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亀裂の入った昔の音

作者: 山中 千

感情が大きく起伏するような過去の記憶とは違ったなぜか残っている記憶。人気者の「私」のなぜか残っている過去の話。

   亀裂の入った昔の音


 虚構で有しているもの。それは何であろうと良くて、例えば時計。時計は勿論時間を報せる物。実物している物であって、割れた硝子越しにその姿を見ると、時間も次いでに割れています。どういうことかというと、正確な針の示す位置が定まらないということ。いわば時計が時計としての役割を果たさないということになって、それは虚構です。

 映画を割れた硝子越しに見ることは、時間を置くということ。この場合の時間を置くとは、映画の始まりと終わりまでではなくて、以前に鑑賞した映画ということ。忘れたり、変な捏造が加わります。映画自体の姿は変わらない筈なのに、思いが加わって変化することがあります。

 特定の出来事が、特定の出来事以上の思いを育んだり、特定の出来事以下の思いを削いだりします。記憶の欠片には、増減を繰り返したある特定な出来事があります。決して私だけではなくて誰にでも、誰しもしかない個人的な体験がある筈です。私もあって、それがそれ以上なものなのかそれ以下のものなのか、はたまた判断が付かないのか。私は上記の選択肢があるとするならば、判断が付かないを選びます。選ぶといういかにも積極的な表現は、私には違和感があります。判断できないを選ぶ、否定的と肯定的を有していて、矛盾と同義語だと思うからです。


 光景が浮かびます。蔦が鬱蒼とした木造建築に雨が覆い被さろうとしている光景。この光景は虚構のものだとするならば、私は全てをやり直さなければなりません。足を進めることが不安と恐怖で堪りません。歩いている所が虚構であるとするならば、どうなるのでしょう。落ちるのでしょうか。判りませんが、光景の手応えはあります。時間が経った今でも揺るぎないものとして存在しています。時の振るいにかけても、残り続けたのです。自信があるといっても、根底が揺らぐというのはやはり怖いので仮定ということにします。


 仮定する過去の話。私が小学校の3年生の頃だったと思います。小学校からの帰路で私は独りでした。当時の私は卑屈でも人見知りでもありませんでした。人を笑わせることが得意でありました。常にふざけた言動で、周囲を悦で満たしておりました。寂しさとは無縁の私からして、独りの帰路ということはいわば辻褄の合わない出来事です。私だけ帰りが遅くなるようなことがあったのだろうと思います。今日提出の宿題を残ってやっていたや、日直の掃除が長引いたや、運動会の催し物の出来が悪く練習や準備に取り組んでいたや、理由は色々と考えれられます。しかし考えられるまででそれ以上先を追求することは今の私にはできません。そういった細かい所が忘却されています。

 とりあえず私は独りでした。孤独知らずの私は惨めな思いを馳せる、ということはありませんでした。どちらかというとかすかな高揚まであるぐらいでした。小さな羽根が生えたような高揚でした。冬も近い時期でしたので、辺りは灰色模様でした。薄っすら暗いともいえるぐらいでした。雨雫が肌に触れ、空を向くと鉛雲が浮遊していました。雨雫が肌を叩く回数はしだいに増え、みるみるうちに強い夕立ちになりました。私は傘を持っていなかったので、脇道に流れて雨宿りをすることにしました。

 逃げるような小走りに行く先々で待ちかまえる雨。避難所として選んだ木造の玄関の屋根で、私はあの光景を見たのです。以前は豪盛だったであったことを物語る蔦まみれの家。雨足を測る風景に映り込みました。寝ている状態に寄っているまどろみの時間を過ごしていたときに、戸が開きました。背丈は同じぐらいの腰の大きく曲がった老婆が出てきました。目線がぶつかり、老婆の柔和な表情が私の中にある何かを揺さぶりました。

「いらっしゃい」

老婆はそういって、家の奥へ消えました。

あ、あの……と言葉にならない言葉を引き連れて老婆の後ろを追いました。お、お邪魔します、緊張しながらも私は礼儀正しく言いました。

 蜜柑と温かいお茶を出してくれました。

 こたつの中に入って話をしました。私はこれまで培った馬鹿を披露して笑いを誘いました。少しでも老婆に恩返しをしたいとその一心でした。しかし老婆は普段みんなが笑うはずのポイントでお茶を飲むような始末でした。焦った私は感覚が狂っていき、普段なら脳裏の中でボツにしてしまうような話を懸命に話していました。

 懸命だったためにどのぐらい時間が経過したのか分かりませんでした。渇いた喉を潤すためにお茶を口に含んだところで

「雨、あがったよ」

老婆が柔和な表情で言いました。驚いて外を向くと、雨雫を照らす煌々とした光が差し込んでいました。

 礼を言って私は家を出ました。老婆は私が食べそびれた蜜柑を持たして、送り出してくれました。蜜柑を食べながら帰る道の上で、私は自分の話が受けなかった悔いを微塵も感じませんでした。というよりもどこか清々しい気持ちになっていました。


 それからというもの老婆に会いたくて、帰路を散策したのですが、見つけることが出来ませんでした。あのとき雨が降ったタイミングで、独りだったから辿り着けた場所だったのです。

 卒業までの帰路は友達と楽しく過ぎゆきました。

 ただ今でなお残っている光景なのでありました。

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