリアだ。
腰まである焦茶色のストレートヘアに、少し吊り上がった赤茶色の瞳。本来ならどこにでもいる「近所のお姉さん」風の容姿だが、儀式の最中だけは違う。彼女の瞳は月の加護を受け、神秘的なシルバーゴールドに輝いていた。
(……あー、腰が痛い。このポーズ、もう三時間も続けてるんだけど。女神様、今日のお茶会、新作のスコーン用意してくれてるって言ってたよね。早く終わらせて合流したいなぁ)
アリアが内心でそんな世俗的なことを考えているとは露知らず、民衆は固唾を呑んで見守っている。
しかし、神聖な静寂を切り裂いたのは、女神の託宣ではなく、一人の男の鋭い声だった。
「――そこまでだ、アリア! 偽りの巫女め!」
祭壇の階段を、カツカツと音を立てて登ってくる人影がある。
リュンヌ王国の第一王子にして王太子、ギルバートだ。
輝くシルバーの髪に金色の瞳。彫刻のように整った顔立ちは、まさに「月の女神に愛された王家」を体現しているが、その表情は傲慢な怒りに満ちていた。
彼の隣には、オレンジがかった金髪を揺らし、涙目で彼に寄り添う公爵令嬢、アンネローゼの姿もある。
アリアは瞳の輝きをスッと消し、無表情で彼らを見やった。
「……王太子殿下? 今は儀式の最中ですが」
「黙れ! 貴様のような心の汚れた女に、信託を受ける資格などない! 先日、アンネローゼのお茶に毒を盛っただろう! 私と彼女の仲に嫉妬し害そうとするとは……言語道断!」
ギルバートが叫ぶと、広場がザワついた。
「毒殺未遂?」「あの巫女様が?」と不穏な囁きが広がる。
(ああ、やっぱりそこ突っついてくるんだ。あのお茶会、絶対罠だと思ったのよね……)
数日前、アンネローゼに招かれたお茶会。アリアが席を外した隙に、彼女は勝手に苦しみ出し、「アリア様が私のお茶に何かを……っ!」と芝居を打ったのだ。あまりにベタな展開に、アリアは呆れて反論する気すら起きなかった。
「アリア様……信じていたのに、悲しいですわ。あなたが殿下を愛するあまり、私を疎ましく思う気持ちは分かります。けれど……」
アンネローゼがハンカチで目元を拭いながら、これまたベタな台詞を吐く。
アリアは内心で盛大にツッコミを入れた。
(いや、愛してないから。一回も好きなんて言ったことないし。むしろ、その暑苦しい王太子、熨斗をつけて差し上げたいくらいなんだけど)
だが、ギルバートの暴走は止まらない。
「民よ、聞け! このアリアは、加護すら持たぬ出来損ないだ! 浄化も治癒も使えず、ただ巫女の座にしがみついているだけの詐欺師である! 真の巫女には、ここにいる慈悲深いアンネローゼこそが相応しい!」
「えっ、アンネローゼ様が巫女に? 職権乱用っていうか、女神様への冒涜がすごいんだけど……」
思わず口から本音が漏れたが、怒り狂ったギルバートの耳には届かない。
「アリア! 貴様との婚約を破棄し、この国から追放する! 二度とその汚い顔を私の前に見せるな!」
王太子の宣言に、神殿の神官たちも同調するように頷いている。
彼らは知っているのだ。アリアが「浄化」や「治癒」といった、神殿が金儲けに使える便利な加護を持っていないことを。だから、もっと扱いやすいアンネローゼにすり替えようという魂胆だろう。
アリアはふぅ、と深い溜息をついた。
そして、驚くほどあっさりと口を開く。
「わかりました。その婚約破棄、喜んでお受けします」
「……は?」
拍子抜けしたような顔をするギルバート。もっと泣いて縋られるとでも思っていたのだろうか。
「追放に関しても異論はありません。今すぐ荷物をまとめて出て行きますね。あ、婚約指輪はそこに置いておきます。これ、質に入れたら結構な額になりそうですし、神殿の修繕費にでも使ってください」
アリアは指から無造作にリングを引き抜くと、祭壇の床に転がした。
キンッ、と高い音が響く。
「なっ……! 貴様、反省の色はないのか!」
「反省? してませんよ、何もしてないし。あ、でも一つだけ。女神様に『次の方はアンネローゼ様だそうです』って伝えておきますね。上手くお茶飲み友達になれるといいですね、アンネローゼ様」
アリアはニッコリと、どこまでも爽やかな笑顔をアンネローゼに向けた。
アンネローゼの顔が、一瞬だけ恐怖で引き攣る。
「では、さようなら。皆様、お元気でー!」
アリアはさっさと祭壇を降り、神殿の裏手へと向かった。
背後でギルバートが「逃げるのか!」だのなんだの喚いていたが、今の彼女には心地よいBGMにしか聞こえない。
(やった……! やっと自由だわ!!)
神殿の自室に戻ると、アリアは質素な私服に着替え始めた。
もともと平民の出だ。豪華なドレスに未練なんてこれっぽっちもない。
彼女が巫女に選ばれたのは、六年前のこと。
十歳のアリアが、先代の巫女メイリ――アリアが「ばあちゃん」と慕っていた女性の元へ連れて行かれた日のことを、今でも鮮明に覚えている。
『アリア、いいかい。月読みの巫女っていうのはね、国に尽くす聖女なんかじゃない。女神様のお喋り相手を務める、ちょっと特殊な「お仕事」なんだよ』
先代のメイリは、穏やかに笑いながらそう教えてくれた。
彼女は「豊穣」の加護を持ち、彼女が幸せである限り、この国には豊かな実りが約束されていた。だからこそ、彼女は王家との政略結婚に巻き込まれることもなく、一生を穏やかに全うしたのだ。
『女神様はね、気に入った子の願いを一つ……いいえ、小さなことならいくつでも叶えてくださるわ。アリア、あんたは何を望むんだい?』
十歳のアリアは、ばあちゃんの膝の上で考えた。
「浄化」も「治癒」も、きっと便利だろう。でも、それを手に入れたら、きっと一生神殿に閉じ込められて、休む暇もなく働かされるに違いない。
アリアは、自由になりたかった。
ばあちゃんが亡くなった後、きっと自分を縛り付けようとする大人たちから、いつでも逃げ出せる力が欲しかった。
だから、彼女は女神にこう祈ったのだ。
『女神様。私、いろんな姿になれる力が欲しいです。声も変えられて、荷物もたくさん持てて、それから……悪いやつをぶっ飛ばせるくらい、強くなれる力が欲しい!』
そんなアリアの願いを、女神は「面白いわね!」と笑って受け入れた。
その結果授かったのが、「姿を変える」「声を変える」「アイテムボックス」「身体強化」という、およそ巫女らしからぬ――冒険者にこそ最適な加護のセットだった。
(ばあちゃん、私、約束通り自分の足で歩いていくよ)
アリアは、大切にしていたメイリの形見のペンダントを握りしめた。
神殿の裏門を抜ける。
そこには、自分と背格好が似た、協力者の侍女が待っていた。
「アリア様……本当に行ってしまわれるのですか?」
「ええ。今まで身代わり、ありがとうね。これ、退職金代わり。美味しいものでも食べて」
アリアはアイテムボックスから取り出した金貨の袋を侍女に握らせた。
そして、心の中で唱える。
(――『変身』。紺色の髪、タレ目。声は少し低めに)
光がアリアを包み込む。
一瞬の後、そこにいたのは、腰まであった茶髪をバッサリと切り落としたような紺色のボブカットの、少し幼い顔立ちをした少女だった。
「よし。これでもう、巫女のアリアじゃない」
彼女は身体強化の加護を脚に込めると、迷うことなく王都の城門へと走り出した。
王都の重厚な門をくぐり抜ける際、衛兵たちは紺色の髪をした少女に一瞥もくれなかった。無理もない。彼らが探しているのは、豪奢な巫女装束に身を包んだ、泣きべそをかいているはずの「アリア」なのだ。まさか、身軽な旅装に着替え、身体強化でスキップするように爆走している冒険者志望の小娘がその本人だとは夢にも思うまい。
(ふふーん、ざまあみろってんだ。あんな湿気った神殿、こっちから願い下げだよ!)
アリアは街道を外れ、森の中へと分け入った。人目がなくなったところで、彼女はふうっと息を吐き、草の上にどっかと座り込む。
この六年間、彼女は決して「お淑やかな巫女」として大人しくしていたわけではない。信託を下ろす公務以外の自由時間は、加護を使って姿を変え、せっせと冒険者ギルドに通い詰めていた。
理由は単純。巫女という職業は「福利厚生」が最悪だったからだ。
神殿は彼女の加護を「金にならないハズレ」と決めつけ、食事は質素、小遣いも雀の涙。一方で、王太子との婚約という名の「監視」だけは一丁前。そんな生活に耐えられるほど、アリアの性格は殊勝ではない。
(「姿を変える」に「身体強化」、ついでに「容量無制限のアイテムボックス」。これ、完全にソロ冒険者への転職キットだよね。女神様、マジでセンスいいわ)
アリアは懐から古びた銀のコインを取り出した。これは女神と交信するための触媒だ。
彼女がそっと目を閉じ、心の中で「もしもーし」と呼びかける。すると、周囲の景色がぐにゃりと歪み、真っ白な雲の上のような、柔らかな光に満ちた空間へと切り替わった。
「あらアリア、お疲れ様。随分と派手にやってくれたわね」
目の前には、白銀の髪をゆるく結い、透き通るような青い瞳をした絶世の美女が座っていた。リュンヌ王国の守護神、月の女神その人である。
……が、その手には新作のファッション雑誌(のような魔導書)。そしてテーブルの上には山盛りのクッキーが置かれていた。
「女神様、見てたんですか? あの王太子の顔。鳩が豆鉄砲くらったみたいで最高でしたよ」
「見てたわよー。水晶玉の前でポップコーン食べながら。アンネローゼだったかしら? あの子、私が自分の神殿に招くタイプじゃないって分かってないのかしらね。私、ああいう『裏表のある計算高い子』って、お喋りしてて疲れちゃうから嫌いなのよ」
女神はケラケラと笑いながら、アリアの前に温かい紅茶を差し出した。
この異空間でのひとときこそが、アリアにとっての唯一の安らぎだった。祈りの儀式という名目で、二人はこうして女子会……もとい、世間話に花を咲かせていたのだ。
「で、アリア。本当にあの国、捨てちゃっていいの? 戻りたくなったら、ちょっとした天変地異くらいなら起こしてあげてもいいけれど」
「いいですよ、そんな物騒なこと。私はもう、自由になりたいんです。冒険者として世界中を見て回って、美味しいものを食べて、それから……」
「それから?」
「……いつか、私の正体を知っても驚かないような、いい男でも捕まえられたら最高ですね」
アリアが不敵に笑うと、女神は「いいわね、応援しちゃうわ!」と上機嫌にクッキーを頬張った。
「じゃあ、お別れの餞別に、リュンヌ王国の『本当の歴史』を教えてあげる。これを知っておけば、あいつらがどれだけ滑稽かよく分かるわよ」
女神が語った真実は、王家がひた隠しにしてきた建国神話の裏側だった。
初代王が女神の求愛を受けたというのは真っ赤な嘘。実際は、女神が気に入った平民の娘を当時の権力者が無理やり囲い込み、その娘の力を利用して国を大きくしただけなのだという。
「王家に私の力なんて一つも継承されてないわ。ただの『巫女のストーカーの末裔』よ。それなのに、シルバーの髪がどうとか、金色の瞳がどうとか……ぷぷっ、笑っちゃうわよね」
「……性格悪いですよ、女神様」
「神様なんてそんなものよ。さあ、アリア。隣国に行ったら、まずはBランクの昇格試験を受けなさい。あなたの身体強化なら余裕よ」
女神との楽しいお茶会を終え、アリアが意識を現実に戻すと、夜風が心地よく頬を撫でた。
数日後。アリアは国境を越え、隣国「ソレイユ帝国」の冒険者ギルドの門を叩いていた。
紺色の髪の少女、名は「リア」。
リュンヌ王国では「無能な巫女」として冷遇されていた彼女だったが、その実力は既に熟練の戦士をも凌駕していた。
「おい、新人。そこのワイバーン討伐、ソロで行く気か? 死に急ぐんじゃねえぞ」
ギルドの荒くれ者たちが茶化してくるが、アリアは「ええ、散歩ついでに」と軽く受け流す。
彼女はアイテムボックスから、神殿時代にこっそり特注しておいた漆黒の短剣を取り出した。
身体強化を発動させると、世界がスローモーションのように動き出す。
(あー、楽しい。お祈りポーズで固まってるより、こっちの方が百倍マシ!)
一方その頃、アリアを追い出したリュンヌ王国では、早くも「誤算」が始まっていた。
新しく巫女の座に就いたアンネローゼ。彼女は民衆の前で優雅に祈りを捧げるが、どれだけ待っても月の女神からの言葉は降りてこない。
「……おかしいわ。なぜ、何も聞こえないの?」
冷や汗を流すアンネローゼの隣で、ギルバート王太子は焦燥を募らせていた。
信託がなければ、王政の正当性が揺らぐ。彼は慌てて、御用学者の神官たちに命じた。
「偽造しろ。アンネローゼが『月の加護により、来年の豊穣は約束された』と言ったことにするのだ。民を安心させれば、それでいい」
その決定が、女神の逆鱗に触れるとも知らずに。
ソレイユ帝国のギルド「暁の月亭」は、今日も今日とて汗臭い男たちと酒の匂いで充満していた。
そんな中、ひときわ異彩を放つのが、紺色のボブカットを揺らしながら巨大な肉料理を黙々と攻略する少女――リアことアリアである。
「おーい、リア。またワイバーンの群れを片付けてきたんだって? お前、相変わらず無茶苦茶な強さだな」
「無茶苦茶って言わないでください。効率化を突き詰めた結果ですよ。素材を傷つけずに仕留めれば、ギルドの査定も上がるじゃないですか」
アリアはジョッキの果実水を飲み干し、ふぅ、と満足げな溜息をついた。
隣国に来てからというもの、彼女の生活は劇的に改善した。神殿時代は「無能」だと蔑まれていた『身体強化』の加護だが、外の世界では「一人で軍隊並みの戦果を出す万能スキル」だ。おまけに、アイテムボックスがあるおかげで重い荷物とも無縁。
(あー、最高。働いた分だけ金貨が貯まる。誰にも嫌味を言われず、好きな時に肉が食える。これぞ人間らしい生活だわ)
そんなアリアの元に、一人の青年が近づいてきた。
銀の鎧を纏った凛々しい剣士、ユーリだ。彼は帝国の騎士団に所属しているが、実力主義のアリアを高く評価し、時折高難易度の依頼を持ち込んでくる「上客」である。
「リア、また一段と腕を上げたようだな。……実は折り入って頼みがある。北の山脈に現れた『氷晶竜』の討伐に、君の力を貸してほしい。君の機動力と収納スキルがあれば、被害を最小限に抑えられるはずだ」
「氷晶竜ですか。報酬次第ですけど、私、手は抜きませんよ?」
「分かっている。報酬はギルド基準の三倍、さらに帝国騎士団秘蔵の魔力回復ポーションも付けよう。どうだ?」
「……交渉成立です。いい仕事しましょう、ユーリさん」
アリアにとってユーリは、私生活に踏み込んでこない、非常にやりやすいビジネスパートナーだった。彼もまた、アリアを「守るべき対象」ではなく「肩を並べる戦友」として扱っており、そのドライな関係がアリアには何より心地よかった。
一方その頃、アリアを追い出したリュンヌ王国では、なんともシュールな地獄絵図が広がっていた。
「……ねえ、ギルバート様。このトマト、動いている気がするのだけれど」
王宮の食卓。アンネローゼが引き攣った笑顔で指差す先には、紫色に変色し、皿の上で微妙に蠢く不気味な果実があった。
先代巫女メイリが亡くなり、アリアが追放されてからというもの、国内の農作物はことごとく変異し始めていた。原因は明白、女神の「嫌がらせ」である。
「気にするな、アンネローゼ。神官たちは『これぞ月の女神が授けた進化の兆しである』と言っている。食べれば……まあ、三日ほど寝込むかもしれんが、死にはしないだろう」
ギルバートの顔色も最悪だ。
最近、彼の自慢である輝くシルバーの髪は、朝起きるたびに数本ずつドブネズミのような灰色に変色していた。さらに、歩くたびに何もないところで盛大に足が縺れ、一日に十回は顔面から地面に突っ込むという「呪い」の真っ最中だった。
「それにしても……信託はどうなっている! 今日こそは何か聞こえたのだろうな!?」
「それが、その……昨日お祈りをした時は、『お前の鼻毛、一本出てるわよ』という冷ややかな声が聞こえたような気がして……」
「……そんな不敬な信託があるか! 聞き間違いだ!」
ギルバートは叫ぶが、事態は深刻だった。
信託が降りないことを隠すため、彼らは「捏造」に手を染めていた。
『女神は仰せである。王家への献上品を三倍にせよ。さすれば災いは去る』
『女神は仰せである。アンネローゼ様の肖像画を飾れば、作物の病は治る』
しかし、そんな嘘が通じるほど世の中は甘くない。
異空間でお茶を啜りながら、女神は本気で呆れていた。
「あいつら、私の名前をなんだと思ってるのかしら。……よし、そろそろ『本格的』にやっていいわね」
女神が指先で水晶玉を弾くと、リュンヌ王国の神殿の屋根に雷が落ちた。それも、神官たちが隠し持っていた「不正な金貨」が詰まった金庫だけを的確に狙い撃ちにする、物理的な制裁である。
そんな王国の崩壊など知る由もないアリアは、氷晶竜の首を見事に跳ね飛ばし、返り血を拭っていた。
「見事な剣筋だった、リア。君がいてくれて助かったよ」
「いえいえ、これも報酬のためですから。さあ、新鮮なうちにアイテムボックスへ詰めちゃいましょう。竜の肉、美味しいらしいですよ?」
「はは、君は本当に逞しいな」
ユーリの感心したような視線を、アリアは「褒め言葉」として素直に受け取る。
誰かに寄りかかる必要はない。自分の腕一本で、この広い世界を渡り歩いていく。
しかし、そんな彼女の平穏を破るように、ギルドの入り口にボロボロになったリュンヌ王国の使者が現れたのは、その日の夕方のことだった。
「……アリア様……月読みの巫女、アリア様はいらっしゃいませんか……! 国が、国が大変なのです、どうかお戻りを……!」
アリアは、飲んでいた果実水を豪快に吹き出した。
「……誰が戻るかよ、バーカ!」
反射的に出た平民時代の素の口調に、ユーリが少しだけ目を丸くしたが、アリアは構わず二杯目の注文を叫んだ。
ギルドの入り口で膝をつき、必死の形相で叫んでいるのは、かつて神殿でアリアを小突き回していた下っ端神官の一人だった。
かつての清潔な神官服は泥に汚れ、顔はやつれ果てている。その姿に、ギルドにいた冒険者たちが「なんだなんだ?」と野次馬根性で集まってきた。
「……リア、知り合いか?」
ユーリが怪訝そうに尋ねる。アリアは即座に首を振った。
「いえ、全く。どこかの国の迷子じゃないですか? あ、店員さん、この串焼き追加で!」
アリアは知らんぷりを決め込もうとしたが、神官は彼女の「紺色の髪」という偽装を無視して、その魂の輝き(あるいは、食い意地の張り方)で見抜いたのか、真っ直ぐにアリアへ這い寄ってきた。
「アリア様! 隠れても無駄です! その、ふてぶてしいまでの……いえ、溢れんばかりの存在感、間違いありません! お願いです、国へ戻ってください! アンネローゼ様が巫女を継いでからというもの、空からはカエルが降り、川は紫色のソーダ水になり、王太子殿下は一歩歩くごとに五回転する呪いにかかっているのです!」
「……え、カエル? それはちょっと見たいかも」
アリアは思わず呟いたが、すぐに表情を引き締めた。
「いいですか、人違いさん。私はしがない冒険者のリアです。巫女なんて高貴な仕事、私のようながさつな女に務まるわけないでしょう? だいたい、婚約破棄して追放したのはそっちの王子様ですよね」
「そこをなんとか! 王太子殿下も今では『アリアがいないと地面が顔に近い』と泣き言を漏らしているのです!」
その時、ギルドの外からやたらと騒々しい音が聞こえてきた。
ガシャーン、ドスン、ゴロゴロ……という、およそ人間が移動しているとは思えない音。
入り口から転がり込んできたのは、豪華な服をボロボロにしたギルバート王太子その人だった。
「ア、アリア……! そこに、そこにいるのだな……! うわっ!?」
ギルバートはアリアの姿を見つけるなり駆け寄ろうとしたが、一歩踏み出した瞬間に見事な前転を披露し、アリアの足元にまで回転しながら到達した。
「……何しに来たんですか、転がり王子」
「王子と言うな! ……ぐっ、アリア、貴様が国を去ってからというもの、リュンヌ王国はめちゃくちゃだ! アンネローゼは信託の内容を捏造して私腹を肥やそうとし、女神様の怒りを買った! もう一度だけチャンスをやる、今すぐ戻って巫女としての義務を果たせ!」
相変わらずの傲慢な物言いに、アリアは血管がピキリと音を立てるのを感じた。
アリアは持っていた串焼きを皿に置くと、すっと立ち上がった。
「チャンス? 面白い冗談ですね。私がどれだけあの国で冷遇されてきたか、忘れたんですか? 加護が役に立たない、華がない、毒を盛るような女だ……全部、貴方がたが言ったことですよ」
「そ、それは……アンネローゼに吹き込まれたというか……」
「女神様も仰ってましたよ。『あいつら、私の名前で勝手なこと言い過ぎ』って。今の惨状は、全部貴方たちが招いた自業自得です。私はもう、あの国の巫女じゃない。ソレイユ帝国の、自由なBランク冒険者なんです」
アリアは右拳を握り、身体強化の加護をほんの少しだけ発動させた。
その拳がギルバートの目の前のテーブルを軽く叩くと、分厚いオーク材の机に、ミシミシと亀裂が走った。
「……次、私の前に現れたら、その頭をこのテーブルみたいにしてあげます。分かりましたか?」
アリアの瞳が、怒りで一瞬だけシルバーゴールドに輝く。
その威圧感に、ギルバートは悲鳴を上げて後ずさり、そのまま再び回転しながらギルドの外へと転がっていった。
「……リア。今の、月の巫女の光じゃないか?」
ユーリが静かに尋ねる。アリアは肩をすくめ、紺色の髪をかき上げた。
「元、です。今はただの、力の強い女の子ですよ」
「……そうか。それなら、あんな連中に君を渡すわけにはいかないな」
ユーリは腰の剣に手をかけ、ギルドの入り口に立つ騎士たちに合図を送った。
「帝国の冒険者を不当に連れ去ろうとする不届き者だ。リュンヌ王国の連中を国境まで叩き出せ。二度と入れさせるな」
「了解いたしました、皇子殿下!」
騎士たちの返事に、アリアは目を点にした。
「……え、皇子? ユーリさん、あんた皇子だったの?」
「言っていなかったか? まあ、今はただの雇い主だと思ってくれ。さあ、リア。仕事の続きをしよう。次は……そうだな、あの『転がり王子』よりは手強い魔物の討伐だ」
アリアは笑った。
守られる必要なんてない。けれど、自分の居場所を認めてくれる仲間がいるのは、悪い気分ではない。
(ばあちゃん、女神様。私、この国でずっと、自分らしく生きていくよ)
空に浮かぶ月が、いつもより少しだけ明るく輝き、自由を選んだ巫女を祝福しているようだった。
完




